雲のゐる峰のかけぢを秋霧のいとど隔つる頃にもあるかな
そのあとで歎息するらしい息づかいの聞こえるのも非常に哀れであった。若い男の感情を刺激するような美しいものなどは何もない山荘ではあるが、こうした心苦しさから辞し去ることが躊躇される薫であった。しかも明るくなっていくことは恐ろしくて、 「お近づきしてかえってまた飽き足りません感を与えられましたが、もう少しおなじみになりましてからお恨みも申し上げることにしましょう。お恨みというのは形式どおりなお取り扱いを受けましたことで、誠意がわかっていただけなかったことです」 こんな言葉を残したままあちらへ行った。そして宿直の侍が用意してあった西向きの座敷のほうで休息した。 「網代に人がたくさん寄っているようだが、しかも氷魚は寄らないようじゃないか、だれの顔も寂しそうだ」 などと、たびたび供に来てこの辺のことがよくわかるようになっている薫の供の者は庭先で言っている。貧弱な船に刈った柴を積んで川のあちらこちらを行く者もあった。だれも世を渡る仕事の楽でなさが水の上にさえ見えて哀れである。自分だけは不安なく玉の台に永住することのできるようにきめてしまうことは不可能な人生であるなどと薫は考えるのであった。薫は硯を借りて奥へ消息を書いた。
橋姫の心を汲みて高瀬さす棹の雫に袖ぞ濡れぬる
寂しいながめばかりをしておいでになるのでしょう。
そしてこれを侍に持たせてやった。その男は寒そうに鳥肌になった顔で、女王の居間のほうへ客の手紙を届けに来た。返事を書く紙は香の焚きこめたものでなければと思いながら、それよりもまず早くせねばと、
さしかへる宇治の川長朝夕の雫や袖をくたしはつらん
身も浮かぶほどの涙でございます。
大姫君は美しい字でこう書いた。こんなことも皆ととのった人であると薫は思い、心が多く残るのであったが、 「お車が京からまいりました」 と言って、供の者が促し立てるので、薫は侍を呼んで、 「宮様がお帰りになりますころにまた必ずまいります」 などと言っていた。濡れた衣服は皆この侍に与えてしまった。そして取り寄せた直衣に薫は着がえたのであった。 薫は帰ってからも宇治の老女のした話が気にかかった。また姫君たちの想像した以上におおような、柔らかい感じのする美しい人であった面影が目に残って、捨て去ることは容易でない人生であることが心弱く思われもした。薫は消息を宇治の姫君へ書くことにした。それは恋の手紙というふうでもなかった。白い厚い色紙に、筆を撰んで美しく書いた。
突然に伺った者が多く語り過ぎると思召さないかと心がひけまして、何分の一もお話ができませんで帰りましたのは苦しいことでした。ちょっと申し上げましたように、今後はお居間の御簾の前へ御安心くだすって私の座をお与えください。お山ごもりがいつで終わりますかを承りたく思います。そのころ上がりまして、宮様にお目にかかれませんでした心を慰めたく存じております。
などとまじめに言ってあるのを、使いに出す左近将監である人に渡して、あの老女に逢って届けるようにと薫は命じた。宿直の侍が寒そうな姿であちこちと用に歩きまわったのを哀れに思い出して、大きな重詰めの料理などを幾つも作らせて贈るのであった。そのまた宮のおこもりになった寺のほうへも薫は贈り物を差し上げた。山ごもりの僧たちも寒さに向かう時節であるから心細かろうと思いやって、宮からその人々へ布施としてお出しになるようにと絹とか、綿とかも多く贈った。 お籠りを済ませて寺からお帰りになろうとされる日であったから、ごいっしょにこもった法師たちへ、綿、絹、袈裟、衣服などをだれにも一つずつは分かたれるようにして、全体へ宮からお下賜になった。 宿直の侍は薫の脱いで行った艶な狩衣、高級品の白綾の衣服などの、なよなよとして美しい香のするのを着たが、自身だけは作り変えることができないのであるから似合わしくない香が放散するのを、だれからも怪しまれるので迷惑をしていた。着物のために不行儀もできず、人の驚異とする高いにおいをなくしたいと思ったが、すすぐことのできないのに苦しんでいるのも滑稽であった。 薫は姫君の返事の感じよく若々しく書かれたのを見てうれしく思った。 宇治では寺からお帰りになった宮へ、女房たちが薫から手紙の送られたことを申し上げてそれをお目にかけた。 「これは求婚者扱いに冷淡になどする性質の相手ではないよ。そんなふうを見せてはかえってこちらの恥になるよ。普通の若者とは違ったすぐれた人格者だから、自分がいなくなったらと、こんなことをただ一言でも言っておけば遺族のために必ず尽くしてくれる心だと私は見ている」 などと宮はお言いになった。 