御所の娘のほうへは時々夫人が出かけて行って、二、三日とどまって世話をやいていもするのであったが、昔をお忘れきりにならぬお心の見える院の御所のほうへは、まいらねばならぬことがあっても夫人は行かないのであった。迷惑しながら、もったいなく心苦しく存じ上げた昔があるために、だれの反対をも無視して長女を院へ差し上げたが、自分の上にまで仮にもせよ浮いた名の伝えられることになっては、これほど恥ずかしいことはないのであるからと夫人は思っていても、そのことは新女御に言われぬことであったから、自分を昔から父は特別なもののように愛してくれて、母は桜の争いの時を初めとして、何によらず妹の肩を持つほうであったから、こんなふうに愛の厚薄をお見せになるのであると長女は恨めしがっていた。昔にかかわるお恨めしさのほうが深い院も、女御に御同情あそばして、母夫人を冷淡であると言っておいでになった。 「過去の人間の所へよこされたあなたが軽蔑されるのももっともだ」 などと仰せになって、そんなことによってもますますこの人をお愛しになった。 次の年にはまた新女御が院の皇子をお生みした。院の多くの後宮の人たちにそうしたことは絶えてなかったのであるから、この宿命の現われに世人も驚かされた。院はまして限りもなく珍しく思召してこの若宮をお愛しになった。在位の時であったなら、どれほどこの宮の地位を光彩あるものになしえたかもしれぬ、もう今では過去へ退いた自分から生まれた一親王にこの宮はすぎないのが残念であるとも院は思召した。女一の宮を唯一の御子としてお愛しになった院が、こんなふうに新しい皇子、皇女の父におなりあそばされたことも、かねて思いがけぬことであった中にも、はじめてお得になった男宮をことさら院の御珍重あそばすようになったことで、女一の宮の母女御も、こんなにまで専寵の人をおつくりにならないでもいいはずであると、院をお恨み申し上げるようになり、新女御をねたむようにもなった。そうなってから新女御の立場はますます苦しくなり、双方の女房の間に苦い空気がかもされてゆけば、自然二人の女御の交情も隔たってゆく。世間のこととしても、人の新しい愛人に対するよりも、古い妻に同情は多く寄るものであるから、院に奉仕する上下の役人たちも、貴い御地位にあらせられる后の宮、女一の宮の女御のほうに正しい道理のあるように見て、新女御のことは反感を持って何かと言い歩くというような状態になったのを、兄の公達らも、夫人に、 「だから私たちの申したことは間違っていなかったでしょう」 と言って責めた。夫人もまた世間の噂と院の御所の空気に苦労ばかりがされて、 「かわいそうな女御さんほどに苦しまないでも幸福をやすやすと得ている人は世間に多いのだろうがね。条件のそろった幸運に恵まれている人でなければ宮仕えを考えてはならないことだよ」 と歎息していた。以前の求婚者で、順当に出世ができ、婿君であっても恥ずかしく思われない人が幾人もあった。その中でも源侍従と言われた最も若かった公子は参議中将になっていて、今では「匂いの人」「薫る人」と世間で騒ぐ一人になっていた。重々しく落ち着いた人格で、尊い親王がた、大臣家から令嬢との縁談を申し込まれても承知しないという取り沙汰を聞いても、 「以前はまだたよりない若い方だったが、りっぱになってゆかれるらしい」 玉鬘夫人は寂しそうに言っていた。 蔵人の少将だった人も三位の中将とか言われて、もう相当な勢いを持っていた。 「あの方は風采だっておよろしかったではありませんか」 などと言って、少し蓮葉な性質の女房らは、 「今のうるさい御境遇よりはそのほうがよかったのですね」 とささやいたりしていた。しかし今も玉鬘夫人の長女に好意を持つ者があった。この三位中将は初恋を忘れることができず、悲しくも、恨めしくも思って、左大臣家の令嬢と結婚をしたのであるが、妻に対する愛情が起こらないで「道のはてなる常陸帯」(かごとばかりも逢はんとぞ思ふ)などと、もう翌日はむだ書きに書いていたのは、まだ何を空想しているのかわからない。院の新女御は人事関係の面倒さに自邸へ下がっていることが多くなった。母の夫人は娘のために描いた夢が破れてしまったことを残念がっていた。御所へ上がったほうの姫君はかえってはなやかに幸福な日を送っていて、世間からも聡明で趣味の高い後宮の人と認められていた。 左大臣が薨くなったので、右が左に移って、按察使大納言で左大将にもなっていた玉鬘夫人の弟が右大臣に上った。それ以下の高官たちにも異動が及んで、薫中将は中納言になり、三位の中将は参議になった。幸運な人は前にも言った二つの系統のほかに見られない時代と思われた。源中納言は礼まわりに前尚侍の所へ来て、庭で拝礼をした。夫人は客を前に迎えて、 「こんなあばら家になっていきます家を、お通り過ぎにならず、お寄りくださいます御好意を拝見いたしましても、六条院の皆御恩だと昔が思われてなりません」 などと言っている声に愛嬌があって、はなやかに美しい顔も想像されるのであった。こんなふうでいられるから、院の陛下は今もこの人がお忘れになれないのであるとそのうち一つの事件をお引き起こしになる可能性もあることを薫は感じた。 「陞任をたいした喜びとは思っておりませんが、この場合の御挨拶にはどこよりも先にと思って上がったのです。通り過ぎるなどというお言葉は平生の怠慢をおしかりになっておっしゃることですか」 新中納言はこう言うのであった。 