金井
湛君は哲学が職業である。
哲学者という概念には、何か書物を書いているということが伴う。金井君は哲学が職業である癖に、なんにも書物を書いていない。文科大学を卒業するときには、
外道哲学と Sokrates 前の
希臘哲学との比較的研究とかいう題で、余程へんなものを書いたそうだ。それからというものは、なんにも書かない。
しかし職業であるから講義はする。講座は哲学史を受け持っていて、近世哲学史の講義をしている。学生の評判では、本を沢山書いている先生方の講義よりは、金井先生の講義の方が面白いということである。講義は直観的で、或物の上に強い光線を投げることがある。そういうときに、学生はいつまでも消えない印象を得るのである。
殊に縁の遠い物、何の関係もないような物を
藉りて来て或物を説明して、聴く人がはっと思って会得するというような事が多い。Schopenhauer は新聞の雑報のような世間話を材料帳に
留めて置いて、自己の哲学の材料にしたそうだが、金井君は何をでも哲学史の材料にする。
真面目な講義の中で、その頃青年の読んでいる小説なんぞを引いて説明するので、学生がびっくりすることがある。
小説は沢山読む。新聞や雑誌を見るときは、議論なんぞは見ないで、小説を読む。しかし
若し何と思って読むかということを作者が知ったら、作者は憤慨するだろう。芸術品として見るのではない。金井君は芸術品には非常に高い要求をしているから、そこいら中にある小説はこの要求を充たすに足りない。金井君には、作者がどういう心理的状態で書いているかということが面白いのである。それだから金井君の為めには、作者が悲しいとか悲壮なとかいう
積で書いているものが、
極て
滑稽に感ぜられたり、作者が滑稽の積で書いているものが、
却て悲しかったりする。
金井君も何か書いて見たいという考はおりおり起る。哲学は職業ではあるが、自己の哲学を建設しようなどとは思わないから、哲学を書く気はない。それよりは小説か脚本かを書いて見たいと思う。しかし例の芸術品に対する要求が高い為めに、容易に取り附けないのである。
そのうちに夏目金之助君が小説を書き出した。金井君は非常な興味を以て読んだ。そして
技癢を感じた。そうすると夏目君の「我輩は猫である」に対して、「我輩も猫である」というようなものが出る。「我輩は犬である」というようなものが出る。金井君はそれを見て、ついつい
嫌になってなんにも書かずにしまった。
そのうち自然主義ということが始まった。金井君はこの流義の作品を見たときは、格別技癢をば感じなかった。その癖面白がることは非常に面白がった。面白がると同時に、金井君は妙な事を考えた。
金井君は自然派の小説を読む
度に、その作中の人物が、行住
坐臥造次
顛沛、何に就けても性欲的写象を伴うのを見て、そして批評が、それを人生を写し得たものとして認めているのを見て、人生は果してそんなものであろうかと思うと同時に、或は自分が人間一般の心理的状態を
外れて性欲に
冷澹であるのではないか、特に frigiditas とでも名づくべき異常な性癖を持って生れたのではあるまいかと思った。そういう想像は、zola の小説などを読んだ時にも起らぬではなかった。しかしそれは Germinal やなんぞで、労働者の部落の人間が、困厄の極度に達した処を書いてあるとき、或る男女の
逢引をしているのを
覗きに行く段などを見て、そう思ったのであるが、その時の疑は、なんで作者がそういう処を、わざとらしく書いているだろうというのであって、それが有りそうでない事と思ったのでは無い。そんな事もあるだろうが、それを
何故作者が書いたのだろうと疑うに過ぎない。
即ち作者一人の性欲的写象が異常ではないかと思うに過ぎない。小説家とか詩人とかいう人間には、性欲の上には異常があるかも知れない。この問題は Lombroso なんぞの説いている天才問題とも関係を有している。M
bius 一派の人が、名のある詩人や哲学者を片端から
