と左大臣の息子の衛門督がそっと中宮へ申し上げたために、中宮も御心配をあそばし、帝も常から宮のお身持ちを気づかわしく思召していられたのであったから、これによっていっそう監視が厳重になり、兵部卿の宮を宮中から一歩もお出しにならぬような計らいをあそばされた。そして左大臣の六女との結婚はお諾しにならなかった宮へ、強制的にその人を夫人になさしめたもうというようなこともお定めになった。中納言はそれを聞いて憂鬱になっていた。自分があまりに人と変わり過ぎているのである、どんな宿命でか八の宮が姫君たちを気がかりに仰せられた言葉も忘られなかったし、またその女王たちもすぐれた女性であるのを発見してからは、世間に無視されていることがあまりに不合理に惜しいことに思われ、人の幸福な夫人にさせたいことが念頭を去らなかったし、ちょうど兵部卿の宮も熱心に希望あそばされたことであったために、自分の対象とする姫君は違っているのに、今一人の女王を自分に娶らせようと当の人がされるのをうれしくなく思うところから、宮とその方とを結ばせてしまった。今思うとそれは軽率なことであった。二人とも自分の妻にしても非難する人はなかったはずである、今さら取り返されるものではないが、愚かしい行動をしたと煩悶をしているのである。 宮はまして宇治の女王がお心にかからぬ時とてもなかった。恋しくお思いになり、知らぬまにどんなことになっているかもしれぬという不安もお覚えになるのである。 「非常にお気に入った人がおありになるのだったら、私の女房の一人にしてここへ来させて、目だたない愛しようをしていればいいでしょう。あなたは東宮様、二の宮さんに続いて特別なものとして未来の地位をお上はお考えになっていらっしゃるのですから、軽率な恋愛問題などを起こして、人から指弾されるのはよろしくありませんからね」 こんなふうに中宮は始終御忠告をあそばされるのであった。 はげしく時雨が降って御所へまいる者も少ない日、兵部卿の宮は姉君の女一の宮の御殿へおいでになった。お居間に侍している女房の数も多くなくて、姫君は今静かに絵などを御覧になっているところであった。几帳だけを隔てにしてお二方はお話しになった。限りもない気品のある貴女らしさとともに、なよなよとした柔らかさを備えたもうた姫宮を、この世にこれ以上の高華な美を持つ女性はなかろうと、昔から兵部卿の宮は思っておいでになって、これに近い人というのは冷泉院の内親王だけであろうと信じておいでになり、世間から受けておいでになる尊敬の度も、御容姿も、御聡明さも人のお噂する言葉から想像されて、宮の覚えておいでになる院の宮への恋を、なんらお通じになる機会というものがなく、しかも忘れる時なく心に持っておいでになる兵部卿の宮なのであるが、あの宇治の山里の人の可憐で高い気品の備わったところなどは、これらの最高の貴女に比べても劣らないであろうと、姉君のお姿からも中の君が聯想されて、恋しくてならず思召す心の慰めに、そこに置かれてあったたくさんな絵を見ておいでになると、美しい彩色絵の中に、恋する男の住居などを描いたのがあって、いろいろな姿の山里の風景も添っていた。恋人の宇治の山荘の景色に似たものへお目がとまって、姫君の御了解を得てこの絵は中の君へ送ってやりたいと宮はお思いになった。伊勢物語を描いた絵もあって、妹に琴を教えていて、「うら若みねよげに見ゆる若草を人の結ばんことをしぞ思ふ」と業平が言っている絵をどんなふうに御覧になるかと、お心を引く気におなりになり、少し近くへお寄りになって、 「昔の人も同胞は隔てなく暮らしたものですよ。あなたは物足らないお扱いばかりをなさいますが」 とお言いになったのを、姫宮はどんな絵のことかと思召すふうであったから、兵部卿の宮はそれを巻いて几帳の下から中へお押しやりになった。下向きになってその絵を御覧になる一品の宮のお髪が、なびいて外へもこぼれ出た片端に面影を想像して、この美しい人が兄弟でなかったならという心持ちに匂宮はなっておいでになった。おさえがたいそうした気分から、
若草のねみんものとは思はねど結ぼほれたるここちこそすれ
