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うたかたの記(うたかたのき)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-11-6 17:55:56  点击:  切换到繁體中文

    上

 幾頭の獅子ししける車の上に、いきおいよく突立ちたる、女神にょしんバワリアの像は、先王ルウドヰヒ第一世がこの凱旋門がいせんもんゑさせしなりといふ。そのもとよりルウドヰヒ町を左に折れたる処に、トリエント産の大理石にてきずきおこしたるおほいへあり。これバワリアの首府に名高き見ものなる美術学校なり。校長ピロッチイが名は、をちこちに鳴りひびきて、独逸ドイツの国々はいふもさらなり、新希臘ギリシア伊太利イタリア※(「王+連」、第3水準1-88-24)デンマークなどよりも、ここにきたりつどへる彫工ちょうこう、画工数を知らず。日課をへてのちは、学校の向ひなる、「カッフェエ・ミネルワ」といふ店に入りて、珈琲カッフェーのみ、酒くみかはしなどして、おもひおもひのたわぶれす。こよひも瓦斯燈ガスとうの光、半ば開きたる窓に映じて、内には笑ひさざめく声聞ゆるをり、かどにきかかりたる二人あり。
 先に立ちたるは、かち色のかみのそそけたるをいとはず、幅広き襟飾えりかざりななめに結びたるさま、が目にも、ところの美術諸生しょせいと見ゆるなるべし。どまりて、あとなる色黒き小男に向ひ、「ここなり」といひて、戸口をあけつ。
 先づ二人がおもてつはたばこのけぶりにて、にわかに入りたる目には、なかなる人をも見わきがたし。日は暮れたれど暑き頃なるに、窓ことごとくあけはなちはせで、かかる烟の中に居るも、ならいとなりたるなるべし。「エキステルならずや、いつの間にか帰りし。」「なほ死なでありつるよ。」など口々に呼ぶを聞けば、かの諸生はこのむれにて、馴染なじみあるものならむ。その間、あたりなる客は珍らしげに、後につきて入来いりきたれる男を見つめたり。見つめらるる人は、座客ざかくのなめなるを厭ひてか、しば眉根まゆねしわ寄せたりしが、とばかり思ひかへししにや、わずかえみを帯びて、一座を見度みわたしぬ。
 この人は今着きし汽車にて、ドレスデンより来にければ、茶店ちゃみせのさまの、かしことこことことなるに目を注ぎぬ。大理石の円卓まるづくえ幾つかあるに、白布しらぬの掛けたるは、夕餉ゆうげ畢りしあとをまだ片附けざるならむ。裸なる卓にれる客の前に据ゑたる土やきのさかずきあり。盃は円筒形えんとうがたにて、燗徳利かんどくり四つ五つも併せたるおおいさなるに、弓なりのとり手つけて、金蓋かなふた蝶番ちょうつがいに作りておおひたり。客なき卓に珈琲わん置いたるを見れば、みなさかしまに伏せて、糸底いとぞこの上に砂糖、幾塊いくかたまりか盛れる小皿載せたるもをかし。
 客はみなりも言葉もさまざまなれど、髪もけづらず、服もととのへぬは一様なり。されどあながち卑しくも見えぬは、さすが芸術世界に遊べるからにやあるらむ。中にも際立きわだちてにぎわしきは中央なる大卓おおづくえを占めたる一群ひとむれなり。よそには男客のみなるに、ひとりここには少女おとめあり。今エキステルに伴はれてし人と目を合はせて、互に驚きたるごとし。
 来し人はこの群に珍らしき客なればにや。また少女の姿は、初めてひし人を動かすにあまりあらむ。前庇まえびさし広く飾なきぼうぶりて、年は十七、八ばかりと見ゆるかんばせ、ヱヌスの古彫像をあざむけり。そのふるまひにはおのずか気高けだかき処ありて、かいなでの人と覚えず。エキステルが隣の卓なる一人の肩をちて、何事をかかたりゐたるを呼びて、「こなたには面白き話一つする人なし。この様子にては骨牌カルタのが球突たまつきに走るなど、いまはしき事を見むも知られず。おん連れの方と共に、こなたへ来たまはずや。」と笑みつつすすむる、その声の清きに、いま来し客は耳かたぶけつ。
「マリイの君のゐ玉ふ処へ、たれか行かざらむ。人々も聞け、けふこの『ミネルワ』の仲間に入れむとてともなひたるは、巨勢こせ君とて、遠きやまとの画工なり。」とエキステルに紹介せられて、随来したがいきぬる男の近寄りて会釈えしゃくするに、ちて名告なのりなどするは、外国人とつくにびとのみ。さらぬは坐したるままにて答ふれど、あなどりたるにもあらず、この仲間のくせなるべし。