掴まえて、精神病者として論じているも、そこに根柢を有している。しかし近頃日本で起った自然派というものはそれとは違う。大勢の作者が一時に起って同じような事を書く。批評がそれを人生だと認めている。その人生というものが、精神病学者に言わせると、一々の写象に性欲的色調を帯びているとでも云いそうな風なのだから、金井君の疑惑は前より余程深くなって来たのである。
そのうちに
出歯亀事件というのが現われた。出歯亀という職人が不断女湯を覗く癖があって、あるとき湯から帰る女の跡を附けて行って、暴行を加えたのである。どこの国にも沢山ある、極て普通な出来事である。西洋の新聞ならば、紙面の隅の方の二三行の記事になる位の事である。それが一時世間の大問題に
膨脹する。
所謂自然主義と
聯絡を附けられる。出歯亀主義という自然主義の別名が出来る。出歯るという動詞が出来て流行する。金井君は、世間の人が皆色情狂になったのでない限は、自分だけが人間の仲間はずれをしているかと疑わざることを得ないことになった。
その頃或日金井君は、教場で学生の一人が Jerusalem の哲学入門という小さい本を持っているのを見た。講義の済んだとき、それを手に取って見て、どんな本だと問うた。学生は、「南江堂に来ていたから、参考書になるかと思って買って来ました、まだ読んで見ませんが、先生が御覧になるならお持下さい」と云った。金井君はそれを借りて帰って、その晩丁度暇があったので読んで見た。読んで行くうちに、審美論の処になって、金井君は大いに驚いた。そこにこういう事が書いてある。あらゆる芸術は Liebeswerbung である。
口説くのである。性欲を公衆に向って発揮するのであると論じている。そうして見ると、月経の血が
戸惑をして鼻から出ることもあるように、性欲が絵画になったり、彫刻になったり、音楽になったり、小説脚本になったりするということになる。金井君は驚くと同時に、こう思った。こいつはなかなか奇警だ。しかし奇警ついでに、何故この説をも少し押し広めて、人生のあらゆる出来事は皆性欲の発揮であると立てないのだろうと思った。こんな論をする事なら、同じ論法で何もかも性欲の発揮にしてしまうことが出来よう。宗教などは性欲として説明することが最も容易である。
基督を
壻だというのは普通である。聖者と
崇められた尼なんぞには、実際性欲を perverse の方角に発揮したに過ぎないのがいくらもある。献身だなんぞという
行をした人の中には、Sadist もいれば Masochist もいる。性欲の
目金を掛けて見れば、人間のあらゆる出来事の発動機は、一として性欲ならざるはなしである。Cherchez la femme はあらゆる人事世相に応用することが出来る。金井君は、
若しこんな立場から見たら、自分は到底人間の仲間はずれたることを免れないかも知れないと思った。
そこで金井君の何か書いて見ようという、兼ての希望が、妙な方角に向いて動き出した。金井君はこんな事を思った。一体性欲というものが人の生涯にどんな順序で発現して来て、人の生涯にどれだけ関係しているかということを
徴すべき文献は
甚だ少いようだ。芸術に
猥褻な絵などがあるように、pornographie はどこの国にもある。
婬書はある。しかしそれは真面目なものでない。総ての詩の領分に恋愛を書いたものはある。しかし恋愛は、よしや性欲と密接な
関繋を有しているとしても、性欲と同一ではない。裁判の記録や、医者の書いたものに、多少の材料はある。しかしそれは多く性欲の変態ばかりである。Rousseau の
懺悔記は随分思い切って無遠慮に何でも書いたものだ。子供の時教えられた事を忘れると、牧師のお嬢さんが