こんなことを申された。姫宮に侍している女房たちは匂宮の前へ出るのをことに恥じて皆何かの後ろへはいって隠れているのである。ことにもよるではないか、不快なことを言うものであると思召す姫宮は、何もお言いにならないのであった。この理由から「うらなく物の思はるるかな」と答えた妹の姫も蓮葉な気があそばされて好感をお持ちになることができなかった。六条院の紫夫人が宮たちの中で特にこのお二人を手もとでおいつくしみしたのであったから、最も親しいものにして双方で愛しておいでになった。姫宮を中宮は非常にお大事にあそばして、よきが上にもよくおかしずきになるならわしから、侍女なども精選して付けておありになった。少しの欠点でもある女房は恥ずかしくてお仕えができにくいのである。貴族の令嬢が多く女房になっていた。移りやすい心の兵部卿の宮は、そうした中に物新しい感じのされる人を情人にお持ちになりなどして、宇治の人をお忘れになるのではないながらも、逢いに行こうとはされずに日がたった。 待つほうの人からいえば、これが長い時間に思われて、やはりこんなふうにして忘られてしまうのかと、心細く物思いばかりがされた。そんなころにちょうど中納言が訪ねて来た。総角の姫君が病気になったと聞いて見舞いに来たのである。ちょっとしたことにもすぐ影響が現われてくるというほどの病体ではなかったが、姫君はそれに託して対談するのを断わった。 「おしらせを聞くとすぐに、驚いて遠い路を上がった私なのですから、ぜひ御病床の近くへお通しください」 と言って、不安でこのままでは帰れぬふうを見せるために、女王の病室の御簾の前へ座が作られ、薫はそこへ行った。困ったことであると姫君は苦しがっていたが、そう冷ややかなふうは見せるのでもなかった。頭を枕から上げて返辞などをした。宮が御意志でもなくお寄りにならなかった紅葉の船の日のことを薫は言い、 「気永に見ていてください。はらはらとお心をつかってお恨みしたりなさらないように」 などと教えるようにも言う。 「私は格別愚痴をこぼしたりはいたしませんが、亡くなられました宮様が、御教訓を残してお置きになりましたのは、こうしたこともあらせまい思召しかと思いまして、あの人がかわいそうでございます」 それに続いて大姫君の歎く気配がした。心苦しくて、薫は自身すらも恥ずかしくなって、 「人生というものは、何も皆思いどおりにいくものではありませんからね。そんなことには少しも経験をお持ちにならないあなたがたにとっては、恨めしくばかりお思われになることもあるでしょうが、まあしいてもそれを静めて時をお待ちなさい。決してこのまま悪くなっていく御縁ではないと私は信じています」 などと言いながらも、自身のことでなく他の人の恋でこの弁明はしているのであると思うと、奇妙な気がしないでもなかった。夜になるときまって苦しくなる病状であったから、他人が病室の近くに来ていることは中の君が迷惑することと思って、やはりいつもの客室のほうへ寝床をしつらえて人々が案内を申し出るのであったが、 「始終気がかりでならなく思われる方が、ましてこんなふうにお悪くなっておいでになるのを聞くと、すぐにも上がった私を、病室からお遠ざけになるのは無意味ですよ。こんな場合のお世話なんぞも、私以外のだれが行き届いてできますか」 などと、老女の弁に語って、始めさせる祈祷についての計らいも薫はした。そんなことは恥ずかしい、死にたいとさえ思うほどの無価値な自分ではないかと大姫君は聞いていて思うのであったが、好意を持ってくれる人に対して、思いやりのないように思われるのも苦しくて、まあ生きていてもよいという気になったという、こんな、優しい感情もある女王なのであった。 次の朝になって、薫のほうから、 「少し御気分はおよろしいようですか。せめて昨日ほどにでもしてお話がしたい」 と、言ってやると、 「次第に悪くなっていくのでしょうか、今日はたいへん苦しゅうございます。それではこちらへ」 という挨拶があった。中納言は哀れにそれを聞いて、どんなふうに苦しいのであろうと思い、以前よりも親しみを見せられるのも悪くなっていく前兆ではあるまいかと胸騒ぎがし、近く寄って行きいろいろな話をした。 「今私は苦しくてお返辞ができません。少しよくなりましたらねえ」 こうかすかな声で言う哀れな恋人が心苦しくて、薫は歎息をしていた。さすがにこうしてずっと今日もいることはできない人であったから、気がかりにしながらも帰京をしようとして、 「こういう所ではお病気の際などに不便でしかたがない。家を変えてみる療法に託してしかるべき所へ私はお移ししようと思う」 などと言い置き、御寺の阿闍梨にも熱心に祈祷をするように告げさせて山荘を出た。 