僕は蕎麦掻を御馳走になって帰った。主人夫婦に令嬢も附いて、玄関まで送られた。
帰道に安中が決答を促したが、僕は何とも云うことが出来ない。それは自分でも分らないからである。僕はお嬢さんを非常な美人とは思わない。しかし随分立派なお嬢さんだとは思っている。品格はたしかに好い。性質は分らないが、どうもねじくれた処なぞが有りそうにはない。素直らしい。そんなら貰いたいかと云うと、少しも貰いたくない。嫌では決してない。
若し自分の身の上に関係のない人であって、僕が評をしたら、好な娘だと云うだろう。しかしどうも貰う気になられない。なる程立派なお嬢さんだが、あんなお嬢さんは外にもあろう。何故あれを特に貰わねばならないか分らないなどと思う。そんな事を考えては、娵に貰う女はなくなるだろうと、自ら
駁しても見る。しかしどうも貰う気になられない。僕は、こんな時に人はどうして決心をするかと疑った。そして、或は人は性欲的刺戟を受けて決心するのではあるまいか。それが僕には
闕けているので、好いとは思っても貰いたくならないのではないかと思った。僕が何か案じているのを安中は見て取って、「いずれ改めて伺います」と云って、九段の上で別れた。
内へ帰ると、お母様が待ち受けて、どうであったかとお問なさる。僕は
猶予する。
「まあ、どんな御様子な方だい」
「そうですねえ。容貌端正というような嬢さんです。目が少し
吊り上がっています。着物は僕には分らないが、黒いような色で、下に白
襟を
襲ねていました。帯に懐剣を
していても似合いそうな人です」
僕のふいと言った形容が、お母様にはひどくお気に入った。懐剣を持っていそうなと云うのが、お母様には頼もしげに思われるのである。そこで随分熱心に勧められる。安中も二三度返詞を聞きに来る。しかし僕はついつい決答を与えずにしまった。
程経てこのお嬢さんは、僕の識っている宮内省の役人の奥さんになられたが、一年ばかりの後に病死せられた。
*
同じ年の冬の初であった。
来年はいよいよ洋行が出来そうだという噂がある。相変らず小菅の内にぶらぶらしている。
千住に詩会があって、会員の宅で順番に
月次会を開く。或日その会で
三輪崎霽波という詩人と近附になった。その霽波が云うには、自分は自由新聞の
詞藻欄を受け持っているが、何でも好いから書いてくれないかと云う。僕はことわった。しかし霽波が立って勧める。そんなら
匿名でも好いかと云うと、好いと云う。僕は厳重に秘密を守って貰うという条件で承知した。
その晩帰って何を書いたら好かろうかと、寝ながら考えたが、これという思付もない。翌日は忘れていた。その次の朝、内で鈴木田正雄時代から取っている読売新聞を見ると、自分の名が出ている。哲学科を優等で卒業した金井湛氏は自由新聞に筆を取られる
云々と書いてある。僕は驚いて、前々晩の事を思い出した。そしてこう思った。僕は秘密を守って貰う約束で書こうと云った。その秘密を先方が守らない以上は、書かなくても好いと思った。
そうすると霽波から催促の手紙が来る。僕は条件が破れたから書かないと返詞をする。とうとう霽波が
遣って来た。
「どうも読売の一条は実に済まなかった。どうかあの一条だけは勘弁して、書いてくれ給え。そうでないと、僕が社員に対して言を
食むようになるから」
「ふむ。しかし僕があれ程言ったのに、何だって君は読売なんぞに
吹聴するのだ」
「僕が何で吹聴なんかをするものかね」
「それではどうして出たのだ」
「そりゃあこうだ。僕は社で話をした。勿論君に何も言わない前から、社で話をしていたのだ。僕が
仙珠吟社へ
請待せられて行って、君に逢ったというと、社長を始め、是非君に何か書かせてくれろと云う。僕は何とも思わずに受け合った。そこで君に話して見ると、なかなか君がむつかしい事を言う。それを僕が
蘇張の舌で
