「三条の宮から」 と言って使いが何心もなく持って来たのを、夫人はいつものとおり自分の困るようなことの書かれてある手紙が添っているのではないかと気にしていたが隠しうるものでもなかった。宮が、 「美しい蔦だね」 と意味ありげにお言いになって、お手もとへ取り寄せて御覧になるのであったが、手紙には、
このごろはどんな御様子でおられますか。山里へ行ってまいりまして、さらにまた峰の朝霧に悲しみを引き出される結果を見ました。そんな話はまたまいって申し上げましょう。あちらの寝殿を御堂に直すことを阿闍梨に命じて来ました。お許しを得ましてから、他の場所へ移すことにも着手させましょう。弁の尼へあなたから御承諾になるならぬをお言いやりになってください。
こう書かれてあった。 「よくもしらじらしく書けた手紙だ。私がこちらにいると聞いていたのだろう」 と宮はお言いになるのであった。少しはそうであったかもしれない。夫人は用事だけの言われてあったのをうれしく思ったのであるが、どこまでも疑ったものの言いようを宮があそばすのをうるさく思い、恨めしそうにしている顔が非常に美しくて、この人が犯せばどんな過失も許す気になるであろうと宮は見ておいでになった。 「返事をお書きなさい。私は見ないようにしているから」 宮はわざとほかのほうへ向いておしまいになった。そうお言いになったからと言って、書かないでは怪しまれることであろうと夫人は思い、
山里へおいでになりましたことはおうらやましいことと承りました。あちらは仰せのように御堂にいたすのがよろしいことと思っておりました。しかしまた私自身のために隠れ家として必要のあることを思い、荒廃はいたさせたくない願いもあったのですが、あなたのお計らいで両様の望みがかないますればありがたいことと存じます。
と返事を書いた。こんなふうの友情をかわすだけの二人であろうと思っておいでになりながらも、御自身のお心慣らいから秘密があるように察せられて、御不安がのけがたいのであろう。枯れ枯れになった庭の植え込みの中の薄が何草よりも高く手を出して招いている形が美しく、また穂を持たないのも露を貫き玉を掛けた身をなびかせていることなどは平凡なことであるが夕風の吹いている草原は身にしむことが多いものである。
穂にいでぬ物思ふらししのすすき招く袂の露しげくして
柔らかになったお小袖の上に直衣だけをお被になり、琵琶を宮は弾いておいでになった。黄鐘調の掻き合わせに美しい音を出しておいでになる時、夫人は好きな音楽であったから、恨めしいふうばかりはしておられず、小さい几帳の横から脇息によりかかって少し姿を現わしているのが非常に可憐に見えた。
「あきはつる野べのけしきもしの薄ほのめく風につけてこそ知れ
『わが身一つの』(おほかたのわが身一つのうきからになべての世をも恨みつるかな)」 と言ううちに涙ぐまれてくるのも、さすがに恥ずかしく扇で紛らしているその気分も愛すべきであると宮はお思われになるのであるが、こんな人であるからほかの男も忘れがたく思うのであろうと疑いをお持ちになるのが夫人の身に恨めしいことに相違ない。白菊がまだよく紫に色を変えないで、いろいろ繕われてあるのはことに移ろい方のおそい中にどうしたのか一本だけきれいに紫になっているのを宮はお折らせになり「花中偏愛菊」と誦しておいでになったが、 「某親王がこの花を愛しておいでになった夕方ですよ、天人が飛んで来て琵琶の手を教えたというのはね。何事もあさはかになって天人の心を動かすような音楽というものはもはや地上からなくなってしまったのは情けない」 とお言いになり、楽器を下へ置いておしまいになったのを、中の君は残念に思い、 「人間の心だけはあさはかにもなったでしょうが、昔から伝わっております音楽などはそれほどにも堕落はしておりませんでしょう」 こう言って、自身でおぼつかなくなっている手を耳から探り出したいと願うふうが見えた。宮は、 「それでは単独で弾いているのは寂しいものだから、あなたが合わせなさい」 とお言いになって、女房に十三絃をお出させになって、夫人に弾かせようとあそばされるのだったが、 「昔は先生になってくださる方がございましたけれど、そんな時にもろくろく私はお習い取りすることはできなかったのですもの」 恥ずかしそうに言って、中の君は楽器に手を触れようともしない。 