宮から山寺の客に過ぎた見舞いの品々の贈られた好意を感謝するというお手紙をいただいたので、また宇治へ御訪問をしようと思った薫は、匂宮がああしたような、人に忘られた所にいる佳人を発見するのはおもしろいことであろう、予期以上に接近して心の惹かれる恋がしてみたいと、そんな空想をしておいでになることを思い、宇治の女王たちの話を、やや誇張も加えてお告げすることによって、宮のお心を煽動してみようと思い、閑暇な日の夕方に兵部卿の宮をお訪ねしに行った。例のとおりにいろいろな話をしたあとで、薫は宇治の宮のことを語り出した。霧の夜明けに隙見したことをくわしく説明するのには宮も興味を覚えておいでになった。理想的な姫君だったと、薫はおおげさに技巧を用いて宇治の女王の美を語り続けるのであった。 「その女王のお返事を、なぜ私に見せてくれなかったのですか。私だったら親友には見せるがね」 と宮はお恨みになった。 「そうですね。あなたはたくさんのお手もとへまいる手紙の片端すらお見せになりません。あちらの女王がたのことは私のような欠陥のある人間などの対象にしておくべきではありませんから、ぜひあなたのお目にかけたい方々だと思っているのですが、どんなふうにすれば御接近ができるでしょう。身分のない者は恋愛がしたければ自由に恋愛もできるのですから、皆それ相当におもしろい恋愛生活はしているようですがね。男の興味を惹くような女が物思いをしながら、世間の目から隠れて住んでいるようなことも郊外とか田舎とかにはあるのですね。その話の女性たちも人間離れのした信心くさい、堅い感じのする人たちであろうと、私は長く軽蔑して考えていまして、少しも興味が持てなかったものです。ほのかな月の光で見た目が誤っておりませんでしたら、確かに欠点のない美人です。様子といい、身のとりなしといい、それだけの人は美の極致としてよいことになるかと思います」 と薫は言うのである。しまいには宮は真心から、普通の人などに心の惹かれることのない人がこれほど熱心にたたえるのはすぐれた美貌の主に違いないとお信じになるようになり、非常な興味を宇治の女王たちにお持ちになることになった。 「今後もよくさぐって来て私に知らせてください」 宮はこうお言いになって、御自身の自由の欠けた尊貴さをいとわしくお思いになるふうまでもお見せになるのを、薫はおかしく思った。 「しかし、そうした危険なことはしないほうがいいですね。この世へ執着を作るべきでないという信念を持っております私が、そうした中へはいって行って、自分ながら抑制できませんようなことになっては、すべての理想がこわれてしまうでしょうから」 「たいそうだね、例のとおりの坊様くさいことを言っている君のその態度がいつまで続くか見たいものだ」 宮はお笑いになった。 薫の心は宇治の宮で老女がほのめかした話からまた古い疑問が擡頭していて、人生が悲しく見えてならないこのごろであったから、美しい感じを受けたことにも、ほかから耳にはいってくるすぐれた女性の噂などにも自身は興味をそう持てないのであった。 十月になって五、六日ごろに薫は宇治へ出かけた。 「季節ですから網代の漁をさせてごらんになるとおもしろうございます」 と進言する従者もあったが、 「そんなことはいやだ。こちらも氷魚とか蜉蝣とかに変わらないはかない人間だからね」 としりぞけて、多数の人はつれずに身軽に網代車に乗り、作らせてあった平絹の直衣指貫をわざわざ身につけて行った。宮は非常にお喜びになり、この土地特有な料理などを作らせておもてなしになった。日が暮れてからは灯を近くへお置きになり、薫といっしょに研究しておいでになった経文の解釈などについて阿闍梨をも寺からお迎えになって意見をお言わせになったりもした。主客ともに睡ることなしに夜通し宗教を談じているのであるが、荒く吹く河風、木の葉の散る音、水の響きなどは、身にしむという程度にはとどまらずに恐怖をさえも与える心細い山荘であった。もう明け方に近いと思われる時刻になって、薫は前の月の霧の夜明けが思い出されるから、話を音楽に移して言った。 「先日霧の濃く降っておりました明け方に、珍しい楽音を、ただ一声と申すほど伺いまして、それきりおやめになって聞かせていただけませんでしたことが残念に思われてなりません」 「色も香も思わない人に私がなってからは音楽のことなどにもうとくなるばかりで皆忘れていますよ」 宮はこうお言いになりながらも、侍に命じて琴をお取り寄せになった。 「こんなことをするのが不似合いになりましたよ。導いてくださるものがあると、それにひかれて忘れたものも思い出すでしょうから」 と言って、琵琶をも薫のためにお出させになった。薫はちょっと手に取って、調べてみたが、 「ほのかに承った時のこれが楽器とは思われません。特別な琵琶であるように思いましたのは、やはり弾き手がお違いになるからでございました」 と言って、熱心に弾こうとはしなかった。 「とんでもない誤解ですよ。