口説き落したのだ。それだから社に帰って、僕は得意で復命したのだ。読売へは誰か社のものが知らせたのだろう。それは僕には分らない。僕は
荊を負うことを辞せない。
平蜘蛛になってあやまる。どうぞ書いてくれ給え」
「好いよ。書くよ。しかし僕には新聞社の人の考が分らない。僕がこれまでにない一番若い学士だとか、優等で卒業したとかいうので、新聞に名が出た。そいつにどんな物を書くか書かせて見ようというような
訣だろう。そこで僕の書くものが
旨かろうが、まずかろうが、そんな事は構わない。Sensation は sensation だろう。しかしそういうのは、新聞経営者として実に短見ではあるまいか。僕の利害は言わない。新聞社の利害を言うのだ。それよりは黙って僕の匿名で書いたものを出してくれる。それがまずければそれなりに消滅してしまう。いくらまずくても、何故あんなものを出したかと、社が非難せられる程の事もあるまい。万一僕の書いたものが旨かったら、あれは誰だということになるだろう。その時になって、君の社で僕を紹介してくれたって好いではないか。そこで新聞社に具眼の人があって、僕を発見したとなれば、社の名誉ではないか。僕はそう旨く行こうとは思わない。しかし文学士何の
某というような名ばかりを振り廻すのが、社の働でもあるまいと思うから言うのだ」
「いや。君の言うことは一々
尤だ。しかしそんな話は、戦国の人君に礼楽を起せというようなものだねえ」
「そうかねえ。新聞社なんというものは存外分らない人が寄っているものと見えるねえ」
「いやはや。これは御挨拶だ。あははははは」
こんな話をして霽波は帰った。僕は霽波が帰るとすぐに机に向って、新聞の二段ばかりの物を書いて、郵便で出した。こんな物を書くに、
推敲も何もいらないというような高慢も、多少無いことは無かった。
翌日それを第一面に載せた新聞が届く。夜になって届いた原稿であるから、余程の繰合せをしてくれたものだということは、僕は後に聞いた。霽波の礼状が添えてある。
この新聞は今でもどこかにしまってある筈だが、今出して見ようと思っても、一寸見附からない。何でも余程変なものを書いたように記憶している。頭も
尻尾もないような物だった。その頃は新聞に雑録というものがあった。
朝野新聞は
成島柳北先生の雑録で売れたものだ。真面目な考証に
洒落が交る。論の奇抜を心掛ける。句の警束を
覗う。どうかするとその警句が人口に
膾炙したものだ。その頃僕は某教授に借りて、Eckstein の書いた feuilleton の歴史を読んでいたので、先ず雑録の体裁で、西洋の feuilleton の趣味を加えたものと思って書いて見たのだ。
僕の書いたものは、多少の注意を引いた。二三の新聞に尻馬に乗ったような投書が出た。僕の書いたものは抒情的な処もあれば、小さい物語めいた処もあれば、考証らしい処もあった。今ならば人が小説だと云って評したのだろう。小説だと勝手に極めて、それから雑報にも劣っていると云ったのだろう。情熱という語はまだ無かったが、有ったら情熱が無いとも云ったのだろう。
衒学なんという語もまだ
流行らなかったが、流行っていたらこの場合に使われたのだろう。その外、自己弁護だなんぞという罪名もまだ無かった。僕はどんな芸術品でも、自己弁護でないものは無いように思う。それは人生が自己弁護であるからである。あらゆる生物の生活が自己弁護であるからである。木の葉に止まっている雨蛙は青くて、壁に止まっているのは土色をしている。草むらを出没する
蜥蜴は背に緑の筋を持っている。沙漠の砂に住んでいるのは砂の色をしている。Mimicry は自己弁護である。文章の自己弁護であるのも、同じ道理である。僕は
幸にそんな非難も受けなかった。僕は幸に僕の書いた物の存在権をも疑われずに済んだ。それは存在権の最も覚束ない、智的にも情的にも、人に何物をも与えない批評というものが、その頃はまだ発明せられていなかったからである。
