この騒ぎに少女が前なりし酒は覆へりて、裳を浸し、卓の上にこぼれたるは、蛇の如く這ひて、人々の前へ流れよらむとす。巨勢は熱き手掌を、両耳の上におぼえ、驚く間もなく、またこれより熱き唇、額に触れたり。「我友に目を廻させたまふな。」とエキステル呼びぬ。人々は半ば椅子より立ちて「いみじき戯かな、」と一人がいへば、「われらは継子なるぞくやしき、」と外の一人いひて笑ふを、よそなる卓よりも、皆興ありげにうち守りぬ。
少女が側に坐したりし一人は、「われをもすさめ玉はむや、」といひて、右手さしのべて少女が腰をかき抱きつ。少女は「さても礼儀知らずの継子どもかな、汝らにふさはしき接吻のしかたこそあれ。」と叫び、ふりほどきて突立ち、美しき目よりは稲妻出づと思ふばかり、しばし一座を睨みつ。巨勢は唯呆れに呆れて見ゐたりしが、この時の少女が姿は、菫花うりにも似ず、「ロオレライ」にも似ず、さながら凱旋門上のバワリアなりと思はれぬ。
少女は誰が飲みほしけむ珈琲碗に添へたりし「コップ」を取りて、中なる水を口に銜むと見えしが、唯一
。「継子よ、継子よ、汝ら誰か美術の継子ならざる。フィレンチェ派学ぶはミケランジェロ、ヰンチイが幽霊、和蘭派学ぶはルウベンス、ファン・ヂイクが幽霊、我国のアルブレヒト・ドュウレル学びたりとも、アルブレヒト・ドュウレルが幽霊ならぬは稀ならむ。会堂に掛けたる『スツヂイ』二つ三つ、値段好く売れたる暁には、われらは七星われらは十傑、われらは十二使徒と擅に見たてしてのわれぼめ。かかるえり屑にミネルワの唇いかで触れむや。わが冷たき接吻にて、満足せよ。」とぞ叫びける。
噴掛けし霧の下なるこの演説、巨勢は何事とも弁へねど、時の絵画をいやしめたる、諷刺ならむとのみは推測りて、その面を打仰ぐに、女神バワリアに似たりとおもひし威厳少しもくづれず、言畢りて卓の上におきたりし手袋の酒に濡れたるを取りて、大股にあゆみて出でゆかむとす。
皆すさまじげなる気色して、「狂人」と一人いへば、「近きに報せでは已まじ」と外の一人いふを、戸口にて振りかへりて。「遺恨に思ふべき事かは、月影にすかして見よ、額に血の迹はとどめじ。吹きかけしは水なれば。」
中
あやしき少女の去りてより、ほどなく人々あらけぬ。帰り路にエキステルに問へば、「美術学校にて雛形となる少女の一人にて、『フロイライン』ハンスルといふものなり。見たまひし如く奇怪なる振舞するゆゑ、狂女なりともいひ、また外の雛形娘と違ひて、人に肌見せねば、かたはにやといふもあり。その履歴知るものなけれど、教ありて気象よの常ならず、
れたる行なければ、美術諸生の仲間には、喜びて友とするもの多し。善き首なることは見たまふ如し。」と答へぬ。巨勢、「我画かくにもようあるべきものなり。『アトリエ』ととのはむ日には、来よと伝へたまへ。」エキステル、「心得たり。されど十三の花売娘にはあらず、裸体の研究、危しとはおもはずや。」巨勢、「裸体の雛形せぬ人と君もいひしが。」エキステル、「現にいはれたり。されど男と接吻したるも、けふ始めて見き。」エキステルがこの言葉に、巨勢は赤うなりしが、街燈暗き「シルレル・モヌメント」のあたりなりしかば、友は見ざりけり。巨勢が「ホテル」の前にて、二人は袂を分ちぬ。
一週ほど後の事なりき。エキステルが周旋にて、美術学校の「アトリエ」一間を巨勢に借されぬ。南に廊下ありて、北面の壁は硝子の大窓に半を占められ、隣の間とのへだてには唯帆木綿の幌あるのみ。頃はみな月半ばなれど、旅立ちし諸生多く、隣に人もあらず、業妨ぐべき憂なきを喜びぬ。巨勢は画額の架[#「架」の左に「スタッファージュ」とルビ、50-11]の前に立ちて、今入りし少女に「ロオレライ」の画を指さし示して、「君に聞かれしはこれなり。面白げに笑ひたはぶれ玉ふときは、さしもおもはれねど、をりをり君がおも影の、ここなる未成の人物にいとふさはしきときあり。」