「これくらいのことにもまだあなたは隔てというものを見せるのは情けないではありませんか、このごろ通って行く所の人は、まだ心が解けるというほどの間柄になっていないのに、未成品的な琴を聞かせなさいと言えば遠慮をせずに弾きますよ。女は柔らかい素直なのがいいとあの中納言も言っていましたよ。あの人へはこんなに遠慮をばかり見せないのでしょう。非常な仲よしなのだから」 などと薫のことまでも言葉に出してお恨みになったため、夫人は歎息をしながら少し琴を弾いた。近ごろ使われぬ琴は緒がゆるんでいたから盤渉調にしてお合わせになった。夫人の掻き合わせの爪音が美しい。催馬楽の「伊勢の海」をお歌いになる宮のお声の品よくおきれいであるのを、そっと几帳の後ろなどへ来て聞いていた女房たちは満足した笑みを皆見せていた。 「二人の奥様をお持ちあそばすのはお恨めしいことですが、それも世のならわしなのですからね、やはりこの奥様を幸福な方と申し上げるほかはありませんよ。こうした所の大事な奥様になってお暮らしになる方とは思うこともできませんようでしたもとの生活へ、また帰りたいようによくおっしゃるのはどうしたことでしょう」 といちずになって言う老いた女房はかえって若い女房たちから、 「静かになさい」 と制されていた。 琵琶などをお教えになりながら三、四日二条の院に宮がとどまっておいでになり、謹慎日になったからというような口実を作って六条院へおいでにならないのを左大臣家の人々は恨めしがってい、大臣が御所から退出した帰り路に二条の院へ出て来た。 「たいそうなふうをして何しにおいでになったのかと言いたい」 などとお言いになり、宮は不機嫌になっておいでになったが、客殿のほうへ行って御面会になった。 「何かの機会のない限りはこの院へ上がることがなくなっております私には目に見るものすべてが身に沁んでなりません」 とも言い、六条院のお話などをしばらくしていたあとで、大臣は宮をお誘い出して行くのであった。子息たちその他の高級役人、殿上役人なども多く引き連れている勢力の偉大さを見て、比較にもならぬ世間的に無力な身の上を中の君は思ってめいった気持ちになっていた。女房らはのぞきながら、 「ほんとうにおきれいな大臣様、あんなにごりっぱな御子息様たちで、皆若盛りでお美しいと申してよい方たちが、だれもお父様に及ぶ方はないじゃありませんか、なんという美男でいらっしゃるのでしょう」 と中には言う者もあった。また、 「あんなおおぎょうなふうをなすって、わざわざお迎えなどにおいでになるなんてくちおしい。世の中って楽なものではありませんね」 と歎息する女もあった。夫人自身も寂しい来し方を思い出し、あのはなやかな人たちの世界の一隅を占めることは不可能な影の淡い身の上であることがいよいよ心細く思われて、やはり自分は宇治へ隠退してしまうのが無難であろうと考えられるのであった。 日は早くたち年も暮れた。一月の終わりから普通でない身体の苦痛を夫人は感じだしたのを、宮もまだ産をする婦人の悩みをお見になった御経験はなかったので、どうなるのかと御心配をあそばして、今まで祈祷などをほうぼうでさせておいでになった上に、さらにほかでも修法を始めることをお命じになった。非常に容体が危険に見えたために中宮からもお見舞いの使いが来た。中の君が二条の院へ迎えられてから足かけ三年になるが、御良人の宮の御愛情だけはおろそかなものでないだけで、一般からはまだ直接親王夫人に相当する尊敬は払われていなかったのに、この時にはだれも皆驚いて見舞いの使いを立て、自身でも二条の院へ来た。 源中納言は宮の御心配しておいでになるのにも劣らぬ不安を覚えて、気づかわしくてならないのであっても、表面的な見舞いに行くほかは近づいて尋ねることもできずに、ひそかに祈祷などをさせていた。この人の婚約者の女二の宮の裳着の式が目前のことになり、世間はその日の盛んな儀礼の用意に騒いでいる時であって、すべてを帝御自身が責任者であるようにお世話をあそばし、これでは後援する外戚のないほうがかえって幸福が大きいとも見られ、亡き母君の藤壺の女御が姫宮のために用意してあった数々の調度の上に、宮中の作物所とか、地方長官などとかへ御下命になって作製おさせになったものが無数にでき上がってい、その式の済んだあとで通い始めるようにとの御内意が薫へ伝達されている時であったから、婿方でも平常と違う緊張をしているはずであるが、なおいままでどおりにそちらのことはどうでもいいと思われ、中の君の産の重いことばかりを哀れに思って歎息を続ける薫であった。 