一週間程立って、或日の午後霽波が又遣って来た。社主が先日書いて貰ったお礼に馳走をしたいというのだから、今から一しょに来てくれろと云う。相客は
原口安斎という詩人だけで、霽波が社主に代って主人役をするというのである。
僕は車を雇って、霽波の車に附いて行った。神田明神の側の料理屋に這入った。安斎は先へ来て待っていた。酒が出る。芸者が来る。ところが僕は酒が飲めない。安斎も飲めない。霽波が一人で飲んで一人で騒ぐ。三人の客は、壮士と書生との
間の子という風で、最も壮士らしいのが霽波、最も普通の書生らしいのが安斎である。二人は
紺飛白の綿入に同じ羽織を着ている。安斎は大人しいが気の
利いた男で、霽波と一しょには騒がないまでも、芸者と話もする。杯の
取遣もする。
僕は仲間はずれである。その頃僕は、お父様の国で
廉のある日にお着なすった紋附の黒羽二重のあったのを、お母様に為立て直して貰って、それが丈夫で好いというので、不断着にしていた。それを着たままで、霽波に連れられて出たのである。そして二尺ばかりの鉄の
烟管を持っている。これは例の短刀を持たなくても好くなった頃、丁度
烟草を呑み始めたので、護身用だと云って、拵えさせたのである。それで
燧袋のような烟草入から雲井を
撮み出して呑んでいる。酒も飲まない。口も利かない。
しかしその頃の講武所芸者は、随分変な書生を相手にし附けていたのだから、格別驚きもしない。むやみに大声を出して、霽波と一しょに騒いでいる。
十一時半頃になった。女中がお車が
揃いましたと云って来た。揃いましたは変だとは思ったが、
左程気にも留めなかった。霽波が先に立って門口に出て車に乗る。安斎も僕も乗る。僕は「大千住の先の小菅だよ」と車夫に言ったが、車夫は返詞をせずに
梶棒を上げた。
霽波の車が真先に駈け出す。次が安斎、
殿が僕と、三台の車が続いて、飛ぶように駈ける。掛声をして、
提灯を振り廻して、
御成道を上野へ向けて行く。両側の店は大抵戸を締めている。食物店の
行燈や、蝋燭なんぞを売る家の板戸に
嵌めた小障子に移る明りが、おりおり見えて、それが逆に後へ走るかと思うようだ。往来の人は少い。
偶々出逢う人は、言い合せたように、僕等の車を振り向いて見る。
車はどこへ行くのだろう。僕は自分の経験はないが、車夫がどこへ行くとき、こんな風に走るかということは知っている。
広小路を過ぎて、仲町へ曲る角の辺に来たとき、安斎が車の上から後に振り向いて、「逃げましょう」と云った。安斎の車は仲町へ曲った。
安斎は遺伝の
痼疾を持っている。体が人並でない。こんな車の行く処へは行かれないのである。
僕は車夫に、「今の車に附いて行け」と云った。小菅に帰るには、仲町へ曲ってはだめであるが、とにかく霽波と別れさえすれば、跡はどうでもなると思ったのである。僕の車は猶予しながら、仲町の方へ梶棒を向けた。
この時霽波の車は一旦三橋を北へ渡ったのが、跡へ引き返してきた。霽波は車の上から大声にどなった。
「おい。逃げては行けない」
僕の車は霽波の車の跡に続いた。霽波は振り返り振り返りして、僕の車を監視している。
僕は再び脱走を試みようとはしなかった。僕が
強いて争ったなら、霽波もまさか乱暴はしなかったのだろう。しかし極力僕を引張って行こうとしたには違ない。僕は上野の辻で、霽波と喧嘩をしたくはない。その上僕には負けじ魂がある。僕は霽波に馬鹿にせられるのが不愉快なのである。この負けじ魂は人をいかなる罪悪の深みへも落しかねない、
頗る危険なものである。僕もこの負けじ魂の為めに、行きたくもない処へ行くことになったのである。それから僕を霽波に附いて行かせた今一つの factor のあるのを忘れてはならない。それは例の未知のものに引かれる Neugierde である。