少女は高く笑ひて。「物忘したまふな。おん身が『ロオレライ』の本の雛形、すみれ売の子は我なりとは、先の夜も告げしものを。」かくいひしが俄に色を正して。「おん身は我を信じたまはず、げにそれも無理ならず。世の人は皆我を狂女なりといへば、さおもひたまふならむ。」この声戯とは聞えず。
巨勢は半信半疑したりしが、忍びかねて少女にいふ、「余りに久しくさいなみ玉ふな。今も我が額に燃ゆるは君が唇なり。はかなき戯とおもへば、しひて忘れむとせしこと、幾度か知らねど、迷は遂に晴れず。あはれ君がまことの身の上、苦しからずは聞かせ玉へ。」
窓の下なる小机に、いま行李より出したる旧き絵入新聞、遣ひさしたる油ゑの具の錫筒、粗末なる烟管にまだ巻烟草の端の残れるなど載せたるその片端に、巨勢はつら杖つきたり。少女は前なる籐の椅子に腰かけて、語りいでぬ。
「まづ何事よりか申さむ。この学校にて雛形の鑑札受くるときも、ハンスルといふ名にて通したれど、そは我真の名にあらず。父はスタインバハとて、今の国王に愛でられて、ひと時栄えし画工なりき。わが十二の時、王宮の冬園[#「冬園」の左に「ヴィンテルガルテン」とルビ、51-12]に夜会ありて、二親みな招かれぬ。宴闌なる頃、国王見えざりければ、人々驚きて、移植ゑし熱帯草木いやが上に茂れる、硝子屋根の下、そこかここかと捜しもとめつ。園の片隅にはタンダルヂニスが刻める、ファウストと少女との名高き石像あり。わが父のそのあたりに来たりし時、胸裂くるやうなる声して、『助けて、助けて』と叫ぶものあり。声をしるべに、黄金の穹窿おほひたる、『キオスク』(四阿屋)の戸口に立寄れば、周囲に茂れる椶櫚の葉に、瓦斯燈の光支へられたるが、濃き五色にて画きし、窓硝子を洩りてさしこみ、薄暗くあやしげなる影をなしたる裡に、一人の女の逃げむとすまふを、ひかへたるは王なり。その女のおもて見し時の、父が心はいかなりけむ。かれは我母なりき。父はあまりの事に、しばしたゆたひしが、『許したまへ、陛下』と叫びて、王を推倒しつ。そのひまに母は走りのきしが、不意を打たれて倒れし王は、起き上りて父に組付きぬ。肥えふとりて多力なる国王に、父はいかでか敵し得べき、組敷かれて、側なりし如露にてしたたか打たれぬ。この事知りて諌めし、内閣の秘書官チイグレルは、ノイシュワンスタインなる塔に押籠めらるるはずなりしが、救ふ人ありて助けられき。われはその夜家にありて、二親の帰るを待ちしに、下女来て父母帰り玉ひぬといふ。喜びて出迎ふれば、父舁かれて帰り、母は我を抱きて泣きぬ。」
少女は暫らく黙しつ。けさより曇りたる空は、雨になりて、をりをり窓を打つ雫、はらはらと音す。巨勢いふ。「王の狂人となりて、スタルンベルヒの湖に近き、ベルヒといふ城に遷され玉ひしことは、きのふ新聞にて読みしが、さてはその頃よりかかる事ありしか。」
少女は語を継ぎて。「王の繁華の地を嫌ひて、鄙に住まひ、昼寝ねて夜起きたまふは、久しきほどの事なり。独逸、仏蘭西の戦ありし時、加特力派の国会に打勝ちて、普魯西方につきし、王が中年のいさをは、次第に暴政の噂に掩はれて、公けにこそ言ふものなけれ、陸軍大臣メルリンゲル、大蔵大臣リイデルなど、故なくして死刑に行はれむとしたるを、その筋にて秘めたるは、誰知らぬものなし。王の昼寝し玉ふときは、近衆みな却けられしが、囈語にマリイといふこと、あまたたびいひたまふを聞きしもありといふ。我母の名もマリイといひき。望なき恋は、王の病を長ぜしにあらずや。母はかほばせ我に似たる処ありて、その美しさは宮の内にて類なかりきと聞きつ。」
