「末に生まれてかわいそうな子です。一人前になるまでを自分が見てやることもできない」 と、院が仰せられたことをお思いになって、憐みを深くかけておいでになるのである。夕霧の右大臣も自身の公達よりもこの人を秘蔵がって丁寧に扱うのであった。昔の光源氏は帝王の無二の御愛子ではあったが、嫉妬する反対派があったり、母方の保護者がなかったりして、聡明な資質から遠慮深く世の中に臨んでおいでになって、一世の騒乱になりかねぬようなことになった時も、いさぎよく自身で渦中を去り、宗教を深く信じて冷静に百年の計をされたのである。この中将は若年ですでにあらゆる条件のそろった恵まれた環境に置かれていた。そしてそれに相当した優秀な男子でもあるのである。仏が仮に人として出現されたかと思われるところがこの人にあった。容貌もどこが最も美しいというところはなくて、目を驚かすものもないが、ただ艶で貴人らしくて、賢明らしいところが万人に異なっているのである。この世のものとも思われぬ高尚な香を身体に持っているのが最も特異な点である。遠くにいてさえこの人の追い風は人を驚かすのであった。これほどの身分の人が風采をかまわずにありのままで人中へ出るわけはなく、少しでも人よりすぐれた印象を与えたいという用意はするはずであるが、怪しいほど放散するにおいに忍び歩きをするのも不自由なのをうるさがって、あまり薫香などは用いない。それでもこの人の家に蔵われた薫香が異なった高雅な香の添うものになり、庭の花の木もこの人の袖が触れるために、春雨の降る日の枝の雫も身にしむ香を放つことになった。秋の野のだれのでもない藤袴はこの人が通ればもとの香が隠れてなつかしい香に変わるのであった。こんなに不思議な清香の備わった人である点を兵部卿の宮は他のことよりもうらやましく思召して、競争心をお燃やしになることになった。宮のは人工的にすぐれた薫香をお召し物へお焚きしめになるのを朝夕のお仕事にあそばし、御自邸の庭にも春の花は梅を主にして、秋は人の愛する女郎花、小男鹿のつまにする萩の花などはお顧みにならずに、不老の菊、衰えてゆく藤袴、見ばえのせぬ吾木香などという香のあるものを霜枯れのころまでもお愛し続けになるような風流をしておいでになるのであった。昔の光源氏はこうしたかたよったことはされなかったものである。 源中将は始終宮の二条の院へお伺いするのであって、音楽の遊びの行なわれる時にも優越を誇るような笛の音を吹き立てる相手を、互いに好敵手と認める若いどうしであった。世間も黙ってはいなかった。匂う兵部卿、薫る中将とやかましく言って、すぐれた娘を持つ貴族たちはこの貴公子たちを婿に擬して、好奇心の起こるようにしむける者もあるのを、宮は相手の女の価値を相当なものと考えられる人へは手紙を送ってごらんになって、なお細かく相手を観察しようとされるのであった。しかも熱心にだれを得なければならぬとお思いになる女はなかった。冷泉院の女一の宮と結婚ができたらうれしいであろうと匂宮がお思いになるのは、母君の女御も人格のりっぱな尊敬すべき才女であって、姫君もさもあるはずにすぐれた評判をとっておいでになる方だからである。遠くからの評判だけではなく匂宮は姫宮のおそばにいる女房から細かな御様子を聞いてもおいでになるのであったから、忍びがたく恋のようにも今ではなっていた。 中将は人生を味気ないものと悟っているのであるから、寂しいからといって、恋愛などをしては、かえってこの世を捨てる際の妨げになるであろうということを知っていて、保護者との関係の煩瑣な女性に求婚するようなことははばかられるのであった。自身では永久にこの冷静な態度が続けられるものと思っていたであろうが、それはただ現在の薫中将が熱情をもって愛する人がないからであろうと思われる。親兄弟の同意せぬ恋愛結婚などはまして遂行すべくもない薫である。十九になった歳に三位の参議になって、なお中将も兼ねていた。帝も后も愛を傾けておいでになる人で、臣下としてこれ以上幸福な存在はないと見られる薫ではあるが、心の中には純粋な六条院の御子と思われぬ不幸な認識がひそんでいて、楽天的にはなれない人で、貴公子に共通な放縦な生活をするようなことも好まなかった。静かに落ち着いたものの見方をする老成なふうの男であると人からも見られていた。兵部卿の宮の恋が年とともに態度の加わる院の一品の姫宮も、一つの院の中にいる薫には、ことに触れて御様子がわかりもするのであって、評判どおりに優秀な御素質の貴女らしいことを知っては、こんな方を妻にできれば生きがいを感じることであろうと思うのであるが、院が御実子同然な御待遇を薫に与えておいでになるものの、姫宮との間だけは厳重にお隔てになるのを知っていては、しいて御交際を求めにゆく気にはなれないのであった。