二台の車は大門に入った。霽波の車夫が、「お茶屋は」と云うと、霽波が叱るように或る家の名をどなった。何でも Astacidae 族の皮の堅い動物の名である。
十二時を余程過ぎている。両側の家は皆戸を締めている。車は或る大きな家の、締まった戸の前に止まった。霽波が戸を叩くと、小さい
潜戸を開けて、体の恐ろしく敏速に
伸屈をする男が出て、茶屋がどうのこうのと云って、霽波と小声で話し合った。
暫く押問答をした末に、二人を戸の内に案内した。
二階へ上ると、霽波はどこか行ってしまった。一人の
中年増が出て、僕を一間に連れ込んだ。
細長い
間の狭い両側は障子で、廊下に通じている。広い側の一方は、開き戸の附いた黒塗の
箪笥に、
真鍮の金物を繁く打ったのを、押入れのような処に切り
嵌めてある。朱塗の行燈の明りで、漆と真鍮とがぴかぴか光っている。広い側の他の一方は、四枚の
襖である。行燈は箱火鉢の傍に置いてあって、箱火鉢には、
文火に大きな
土瓶が掛かっている。
中年増は僕をこの
間に案内して置いて、どこか行ってしまった。僕は例の黒羽二重の
羊羹色になったのを着て、鉄の長烟管を持ったままで、箱火鉢の前の座布団の上に
胡坐をかいた。
神田で
嫌な酒を五六杯飲ませられたので、
咽が乾く。土瓶に手を当てて見ると、好い加減に冷えている。傍に湯呑のあったのに注いで見れば、濃い番茶である。僕は一息にぐっと飲んだ。
その時僕の
後にしていた襖がすうと開いて、女が出て、行燈の傍に立った。芝居で見たおいらんのように、大きな
髷を結って、大きな
櫛笄を
して、赤い処の沢山ある
胴抜の裾を
曳いている。目鼻立の好い白い顔が小さく見える。例の中年増が附いて来て座布団を直すと、そこへすわった。そして黙って笑顔をして僕を見ている。僕は黙って真面目な顔をして女を見ている。
中年増は僕の茶を飲んだ茶碗に目を附けた。
「あなたこの土瓶のをあがったのですか」
「うむ。飲んだ」
「まあ」
中年増は変な顔をして女を見ると、女が今度はあざやかに笑った。白い細かい歯が、行灯の明りできらめいた。中年増が僕に問うた。
「どんな味がしましたか」
「
旨かった」
中年増と女とは二たび目を見合せた。女が二たびあざやかに笑った。歯が二たび光った。土瓶の中のはお茶ではなかったと見える。僕は何を飲んだのだか、今も知らない。何かの
煎薬であったのだろう。まさか外用薬ではなかったのだろう。
中年増が女の櫛道具を取って片附けた。それから立って、黒塗の箪笥から
袿を出して女に
被せた。派手な
竪縞のお
召縮緬に紫
繻子の襟が掛けてある。この中年増が
所謂番新というのであろう。女は黙って手を通す。珍らしく
繊い白い手であった。番新がこう云った。
「あなたもう遅うございますから、ちとあちらへ」
「寝るのか」
「はい」
「
己は寝なくても
好い」
番新と女とは三たび目を見合せた。女が三たびあざやかに笑った。歯が三たび光った。番新がつと僕の傍に寄った。
「あなたお足袋を」
この
奪衣婆が僕の紺足袋を脱がせた手際は実に驚くべきものであった。そして僕を柔かに、しかも反抗の出来ないように、襖のあなたへ連れ込んだ。
八畳の間である。正面は床の間で、袋に入れた琴が立て掛けてある。黒塗に
蒔絵のしてある
衣桁が縦に一間を
為切って、その一方に床が取ってある。婆あさんは柔かに、しかも反抗の出来ないように、僕を横にならせてしまった。僕は白状する。番新の手腕はいかにも巧妙であった。しかしこれに反抗することは、絶待的不可能であったのではない。僕の
抗抵力を
麻痺させたのは、
慥に僕の性欲であった。
僕は霽波に構わずに、車を言い附けて帰った。小菅の内に帰って見れば、戸が締まって、内はひっそりしている。戸を叩くと、すぐにお母様が出て開けて下すった。
「大そう遅かったね」