二月の朔日に直物といって、一月の除目の時にし残された官吏の昇任更任の行なわれる際に、薫は権大納言になり、右大将を兼任することになった。今まで左大将を兼ねていた右大臣が軍職のほうだけを辞し、右が左に移り、右大将が親補されたのである。新任の挨拶にほうぼうをまわった薫は、兵部卿の宮へもまいった。夫人が悩んでいる時であって、宮は二条の院の西の対においでになったから、こちらへ薫は来たのであった。僧などが来ていて儀礼を受けるには不都合な場所であるのにと宮はお驚きになり、新しいお直衣に裾の長い下襲を召してお身なりをおととのえになって、客の礼に対する答の拝礼を階下へ降りてあそばされたが、大将もりっぱであったし、宮もきわめてごりっぱなお姿と見えた。この日は右近衛府の下僚の招宴をして纏頭を出すならわしであったから、自邸でとは言っていたが、近くに中の君の悩んでいる二条の院があることで少し躊躇していると、夕霧の左大臣が弟のために自家で宴会をしようと言いだしたので六条院で行なった。皇子がたも相伴の客として宴にお列りになり、高級の官吏なども招きに応じて来たのが多数にあって、新任大臣の大饗宴にも劣らない盛大な、少し騒がし過ぎるほどのものになった。兵部卿の宮も出ておいでになったのであるが、夫人のことがお気づかわしいために、まだ宴の終わらぬうちに急いで二条の院へお帰りになったのを、左大臣家の新夫人は不満足に思い、ねたましがった。同じほどに愛されているのであるが権家の娘であることに驕っている心からそう思われたのであろう。 ようやくその夜明けに二条の院の夫人は男児を生んだ。宮も非常にお喜びになった。右大将も昇任の悦びと同時にこの報を得ることのできたのをうれしく思った。昨夜の宴に出ていただいたお礼を述べに来るのとともに、御男子出産の喜びを申しに、薫は家へ帰るとすぐに二条の院へ来たのであった。 兵部卿の宮がそのままずっと二条の院におられたから、お喜びを申しに伺候しない人もなかった。産養の三日の夜は父宮のお催しで、五日には右大将から産養を奉った。屯食五十具、碁手の銭、椀飯などという定まったものはその例に従い、産婦の夫人へ料理の重ね箱三十、嬰児の服を五枚重ねにしたもの、襁褓などに目だたぬ華奢の尽くされてあるのも、よく見ればわかるのであった。父宮へも浅香木の折敷、高坏などに料理、ふずく(麺類)などが奉られたのである。女房たちは重詰めの料理のほかに、籠入りの菓子三十が添えて出された。たいそうに人目を引くことはわざとしなかったのである。七日の夜は中宮からのお産養であったから、席に列る人が多かった。中宮大夫を初めとして殿上役人、高級官吏は数も知れぬほどまいったのだった。帝も出産を聞召して、兵部卿の宮がはじめて父になった喜びのしるしをぜひとも贈るべきであると仰せになり、太刀を新王子に賜わった。九日も左大臣からの産養があった。愛嬢の競争者の夫人を喜ばないのであるが、宮の思召しをはばかって、当夜は子息たちを何人も送り、接客の用を果たさせもした。 夫人もこの幾月間物思いをし続けると同時に、身体の苦しさも並み並みでなく、心細くばかり思っていたのであったが、こうしたはなやかな空気に包まれる日が来て少し慰んだかもしれない。 右大将はこんなふうに動揺されぬ位置が中の君にできてしまい、王子の母君となってしまっては、自分の恋に対して冷淡さが加わるばかりであろうし、宮の愛はこの夫人に多く傾くばかりであろうと思われるのはくちおしい気のすることであったが、最初から願っていた中の君の幸福というものがこれで確実になったとする点ではうれしく思わないではいられなかった。 その月の二十幾日に女二の宮の裳着の式が行なわれ、翌夜に右大将は藤壺へまいった。これに儀式らしいものはなくて、ひそかなことになっていた。天下の大事のように見えるほどおかしずきになった姫宮の御良人に一臣下の男がなるのに不満が覚えられる。婚約はお許しになっておいても、結婚をそう急いでおさせにならないでもよいではないかと非難らしいことを申す者もあったが、お思い立ちになったことはすぐ実行にお移しになる帝の御性質から、過去に例のないまで帝の婿として薫を厚遇しようとお考えになってあそばすことらしかった。