あなたの耳にとまるような芸がどこからここへ伝わってくるものですか、誤解ですよ」 宮はこうお言いになりながら琴をお弾きになるのであったが、それは身にしむ音で、すごい感じがした。庭の松風の伴奏がしからしめるのかもしれない。忘れたというふうにあそばしながら一つの曲の一節だけを弾いて宮はおやめになった。 「私の家では時々鳴ることのある十三絃はちょっとおもしろい手筋のように思われることもありますが、私が熱心に見てやらなくなってもう長くなりますからね。現在家の者の弾いているものは皆前の川の波音を標準にして稽古をしているだけの我流の芸にすぎません。むろん普通の拍子には合わないものになっているのですよ」 そのあとで、 「箏の琴をお弾きなさい」 と姫君の居間のほうへ言っておやりになったが、 「何も知らずに弾いていたのを、聞かれただけでも恥ずかしいのに、公然とまずいものをお聞かせできるものでない」 女王は二人とも弾くのを肯じない。父宮はたびたび勧めにおやりになったが、何かと口実を作って断わり、弾こうと姫君たちのしないのを薫は残念に思った。宮は片親でお育てになった姫君たちが素直にお言葉どおりのことをしないのを恥ずかしく思召すふうであった。 「女の子供のいることをなるべく人に知らせたくないと思ってね、私はだれも頼まずに自分の手だけで教育もしてきたのですが、もういつどうなるかもしれぬ命になってみると、さすがにまだ若い者は将来どんなふうにおちぶれてしまうことかと、その気がかりだけがこの世を辞して行く際の道の障りになる気がするのです」 とお言いになるのに、薫は心苦しいことであると同情された。 「表だちました責任者になりませんでも、私の力でお尽くしのできますことだけは私がいたしますから、御信用くだすっていいと存じております。しばらくでもあなた様よりあとに残って生きているといたしますれば、こうしたお言葉をいただきました以上、決してたがえることはいたしません」 薫がこう申し上げると、 「非常にうれしいことです」 と宮はお言いになった。 明け方のお勤めを仏前で宮のあそばされる間に、薫は先夜の老女に面会を求めた。これは姫君方のお世話役を宮がおさせておいでになる女で、弁の君という名であった。年は六十に少し足らぬほどであるが、優雅なふうのある女で、品よく昔の話をしだした。柏木が日夜煩悶を続けた果てに病を得て、死に至ったことを言って非常に弁は泣いた。他人であっても同情の念の禁じられないことであろうと思われる昔話を、まして長年月の間、真実のことが知りたくて、自分が生まれてくるに至った初めを、仏を念じる時にも、まずこの真実を明らかに知らせたまえと祈った効験でか、こうして夢のように、偶然のめぐり合わせで肉身のことが聞かれたと思っている薫には涙がとめどもなく流れるのであった。 「それにしてもその昔の秘密を知っている人が残っておいでになって、驚くべく恥ずかしい話を私に聞かせてくださるのですが、ほかにもまだこのことを知っている人があるでしょうか。今日まで私はその秘密の片端すらも聞くことがありませんでしたが」 と薫は言った。 「小侍従と私のほかは決して知っている者はございません。また一言でも私から他人に話したこともございません。こんなつまらぬ女でございますが、夜昼おそばにお付きしていたものですから、殿様の御様子に腑に落ちぬところがありまして、私が真実のことをお悟りすることになりましてからは、お苦しみのお心に余りますような時々には、私から小侍従へ、小侍従から私と言うことにしまして、たまさかのお手紙をお取りかわしになりました。失礼になってはなりませんからくわしいことは申し上げません。殿様の御容体が危篤になりましてから、私へほんの少しの御遺言があったのでございますが、私風情ではどうしてそれをあなた様にお伝え申し上げてよろしいか方法もつきませんで、仏に念誦をいたします時にも、そのことを心に持ってしておりましたために、あなた様にこのお話ができることになりまして、仏様の存在もまた明らかになりました。お目にかける物もあるのでございます。お渡しいたすことができません以上はもう焼いてしまおうかとも存じました。危うい命の老人が持っていまして、歿後に落ち散ることになってはならぬと気がかりにいたしながら、この宮へ時々あなた様が御訪問においでになることがあるようになりましてからは、これはよい機会が与えられるかもしれぬと頼もしくなりまして、今日のようなおりの早く現われてまいりますようにと、念じておりました力はえらいものでございますね。人間がなしえたこととこれは思われません」 弁は泣く泣く薫の生まれた時のこともよく覚えていて話して聞かせた。 「大納言様がお亡れになりました悲しみで私の母も病気になりまして、その後しばらくして亡くなりましたものですから、二つの喪服を重ねて着ねばならぬ私だったのでございます。