「今日のようなおめでたい日に老人の繰り言などはお聞かせすべきでないと御遠慮はされますが、ただの日にお訪ねくださるお暇はおありにならないのですし、手紙に書いてあげますほどの筋道のあることではないのですから、聞いてくださいませ。院に侍しております人がね、苦しい立場に置かれまして煩悶をばかりしておりましてね。はじめは女一の宮の女御さんを力のように思っていましたし、后の宮様も六条院の御関係で御寛大に御覧くださるだろうと考えていたことですが、今日はどちらも無礼な闖入者としてお憎みあそばすようでしてね。困りましてね。宮様がただけは院へお置き申して、存在を皆様にきらわれる人だけを、せめて家で気楽に暮らすようにと思いまして帰らせたのですが、それがまた悪評の種を蒔くことになったらしゅうございます。院も御機嫌を悪くあそばしたようなお手紙をくださいますのですよ。機会がありましたら、あなたからこちらの気待ちをほのめかしてお取りなしくださいませ。離れようのない関係を双方にお持ちしているのですから、お上げしました初めは、どちらからも御好意を持っていただけるものと頼みにしたものですが、結果はこれでございますもの、私の考えが幼稚であったことばかりを後悔いたしております」 玉鬘夫人は歎息をしていた。 「そんなにまで御心配をなさることではないと思います。昔から後宮の人というものは皆そうしたものになっているのですからね、ただ今では御位をお去りになって無事閑散な御境遇でも、後宮にだけは平和の来ることはないのですから、第三者が見れば君寵に変わりはないと見えることもその人自身にとっては些細な差が生じるだけでも恨めしくなるものらしいですよ。つまらぬことに感情を動かすのが女御后の通弊ですよ。それくらいの故障もないとお思いになって宮廷へお上げになったのですか。御認識不足だったのですね。ものを気におかけにならないで冷静にながめていらっしゃればいいのです。男が出て奏上するような問題ではありませんよ」 と遠慮なく薫が言うと、 「お逢いしたら聞いていただこうと思って、あなたをお待ちばかりしていましたのに、私をおたしなめにばかりなるそのあなたの理窟も、私は表面しか御覧にならない理窟だと思いますよ」 こう言って玉鬘夫人は笑っていた。人の母らしく子のために気をもむらしい様子ではあるが、態度はいたって若々しく娘らしかった。新女御もこんな人なのであろう、宇治の姫君に心の惹かれるのも、こうした感じよさをその人も持っているからであると源中納言は思っていた。 若い尚侍もこのごろは御所から帰って来ていた。そちらもあちらも姫君時代よりも全体の様子の重々しくなった、若い閑暇の多い婦人の居所になっていることが思われ、御簾の中の目を晴れがましく覚えながらも、静かな落ち着きを見せている薫を、夫人は婿にしておいたならと思って見ていた。 新右大臣の家はすぐ東隣であった。大臣の任官披露の大饗宴に招かれた公達などがそこにはおおぜい集まっていた。兵部卿の宮は左大臣家の賭弓の二次会、相撲の時の宴会などには出席されたことを思って、第一の貴賓として右大臣は御招待申し上げたのであったが、おいでにならなかった。大臣は秘蔵にしている二女のためにこの宮を婿に擬しているらしいのであるが、どうしたことか宮は御冷淡であった。来賓の中で源中納言の以前よりもいっそうりっぱな青年高官と見える欠点のない容姿に右大臣もその夫人も目をとめた。 饗宴の張られる隣のにぎやかな物の気配、行きちがう車の音、先払いの声々にも昔のことが思い出されて、故太政大臣家の人たちは物哀れな気持ちになっていた。 「兵部卿の宮がお薨れになって間もなく、今度の右大臣が通い始めたのを、軽佻なことのように人は非難したものだけれど、愛情が長く変わらず夫婦にまでなったのは、一面から見て感心な人たちと言っていい。だから世の中のことは何を最上の幸福の道とはきめて言えないのだね」 などと玉鬘夫人は言っていた。 左大臣の息子の参議中将が隣に大饗のあった翌日の夕方ごろにこの家へ訪ねて来た。院の女御が家に帰っていることでいっそう美しく見える身の作りもして来たのである。 「よい役人にしていただきましたことなどは何とも思われません。心に願ったことのかなわない悲しみは月がたてばたつほど積っていってどうしようもありません」 と言いながら涙をぬぐう様子でややわざとらしい。二十七、八で、盛りの美貌を持つはなやかな人である。 帰ったあとで、 「困った公達だね。何でも思いのままになるものと見ていて、官位の問題などは念頭に置いていないようだね。こちらの大臣がお薨れにならなければ、ここの若い人たちもあの人ら並みに、恋愛の遊戯を夢中になってしただろうにね」 と言って、玉鬘夫人は歎息をしていた。右兵衛督、右大弁で参議にならないため太政官の政務に携わらないのを夫人は愁わしがっていた。侍従と言われていた末子は頭中将になっていた。年齢からいってだれも官等の陞進がおそいほうではないのであるが、人におくれると言って歎いている。参議の職はいかにも若い高官らしく、ぐあいがいいのだけれど。
●表記について
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- 「くの字点」をのぞくJIS X 0213にある文字は、画像化して埋め込みました。
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