帝の御婿になる人は昔も今もたくさんあろうが、まだ御盛んな御在位中にただの人間のように婿取りに熱中あそばしたというようなことは少なかったであろう。左大臣も、 「右大将はすばらしい運命を持った男ですね。六条院すら朱雀院の晩年に御出家をされる際にあの母宮をお得になったくらいのことだし、私などはましてだれもお許しにならないのをかってに拾ったにすぎない」 こんなことを言った。夫人の宮はそのとおりであったことがお恥ずかしくて返辞をあそばすこともできなかった。 三日目の夜は大蔵卿を初めとして、女二の宮の後見に帝のあてておいでになる人々、宮付きの役人に仰せがあって、右大将の前駆の人たち、随身、車役、舎人にまで纏頭を賜わった。普通の家の新郎の扱い方に少しも変わらないのであった。それからのちは忍び忍びに藤壺へ薫は通って行った。心の中では昔のこと、昔にゆかりのある人のことばかりが思われて、昼はひねもす物思いに暮らして、夜になるとわが意志でもなく女二の宮をお訪ねに行くのも、そうした習慣のなかった人であるからおっくうで苦しく思われる薫は、御所から自邸へ宮をお迎えしようと考えついた。そのことを尼宮はうれしく思召して、御自身のお住居になっている寝殿を全部新婦の宮へ譲ろうと仰せになったのであるが、それはもったいないことであると薫は言って、自身の念誦講堂との間に廊を造らせていた。西側の座敷のほうへ宮をお迎えするつもりらしい。東の対なども焼けてのちにまたみごとな建築ができていたのをさらに設備を美しくさせていた。薫のそうした用意をしていることが帝のお耳にはいり、結婚してすぐに良人の家へはいるのはどんなものであろうと不安に思召されるのであった。帝も子をお愛しになる心の闇は同じことなのである。尼宮の所へ勅使がまいり、お手紙のあった中にも、ただ女二の宮のことばかりが書かれてあった。お亡くなりになった朱雀院が特別にこの尼宮を御援助になるようにと遺託しておありになったために、出家をされたのちでも二品内親王の御待遇はお変えにならず、宮からお願いになることは皆御採用になるというほどの御好意を帝は示しておいでになったのである。こうした最高の方を舅君とし、母宮として、たいせつにお扱われする名誉もどうしたものか薫の心には特別うれしいとは思われずに、今もともすれば物思い顔をしていて、宇治の御堂の造営を大事に考えて急がせていた。 兵部卿の宮の若君の五十日になる日を数えていて、その式用の祝いの餠の用意を熱心にして、竹の籠、檜の籠などまでも自身で考案した。沈の木、紫檀、銀、黄金などのすぐれた工匠を多く家に置いている人であったから、その人々はわれ劣らじと製作に励んでいた。 薫はまた宮のおいでにならぬひまに二条の院の夫人を訪れた。思いなしか重々しさと高貴さが添ったように中の君を薫は思った。もう薫は結婚もしたのであるから、自分の迷惑になるような気持ちは皆紛れてしまっているであろうと安心して夫人は出て来たのであったが、やはり同じように寂しい表情をし、涙ぐんでいて、 「自分の意志でない結婚をした苦痛というものはまた予想外に堪えられないものだとわかりまして、煩悶ばかりが多くなりました」 と、新婦の宮に同情の欠けたようなことを薫は言って夫人に訴えた。 「とんだことをおっしゃいます。そういうことをいつの間にか人が聞くようになってはたいへんですよ」 こう中の君は言いながらも、だれが見ても光栄の人になっていて、それにも慰められずまだ故人が忘れられないように言うこの人の愛の純粋さをうれしく思っていた。姉君が生きていたらとも思うのであったが、しかしそれも自分と同じように勝ち味のない競争者を持って薄運を歎くにとどまることになったであろう、富のない自分らは世の中から何につけても尊重されていくものではないらしいとまた思うことによって姉君がどこまでも情に負けず結婚はせまいとした心持ちのえらさが思われた。 薫が若君をぜひ見せてほしいと言っているのを聞いて、恥ずかしくは思いながら、この人に隔て心を持つようには取られたくない、無理な恋を受け入れぬと恨まれる以外のことで、この人の感情は害したくないと中の君は思い、自身では何とも返辞をせずに、乳母に抱かせた若君を御簾の外へ出して見せさせた。いうまでもなく醜い子であるはずはない。