掴まえてお尻を打つ。それが何とも云えない好い心持がするので、知ったことをわざと知らない振をして、間違った事を言ったり何かして、お嬢さんに打って貰った。ところが、いつかお嬢さんが情を知って打たなくなったなどということが書いてある。これは性欲の最初の発動であって、決して初恋ではない。その外、青年時代の記事には性欲の事もちょいちょい見えている。しかし性欲を主にして書いたものではないから飽き足らない。Casanova は生涯を性欲の犠牲に供したと云っても好い男だ。あの男の書いた回想記は一の大著述であって、あの大部な書物の内容は、徹頭徹尾性欲で、恋愛などにまぎらわしい処はない。しかし
拿破崙の
名聞心が甚だしく常人に超越している為めに、その自伝が名聞心を研究する材料になりにくいと同じ事で、性欲界の豪傑 Casanova の書いたものも、性欲を研究する材料にはなりにくい。
譬えば Rhodos の kolossos や奈良の大仏が人体の形の研究には適せないようなものである。おれは何か書いて見ようと思っているのだが、前人の足跡を踏むような事はしたくない。丁度好いから、一つおれの性欲の歴史を書いて見ようかしらん。実はおれもまだ自分の性欲が、どう
萌芽してどう発展したか、つくづく考えて見たことがない。一つ考えて書いて見ようかしらん。白い上に黒く、はっきり書いて見たら、自分が自分でわかるだろう。そうしたら或は自分の性欲的生活が normal だか anomalous だか分かるかも知れない。勿論書いて見ない内は、どんなものになるやら分らない。
随て人に見せられるようなものになるやら、世に公にせられるようなものになるやら分らない。とにかく暇なときにぽつぽつ書いて見ようと、こんな風な事を思った。
そこへ
独逸から郵便物が届いた。いつも書籍を送ってくれる
書肆から届いたのである。その中に性欲的教育の問題を或会で研究した報告があった。性欲的というのは
妥でない。Sexual は性的である。性欲的ではない。しかし性という字があまり多義だから、不本意ながら欲の字を添えて置く。さて教育の範囲内で、性欲的教育をせねばならないものだろうか、せねばならないとしたところで、果してそれが出来るだろうかというのが問題である。或会で教育家を一人、宗教家を一人、医学者を一人と云う工合に、おのおのその向の authority とすべき人物を選んで、意見を叩いたのが、この報告になって出たのである。然るに三人の議論の道筋はそれそれ別であるが、性欲的教育は必要であるか、然り、
做し得らるるであろうか、然りという答に帰着している。家庭でするが好いという意見もある。学校でするが好いという意見もある。とにかく
為るが好い、出来ると決している。教える時期は
固より物心が附いてからである。婚礼の前に絵を見せるという話は我国にもあるが、それを少し早めるのである。早めるのは、婚礼の
直前まで待っては、その内に間違があるというのである。話は下級生物の繁殖から始めて、次第に人類に及ぶというのである。初に下級生物を話すとはいうが、
唯植物の
雄蕋雌蕋の話をして、動物もまた復是の如し、人類もまた復是の如しでは何の役にも立たない。人の性欲的生活をも詳しく説かねばならぬというのである。
金井君はこれを読んで、
暫く腕組をして考えていた。金井君の長男は今年高等学校を卒業する。仮に自分が息子に教えねばならないとなったら、どう云ったら好かろうと考えた。そして非常にむつかしい事だと思った。具体的に考えて見れば見る程
詞を
措くに窮する。そこで前に書こうと思っていた、自分の性欲的生活の歴史の事を考えて、金井君は問題の解決を得たように思った。あれを書いて見て、どんなものになるか見よう。書いたものが人に見せられるか、世に公にせられるかより先に、息子に見せられるかということを検して見よう。金井君はこう思って筆を取った。
*
六つの時であった。
中国の或る小さいお大名の御城下にいた。廃藩置県になって、県庁が隣国に置かれることになったので、城下は
俄に寂しくなった。
お父様は殿様と御一しょに東京に出ていらっしゃる。お母様が、湛ももう大分大きくなったから、学校に