自分ながらも予期せぬ恋の初めの路に踏み入るようなことがもしあっては、宮のためにも、自身のためにもよろしくないと思って、親しもうとは心がけなかった。 人に愛さるべく作られたような風采のある薫であったから、かりそめの戯れを言いかけたにすぎない女からも皆好意を持たれて、やむなく情人関係になったような、まじめには愛人と認めていない相手も多くなったが、女のためには秘密にするほうがよいと思って、皆蔭のことにしておいて、無情だと思われぬ程度にだれの所へも人目を紛らして通って行くのを、女のほうではかえって気が詰まるように苦しく思い、薫の誘うままに三条の母宮の所へ女房勤めに集まって来るのが多くなった。冷淡な態度を始終見せられているのも苦痛ではあったが、絶縁されるよりはと心細い恋人たちは思って、女房勤めをする身分でない人々もこうして薫とはかない関係を続けることで慰んでいるのであった。さすがになつかしい、目に見るだけでも情感を受けられる人であったから、どの女もしいてみずからを欺くようにしてこの境遇に満足していた。 「宮様の御存命中は毎日お目にかかることを怠らないつもりだから」 と薫中将は言っていた。こんなふうの人であったから、夕霧の右大臣もおおぜいある娘の中の一人は匂宮へ、一人はこの人の妻にさせたいという希望は持っていても、言いだすことをはばかっていた。なんといっても内輪どうしのことであって、世間の聞こえもおもしろくないとは大臣も知っているのであるが、この二人のすぐれた貴公子に準じて見るほどの人もない世の中ではしかたがないと考えられるのであった。雲井の雁夫人の生んだ娘たちよりも藤典侍にできた六女はすぐれて美しく、性質も欠点のない令嬢なのであった。劣った母に生まれた子として世間が軽蔑して見ることを惜しく思って、女二の宮が子供をお持ちになることができずに寂しい御様子であるために、六の君を大臣は典侍の所から迎えて宮の御養女に差し上げた。よい機会に二人の公子に姫君の気配をそれとなく示したなら、必ず熱心な求婚者になしうるであろう、すぐれた女の価値を知ることは、すぐれた男でなければできぬはずであると大臣は思って、六の君を后の候補者というような大形な扱いをせず、はなやかに、人目を引くような派手な扱いをして貴公子の心を多く惹くようにしていた。 御所の正月の弓の競技のあとで、左大将でもある夕霧の大臣の家で宴会の開かれるのを、大臣は六条院ですることにして匂宮にも御来会を願っていた。賭弓の席には皇子がたの御元服あそばしたのは皆出ておいでになった。后腹の宮は皆気高くお美しい中にも、風流男の名を取っておいでになる兵部卿の宮はやはりすぐれて御風采がりっぱにお見えになった。第四の皇子は常陸の大守でおありになるが、この方は更衣腹で、思いなしかずっと見劣りがされた。例のことであるが勝負は左ばかりが勝ち続けた。例年よりも早く競技は終わって左右の大将は退出するのであったが、匂宮、常陸の宮、后腹の五の宮を大臣の大将は自身の車へいっしょにお乗せして帰ろうとした。薫は負け方の右中将で、そっと退出して行こうとしていた車を、大臣は、 「宮様がたがおいでになるお送りにおいでにならないか」 と言ってとどめさせて、子息の衛門督、権中納言、右大弁そのほかの高官をそれへ混ぜて乗せさせて六条院へ来た。 やや遠い路を来るうちに雪も少し降り出して艶な気のする黄昏時であった。笛などもおもしろく吹き立ててはいって行った。六条院は、ここ以外にはどんな御仏の国でもこうした日の遊び場所に適した所はないであろうと思われた。寝殿の南の庇の間の端に定例どおり中将が南向いて席につき、北向きに主人の座に対して来会者の親王がた、高官たちの席が作ってあった。酒杯が出て夜がおもしろくなったころに「求子」が舞われた。左の手で抑え、右の手で抑えて幾度か袖を斜めにするこの時の風の動きに庭の梅の香がさっと家の中へはいってきて、源中将が身に持つにおいを誘うのも艶な趣のあることであった。わずかな透き間からのぞく女房なども、 「闇はあやなし(梅の花色こそ見えね香やは隠るる)という時間にもあの方のにおいだけはだれにだってわかります」 と言って薫をほめていた。大臣もそう思っていた。容貌も風采も平生以上にまたすぐれて見える薫が行儀正しく坐しているのを見て、 「右近衛の中将も声をお加えなさい。あまりに客らしくしているではありませんか」 と言うと、感じのよいほどの中音で、「神のます」など、求子の一ふしをうたった。
●表記について
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