薫の従者でたびたびの訪問について来た男で山荘の若い女房と情人関係になった者があった。二人の中の話に、兵部卿の宮には監視がきびしく付き、外出を禁じられておいでになることを言い、 「左大臣のお嬢さんと御結婚をおさせになることになっているのだが、大臣のほうでは年来の志望が達せられるので二つ返辞というものなのだから、この年内に実現されることだろう。宮はその話に気がお進みにならないで、御所の中で放縦な生活をして楽しんでおいでになるから、お上や中宮様の御処置も当を得なかったわけになるのだね。自家の殿様は決してそんなのじゃない、あまりまじめ過ぎる点で皆が困っているほどなのだ。ここへこうたびたびおいでになることだけが驚くべき御執心を一人の方に持っておられると言ってだれも感心していることだ」 とも言った。こんな話を聞きましたと、その女が他の女房たちの中で語っているのを中の君は聞いて、ふさがり続けた胸がまたその上にもふさがって、もういよいよ自分から離れておしまいになる方と解釈しなければならない、りっぱな夫人をお得になるまでの仮の恋を自分へ運んでおいでになったにすぎなかったのであろう、さすがに中納言などへのはばかりで手紙だけは今でも情のあるようなことを書いておよこしになるのであろうと考えられるのであったが、恨めしいと人の思うよりも、恥ずかしい自身の置き場がない気がして、しおれて横になっていた。病女王はそれが耳にはいった時から、いっそうこの世に長くいたいとは思われなくなった。つまらぬ女たちではあるが、その人たちもどんなにこの始末を嘲笑して思っているかもしれぬと思われる苦しさから、聞こえぬふうをして寝ているのであった。中の君は物思いをする人の姿態といわれる肱を枕にしたうたた寝をしているのであるが、その姿が可憐で、髪が肩の横にたまっているところなどの美しいのを、病女王はながめながら、親のいさめ(たらちねの親のいさめしうたた寝云々)の言葉というものがかえすがえす思い出されて悲しくなり、あの世の中でも罪の深い人の堕ちる所へ父君は行っておいでにはなるまい、たとえどこにもせよおいでになる所へ自分を迎えてほしい、こんなに悲しい思いばかりを見ている自分たちを捨ててお置きになって、父君は夢にさえも現われてきてはくださらないではないかと思い続けて、夕方の空の色がすごくなり、時雨が降り、木立ちの下を吹き払う風の音を寂しく聞きながら、過去のこと、のちの日のことをはかなんで病床にいる姿には、またもない品よさが備わり、白の衣服を着て、頭は梳くこともしないでいるのであるが、もつれたところもなくきれいに筋がそろったまま横に投げやりになっている髪の色に少し青みのできたのも艶な趣を添えたと見える。目つき額つきの美しさはすぐれた女の顔というもののよくわかる人に見せたいようであった。うたた寝していたほうの女王は、荒い風の音に驚かされて起き上がった。山吹の色、淡紫などの明るい取り合わせの着物は着ていたが顔はまたことさらに美しく、染めたように美しく、花々とした色で、物思いなどは少しも知らぬというようにも見えた。 「お父様を夢に見たのですよ。物思わしそうにして、ちょうどこの辺の所においでになりましたわ」 と言うのを聞いて病女王の心はいっそう悲しくなった。 「お亡れになってから、どうかして夢の中ででもお逢いしたいと私はいつも思っているのに少しも出ておいでにならないのですよ」 と言ったあとで、二人は非常に泣いた。このごろは明け暮れ自分が思っているのであるから、ふと出ておいでになることもあったのであろう、どうしても父君のおそばへ行きたい、人の妻にもならず、子なども持たない清い身を持ってあの世へ行きたい、と大姫君は来世のことまでも考えていた。支那の昔にあったという反魂香も、恋しい父君のためにほしいとあこがれていた。暗くなってしまったころに兵部卿の宮のお使いが来た。こうした一瞬間は二女王の物思いも休んだはずである。中の君はすぐに読もうともしなかった。 「やっぱりおとなしくおおような態度を見せてお返事を書いておあげなさい。私がこのまま亡くなれば、今以上にあなたは心細い境遇になって、どんな人の媒介役を女房が勤めようとするかもしれないのですからね。私はそれが気がかりで、心の残る気もしますよ。