遣る前から、少しずつ物を教えて置かねばならないというので、毎朝仮名を教えたり、手習をさせたりして下さる。
お父様は藩の時
徒士であったが、それでも
土塀を
繞らした門構の家にだけは住んでおられた。門の前はお
濠で、向うの岸は
上のお蔵である。
或日お稽古が済むと、お母様は機を織っていらっしゃる。僕は「遊んでまいります」という一声を残して
駈け出した。
この辺は屋敷町で、春になっても、柳も見えねば桜も見えない。内の塀の上から真赤な椿の花が見えて、お米蔵の
側の
臭橘に薄緑の芽の吹いているのが見えるばかりである。
西隣に空地がある。石瓦の散らばっている間に、げんげや
菫の花が咲いている。僕はげんげを摘みはじめた。暫く摘んでいるうちに、前の日に近所の子が、男の癖に花なんぞを摘んで
可笑しいと云ったことを思い出して、急に身の
周囲を見廻して花を棄てた。
幸に誰も見ていなかった。僕はぼんやりして立っていた。晴れた
麗かな日であった。お母様の機を織ってお
出なさる音が、ぎいとん、ぎいとんと聞える。
空地を隔てて小原という家がある。主人は亡くなって四十ばかりの後家さんがいるのである。僕はふいとその家へ往く気になって、表口へ廻って駈け込んだ。
草履を脱ぎ散らして、障子をがらりと開けて飛び込んで見ると、おばさんはどこかの知らない娘と一しょに本を開けて見ていた。娘は赤いものずくめの着物で、髪を島田に
結っている。僕は子供ながら、この娘は町の方のものだと思った。おばさんも娘も、ひどく驚いたように顔を上げて僕を見た。二人の顔は真赤であった。僕は子供ながら、二人の様子が
当前でないのが分って、異様に感じた。見れば開けてある本には、綺麗に彩色がしてある。
「おば様。そりゃあ何の絵本かのう」
僕はつかつかと側へ
往った。娘は本を伏せて、おばさんの顔を見て笑った。表紙にも彩色がしてあって、見れば女の大きい顔が書いてあった。
おばさんは娘の伏せた本を引ったくって開けて、僕の前に出して、絵の中の何物かを指ざして、こう云った。
「しずさあ。あんたはこれを何と思いんさるかの」
娘は一層声を高くして笑った。僕は覗いて見たが、人物の姿勢が非常に複雑になっているので、どうもよく分らなかった。
「足じゃろうがの」
おばさんも娘も一しょに大声で笑った。足ではなかったと見える。僕は
非道く侮辱せられたような心持がした。
「おば様。又来ます」
僕はおばさんの待てというのを聴かずに、走って戸口を出た。
僕は二人の見ていた絵の何物なるかを判断する智識を有せなかった。しかし二人の言語挙動を非道く異様に、しかも不愉快に感じた。そして何故か知らないが、この出来事をお母様に問うことを
憚った。
*
七つになった。
お父様が東京からお帰になった。僕は藩の学問所の
址に出来た学校に通うことになった。
内から学校へ往くには、門の前のお濠の西のはずれにある木戸を通るのである。木戸の番所の址がまだ元のままになっていて、五十ばかりのじいさんが住んでいる。女房も子供もある。子供は僕と同年位の男の子で、
襤褸を着て、いつも二本棒を垂らしている。その子が僕の通る度に、指を
銜えて僕を見る。僕は
厭悪と多少の
畏怖とを以てこの子を見て通るのであった。
或日木戸を通るとき、いつも外に立っている子が見えなかった。おれはあの子はどうしたかと思いながら、通り過ぎようとした。その時番所址の家の中で、じいさんの声がした。
「こりい。それう持ってわやくをしちゃあいけんちゅうのに」
僕はふいと立ち留って声のする方を見た。じいさんは
胡坐をかいて
草鞋を作っている。今叱ったのは、子供が
藁を打つ
槌を持ち出そうとしたからである。子供は槌を
措いておれの方を見た。じいさんもおれの方を見た。濃い褐色の
皺の寄った顔で、曲った鼻が高く、頬がこけている。目はぎょろっとしていて、白目の
裡に赤い処や黄いろい処がある。じいさんが僕にこう云った。
「坊様。あんたあお
父さまとおっ