「はい。非常に遅くなりました」
お母様の顔には一種の表情がある。しかし何とも
仰ゃらない。僕にはその時のお母様の顔がいつまでも忘れられなかった。僕は只「お休なさい」と云って、自分の部屋に這入った。時計を見れば三時半であった。僕はそのまま床にもぐり込んでぐっすり寐た。
翌日朝飯を食うとき、お父様が、三輪崎とかいう男は放縦な生活をしているので、酒を飲めば、飲み明かさねば面白くないというような風ではないか、
若しそうなら、その男とは余り交際しない方が好かろうと仰ゃった。お母様は黙ってお出なすった。僕は、三輪崎とは気象が合わないから、親しくする積ではないと云った。実際そう思っていたのである。
四畳半の部屋に帰ってから、昨日の事を想って見る。あれが性欲の満足であったか。恋愛の成就はあんな事に到達するに過ぎないのであるか。馬鹿々々しいと思う。それと同時に僕は意外にも悔という程のものを感じない。良心の
呵責という程のものを覚えない。勿論あんな処へ行くのは、悪い事だと思う。あんな処へ行こうと預期して、自分の家の
閾を越えて出掛けることがあろうとは思わない。しかしあんな処へ行き当ったのは為方がないと思う。
譬えて見れば、人と喧嘩をするのは悪い事だ。喧嘩をしようと志して、外へ出ることは無い。しかし外へ出ていて、喧嘩をしなければならないようになるかも知れない。それと同じ事だと思う。それから或る不安のようなものが心の底の方に潜んでいる。それは若しや悪い病気になりはすまいかということである。喧嘩をした跡でも、日が立ってから
打身の痛み出すことがある。女から病気を受けたら、それどころではない。子孫にまで
禍を
遺すかも知れないなどとも思って見る。先ず翌日になって感じた心理上の変動は、こんなものであって、思ったよりは微弱であった。そのうえ、丁度空気の受けた波動が、空間の隔たるに従って
微かになるように、この心理上の変動も、時間の立つに従って薄らいだ。
それとは反対で、ここに僕の感情的生活に一つの変化が生じて来て、それが日にましはっきりして来た。何だというと、僕はこれまでは、女に対すると、何となく
尻籠をして、いく地なく顔が赤くなったり、
詞が
縺れたりしたものだ。それがこの時から直ったのである。こんな譬は、誰かが
何処かで、とっくに云っているだろうが、僕は騎士として dub を受けたのである。
この事があってから、当分の間は、お母様が常に無い注意を僕の上に加えられるようであった。察するに、世間で好く云う
病附ということがありはすまいかとお思なすったのだろう。それは
杞憂であった。
僕が若し事実を書かないのなら、僕は吉原という処へ往ったのがこれ切だと云いたい。しかし少しも偽らずに書こうと云うには、ここに書き添えて置かねばならない事がある。それはずっと後であった。僕は一度妻を迎えて、その妻に亡くなられて、二度目の妻をまだ迎えずにいた時であった。或る秋の夕方、古賀が僕の今の内へ遊びに来た。帰り掛に上野辺まで一しょに行こうということになった。さて門を出掛けると、
三枝という男が来合せた。僕の縁家のもので、古賀をも知っているから、一しょに来ようと云う。そこで三人は
青石横町の伊予紋で夕飯を食う。三枝は下情に通じているのが自慢の男で、これから吉原の面白い処を見せてくれようと云い出す。これは僕が
鰥だというので、余りお察しの好過ぎたのかも知れない。古賀が笑って行こうと云う。僕は不精々々に同意した。
僕等は大門の外で車を下りる。三枝が先に立ってぶらぶら歩く。何町か知らないが、狭い横町に曲る。どの家の格子にも女が出ていて、外に立っている男と話をしている。小格子というのであろう。男は大抵
絆纒着である。三枝はその一人を見て、「好い男だなあ」と云った。いなせとでも云うような男である。三枝の理想の好男子は絆纒着のうちにあると見える。三枝は、「一寸失敬」と云うかと思えば、小さい四辻に