でもこの方が時々でも手紙を送っておいでになるくらいの関心をあなたに持っていらっしゃる間は、そんな無茶なことをしようとする女もなかろうと思うと、恨めしいながらもなお頼みにされますよ」 と姫君が言うと、 「先に死ぬことなどをお思いになるのはひどいお姉様。悲しいではありませんか」 中の君はこう言って、いよいよ夜着の中へ深く顔を隠してしまった。 「自分の命が自分の思うままにはならないのですからね。私はあの時すぐにお父様のあとを追って行きたかったのだけれど、まだこうして生きているのですからね。明日はもう自分と関係のない人生になるかもしれないのに、やはりあとのことで心を苦しめていますのも、だれのために私が尽くしたいと思うからでしょう」 と大姫君は灯を近くへ寄せさせて宮のお手紙を読んだ。いつものようにこまやかな心が書かれ、
ながむるは同じ雲井をいかなればおぼつかなさを添ふる時雨ぞ
とある。袖を涙で濡らすというようなことがあの方にあるのであろうか、男のだれもが言う言葉ではないかと見ながらも怨めしさはまさっていくばかりであった。 世にもまれな美男でいらせられる方が、より多く人に愛されようと艶に作っておいでになるお姿に、若い心の惹かれていぬわけはない。隔たる日の遠くなればなるほど恋しく宮をお思いするのは中の君であって、あれほどに、あれほどな誓言までしておいでになったのであるから、どんなことがあってもこのままよその人になっておしまいになることはあるまいと思いかえす心が常に横にあった。お返事を今夜のうちにお届けせねばならぬと使いが急がし立てるために、女房が促すのに負けて、ただ一言だけを中の君は書いた。
あられ降る深山の里は朝夕にながむる空もかきくらしつつ
それは十月の三十日のことであった。 逢わぬ日が一月以上になるではないかと、宮は自責を感じておいでになりながら、今夜こそ今夜こそと期しておいでになっても、障りが次から次へと多くてお出かけになることができないうちに、今年の五節は十一月にはいってすぐになり、御所辺の空気ははなやかなものになって、それに引かれておいでになるというのでもなく、わざわざ宇治をお訪ねになろうとしないのでもなく、日が紛れてたっていく。 この間を宇治のほうではどんなに待ち遠に思ったかしれない。かりそめの情人をお作りになってもそんなことで慰められておいでになるわけではなく、宮の恋しく思召す人はただ一人の中の君であった。左大臣家の姫君との縁組みについて、中宮も今では御譲歩をあそばして、 「あなたにとって強大な後援者を結婚で得てお置きになった上で、そのほかに愛している人があるなら、お迎えになって重々しく夫人の一人としてお扱いになればよろしいではないか」 と仰せられるようになったが、 「もうしばらくお待ちください。私に考えがあるのですから」 となおいなみ続けておいでになる兵部卿の宮であった。かりそめの恋人は作っても、勢いのある正妻などを持ってあの人に苦しい思いはさせたくないと宮の思っておいでになることなどは、宇治へわからぬことであったから、月日に添えて物思いが加わるばかりである。 薫も宮を自分の観察していたよりも軽薄なお心であった、世間で見ているような方ではないとお信じ申していて、宇治の女王たちへ取りなしていたのが恥ずかしくなり、女のほうを心からかわいそうに思って、あまり宮へ近づいてまいらないようになった。そして山荘のほうへは病む女王の容体を聞きにやることを怠らなかった。 十一月になって少しよいという報告を薫は得ていて、それがちょうど公私の用の繁多な時であったため、五、六日見舞いの使いを出さずにいたことを急に思い出して、まだいろいろな用のあったのも捨てておいて自身で出かけて行った。祈祷は恢復するまでとこの人から命じてあったのであったのに、少し快いようになったからといって阿闍梨も寺へ帰してあった。それで山荘のうちはいっそう寂寞たるものになっていた。例の弁が出て来て病女王のことを報告した。 「どこがお痛いというところもございませんような、御大病とは思えぬ御容体でおありになりながら、物を少しも召し上がらないのでございますよ。だいたい御体質が繊弱でいらっしゃいますところへ、兵部卿の宮様のことが起こってまいりましてからは、ひどく物思いをばかりなさいます方におなりになりまして、ちょっとしたお菓子をさえも召し上がろうとはなさらなかったおせいでございますよ、御衰弱がひどうございましてね、頼み少ないふうになっておしまいになりました。