 エキステル、「わがドレスデンなる親族みうちたずねにゆきしは人々も知りたり。巨勢君にはかしこなる画堂にて逢ひ、それよりまじわりを結びて、こたび巨勢君、ここなる美術学校に、しばし足をとどめむとて、旅立ち玉ふをり、われもともにかへりに上りぬ。」人々は巨勢に向ひて、はるばるぬる人と相識あいしれるよろこびをべ、さて、「大学にはおん国人くにびとも、をりをり見ゆれど、美術学校に来たまふは、君がはじめなり。けふ着きたまひしことなれば、『ピナコテエク』、また美術会の画堂なども、まだ見玉はじ。されどよそにて見たまひし処にて、南独逸ドイツを何とか見たまふ。こたび来たまひし君が目的は奈何いかに。」など口々に問ふ。マリイはおしとどめて、「しばししばし、かく口をそろへて問はるる、巨勢君とやらむの迷惑、人々おもはずや。聞かむとならば、静まりてこそ。」といふを、「さても女主人おみなあるじの厳しさよ、」と人々笑ふ。巨勢は調子こそ異様ことざまなれ、つたなからぬ独逸語にて語りいでぬ。
「わがミュンヘンにしは、このたびをはじめとせず。六年むとせ前にここを過ぎて、索遜ザクセンにゆきぬ。そのをりは『ピナコテエク』に懸けたる画を見しのみにて、学校の人々などに、交を結ぶことを得ざりき。そは故郷を出でし時よりの目あてなるドレスデンの画堂へかむと、心のみ急がれしゆゑなり。されど再びここに来て、君らがまとゐに入ることとなりし、その因縁いんねんをば、早く当時に結びぬ。」
大人気おとなげなしといひけたで聞き玉へ。謝肉しゃにく[#「謝肉」の左に「カルネワル」とルビ、42-14]の祭、はつる日の事なりき。『ピナコテエク』のやかた出でし時は、雪いま晴れて、ちまた中道なかみちなる並木の枝は、ひとびとつ薄き氷にてつつまれたるが、今点ぜし街燈に映じたり。いろいろの異様なるころもを着て、白くまた黒き百眼ひゃくまなこ掛けたる人、群をなして往来ゆききし、ここかしこなる窓には毛氈もうせん垂れて、物見としたり。カルルのつじなる『カッフェエ・ロリアン』に入りて見れば、おもひおもひの仮装色を争ひ、中にまじりし常の衣もはえある心地ここちす。みなこれ『コロッセウム』、『ヰクトリア』などいふ舞踏場のあくを待てるなるべし。」
 かく語る処へ、胸当むねあてにつづけたる白前垂まえだれ掛けたる下女はしため麦酒ビールの泡だてるを、ゆり越すばかり盛りたる例の大杯おおさかずきを、四つ五つづつ、とり手を寄せてもろ手に握りもち、「新しきたるよりとおもひて、おそうなりぬ。許したまへ」とことわりて、前なる杯飲みほしたりし人々にわたすを、少女、「ここへ、ここへ」と呼びちかづけて、まだ杯持たぬ巨勢が前にも置かす。巨勢は一口飲みて語りつづけぬ。
「われも片隅なる一榻いっとうに腰掛けて、賑はしきさま打見るほどに、かどの戸あけてりしは、きたなげなる十五ばかりの伊太利栗イタリアぐりうりにて、焼栗盛りたる紙筒かみづつを、うずたかく積みし箱かいこみ、『マロオニイ、セニョレ。』(栗めせ、君)と呼ぶ声も勇ましき、後につきて入りしは、十二、三と見ゆるおみななりき。ふるびたる鷹匠頭巾たかじょうずきん[#「鷹匠頭巾」の左に「カプウチェ」とルビ、43-14]、ふかぶかとかぶり、こごえて赤うなりし両手さしのべて、浅き目籠めごふちを持ちたり。目籠には、常盤木ときわぎの葉、敷き重ねて、その上に時ならぬ菫花すみれの束を、愛らしく結びたるを載せたり。『ファイルヘン、ゲフェルリヒ』(すみれめせ)と、うなだれたるこうべもたげもあへでいひし声の清さ、今に忘れず。このわらべと女の子と、道連れとは見えねば、童の入るを待ちて、これをしほに、女の子は来しならむとおもはれぬ。」
「この二人のさまのことなるは、早くわが目をき。人を人ともおもはぬ、ほとんど憎げなる栗うり、やさしくいとほしげなるすみれうり、いづれもむれゐる人の間を分けて、座敷の真中まなか帳場ちょうばの前あたりまで来し頃、そこに休みゐたる大学々生らしき男の連れたる、英吉利種イギリスだね大狗おおいぬ、いままで腹這はらばひてゐたりしが、身を起して、背をくぼめ、四足よつあしを伸ばし、栗箱に鼻さし入れつ。それと見て、童の払ひのけむとするに、驚きたる狗、あとに附きて来し女の子に突当れば、『あなや、』とおびえて、手に持ちし目籠とり落したり。くき錫紙すずがみ巻きたる、美しきすみれの花束、きらきらと光りて、よもに散りぼふを、き物得つとかの狗、踏みにじりては、※(「口+銜」、第4水準2-4-42)くわへて引きちぎりなどす。ゆかは暖炉だんろぬくまりにて解けたる、靴の雪にぬれたれば、あたりの人々、かれ笑ひ、これののしるひまに、落花狼藉らっかろうぜき、なごりなく泥土にゆだねたり。