担荷を卸して、豆を
煎っている爺さんの処へ行って、
弾豆を一袋買って
袂に入れる。それから少し歩くうちに、古賀と僕とを顧みて、「ここだ」と云って、ついと或店にはいる。
馴染の家と見える。
二階へ通る。三枝が、例の
伸屈の
敏捷な男と、弾豆を
撮んで食いながら話をする。暫くして僕は鼻を
衝くような狭い部屋に案内せられる。ランプと烟草盆とが置いてある。
煎餅布団が
布いてある。僕は坐布団がないから、為方なしにその煎餅布団の真中に
胡坐をかく。紙巻烟草に火を附けて呑んでいる。裏の方の障子が開く。女が這入る。色の
真蒼な、人の好さそうな年増である。笑いながら女が云う。
「お休なさらないの」
「
己は寝ない積だ」
「まあ」
「お前はひどく血色が悪いではないか。どうかしたのかい」
「ええ。胸膜炎で二三日前まで病院にいましたの」
「そうかい。それでいて、客の処へ出るのはつらかろうなあ」
「いいえ。もう心持は何ともありませんの」
「ふむ」
暫く顔を見合せている。女がやはり笑いながら云う。
「あなた可笑しゅうございますわ」
「何が」
「こうしていては」
「そんなら
腕角力をしよう」
「すぐ負けてしまうわ」
「なに。己もあまり強くはない。女の腕というものは馬鹿にならないものだそうだ」
「あら。旨い事を仰ゃるのね」
「さあ来い」
煎餅布団の上に
肘を突いて、右の手を握り合った。女は力も何もありはしない。いくら力を入れて見ろと云ってもだめである。僕は何の力をも費さずに押え附けてしまった。
障子の外から、古賀と三枝とが声を掛けた。僕は二人と一しょに帰った。これが僕の二度目の吉原
通であった。そして最後の吉原通である。
序だから、ここに書き添えて置く。
*
二十一になった。
洋行がいよいよ極まった。しかし辞令は貰わない。大学の都合で、夏の事になるだろうということである。
いろいろな縁談で、お母様が
頻に気を
揉んでお
出なさる。
古賀が、後々の為めに好かろうと云うので、僕を某省の参事官の
望月君という人に引き合せた。この人は某元老の壻さんである。下谷の
大茂という待合で遊ばれる。心安くなるには、やはりその待合へも行くが好いということになる。折々行く。芸者を四五人呼んで、馬鹿話をして帰る。その頃は物価が安くて、割前が三四円位であった。僕は古賀の勤めている役所の翻訳物を受け合ってしていたので、懐中が
温であった。その頃は法律の翻訳なんぞは、一枚三円位取れたのである。五十円位の金はいつも持っていた。ところが、僕が一しょに行くと、望月君がきっと酒ばかり飲んで帰られる。古賀が云うには、「あれは君に遠慮しておられるのかも知れない。僕が遠慮のないようにして遣ろう」と云った。そして或晩古賀がお
上に話をした。僕がこの時古賀に抗抵しなかったのも、芸者はどんな事をするものかと思う Neugierde があったからだろう。
一月の末でもあったか。寒い晩であった。いつもの
通三人で、下谷芸者の若くて綺麗なのを集めて、下らない事をしゃべっている。そこへお上が這入って来る。望月君が妙な声をする。
故意とするのである。
「
婆あ」
「なんですよ。あなた、嫌に顔がてらてらして来ましたよ。熱いお湯でお拭なさい」
お上は女中に手拭を絞って来させて、望月君に顔を拭かせる。
苦味ばしった立派な顔が、綺麗になる。僕なんぞの顔は拭いても拭き
栄がしないから、お上も構わない。
「金井さん。ちょいと」
お上が立つ。僕は附いて廊下へ出る。女中がそこに待っていて、僕を別間に連れて行く。見たこともない芸者がいる。座敷で呼ばせるのとは
種が違うと見える。少し書きにくい。僕は、衣帯を解かずとは、貞女が看病をする時の事に限らないということを、この時教えられたのである。
