つれづれとわが泣き暮らす夏の日をかごとがましき虫の声かな
蛍が多く飛びかうのにも、「夕殿に蛍飛んで思ひ悄然」などと、お口に上る詩も楊妃に別れた玄宗の悲しみをいうものであった。
夜を知る蛍を見ても悲しきは時ぞともなき思ひなりけり
七月七日も例年に変わった七夕で、音楽の遊びも行なわれずに、寂しい退屈さをただお感じになる日になった。星合いの空をながめに出る女房もなかった。 未明に一人臥しの床をお離れになって妻戸をお押しあけになると、前庭の草木の露の一面に光っているのが、渡殿のほうの入り口越しに見えた。縁の外へお出になって、
七夕の逢ふ瀬は雲のよそに見て別れの庭の露ぞ置き添ふ
こう口ずさんでおいでになった。 秋風らしい風の吹き始めるころからは法事の仕度のために、院のお悲しみも少し紛れていた。あれから一年たったかとお思いになると呆然ともおなりになるのである。命日である十四日には上から下まで六条院の中の人々は精進潔斎して、曼陀羅の供養に列するのであった。例の宵の仏前のお勤めのために手水を差し上げる役にあたった中将の君の扇に、
君恋ふる涙ははてもなきものを今日をば何のはてといふらん
と書かれてあったのを、手に取ってお読みになってから、院がまたその横へ、
人恋ふるわが身も末になりゆけど残り多かる涙なりけり
とお書き添えになった。 九月になり被綿をした菊を御覧になって、
もろともにおきゐし菊の朝露もひとり袂にかかる秋かな
と院はお歌いになった。 十月は時雨がちな季節であったからいっそう院のお心はお寂しそうで、夕方の空の色なども言いようもなく心細く御覧になるのであって、「いつも時雨は降りしかど」(かく袖ひづるをりはなかりき)などと口ずさんでおいでになった。空を渡る雁が翼を並べて行くのもうらやましくお見守られになるのである。
大空を通ふまぼろし夢にだに見えこぬ魂の行く方尋ねよ
何によっても慰められぬ月日がたっていくにしたがい、院のお悲しみは深くばかりになった。 五節などといって、世の中がはなやかに明るくなるころ、大将の子息たちが殿上勤めにはじめて出たといって、六条院へ来た。二人とも非常に美しい。母方の叔父である頭中将や蔵人少将などが青摺りの小忌衣のきれいな姿で少年たちに付き添って来たのである。朗らかなふうのこうした若い人たちを御覧になる院は、御自身の青春の日もお振り返られになって昔のこの日の舞い姫に心をお惹かれになったことなどもさすがになつかしいこととお思い出しになった。
宮人は豊の明りにいそぐ今日日かげも知らで暮らしつるかな
今年をこんなふうに隠忍してお通しになった院は、もう次の春になれば出家を実現させてよいわけであるとその用意を少しずつ始めようとされるのであったが、物哀れなお気持ちばかりがされた。院内の人々にもそれぞれ等差をつけて物を与えておいでになるのであった。目だつほどに今日までの御生活に区切りをつけるようなことにはしてお見せにならないのであるが、近くお仕えする人たちには、院が出家の実行を期しておいでになることがうかがえて、今年の終わってしまうことを非常に心細くだれも思った。人の目については不都合であるとお思いになった古い恋愛関係の手紙類をなお破るのは惜しい気があそばされたのか、だれのも少しずつ残してお置きになったのを、何かの時にお見つけになり破らせなどして、また改めて始末をしにおかかりになったのであるが、須磨の幽居時代に方々から送られた手紙などもあるうちに、紫の女王のだけは別に一束になっていた。御自身がしてお置きになったのであるが、古い昔のことであったと前の世のことのようにお思われになりながらも、中をあけてお読みになると、今書かれたもののように、夫人の墨の跡が生き生きとしていた。これは永久に形見として見るによいものであると思召されたが、こんなものも見てならぬ身の上になろうとするのでないかと、気がおつきになって、親しい女房二、三人をお招きになって、居間の中でお破らせになった。こんな場合でなくても、亡くなった人の手紙を目に見ることは悲しいものであるのに、いっさいの感情を滅却させねばならぬ世界へ踏み入ろうとあそばす前の院のお心に女王の文字がどれほどはげしい悲しみをもたらしたかは御想像申し上げられることである。御気分はくらくなって涙は昔の墨の跡に添って流れるのが、女房たちの手前もきまり悪く恥ずかしくおなりになって、古手紙を少し前方へ押しやって、
死出の山越えにし人を慕ふとて跡を見つつもなほまどふかな
と仰せられた。女房たちも御遠慮がされてくわしく読むことはできないのであったが、端々の文字の少しずつわかっていくだけさえも非常に悲しかった。同じ世にいて、近い所に別れ別れになっている悲しみを、実感のままに書かれてある故人の文章が、その当時以上に今のお心を打つのは道理なことである。こんなにめめしく悲しんで自分は見苦しいとお思いになって、よくもお読みにならないで長く書かれた女王の手紙の横に、
かきつめて見るもかひなし藻塩草同じ雲井の煙とをなれ
とお書きになって、それも皆焼かせておしまいになった。 仏名の僧を迎える行事も今年きりのことであるとお思いになると、僧の錫杖の音も身に沁んでお聞かれになった。院のために行く末長く寿命の保たれることを僧たちの祈り唱えるのも、院のお心には仏へ恥ずかしくお思われになった。雪が大降りになって厚く積もった。帰ろうとする導師を院は御前へお呼びになって、杯を賜わったりすることなども普通の仏名式の日以上の手厚いおねぎらいであった。纏頭なども賜わった。長くこの院へお出入りし、御所の御用も勤めているお馴染み深い僧が、頭の色もようやく変わって老法師になった姿も院には哀れにお思われになるのであった。この日も例の宮がた、高官たちが多数に参入した。梅の花の少し花らしく顔を上げ出したのが、雪の中にきわだって美しく見える日であったから、音楽の遊びもあってしかるべきなのであるが、本年中はなお管絃もむせび泣きの声をたてるもののように思召されるお心から、そのことはなくて、詩歌を歌わせてお聞きになるくらいのことでとどめられた。導師へ院が杯をおさしになった時のお歌は、
春までの命も知らず雪のうちに色づく梅を今日かざしてん
というのであって、お返し、
千代の春見るべきものと祈りおきてわが身ぞ雪とともにふりぬる
参会者の作も多かったが省いておく。院の御美貌は昔の光源氏でおありになった時よりもさらに光彩が添ってお見えになるのを仰いで、この老いた僧はとめどなく涙を流した。 今年が終わることを心細く思召す院であったから、若宮が、 「儺追いをするのに、何を投げさせたらいちばん高い音がするだろう」 などと言って、お走り歩きになるのを御覧になっても、このかわいい人も見られぬ生活にはいるのであるとお思いになるのがお寂しかった。
物思ふと過ぐる月日も知らぬまに年もわが世も今日や尽きぬる
元日の参賀の客のためにことにはなやかな仕度を院はさせておいでになった。親王がた、大臣たちへのお贈り物、それ以下の人たちへの纏頭の品などもきわめてりっぱなものを用意させておいでになった。
●表記について
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