驚くほど色が白く、美しくて、高い声を立てて笑んでみせる若君を見て薫は、これが自分の子であったならと思い、うらやましい気のしたというのは、この人の心も人間生活に離れにくくなったのであろうか。しかしこの人は、死んだ恋人が普通に自分の妻になっていて、こうした人を形見に残しておいてくれたならばと思うのであって、自身が名誉な結婚をしたと見られている女二の宮から早く生まれる子があればよいなどとは夢にも考えないというのはあまりにも変わった人である。こんなふうに死んで取り返しようのない人にばかり未練を持ち、新しい妻の内親王に愛情を持たないことなどはあまり書くのがお気の毒である。こんな変人を帝が特にお愛しになって、婿にまではあそばされるはずはないのである。公人としての才能が完全なものであったのであろうと見ておくよりしかたがない。 これほどの幼い人をはばからず見せてくれた夫人の好意もうれしくて、平生以上にこまやかに話をしているうちに日が暮れたため、他で夜の刻をふかしてはならぬ境遇になったことも苦しく思い、薫は歎息を洩らしながら帰って行った。 「なんというよいにおいでしょう。『折りつれば袖こそにほへ梅の花』というように、鶯もかぎつけて来るかもしれませんね」 などと騒いでいる女房もあった。 夏になると御所から三条の宮は方角塞がりになるために、四月の朔日の、まだ春と夏の節分の来ない間に女二の宮を薫は自邸へお迎えすることにした。 その前日に帝は藤壺へおいでになって、藤花の宴をあそばされた。南の庇の間の御簾を上げて御座の椅子が立てられてあった。これは帝のお催しで宮が御主催になったのではない。高級役人や殿上人の饗膳などは内蔵寮から供えられた。左大臣、按察使大納言、藤中納言、左兵衛督などがまいって、皇子がたでは兵部卿の宮、常陸の宮などが侍された。南の庭の藤の花の下に殿上人の席ができてあった。後涼殿の東に楽人たちが召されてあって、日の暮れごろから双調を吹き出し、お座敷の上では姫宮のほうから御遊の楽器が出され、大臣を初めとして人々がそれを御前へ運んだ。六条院が自筆でおしたためになり、三条の尼宮へお与えになった琴の譜二巻を五葉の枝につけて左大臣は持って出、由来を御披露して奉った。次々に十三絃、琵琶、和琴の名楽器が取り出された。朱雀院から伝わった物で薫の所有するものである。笛は柏木の大納言が夢に出て伝える人を夕霧へ暗示した形見のもので、非常によい音の出るものであると六条院がお愛しになったものを、右大将へ贈るのはこの美しい機会以外にないと思い、薫のためにこの人が用意してきたのであるらしい。大臣に和琴、兵部卿の宮に琵琶の役を仰せつけに[#「仰せつけに」は底本では「仰けつけに」]なった。笛の右大将はこの日比類もなく妙音を吹き立てた。殿上役人の中にも唱歌の役にふさわしい人は呼び出され、おもしろい合奏の夜になった。御前へ女二の宮のほうから粉熟が奉られた。沈の木の折敷が四つ、紫檀の高坏、藤色の村濃の打敷には同じ花の折り枝が刺繍で出してあった。銀の陽器、瑠璃の杯瓶子は紺瑠璃であった。兵衛督が御前の給仕をした。お杯を奉る時に、大臣は自分がたびたび出るのはよろしくないし、その役にしかるべき宮がたもおいでにならぬからと言い、右大将にこの晴れの役を譲った。薫は遠慮をして辞退をしていたが、帝もその御希望がおありになるようであったから、お杯をささげて「おし」という声の出し方、身のとりなしなども、御前ではだれもする役であるが比べるものもないりっぱさに見えるのも、今日は婿君としての思いなしが添うからであるかもしれぬ。返しのお杯を賜わって、階下へ下り舞踏の礼をした姿などは輝くようであった。皇子がた、大臣などがお杯を賜わるのさえきわめて光栄なことであるのに、これはまして御婿として御歓待あそばす御心がおありになる場合であったから、幸福そのもののような形に見えたが、階級は定まったことであったから、大臣、按察使大納言の下の座に帰って来て着いた時は心苦しくさえ見えた。按察使大納言は自分こそこの光栄に浴そうとした者ではないか、うらやましいことであると心で思っていた。