母さまと夜何をするか知っておりんさるかあ。あんたあ
寐坊じゃけえ知りんさるまあ。あははは」
じいさんの笑う顔は実に恐ろしい顔である。子供も一しょになって、顔をくしゃくしゃにして笑うのである。
僕は返事をせずに、逃げるように通り過ぎた。跡にはまだじいさんと子供との笑う声がしていた。
道々じいさんの云った事を考えた。男と女とが夫婦になっていれば、その間に子供が出来るということは知っている。しかしどうして出来るか分らない。じいさんの言った事はその辺に関しているらしい。その辺になんだか秘密が伏在しているらしいと、こんな風に考えた。
秘密が知りたいと思っても、じいさんの言うように、夜目を
醒ましていて、お父様やお母様を監視せようなどとは思わない。じいさんがそんな事を言ったのは、子供の心にも、profanation である、
褻涜であるというように感ずる。お社の
御簾の中へ土足で踏み込めといわれたと同じように感ずる。そしてそんな事を言ったじいさんが非道く憎いのである。
こんな考はその後木戸を通る度に起った。しかし子供の意識は断えず応接に
遑あらざる程の新事実に襲われているのであるから、長く続けてそんな事を考えていることは出来ない。内に帰っている時なんぞは、大抵そんな事は忘れているのであった。
*
十になった。
お父様が少しずつ英語を教えて下さることになった。
内を東京へ引き越すようになるかも知れないという話がおりおりある。そんな話のある時、聞耳を立てると、お母様が
余所の人に言うなと
仰ゃる。お父様は、若し東京へでも行くようになると、余計な物は持って行かれないから、物を
選り分けねばならないというので、よく蔵にはいって何かしていらっしゃる。蔵は下の方には米がはいっていて、二階に長持や何かが入れてあった。お父様のこのお
為事も、客でもあると、すぐに
止めておしまいになる。
何故人に言っては悪いのかと思って、お母様に問うて見た。お母様は、東京へは皆行きたがっているから、人に言うのは好くないと仰ゃった。
或日お父様のお留守に蔵の二階へ上って見た。
蓋を開けたままにしてある長持がある。色々な物が取り散らしてある。もっと小さい時に、いつも床の間に飾ってあった
鎧櫃が、どうしたわけか、二階の真中に引き出してあった。
甲冑というものは、何でも五年も前に、長州征伐があった時から、信用が地に
墜ちたのであった。お父様が古かね屋にでも
遣っておしまいなさるお積で、
疾うから蔵にしまってあったのを、引き出してお置になったのかも知れない。
僕は何の気なしに鎧櫃の蓋を開けた。そうすると鎧の上に本が一冊載っている。開けて見ると、綺麗に彩色のしてある絵である。そしてその絵にかいてある男と女とが異様な姿勢をしている。僕は、もっと小さい時に、小原のおばさんの内で見た本と同じ種類の本だと思った。しかしもう大分それを見せられた時よりは
智識が加わっているのだから、その時よりは
熟く分った。Michelangelo の壁画の人物も、大胆な遠近法を使ってかいてあるとはいうが、こんな絵の人物には、それとは違って、随分無理な姿勢が取らせてあるのだから、小さい子供に、どこに手があるやら足があるやら
弁えにくかったのも無理は無い。今度は手も足も好く分った。そして兼て知りたく思った秘密はこれだと思った。
僕は面白く思って、幾枚かの絵を繰り返して見た。しかしここに注意して置かなければならない事がある。それはこういう人間の振舞が、人間の欲望に関係を有しているということは、その時少しも分らなかった。Schopenhauer はこういう事を言っている。人間は容易に
醒めた意識を以て子を得ようと
謀るものではない。自分の
胤の繁殖に手を着けるものではない。そこで自然がこれに愉快を伴わせる。これを欲望にする。この愉快、この欲望は、自然が人間に繁殖を
謀らせる
詭謀である、
餌である。こんな餌を与えないでも、繁殖に