私は情けない長命をいたしまして、悲しい目にあいますより前に死にたいと念じているのでございます」 と言い終えることもできぬように泣くのが道理に思われた。 「なぜそれをどなたもどなたも私へ知らせてくださらなかったのですか。冷泉院のほうにも御所のほうにもむやみに御用の多い幾日だったものですから、私のほうの使いも出しかねていた間に、ずいぶん御心配していたのです」 と言って、この前の病室にすぐ隣った所へはいって行った。枕に近い所に坐して薫はものを言うのであったが、声もなくなったようで姫君の返辞を聞くことができない。 「こんなに重くおなりになるまで、どなたもおしらせくださらなかったのが恨めしい。私がどんなに御心配しているかが、皆さんに通じなかったのですか」 と言い、まず御寺の阿闍梨、それから祈祷に効験のあると言われる僧たちを皆山荘へ薫は招いた。祈祷と読経を翌日から始めさせて、手つだいの殿上役人、自家の侍たちが多く呼び寄せられ、上下の人が集まって来たので、前日までの心細げな山荘の光景は跡もなく、頼もしく見られる家となった。日が暮れると例の客室へ席を移すことを女房たちは望み、湯漬けなどのもてなしをしようとしたのであるが、来ることのおくれた自分は、今はせめて近い所にいて看病がしたいと薫は言い、南の縁付きの室は僧の室になっていたから、東側の部屋で、それよりも病床に密接している所に屏風などを立てさせてはいった。これを中の君は迷惑に思ったのであるが、薫と姫君との間柄に友情以上のものが結ばれていることと信じている女房たちは、他人としては扱わないのであった。 初夜から始めさせた法華経を続けて読ませていた。尊い声を持った僧の十二人のそれを勤めているのが感じよく思われた。灯は僧たちのいる南の室にあって、内側の暗くなっている病室へ薫はすべり入るようにして行って、病んだ恋人を見た。老いた女房の二、三人が付いていた。中の君はそっと物蔭へ隠れてしまったのであったから、ただ一人床上に横たわっている総角の病女王のそばへ寄って薫は、 「どうしてあなたは声だけでも聞かせてくださらないのですか」 と言って、手を取った。 「心ではあなたのおいでになったことがわかっていながら、ものを言うのが苦しいものですから失礼いたしました。しばらくおいでにならないものですから、もうお目にかかれないままで死んで行くのかと思っていました」 息よりも低い声で病者はこう言った。 「あなたにさえ待たれるほど長く出て来ませんでしたね、私は」 しゃくり上げて薫は泣いた。この人の頬に触れる髪の毛が熱で少し熱くなっていた。 「あなたはなんという罪な性格を持っておいでになって、人をお悲しませになったのでしょう。その最後にこんな病気におなりになった」 耳に口を押し当てていろいろと薫が言うと、姫君はうるさくも恥ずかしくも思って、袖で顔をふさいでしまった。平生よりもなおなよなよとした姿になって横たわっているのを見ながら、この人を死なせたらどんな気持ちがするであろうと胸も押しつぶされたように薫はなっていた。 「毎日の御介抱が、御心配といっしょになってたいへんだったでしょう。今夜だけでもゆっくりとお休みなさい。私がお付きしていますから」 見えぬ蔭にいる中の君に薫がこう言うと、不安心には思いながらも、何か直接に話したいことがあるのであろうと思って、若い女王は少し遠くへ行った。真向うへ顔を持ってくるのでなくても、近く寄り添って来る薫に、大姫君は羞恥を覚えるのであったが、これだけの宿縁はあったのであろうと思い、危険な線は踏み越えようとしなかった同情の深さを、今一人の男性に比べて思うと、一種の愛はわく姫君であった。死んだあとの思い出にも気強く、思いやりのない女には思われまいとして、かたわらの人を押しやろうとはしなかった。 一夜じゅうかたわらにいて、時々は湯なども薫は勧めるのであったが、少しもそれは聞き入れなかった。悲しいことである、この命をどうして引きとめることができるであろうと薫は思い悩むのであった。不断経を読む僧が夜明けごろに人の代わる時しばらく前の人と同音に唱える経声が尊く聞こえた。阿闍梨も夜居の護持僧を勤めていて、少し居眠りをしたあとでさめて、陀羅尼を読み出したのが、老いたしわがれ声ではあったが老巧者らしく頼もしく聞かれた。 