昔この宮の母君の女御に恋をしていて、その人が後宮にはいってからも始終忘られぬ消息を送っていたのであって、しまいにはまたお生みした姫宮を得たい心を起こすようになり、宮の御後見役代わりの御良人になることを人づてにお望み申し上げたつもりであったのが、その人はむだなことを知って奏上もしなかったのであったから、按察使は残念に思い、右大将は天才に生まれて来ているとしても、現在の帝がこうした婿かしずきをあそばすべきでない、禁廷の中のお居間に近い殿舎で一臣下が新婚の夢を結び、果ては宴会とか何とか派手なことをあそばすなどとは意を得ないなどとお譏り申し上げてはいたが、さすがに藤花の御宴に心が惹かれて参列していて、心の中では腹をたてていた。燭を手にして歌を文台の所へ置きに来る人は皆得意顔に見えたが、こんな場合の歌は型にはまった古くさいものが多いに違いないのであるから、わざわざ調べて書こうと筆者はしなかった。上流の人とても佳作が成るわけではないが、しるしだけに一、二を聞いて書いておく。次のは右大将が庭へ下りて藤の花を折って来た時に、帝へ申し上げた歌だそうである。
すべらぎのかざしに折ると藤の花及ばぬ枝に袖かけてけり
したり顔なのに少々反感が起こるではないか。
よろづ代をかけてにほはん花なれば今日をも飽かぬ色とこそ見れ
これは御製である。まただれかの作、
君がため折れるかざしは紫の雲に劣らぬ花のけしきか 世の常の色とも見えず雲井まで立ちのぼりける藤波の花
あとのは腹をたてていた大納言の歌らしく思われる。どの歌にも筆者の聞きそこねがあってまちがったところがあるかもしれない。だいたいこんなふうの歌で、感激させられるところの少ないもののようであった。 夜がふけるにしたがって音楽は佳境にはいっていった。薫が「あなたふと」を歌った声が限りもなくよかった。按察使も昔はすぐれた声を持った人であったから、今もりっぱに合わせて歌った。左大臣の七男が童の姿で笙の笛を吹いたのが珍しくおもしろかったので帝から御衣を賜わった。大臣は階下で舞踏の礼をした。もう夜明け近くなってから帝は常の御殿へお帰りになった。纏頭は高級官人と皇子がたへは帝から、殿上役人と楽人たちへは姫宮のほうから品々に等差をつけてお出しになった。 その翌晩薫は姫宮を自邸へお迎えして行ったのであった。儀式は派手なものであった。女官たちはほとんど皆お送りに来た。庇の御車に宮は召され、庇のない糸毛車が三つ、黄金作りの檳榔毛車が六つ、ただの檳榔毛車が二十、網代車が二つお供をした。女房三十人、童女と下仕えが八人ずつ侍していたのであるが、また大将家からも儀装車十二に自邸の女房を載せて迎えに出した。お送りの高級役人、殿上人、六位の蔵人などに皆華奢な服装をさせておありになった。 こうしてお迎えした女二の宮を、薫は妻として心安く観察するようになったが、宮はお美しかった。小柄で上品に落ち着いて、どこという欠点もお持ちにならないのを知って、自分の宿命というものも悪くはないようであると喜んだとはいうものの、それで過去の悲しい恋の傷がいやされたのでは少しもなかった。今もどんな時にも紛れる方もなく昔ばかりが恋しく思われる薫であったから、自分としては生きているうちにそれに対する慰めは得られないに違いない、仏になってはじめて、恨めしい因縁は何の報いであるということが判然することにより忘られることにもなろうと思い、寺の建築のことにばかり心が行くのであった。 賀茂の祭りなどがあって、世間の騒がしいころも過ぎた二十幾日に薫はまた宇治へ行った。建造中の御堂を見て、これからすべきことを命じてから、古山荘を訪ねずに行くのは心残りに思われて、そのほうへ車をやっている時、女車で、あまりたいそうなのではないが一つ、荒々しい東国男の腰に武器を携えた侍がおおぜい付き、下僕の数もおおぜいで、不安のなさそうな旅の一行が橋を渡って来るのが見えた。田舎風な連中であると見ながら下りて、大将は山荘の内にはいり、前駆の者などがまだ門の所で騒がしくしている時に見ると、宇治橋を来た一行もこの山荘をさして来るものらしかった。随身たちががやがやというのを薫は制して、だれかとあとから来る一行を尋ねさせてみると、妙ななまり声で、 「前常陸守様のお嬢様が初瀬のお寺へお詣りになっての帰りです。行く時もここへお泊まりになったのです」 と答えたのを聞いて、薫はそれであった、話に聞いた人であったと思い出して、従者たちは見えない所へ隠すようにして入れ、 「早くお車を入れなさい。もう一人ここへ客に来ている人はありますが、心安い方で隠れたお座敷のほうにおられますから」 とあとの人々へ言わせた。