「父は間もなく病みて死にき。交広く、もの惜みせず、世事には極めて疎かりければ、家に遺財つゆばかりもなし。それよりダハハウエル街の北のはてに、裏屋の二階明きたりしを借りて住みしが、そこに遷りてより、母も病みぬ。かかる時にうつろふものは、人の心の花なり。数知らぬ苦しき事は、わが穉き心に、早く世の人を憎ましめき。明る年の一月、謝肉祭の頃なりき、家財衣類なども売尽して、日々の烟も立てかぬるやうになりしかば、貧しき子供の群に入りてわれも菫花売ることを覚えつ。母のみまかる前、三日四日のほどを安く送りしは、おん身の賜なりき。」
「母のなきがら片付けなどするとき、世話せしは、一階高くすまひたる裁縫師なり。あはれなる孤ひとり置くべきにあらずとて、迎取られしを喜びしこと、今おもひ出しても口惜しきほどなり。裁縫師には、娘二人ありて、いたく物ごのみして、みづから衒ふさまなるを見しが、迎取られてより伺へば、夜に入りてしばしば客あり。酒など飲みて、はては笑ひ罵り、また歌ひなどす。客は外国の人多く、おん国の学生なども見えしやうなりき。或る日主人われにも新しき衣着よといひしが、そのをりその男の我を見て笑ひし顔、何となく怖ろしく、子供心にもうれしとはおもはざりき。午すぎし頃、四十ばかりなる知らぬ人来て、スタルンベルヒの湖水へ往かむといふを、主人も倶に勧めき。父の世にありしきとき、伴はれてゆきし嬉しさ、なほ忘れざりしかば、しぶしぶ諾ひつるを、「かくてこそ善き子なれ」とみな誉めつ。連れなる男は、途にてやさしくのみ扱ひて、かしこにては『バワリア』といふ座敷船に乗り、食堂にゆきて物食はせつ。酒もすすめぬれど、そは慣れぬものなれば、辞みて飲まざりき。ゼエスハウプトに船はてしとき、その人はまた小舟を借り、これに乗りて遊ばむといふ。暮れゆくそらに心細くなりしわれは、はやかへらむといへど、聴かずして漕出で、岸辺に添ひてゆくほどに、人げ遠き葦間に来りしが、男は舟をそこに停めつ。わが年はまだ十三にて、初は何事ともわきまへざりしが、後には男の顔色もかはりておそろしく、われにでもあらで、水に躍入りぬ。暫しありて我にかへりしときは、湖水の畔なる漁師の家にて、貧しげなる夫婦のものに、介抱せられてゐたりき。帰るべき家なしと言張りて、一日二日と過す中に、漁師夫婦の質朴なるに馴染みて、不幸なる我身の上を打明けしに、あはれがりて娘として養ひぬ。ハンスルといふは、この漁師の名なり。」
「かくて漁師の娘とはなりぬれど、弱き身には舟の櫂取ることもかなはず、レオニのあたりに、富める英吉利人の住めるに雇はれて、小間使になりぬ。加特力教信ずる養父母は、英吉利人に使はるるを嫌ひぬれど、わが物読むことなど覚えしは、彼家なりし雇女教師[#「雇女教師」の左に「グェルナント」とルビ、55-10]の恵なり。女教師は四十余の処女なりしが、家の娘のたかぶりたるよりは、我を愛すること深く、三年がほどに多くもあらぬ教師の蔵書、悉く読みき。ひがよみはさこそ多かりけめ。またふみの種類もまちまちなりき。クニッゲが交際法あれば、フムボルトが長生術あり。ギョオテ、シルレルの詩抄半ばじゆしてキョオニヒが通俗の文学史を繙き、あるはルウヴル、ドレスデンの画堂の写真絵、繰りひろげて、テエヌが美術論の訳書をあさりぬ。」
「去年英吉利人一族を率ゐて国に帰りし後は、然るべき家に奉公せばやとおもひしが、身元善からねば、ところの貴族などには使はれず。この学校の或る教師に、端なくも見出されて、雛形勤めしが縁になりて、遂に鑑札受くることとなりしが、われを名高きスタインバハが娘なりとは知る人なし。今は美術家の間に立ちまじりて、唯面白くのみ日を暮せり。されどグスタアフ・フライタハはさすがそら言いひしにあらず。美術家ほど世に行儀悪しきものなければ、独立ちて交るには、しばしも油断すべからず。寄らず、障らぬやうにせばやとおもひて、計らず見玉ふ如き不思議の癖者になりぬ。をりをりは我身、みづからも狂人にはあらずやと疑ふばかりなり。これにはレオニにて読みしふみも、少し祟をなすかとおもへど、もし然らば世に博士と呼ばるる人は、そもそもいかなる狂人ならむ。われを狂人と罵る美術家ら、おのれらが狂人ならぬを憂へこそすべきなれ。英雄豪傑、名匠大家となるには、多少の狂気なくて
