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犬(いぬ)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-11-6 17:52:53  点击:  切换到繁體中文


「クサチュカ、私と一しょにおいで」と犬を呼んで来た。「クサチュカ、好い子だね。お砂糖をあげようか。おいでといったらおいでよ」といった。
 しかしクサカは来なかった。まだ人間を怖れて居る。レリヤは平手で膝を打って出来るだけ優しい声で呼んだ。それでも来ないので、自分が犬の方へ寄って来た。しかし迂濶に側までは来ない。人間の方でも噛まれてはならぬというおそれがあるから。
「クサチュカ、どうもするのじゃないよ。お前は可哀い眼付をして居る。お前の鼻梁も中々美しいよ。可哀がって遣るから、もっと此方へおいで」といった。
 レリヤはこういって顔を振り上げた。犬を誉めたことばの通りに、この娘も可哀い眼付をして、美しい鼻を持って居た。それだから春の日が喜んでその顔に接吻して、娘の頬が赤くなって居るのだ。
 クサカは生れてから、二度目に人間の側へ寄って、どうせられるか、打たれるか、摩られるかと思いながら目をつぶった。しかし今度は摩られた。小さい温い手が怖る怖る毛のおどろになって居る、犬の頭に触れた。次第に馴れて来て、その手が犬の背中を一ぱいに摩って、また指尖で掻くように弄った。
 レリヤは別荘の方に向いて、「お母あさんも皆も来て御覧。私今クサカを摩って居るのだから」といった。
 子供たち大勢がわやわやいって走り寄った。クサカの方ではやや恐怖心を起して様子を見て居た。クサカの怖れは打たれる怖れではない。最早鋭い牙を、よしや打たれてもこの人たちに立てることが出来ぬようになったのを怖れるのだ。平生の人間に対する憤りと恨みとが、消えたために、自ら危んだのだ。どの子もどの子も手を出して摩るのだ。摩られる度に、犬はびくびくした。この犬のためにはまだ摩られるのが、打たれるように苦痛なのであった。
 次第にクサカの心持が優しくなった。「クサカ」と名を呼ばれる度に何の心配もなく庭に走り出るようになった。クサカは人の持物になった。クサカは人に仕えるようになった。犬の身にとっては為合者しあわせものになったのではあるまいか。
 この犬は年来主人がなくて饑渇に馴れて居るので、今食物を貰うようになっても余り多くは喰べない。しかしその少しの食物が犬の様子を大相に変えた。今までは処々によじれて垂れて居て、泥などで汚れて居た毛が綺麗になって、玻璃はりのように光って来た。この頃は別荘を離れて、街道へ出て見ても、誰も冷かすものはない。ましてや石を投げつけようとするものもない。
 しかし犬が気持ちよく思うのはこの時もただ独り居る時だけであった。人に摩られる時はまだ何だか苦痛を覚える。何か己の享けるはずでない事を享けるというような心持であった。クサカはまだ人にへつらう事を知らぬ。余所よその犬は後脚で立ったり、膝なぞに体を摩り付けたり、嬉しそうに吠えたりするが、クサカはそれが出来ない。
 クサカの芸当は精々ごろりと寝て背中を下にして、目を瞑って声を出すより外はない。しかしそれだけでは自分の喜びと、自分の恩に感ずる心とを表わすことが出来ぬと思った。それでふいと思い出したことがある。それは昔余所の犬のするのを見て、今までは永く忘れて居たことであった。クサカはそれをやる気になって、飛びあがって、翻筋斗とんぼがえりをして、後脚でくるくる廻って見せた。それも中々手際よくは出来ない。
 レリヤはそれを見て吹き出して、「お母あさんも皆も御覧よ。クサカが芸をするよ。クサカもう一反やって御覧。それでいい、それでいい」といった。