薫の供の人々も皆狩衣姿などで目にたたぬようにはしているが、やはり貴族に使われている人と見えるのか、はばかって皆馬などを後ろへ退らせてかしこまっていた。 車は入れて廊の西の端へ着けた。改造後の寝殿はまだできたばかりで御簾も皆は掛けてない。格子が皆おろしてある中の二間の間の襖子の穴から薫はのぞいていた。堅い上着が音をたてるのでそれは脱いで、直衣と指貫だけの姿になっていた。車の人はすぐにもおりて来ない、弁の尼の所へ人をやって、りっぱな客の来ていられる様子であるがどなたかというようなことを聞いているらしい。薫は車の主を問わせた時から山荘の人々に、自分が来ているとは決して言うなと口どめをまずしておいたので皆心得ていて、 「早くお降りなさいまし。お客様はおいでになりますが別のお座敷においでになります」 と言わせた。 若い女房が一人車からおりて主人のために簾を掲げていた。警固の物々しい騎士たちに比べてこの女房は物馴れた都風をしていた。年の行った女房がもう一人降りて来て、 「お早く」 と言う。 「何だか晴れがましい気がして」 と言う声はほのかであったが品よく聞こえた。 「またそれをおっしゃいます。こちらはこの前もお座敷が皆しまっていたではございませんか。あすこに人が見ねばどこに見る人がございましょう」 と女房はわかったふうなことを言う。恥ずかしそうにおりて来る人を見ると、その頭の形、全体のほっそりとした姿は薫に昔の人を思い出させるものであろうと思われた。扇をいっぱいに拡げて隠していて顔の見られないために薫は胸騒ぎを覚えた。車の床は高く、降りる所は低いのであったが、二人の女房はやすやすと出て来たにもかかわらず、苦しそうに下をながめて長くかかっておりた人は家の中へいざり入った。紅紫の袿に撫子色らしい細長を着、淡緑の小袿を着ていた。向こうの室は薫ののぞく襖子の向こうに四尺の几帳は立てられてあるが、それよりも穴のほうが高い所にあるためすべてがこちらから見えるのである。この隣室をまだ令嬢は気がかりに思うふうで、あちら向きになって身を横たえていた。 「ほんとうにお気の毒でございました。泉河の渡しも今日は恐ろしゅうございましたね。二月の時には水が少なかったせいかよろしかったのでございます」 「なあに、あなた、東国の道中を思えばこわい所などこの辺にはあるものですか」 実際女房は二人とも苦しい気もなくこんなことを言い合っているが、主人は何も言わずにひれ伏していた。袖から見える腕の美しさなども常陸さんなどと言われる者の家族とは見えず貴女らしい。薫は腰の痛くなるまで立ちすくんでいるのだったが、人のいるとは知らすまいとしてなおじっと動かずに見ていると、若いほうの女房が、 「まあよいにおいがしますこと、尼さんがたいていらっしゃるのでしょうか」 と驚いてみせた。老いたほうのも、 「ほんとうにいい香ね。京の人は何といっても風流なものですね。ここほどけっこうな所はないと御主人様は思召すふうでしたが、東国ではこんな薫香を合わせてお作りになることはできませんでしたね。尼さんはこうした簡単な暮らしをしていらっしゃってもよいものを着ていらっしゃいますわね、鈍色だって青色だって特別によく染まった物を使っていらっしゃるではありませんか」 と言ってほめていた。向こうのほうの縁側から童女が来て、 「お湯でも召し上がりますように」 と言い、折敷に載せた物をいろいろ運び入れた。菓子を近くへ持って来て、 「ちょっと申し上げます。こんな物を召し上がりません」 と令嬢を起こしているが、その人は聞き入れない。それで二人だけで栗などをほろほろと音をさせて食べ始めたのも、薫には見馴れぬことであったから眉がひそめられ、しばらく襖子の所を退いて見たものの、心を惹くものがあってもとの所へ来て隣の隙見を続けた。こうした階級より上の若い女を、中宮の御殿をはじめとしてそこここで顔の美しいもの、上品なものを多く知っているはずの薫には、格別すぐれた人でなければ目にも心にもとどまらないために、人からあまりに美の観照点が違い過ぎるとまで非難されるほどであって、今目の前にいるのは何のすぐれたところもある人と見えないのであるが、おさえがたい好奇心のわき上がるのも不思議であった。