はぬことは、ゼネカが論をも、シエエクスピアが言をも待たず。見玉へ、我学問の博きを。狂人にして見まほしき人の、狂人ならぬを見る、その悲しさ。狂人にならでもよき国王は、狂人になりぬと聞く、それも悲し。悲しきことのみ多ければ、昼は蝉と共に泣き、夜は蛙と共に泣けど、あはれといふ人もなし。おん身のみは情なくあざみ笑ひ玉はじとおもへば、心のゆくままに語るを咎め玉ふな。ああ、かういふも狂気か。」
下
定なき空に雨歇みて、学校の庭の木立のゆるげるのみ曇りし窓の硝子をとほして見ゆ。少女が話聞く間、巨勢が胸には、さまざまの感情戦ひたり。或ときはむかし別れし妹に逢ひたる兄の心となり、或ときは廃園に僵れ伏したるヱヌスの像に、独悩める彫工の心となり、或るときはまた艶女に心動され、われは堕ちじと戒むる沙門の心ともなりしが、聞きをはりし時は、胸騒ぎ肉顫ひて、われにもあらで、少女が前に跪かむとしつ。少女はつと立ちて「この部屋の暑さよ。はや学校の門もささるる頃なるべきに、雨も晴れたり。おん身とならば、おそろしきこともなし。共にスタルンベルヒへ往き玉はずや。」と側なる帽取りて戴きつ。そのさま巨勢が共に行くべきを、つゆ疑はずと覚し。巨勢は唯母に引かるる穉子の如く従ひゆきぬ。
門前にて馬車雇ひて走らするに、ほどなく停車場に来ぬ。けふは日曜なれど、天気悪しければにや、近郷よりかへる人も多からで、ここはいと静なり。新聞の号外売る婦人あり。買ひて見れば、国王ベルヒの城に遷りて、容体穏なれば、侍医グッデンも護衛を弛めさせきとなり。
車中には湖水の畔にあつさ避くる人の、物買ひに府に出でし帰るさなるが多し。王の噂いと喧し。「まだホオヘンシュワンガウの城にゐたまひし時には似ず、心鎮まりたるやうなり。ベルヒに遷さるる途中、ゼエスハウプトにて水求めて飲みたまひしが、近きわたりなりし漁師らを見て、やさしく頷きなどしたまひぬ。」と訛みたることばにて語るは、かひもの籠手にさげたる老女なりき。
車走ること一時間、スタルンベルヒに着きしは夕の五時なり。かちより往きてやうやう一日ほどの処なれど、はやアルペン山の近さを、唯何となく覚えて、このくもらはしき空の気色にも、胸開きて息せらる。車のあちこちと廻来し、丘陵の忽開けたる処に、ひろびろと見ゆるは湖水なり。停車場は西南の隅にありて、東岸なる林木、漁村はゆふ霧に包まれてほのかに認めらるれど、山に近き南の方は一望きはみなし。
案内知りたる少女に引かれて、巨勢は右手なる石段をのぼりて見るに、ここは「バワリア」の庭といふ「ホテル」の前にて、屋根なき所に石卓、椅子など並べたるが、けふは雨後なればしめじめと人げ少し。給仕する僕の黒き上衣に、白の前掛したるが、何事をかつぶやきつつも、卓に倒しかけたる椅子を、引起して拭ひゐたり。ふと見れば片側の軒にそひて、つた蔓からませたる架ありて、その下なる円卓を囲みたるひと群の客あり。こはこの「ホテル」に宿りたる人々なるべし。男女打ちまじりたる中に、先の夜「ミネルワ」にて見し人ありしかば、巨勢は往きてものいはむとせしに、少女おしとどめて。「かしこなるは、君の近づきたまふべき群にあらず。われは年若き人と二人にて来たれど、愧づべきはかなたにありて、こなたにあらず。彼はわれを知りたれば、見玉へ、久しく座にえ忍びあへで隠るべし。」とばかりありて、彼美術諸生は果して起ちて「ホテル」に入りぬ。少女は僕を呼びちかづけて、座敷船はまだ出づべしやと問ふに、僕は飛行く雲を指さして、この覚束なきそらあひなれば、最早出でざるべしといふ。さらば車にてレオニに行かばやとて言付けぬ。
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