そのうち長く私のことをかれこれと思っていた者がございまして、だましてつれ出されました果ては西海の端までもつれて行きましてね、京のことはいっさいわからない境遇に置かれていますうちに、その人もそこで亡くなりましてから、十年めほどの、違った世界の気がいたしますような京へ上ってまいったのでございますが、こちらの宮様は私の父方の縁故で童女時代に上がっていたことがあるものですから、もうはなやかな所へお勤めもできない姿になっております私は、冷泉院の女御様などの所へ、大納言様の続きでまいってもよろしかったのでございますが、それも恥ずかしくてできませんで、こうして山の中の朽ち木になっております。小侍従はいつごろ亡くなったのでございましょう。若盛りの人として記憶にございます人があらかた故人になっております世の中に、寂しい思いをいたしながら、さすがにまだ死なれずに私はおりました」 弁が長話をしている間に、この前のように夜が明けはなれてしまった。 「この昔話はいくら聞いても聞きたりないほど聞いていたく思うことですが、だれも聞かない所でまたよく話し合いましょう。侍従といった人は、ほのかな記憶によると、私の五、六歳の時ににわかに胸を苦しがりだして死んだと聞いたようですよ。あなたに逢うことができなかったら、私は肉親を肉親とも知らない罪の深い人間で一生を終わることでした」 などと薫は言った。小さく巻き合わせた手紙の反古の黴臭いのを袋に縫い入れたものを弁は薫に渡した。 「あなた様のお手で御処分くださいませ。もう自分は生きられなくなったと大納言様は仰せになりまして、このお手紙を集めて私へくださいましたから、私は小侍従に逢いました節に、そちら様へ届きますように、確かに手渡しをいたそうと思っておりましたのに、そのまま小侍従に逢われないでしまいましたことも、私情だけでなく、大納言のお心の通らなかったことになりますことで私は悲しんでおりました」 弁はこう言うのであった。薫はなにげなくその包を袖の中へしまった。こうした老人は問わず語りに、不思議な事件として自分の出生の初めを人にもらすことはなかったであろうかと、薫は苦しい気持ちも覚えるのであったが、かえすがえす秘密を厳守したことを言っているのであるから、それが真実であるかもしれぬと慰められないでもなかった。 山荘の朝の食事に粥、強飯などが出された。昨日は休暇が得られたのであるが、今日は陛下の御謹慎日も終わって、平常どおりに宮中の事務を執らねばならないことであろうし、また冷泉院の女一の宮の御病気もお見舞い申し上げねばならぬことで、かたがた京へ帰らねばならぬ、近いうちにもう一度紅葉の散らぬ先にお訪ねするということを、薫は宮へ取り次ぎをもって申し上げさせた。 「こんなふうにたびたびお訪ねくださる光栄を得て、山蔭の家も明るくなってきた気がします」 と宮からの御挨拶も伝えられた。 薫は自邸に帰って、弁から得た袋をまず取り出してみるのであった。支那の浮き織りの綾でできた袋で、上という字が書かれてあった。細い組み紐で口を結んだ端を紙で封じてあるのへ、大納言の名が書かれてある。薫はあけるのも恐ろしい気がした。いろいろな紙に書かれて、たまさか来た女三の宮のお手紙が五、六通あった。そのほかには柏木の手で、病はいよいよ重くなり、忍んでお逢いすることも困難になったこの時に、さらに見たい心の惹かれる珍しいことがそちらには添っている、あなたが尼におなりになったということもまた悲しく承っているというようなことを檀紙五、六枚に一字ずつ鳥の足跡のように書きつけてあって、
目の前にこの世をそむく君よりもよそに別るる魂ぞ悲しき
という歌もある。また奥に、
珍しく承った芽ばえの二葉を、私風情が関心を持つとは申されませんが、
命あらばそれとも見まし人知れず岩根にとめし松の生ひ末
よく書き終えることもできなかったような乱れた文字でなった手紙であって、上には侍従の君へと書いてあった。蠹の巣のようになっていて、古い黴臭い香もしながら字は明瞭に残って、今書かれたとも思われる文章のこまごまと確かな筋の通っているのを読んで、実際これが散逸していたなら自分としては恥ずかしいことであるし、故人のためにも気の毒なことになるのであった、こんな苦しい思いを経験するものは自分以外にないであろうと思うと薫の心は限りもなく憂鬱になって、宮中へ出ようとしていた考えも実行がものうくなった。母宮のお居間のほうへ行ってみると、無邪気な若々しい御様子で経を読んでおいでになったが、恥ずかしそうに経巻を隠しておしまいになった。今さら自分が秘密を知ったとはお知らせする必要もないことであると思って、薫は心一つにそのことを納めておくことにした。
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