差支のないのは、下等な生物である。醒めた意識を有せない生物であると云っている。僕には、この絵にあるような人間の振舞に、そんな餌が伴わせてあるということだけは、少しも分らなかったのである。僕の面白がって、繰り返して絵を見たのは、只まだ知らないものを知るのが面白かったに過ぎない。Neugierde に過ぎない。Wissbegierde に過ぎない。小原のおばさんに見せて貰っていた、島田
髷の娘とは、全く別様な眼で見たのである。
さて繰り返して見ているうちに、疑惑を生じた。それは或る
体の部分が馬鹿に大きくかいてあることである。もっと小さい時に、足でないものを足だと思ったのも、無理は無いのである。一体こういう画はどこの国にもあるが、或る体の部分をこんなに大きくかくということだけは、世界に類が無い。これは日本の浮世絵師の発明なのである。昔希臘の芸術家は、神の形を製作するのに、額を大きくして、顔の下の方を小さくした。額は霊魂の
舎るところだから、それを引き立たせる為めに大きくした。顔の下の方、口のところ、
咀嚼に使う上下の
顎に歯なんぞは、卑しい体の部であるから小さくした。若しこっちの方を大きくすると、段々猿に似て来るのである。Camper の
面角が段々小さくなって来るのである。それから腹の割合に胸を大きくした。腹が顎や歯と同じ関係を有しているということは、別段に説明することを要せない。飲食よりは呼吸の方が、上等な作用である。その上昔の人は胸に、詳しく言えば心の臓に、血の
循行ではなくて、精神の作用を持たせていたのである。その額や胸を大きくしたと同じ道理で、日本の浮世絵師は、こんな画をかく時に、或る体の部分を大きくしたのである。それがどうも僕には分らなかった。
肉
蒲団という、支那人の書いた、けしからん
猥褻な本がある。お負に支那人の癖で、その物語の組立に善悪の応報をこじつけている。実に馬鹿げた本である。その本に
未央生という主人公が、自分の或る体の部分が小さいようだというので、人の小便するのを
覗いて歩くことが書いてある。僕もその頃人が往来ばたで小便をしていると、覗いて見た。まだ御城下にも辻便所などはないので、誰でも道ばたでしたのである。そして誰のも小さいので、画にうそがかいてあると判断して、
天晴発見をしたような積でいたのである。
これが僕の可笑しな絵を見てから実世界の観察をした一つである。今一つの観察は、少し書きにくいが、真実の為めに強いて書く。僕は女の体の或る部分を目撃したことが無い。その頃御城下には湯屋なんぞはない。内で湯を使わせてもらっても、親類の家に泊って、
余所の人に湯を使わせてもらっても、自分だけが裸にせられて、使わせてくれる人は着物を着ている。女は往来で
手水もしない。これには甚だ窮した。
学校では、女の子は別な教場で教えることになっていて、一しょに遊ぶことも
絶て無い。若し物でも言うと、すぐに友達仲間で
嘲弄する。そこで女の友達というものはなかった。親類には娘の子もあったが、節句だとか法事だとかいうので来ることがあっても、余所行の着物を着て、お化粧をして来て、大人しく何か食べて帰るばかりであった。心安いのはない。只内の裏に、藩の時に
小人と云ったものが住んでいて、その娘に同年位なのがいた。名は
勝と云った。小さい
蝶々髷を結っておりおり内へ遊びに来る。色の白い頬っぺたの
膨らんだ子で、性質が極素直であった。この子が、気の毒にも、僕の試験の対象物にせられた。
五月雨の晴れた頃であった。お母様は相変らず機を織っていらっしゃる。蒸暑い
午過で、内へ針為事に来て、台所の手伝をしている婆あさんは昼寝をしている。お母様の
梭の音のみが、ひっそりしている家に響き渡っている。
僕は裏庭の蔵の前で、
蜻の尻に糸を附けて飛ばせていた。花の一ぱい咲いている
百日紅の木に、
蝉が来て鳴き出した。覗いて見たが、高い処なので取れそうにない。そこへ勝が来た。勝も内のものが昼寝をしたので、寂しくなって出掛けて来たのである。
「遊びましょうやあ」