「今夜の御様子はいかがでございますか」 などと阿闍梨は薫に問うたついでに、 「宮様はどんな所においでになりましょう。必ずもう清浄な世界においでになると私は思っているのですが、先日の夢にお見上げすることができまして、それはまだ俗のお姿をしていられまして、人生を深くいとわしい所と信じていたから、執着の残ることは何もなかったのだが、少し心配に思われる点があって、今しばらくの間志す所へも行きつかずにいるのが残念だ。こうした私の気持ちを救うような方法を講じてくれとはっきりと仰せられたのですが、そうした場合に速く何をしてよろしいか私にはよい考えが出ないものですから、ともかくもできますことでと思いまして、修行の弟子五、六人にある念仏を続けさせております。それからまた気づきまして常不軽の行ないに弟子を歩かせております」 こんなことを言うのを聞いて薫は非常に泣いた。父君の成仏の道の妨げをさえしているかと病女王もそれを聞いて、そのまま息も絶えんばかりに悲しんだ。ぜひとも父君がまだ冥府の道をさまよっておいでになるうちに自分も行って、同じ所へまいりたいと思うのであった。阿闍梨は多く語らずに座を立って行った。 この常不軽の行はこの辺の村々をはじめとして、京の町々にまでもまわって家々の門に額を突く行であって、寒い夜明けの風を避けるために、師の阿闍梨のまいっている山荘へはいり、中門の所へすわって回向の言葉を述べているその末段に言われることが、故人の遺族の身にしみじみとしむのであった。客である中納言も仏に帰依する人であったから、これも泣きながら聞いていた。 中の君が姉君を気づかわしく思うあまりに病床に近く来て、奥のほうの几帳の蔭に来ている気配を薫は知り、居ずまいを正して、 「不軽の声をどうお聞きになりましたか、おごそかな宗派のほうではしないことですが尊いものですね」 と言い、また、
霜さゆる汀の千鳥うちわびて鳴く音悲しき朝ぼらけかな
これをただ言葉のようにして言った。 恨めしい恋人に似たところのある人とは思うが返辞の声は出しかねて、弁に代わらせた。
あかつきの霜うち払ひ鳴く千鳥もの思ふ人の心をや知る
あまりに似合わしくない代わり役であったが、つたなくもない声づかいで弁はこの役を勤めた。こうした言葉の贈答にも、遠慮深くはありながらなつかしい才気のにおいの覚えられるこの女王とも、姉女王を死が奪ったあとではよそよそになってしまわねばならぬではないか、何もかも失うことになればどんな気がするであろうと薫は恐ろしいことのようにさえ思った。阿闍梨の夢に八の宮が現われておいでになったことを思っても、このいたましい二人の女王があの世からお気がかりにお見えになることかもしれぬと思われる薫は、山の御寺へも誦経の使いを出し、そのほかの所々へも読経をさせる使いをすぐに立てた。宮廷のほうへも、私邸のほうへもお暇を乞い、神々への祭り、祓までも隙なくさせて姫君の快癒のみ待つ薫であったが、見えぬ罪により得ている病ではないのであったから、効験は現われてこなかった。病者自身が、生かせてほしいと仏に願っておればともかくであるが、女王にすれば、病になったのを幸いとして死にたいと念じていることであるから、祈祷の効目もないわけである。死ぬほうがよい、中納言がこうしてつききりになっていて介抱をされるのでは、癒ったあとの自分はその妻になるよりほかの道はない、そうかといって、今見る熱愛とのちの日の愛情とが変わり、自分も恨むことになり、煩悶が絶えなくなるのはいとわしい。もしこの病で死ぬことができなかった場合には、病身であることに託して尼になろう、そうしてこそ互いの愛は永久に保たれることになるのであるから、ぜひそうしなければならぬと姫君は深く思うようになって、死ぬにしても、生きるにしても出家のことはぜひ実行したいと考えるのであるが、そんな賢げに聞こえることは薫に言い出されなくて、中の君に、 「私の病気は癒るのでないような気がしますからね、仏のお弟子になることによって、命の助かる例もあると言いますから、あなたからそのことを阿闍梨に頼んでください」 こう言ってみた。皆が泣いて、 「とんでもない仰せでございます。あんなに御心配をしていらっしゃいます中納言様がどれほど御落胆あそばすかしれません」
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