今度は事実を曲げずに書かれる。その後も待合には行ったが、待合の待合たることを経験したのは、これを始の終であった。
数日の間、例の不安が意識の奥の方にあった。しかし幸に何事もなかった。
暖くなってから、或日古賀と
吹抜亭へ円朝の話を聞きに行った。すぐ
傍に五十ばかりの太った爺さんが芸者を連れて来ていた。それが貞女の芸者であった。彼と僕とはお互に空気を見るが如くに見ていた。
*
同じ年の六月七日に洋行の辞令を貰った。行く先は独逸である。
独逸人の処へ稽古に行く。
壱岐坂時代の修行が大いに用立つ。
八月二十四日に横浜で舟に乗った。とうとう妻を持たずに出立したのである。
*
金井君は或夜ここまで書いた。内じゅうが寝静まっている。雨戸の外は
五月雨である。庭の植込に降る雨の、鈍い柔な音の
間々に、
亜鉛の
樋を走る水のちゃらちゃらという声がする。西片町の通は
往来が絶えて、傘を打つ点滴も聞えず、ぬかるみに
踏み込む足駄も響かない。
金井君は腕組をして考え込んでいる。
先ず書き掛けた記録の続きが、次第もなく心に浮ぶ。
伯林の Unter den Linden を西へ曲った処の小さい
珈琲店を思い出す。Caf
Krebs である。日本の留学生の集る処で、
蟹屋蟹屋と云ったものだ。何遍行っても女に手を出さずにいると、或晩一番美しい女で、どうしても日本人と一しょには行かないというのが、是非金井君と一しょに行くと云う。聴かない。女が
癇癪を起して、m
lange のコップを床に打ち附けて壊す。それから Karlstrasse の下宿屋を思い出す。家主の婆あさんの
姪というのが、毎晩
肌襦袢一つになって来て、金井君の寝ている寝台の
縁に腰を掛けて、三十分ずつ話をする。「おばさんが起きて待っているから、只お話だけして来るのなら、構わないといいますの。好いでしょう。お嫌ではなくって」肌の温まりが
衾を隔てて伝わって来る。金井君は貸借法の第何条かに依って、三箇月分の宿料を払って逃げると、毎晩夢に見ると書いた手紙がいつまでも来たのである。Leipzig の戸口に赤い灯の附いている家を思い出す。
らせた
明色の髪に金粉を
傅けて、肩と腰とに
言訣ばかりの赤い着物を着た女を、客が一人
宛傍に引き寄せている。金井君は、「己は肺病だぞ、傍に来るとうつるぞ」と叫んでいる。
維也納のホテルを思い出す。臨時に金井君を連れて歩いていた大官が手を引張ったのを怒った女中がいる。金井君は馬鹿気た
敵愾心を起して、出発する前日に、「今夜行くぞ」と云った。「あの右の廊下の突き当りですよ。
沓を
穿いていらっしっては嫌」響の物に応ずる如しである。
咽せる様に香水を部屋に
蒔いて、金井君が廊下をつたって行く
沓足袋の音を待っていた。M
nchen の珈琲店を思い出す。日本人の群がいつも行っている処である。そこの常客に、
稍や無頼漢肌の土地の好男子の連れて来る、
凄味掛かった別品がいる。日本人が皆その女を
褒めちぎる。或晩その二人連がいるとき、金井君が便所に立った。跡から早足に便所に這入って来るものがある。
忽ち
痩せた二本の
臂が金井君の
頸に
絡み附く。金井君の唇は熱い接吻を覚える。金井君の手は名刺を一枚握らせられる。
旋風のように身を
回して去るのを見れば、例の凄味の女である。番地の附いている名刺に「十一時三十分」という鉛筆書きがある。金井君は自分の下等な物に関係しないのを臆病のように云う同国人に、
面当をしようという気になる。そこで冒険にもこの Rendez-Vous に行く。腹の皮に妊娠した時の
痕のある女であった。この女は舞踏に着て行く衣裳の質に入れてあるのを受ける為めに、こんな事をしたということが、跡から知れた。同国人は荒肝を抜かれた。金井君も随分悪い事の限をしたのである。しかし金井君は一度も自分から攻勢を取らねばならない程強く性欲に動かされたことはない。いつも陣地を守ってだけはいて、