栗うりの童は、逸足いちあしいだして逃去り、学生らしき男は、あくびしつつ狗をしっし、女の子はあきれて打守うちまもりたり。この菫花うりの忍びて泣かぬは、うきになれて涙の泉れたりしか、さらずは驚きまどひて、一日の生計たつき、これがためにまむとまでは想到おもいいたらざりしか。しばしありて、女の子はくだけのこりたる花束二つ三つ、力なげに拾はむとするとき、帳場にゐる女の知らせに、ここの主人あるじ出でぬ。赤がほにて、腹突きいだしたる男の、白き前垂したるなり。太きこぶしを腰にあてて、花売りの子を暫しにらみ、『わが店にては、暖簾師のれんし[#「暖簾師」の左側に「ハウジイレル」とルビ、45-5]めいたるあきなひ、せさせぬがさだめなり。くゆきね。』とわめきぬ。女の子はただ言葉なく出でゆくを、満堂の百眼ひゃくまなこ一滴ひとしずくの涙なく見送りぬ。」
「われは珈琲代の白銅貨を、帳場の石板の上にげ、外套がいとう取りて出でて見しに、花売の子は、ひとりさめさめと泣きてゆくを、呼べどもかえりみず。追付きて、『いかに、き子、菫花のしろ取らせむ、』といふを聞きて、始めて仰見あおぎみつ。そのおもての美しさ、濃きあいいろの目には、そこひ知らぬうれいありて、一たび顧みるときは人のはらわたを断たむとす。嚢中のうちゅうの『マルク』七つ八つありしを、からかごの上に置きて与へ、驚きて何ともいはぬひまに、立去りしが、そのおもて、その目、いつまでも目に付きて消えず。ドレスデンにゆきて、画堂のがくうつすべきゆるしを得て、ヱヌス、レダ、マドンナ、へレナ、いづれの図に向ひても、不思議や、すみれ売のかほばせ霧のごとく、われと画額との間に立ちて障礙しょうげをなしつ。かくては所詮しょせん、我わざの進まむこと覚束おぼつかなしと、旅店の二階にもりて、長椅子ながいす覆革おおいかわに穴あけむとせし頃もありしが、一朝いっちょう大勇猛心をふるひおこして、わがあらむかぎりの力をこめて、この花売の娘の姿を無窮むきゅうに伝へむと思ひたちぬ。さはあれどわが見し花うりの目、春潮をながむるよろこびの色あるにあらず、暮雲を送る夢見心あるにあらず、伊太利イタリア古跡の間に立たせて、あたりに一群ひとむれ白鳩しろばと飛ばせむこと、ふさはしからず。我空想はかの少女おとめをラインの岸の巌根いわねにをらせて、手に一張ひとはりの琴をらせ、嗚咽おえつの声をいださせむとおもひ定めにき。したなる流にはわれ一葉いちようの舟をうかべて、かなたへむきてもろ手高く挙げ、おもてにかぎりなき愛を見せたり。舟のめぐりには数知られぬ、『ニックセン』、『ニュムフェン』などの形波間なみまより出でて揶揄やゆす。けふこのミュンヘンのに来て、しばし美術学校の『アトリエ』借らむとするも、行李こりの中、唯この一画藁いちがこう、これをおん身ら師友の間にはかりて、成しはてむと願ふのみ。」
 巨勢はわれ知らず話しいりて、かくいひおわりし時は、モンゴリアがたの狭き目も光るばかりなりき。「いしくも語りけるかな、」と呼ぶもの二人三人ふたりみたり。エキステルは冷淡に笑ひてききゐたりしが、「汝たちもその図見にゆけ、一週がほどには巨勢君の『アトリエ』ととのふべきに」といひき。マリイは物語のなかばより色をたがへて、目は巨勢が唇にのみ注ぎたりしが、手に持ちしさかずきさへ一たびは震ひたるやうなりき。巨勢ははじめこのまとゐに入りし時、すでに少女の我すみれうりに似たるに驚きしが、話に聞きほれて、こなたを見つめたるまなざし、あやまたずこれなりと思はれぬ。こも例の空想のしわざなりやいなや。物語畢りしとき、少女は暫し巨勢を見やりて、「君はそののち、再び花うりを見たまはざりしか、」と問ひぬ。巨勢はただちに答ふべき言葉を得ざるやうなりしが。「否。花売を見しそのゆうべの汽車にてドレスデンを立ちぬ。されどなめなる言葉をとがめ玉はずばきこえはべらむ。我すみれうりの子にもわが『ロオレライ』のにも、をりをりたがはず見えたまふはおん身なり。」
 この群は声高く笑ひぬ。少女、「さては画額ならぬ我姿と、君との間にも、その花うりの子立てりと覚えたり。我を誰とかおもひ玉ふ。」起ちあがりて、真面目まじめなりともたわぶれなりとも、知られぬやうなる声にて。「われはその菫花すみれうりなり。君がなさけむくいはかくこそ。」少女は卓越たくごしに伸びあがりて、うつむきゐたる巨勢がかしらを、ひら手にて抑へ、そのぬか接吻せっぷんしつ。

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