これが挨拶である。僕は
忽ち一計を案じ出した。
「うむ。あの縁から飛んで遊ぼう」
こう云って草履を脱いで縁に上った。勝も附いて来て、赤い緒の
雪踏を脱いで上った。僕は先ず
跣足で庭の
苔の上に飛び降りた。勝も飛び降りた。僕は又縁に上って、尻を
った。
「こうして飛ばんと、着物が邪魔になって
行けん」
僕は活溌に飛び降りた。見ると、勝はぐずぐずしている。
「さあ。あんたも飛びんされえ」
勝は暫く困ったらしい顔をしていたが、無邪気な素直な子であったので、とうとう尻を
って飛んだ。僕は目を円くして覗いていたが、白い
脚が二本白い腹に続いていて、なんにも無かった。僕は大いに失望した。Operaglass で ballet を踊る女の
股の間を覗いて、
羅に織り込んである金糸の光るのを見て、失望する紳士の事を思えば、罪のない話である。
その歳の秋であった。
僕の国は盆踊の盛な国であった。旧暦の
盂蘭盆が近づいて来ると、今年は踊が禁ぜられるそうだという
噂があった。しかし県庁で
他所産の知事さんが、僕の国のものに逆うのは好くないというので、黙許するという事になった。
内から二三丁ばかり先は町である。そこに屋台が掛かっていて、夕方になると、踊の
囃子をするのが内へ聞える。
踊を見に
往っても好いかと、お母様に聞くと、早く戻るなら、往っても好いということであった。そこで草履を
穿いて駈け出した。
これまでも度々見に往ったことがある。もっと小さい時にはお母様が連れて行って見せて下すった。踊るものは、表向は町のものばかりというのであるが、皆
頭巾で顔を隠して踊るのであるから、
侍の子が沢山踊りに行く。中には男で女装したのもある。女で男装したのもある。頭巾を着ないものは
百眼というものを掛けている。西洋でする Carneval は一月で、季節は違うが、人間は自然に同じような事を工夫し出すものである。西洋にも、収穫の時の踊は別にあるが、その方には仮面を
被ることはないようである。
大勢が輪になって踊る。覆面をして踊りに来て、立って見ているものもある。見ていて、気に入った踊手のいる処へ、いつでも割り込むことが出来るのである。
僕は踊を見ているうちに、覆面の連中の話をするのがふいと耳に入った。
識りあいの男二人と見える。
「あんたあゆうべ
愛宕の山へ行きんさったろうがの」
「
を言いんさんな」
「いいや。何でも行きんさったちゅう事じゃ」
こういうような問答をしていると、今一人の男が側から口を出した。
「あそこにゃあ、朝行って見ると、いろいろな物が落ちておるげな」
跡は笑声になった。僕は
穢い物に
障ったような心持がして、踊を見るのを
止めて、内へ帰った。
*
十一になった。
お父様が東京へ連れて出て下すった。お母様は跡に残ってお
出なすった。いつも手伝に来る婆あさんが越して来て、一しょにいるのである。少し立てば、跡から行くということであった。多分家屋敷が売れるまで残ってお出なすったのであろう。
旧藩の殿様のお邸が
向島にある。お父様はそこのお長屋のあいているのにはいって、婆あさんを一人雇って、御飯を
焚かせて暮らしてお出になる。
お父様は毎日出て、晩になってお帰になる。僕の行く学校をも捜して下さるということであった。お父様がお出掛になると、
二十ばかりの
上さんが勝手口へ来て、前掛を膨らませて帰って行く。これは婆あさんが米を盗んで、娘に持たせて遣るのであった。後にお母様がお出になって、この事が知れて、婆あさんは
逐い出された。僕は余程ぼんやりした小僧であった。
一しょに遊んでくれる子供もない。家職のものの息子で、年が二つばかり下なのがいたが、初て逢った日に、お邸の池の
鯉を釣ろうと云ったので、
嫌になって一しょに遊ばない事にした。
家扶の娘の十二三になるのを
頭にして、娘が二三人いたが、僕を見ると遠い処から指ざしなんぞをして、
きあって笑ったり何かする。これも嫌な女どもだと思った。
御殿のお次に行って見る。家従というものが二三人控えている。大抵