穉い Neugierde と余計な負けじ魂との為めに、おりおり不必要な衝突をしたに過ぎない。
金井君は初め筆を取ったとき、結婚するまでの事を書く積であった。金井君の西洋から帰ったのは二十五の年の秋であった。すぐに貰った初の細君は長男を生んで亡くなった。それから暫く一人でいて、三十二の年に十七になる今の細君を迎えた。そこで初は二十五までの事は是非書こうと思っていたのである。
さて一旦筆を置いて考えて見ると、かの不必要な衝突の偶然に繰り返されるのを書くのが、無意義ではあるまいかと疑うようになった。金井君の書いたものは、普通の意味でいう自伝ではない。それなら是非小説にしようと思ったかというと、そうでも無い。そんな事はどうでも好いとしても、金井君だとて、芸術的価値の無いものに筆を着けたくはない。金井君は Nietzsche のいう Dionysos 的なものだけを芸術として視てはいない。Apollon 的なものをも認めている。しかし恋愛を離れた性欲には、情熱のありようがないし、その情熱の無いものが、いかに自叙に適せないかということは、金井君も到底自覚せずにはいられなかったのである。
金井君は断然筆を絶つことにした。
そしてつくづく考えた。世間の人は今の自分を見て、金井は年を取って情熱がなくなったと云う。しかしこれは年を取った為めではない。自分は少年の時から、余りに自分を知り抜いていたので、その悟性が情熱を
萌芽のうちに枯らしてしまったのである。それがふとつまらない動機に誤られて、受けなくても好い dub を受けた。これは余計な事であった。結婚をするまで dub を受けずにいた方が好かった。更に一歩を進めて考えて見れば、果して結婚前に dub を受けたのを余計だとするなら、或は結婚もしない方が好かったのかも知れない。どうも自分は人並はずれの
冷澹な男であるらしい。
金井君は一旦こう考えたが、忽ち又考え直した。なる程、dub を受けたのは余計であろう。しかし自分の悟性が情熱を枯らしたようなのは、表面だけの事である。永遠の氷に
掩われている地極の底にも、火山を突き上げる猛火は燃えている。Michelangelo は青年の時友達と喧嘩をして、拳骨で鼻を叩き
潰されて、望を恋愛に絶ったが、
却て六十になってから Vittoria Colonna に逢って、珍らしい恋愛をし遂げた。自分は無能力では無い。Impotent では無い。世間の人は性欲の虎を放し飼にして、どうかすると、その背に
騎って、滅亡の谷に墜ちる。自分は性欲の虎を馴らして抑えている。
羅漢に
跋陀羅というのがある。馴れた虎を
傍に寝かして置いている。童子がその虎を怖れている。Bhadra とは賢者の義である。あの虎は性欲の象徴かも知れない。只馴らしてあるだけで、虎の怖るべき威は衰えてはいないのである。
金井君はこう思い直して、静に
巻の
首から読み返して見た。そして結末まで読んだときには、夜はいよいよ
更けて、雨はいつの間にか止んでいた。樋の口から石に落ちる点滴が、長い
間を置いて、
磬を打つような響をさせている。
さて読んでしまった処で、これが世間に出されようかと思った。それはむつかしい。人の皆行うことで人の皆言わないことがある。Prudery に支配せられている教育界に、自分も籍を置いているからは、それはむつかしい。そんなら何気なしに我子に読ませることが出来ようか。それは読ませて読ませられないこともあるまい。しかしこれを読んだ子の心に現われる効果は、
予め測り知ることが出来ない。若しこれを読んだ子が父のようになったら、どうであろう。それが幸か不幸か。それも分らない。Dehmel が詩の句に、「彼に服従するな、彼に服従するな」というのがある。我子にも読ませたくはない。
金井君は筆を取って、表紙に
拉甸語で