尼君は薫のほうへも挨拶を取り次がせてよこしたのであるが、御気分が悪いとお言いになって、しばらく休息をしておいでになると、従者がしかるべく断わっていたので、この姫君を得たいように言っておいでになったのであるから、こうした機会に交際を始めようとして、夜を待つために一室にこもっているのであろうと解釈して、こうしてその人が隣室をのぞいているとも知らず、いつもの薫の領地の支配者らが機嫌伺いに来て重詰めや料理を届けたのを、東国の一行の従者などにも出すことにし、いろいろと上手に計らっておいてから、姿を改めて隣室へ現われて来た。先刻ほめられていたとおりに身ぎれいにしていて、顔も気品があってよかった。 「昨日お着きになるかとお待ちしていたのですが、どうなすって今日もこんなにお着きがおそくなったのでしょう」 こんなことを弁の尼が言うと、老いたほうの女が、 「お苦しい御様子ばかりが見えますものですから、昨日は泉河のそばで泊まることにしまして、今朝も御無理なように見えましたから、そこをゆるりと立つことにしたものですから」 姫君を呼び起こしたために、その時やっとその人は起きてすわった。尼君に恥じて身体をそばめている側面の顔が薫の所からよく見える。上品な眸つき、髪のぐあいが大姫君の顔も細かによくは見なかった薫であったが、これを見るにつけてただこのとおりであったと思い出され、例のように涙がこぼれた。弁の尼が何か言うことに返辞をする声はほのかではあるが中の君にもまたよく似ていた。心の惹かれる人である、こんなに姉たちに似た人の存在を今まで自分は知らずにいたとは迂闊なことであった。これよりも低い身分の人であっても恋しい面影をこんなにまで備えた人であれば自分は愛を感ぜずにはおられない気がするのに、ましてこれは認められなかったというだけで八の宮の御娘ではないかと思ってみると、限りもなくなつかしさうれしさがわいてきた。今すぐにも隣室へはいって行き、「あなたは生きていたではありませんか」と言い、自身の心を慰めたい、蓬莱へ使いをやってただ証の簪だけ得た帝は飽き足らなかったであろう、これは同じ人ではないが、自分の悲しみでうつろになった心をいくぶん補わせることにはなるであろうと薫が思ったというのは宿縁があったものであろう。 尼君はしばらく話していただけであちらへ行ってしまった。女房らの不思議がっていたかおりを自身も嗅いで、薫ののぞいていることを悟ったためによけいなことは何も言わなかったものらしい。 日も暮れていったので、薫も静かに座へもどり、上着を被たりなどして、いつも尼君と話す襖子の口へその人を呼んで姫君のことなどを聞いた。 「都合よく私がここで落ち合うことになったのですが、どうでした私が前に頼んでおいた話は」 と薫が言うと、 「仰せを承りましてからは、よい機会があればとばかり待っていたのでございますが、そのうち年も暮れまして、今年になりましてから二月に初瀬参りの時にはじめてお逢いすることになったのでございます。お母さんにあなた様の思召しをほのめかしてみますと、大姫君とはあまりに懸隔のあるお身代わりでおそれおおいと申しておりましたが、ちょうどそのころはあなた様のほうにもお取り込みのございましたころで、お暇もないと承っておりましたし、こうした問題はことにまたお避けになる必要があると存じましてその御報告をいたしますことも控えておりました。ところがまたこの月にもお詣りをなさいまして、今日もお帰りがけにお寄りになったのでございます。往復に必ずおいでになりますのもお亡くなりになりました宮様をお慕いになるお心からでございましょう。お母さんがさしつかえがあって今度はお一人でお越しになったものですから、あなた様が御同宿あそばすなどとは申されないのでございます」 こう弁の尼は答えた。 「見苦しい出歩きを人に知らすまいと思って、客は私だと言うなと言っておきましたが、どこまで命令は守られることかあてにはならない。供の者などは口が軽いものですからね。だからいいではありませんか、一人で来ていられるのはかえって気安く思われますからね、こんなに深い因縁があって同じ所へ来合わせたと伝えてください」 と薫が言うと、 「にわかな御因縁話でございますね」と言い、 「それではそう申しましょう」 立って行こうとする弁に、
かほ鳥の声も聞きしにかよふやと繁みを分けてけふぞたづぬる
口ずさみのようにして薫はこの歌を告げたのを、姫君の所へ行って弁は話した。
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