烟草を飲んで雑談をしている。おれがいても、別に邪魔にもしない。そこで色々な事を聞いた。
最も
屡ば話の中に出て来るのは吉原という地名と奥山という地名とである。吉原は彼等の常に夢みている天国である。そしてその天国の荘厳が、幾分かお邸の力で保たれているということである。家令はお邸の金を高い利で吉原のものに貸す。その縁故で彼等が行くと、特に優待せられるそうだ。そこで
手ん
手に吉原へ行った話をする。聞いていても半分は分らない。又半分位分るようであるが、それがちっとも面白くない。中にはこんな事をいう男がある。
「こんだあ、あんたを連れて行って上げうかあ。綺麗な
女郎が可哀がってくれるぜえ」
そういう時にはみんなが笑う。
奥山の話は
榛野という男の事に連帯して出るのが常になっている。家従どもは大抵
菊石であったり、
獅子鼻であったり、
反歯であったり、満足な顔はしていない。それと違って榛野というのは、色の白い、背の高い男で、髪を長くして、油を附けて、
項まで分けていた。この男は何という役であったか知らぬが、先ず家従どもの上席位の待遇を受けて、文書の立案というような事をしていた。家従どもはこんな事を言う。
「榛野さあのように大事にして貰われれば、こっちとらも奥山へ行くけえど、
銭う払うて
楊弓を引いても、ろくに話もしてくれんけえ、ほんつまらんいのう」
榛野はこの仲間の Adonis であった。そして僕は程なくこの男のために Aphrodite たり、また Persephone たる
女子どもを見ることを得たのである。
お庭の蝉の声の段々やかましゅうなる頃であった。お父様の留守にぼんやりしていると、
麻という家従が外から声を掛けた。
「しずさあ。居りんさるかあ。今からお使に行くけえ、一しょに来んされえ。浅草の観音様に連れて行って上げう」
観音様へはお父様が一度連れて行って下すったことがある。僕は喜んで下駄を引っ掛けて出た。
吾妻橋を渡って、並木へ出て買物をした。それから引き返して、中店をぶらぶら歩いた。亀の形をしたおもちゃの糸で吊したのを、沢山持って、「器械の亀の子、
選り取った選り取った」などと云っている男がある。亀の首や尾や四足がぶるぶると動いている。
麻は絵草紙屋の前に立ち留まった。おれは西南戦争の錦絵を見ていると、
麻は
店前に出してある、帯封のしてある本を取り上げて、店番の年増にこう云うのである。
「お上さん。これを
騙されて買って行く奴がまだありますか。はははは」
「それでもちょいちょい売れますよ。一向つまらない事が書いてあるのでございますが。おほほほ」
「どうでしょう。本当のを売ってくれませんかね」
「
御笑談を仰ゃいます。なかなか当節は警察がやかましゅうございまして」
帯封の本には、表紙に女の顔が書いてあって、その上に「笑い本」と大字で書いてある。これはその頃絵草紙屋にあっただまし物である。中には
一口噺か何かを書いて、わざと秘密らしく帯封をして、かの可笑しな画を欲しがるものに売るのである。
僕は子供ではあったが、問答の意味をおおよそ解した。しかしその問答の意味よりは、
麻の自在に東京詞を使うのが、僕の注意を引いた。そして
麻は何故これ程東京詞が使えるのに、お屋敷では国詞を使うだろうかということを考えて見た。国もの同志で国詞を使うのは、
固より当然である。しかし
麻が二枚の舌を使うのは、その為めばかりではないらしい。彼は上役の前で
淳樸を装うために国詞を使うのではあるまいか。僕はその頃からもうこんな事を考えた。僕はぼんやりしているかと思うと、又余り無邪気でない処のある子であった。
観音堂に登る。僕の物を知りたがる欲は、僕の目を、只真黒な格子の奥の、
蝋燭の光の
覚束ない辺に注がせる。
蹲んで、体を
鰕のように曲げて、何かぐずぐず云って祈っている爺さん婆あさん達の
背後を、堂の東側へ折れて、おりおりかちゃかちゃという
賽銭の音を聞き棄てて堂を降りる。