 人々は馳せ集ってこれを見て笑った。クサカは相変らず翻筋斗をしたり、後脚を軸にしてくるくる廻ったりして居るのだ、しかし誰もこの犬の目に表われて居る哀願するような気色を見るものはない。大人でも子供でも「クサチュカ、またやって御覧」という度に、犬は翻筋斗をしてくるくる廻って、しまいには皆に笑われながらたおれてしまう。
 次第にクサカは食物の心配などもないようになった。別荘の女中が毎日時分が来れば食物を持って来る。何時も寝る処に今は威張って寝て、時々は人に摩られに自分から側へ寄るようになった。そうしてクサカは太った。時々は子供たちが森へ連て行く。その時は尾を振って付いて行って、途中で何処か往ってしまう。しかし夜になれば、別荘の人々には外で番をして吠える声が聞えるのである。
 その内秋になった。雨の日が続いた。次第に処々の別荘から人が都会へ帰るようになった。
 この別荘の中でも評議が初まった。レリヤが、「クサカはどうしましょうね」といった。この娘は両手で膝をいて悲しげに点滴しずくの落ちている窓の外を見ているのだ。
 母は娘の顔を見て、「レリヤや。何だってそんな行儀の悪い腰の掛けようをして居るのだえ。そうさね。クサカは置いて行くより外あるまいよ」といった。「可哀そうね」とレリヤは眩いた。「可哀そうだって、どうも為様しようはないじゃありませんか。内には庭はないし。それだといって、家の中へあんなものを連れて這入る訳にいかない事は、お前にだって解ろうじゃありませんか」と母はいった。「可哀そうね」とレリヤは繰り返して居たが、何だか泣きそうな顔になった。
 その内別荘へ知らぬ人が来て、荷車の軋る音がした。床の上を重そうな足で踏む響がした。クサカは知らぬ人の顔を怖れ、また何か身の上に不幸の来るらしい感じがするので、小さくなって、庭の隅に行って、木立の隙間から別荘を見て居た。
 其処へレリヤは旅行の時に着る着物に着更えて出て来た。その着物は春の頃クサカが喰い裂いた茶色の着物であった。「可哀相にここに居たのかい。こっちへ一しょにおいで」とレリヤがいった。そして犬を連れて街道に出た。街道の傍は穀物を刈った、刈株の残って居る畠であった。所々丘のように高まって居る。また低い木立や草叢くさむらがある。暫く行くと道標のくいが立って居て、その側に居酒屋がある。その前に百姓が大勢居る。百姓はこの辺りをうろつく馬鹿者にイリュウシャというものがいるのをつかまえて、からかって居る。
「一銭おくれ」と馬鹿は大儀そうな声でいった。「ふうむ薪でも割ってくれれば好いけれど、手前にはそれも出来まい」と憎げに百姓はいった。馬鹿は卑しい、卑褻な詞で返事をした。
 レリヤは、「此処は厭な処だから、もう帰りましょうね」と犬に向かっていって、後ろも見ずに引き返した。
 レリヤは皆と別荘を離れて停車場にいって、初めてクサカに暇乞いとまごいをしなかったことを思い出した。
 クサカは別荘の人々の後について停車場まで行って、ぐっしょり沾れて別荘の処に帰って来た。その時クサカは前と変った芸当を一つしたが、それは誰も見る人がなかった。芸当というのは、別荘の側で、後脚で立ち上がって、爪で入口の戸をかりかりと掻いたのであった。最早別荘は空屋になって居る。雨は次第に強くふって来る。秋の夜長の闇が、この辺をおおうてしまう。別荘の周囲が何となく何時もより広いような心持がする。
 その内全く夜になった。犬は悲しげに長く吠えた。その声はさも希望のなさそうな、単調な声であった。その声を聞くものは、譬えば闇の夜が吐く溜息を聞くかと思った。その声を聞けば、何となく暖かい家が慕わしくなる。愛想のある女の胸が慕わしくなる。犬は吠え続けた。
(明治四十三年一月)





底本:「於母影 冬の王 森鴎外全集12」ちくま文庫、筑摩書房
   1996(平成8)年3月21日第1刷発行
底本の親本:「森鴎外全集」岩波書店
入力:鈴木修一
校正:松永正敏
2003年8月20日作成
2003年11月7日修正
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