「物怪などが周囲の者を驚かすために、そうしたことをすることもあるのですが、絶望の御状態とはそうしたわけではないのでございましょうか。それでございましたら、ただ今承りましたことは結構なことでございまして、一日一夜でも道におはいりになっただけのことは報いられるでしょうが、しかしもうまったくお亡くなりになったのでございましたら、死後のお髪の形を変えますだけのことがあの世の光にはならないでしょう。そして眼で見る遺族たちの悲しみだけが増大することになるだけのことでございますから、私はいかがかと存じます」 と大将は言って、忌中をこの院でこもり続けようとする志のある僧たちの中から人選して念仏をさせることを命じたりすることなども皆この人がした。今日までだいそれた恋の心をいだくというのではなかったが、どんな時にまたあの野分の夕べに隙見を遂げた程度にでも、また美しい継母が見られるのであろう、声すらも聞かれぬ運命で自分は終わるのであろうかというあこがれだけは念頭から去らなかったものであるが、声だけは永遠に聞かせてもらえない宿命であったとしても、遺骸になった人にせよもう一度見る機会は今この時以外にあるわけもないと夕霧は思うと、声も立てて泣かれてしまうのであった。 あるだけの女房は皆泣き騒いでいるのを、 「少し静かに、しばらく静かに」 と制するようにして、ものを言う間に几帳の垂れ絹を手で上げて見たが、まだほのぼのとしはじめたばかりの夜明けの光でよく見えないために、灯を近くへ寄せてうかがうと、麗人の女王は遺骸になってなお美しくきれいで、その顔を大将がのぞいていても隠そうとする心はもう残っていなかった。院は、 「このとおりにまだなんら変わったところはないが、生きた人でないことだけはだれにもわかるではないか」 こうお言いになって、袖で顔をおさえておいでになるのを見ては、大将もしきりに涙がこぼれて、目も見えないのを、しいて引きあけて、遺骸をながめることをしたがかえって悲しみは増してくるばかりで、気も失うのではないかと夕霧はみずから思った。横にむぞうさになびけた髪が豊かで、清らかで、少しのもつれもなくつやつやとして美しい。明るい灯のもとに顔の色は白く光るようで、生きた佳人の、人から見られぬよう見られぬようと願う心の休みなく働いているのよりも、己をあやぶむことも、他を疑うこともない純粋なふうで寝ている美女の魅力は大きかった。少々の欠点があってもなお夕霧の心は恍惚としていたであろうが、見れば見るほど故人の美貌の完全であることが認識されるばかりであったから、この自分を離れてしまうような気持ちのする心はそのままこの遺骸にとどまってしまうのではないかというような奇妙なことも夕霧は思った。 長く仕えていた女房の中に意識の確かにあるような者はない状態であったから、院は非常に悲しい気持ちをしいておしずめになって、遺骸の始末などをあそばすのであった。昔も愛人や妻の死におあいになった経験はおありになっても、まだこんなことまでも手ずから世話あそばされたことはなかったから、自身としては空前絶後の悲しみであると見ておいでになるのであった。紫の女王の遺骸はその日のうちに納棺された。どれほど愛すればとて遺骸は遺骸として葬送せねばならぬのが人生の悲しい掟であった。 はるばると広い野にあいた場所がないほどにも葬送の人の集まったいかめしい儀式であったが、送られた人ははかない煙になって間もなく立ち昇ってしまった。当然のことではあるがこれをも人々は悲しんだ。空を歩いているような気持ちで院は人によりかかって足を運んでおいでになるのを見ては、あの高貴な御身分でと低級な頭のものさえも御同情して泣かない者はなかった。遺骸の供をして来た女房たちはまして夢の中に彷徨しているような気持ちになっていて、車から転び落ちそうに見えるのを従者たちは扱いかねていた。昔、大将の母君の葵夫人の葬送の夜明けのことを院は思い出しておいでになったが、その時はなお月の形が明瞭に見えた御記憶があった。今は心も目も暗闇のうちのような気のあそばされる院でおありになった。女王は十四日に薨去したのであって、これは十五日の夜明けのことである。 はなやかな日が上って、野原一面に置き渡した露がすみずみまできらめく所をお通りになりながら、院はいっそうこの時人生というものをいとわしく悲しく思召して、残った自分の命といっても、もう長くは保ちえられるものではないであろうから、こうした苦しみを見る時に、昔からの希望であった出家も遂げたいとしきりにお思われになるのであったが、気の弱さを史上に残すことが顧慮されて、当分はこのままで忍ぶほかはないと御決心はあそばされても、なお胸の悲しみはせき上がってくるのであった。 夕霧も、紫夫人の忌中を二条院にこもることにして、かりそめにも出かけるようなことはなく、明け暮れ院のおそばにいて、心苦しい御悲歎をもっともなことであると御同情をして見ながら、いろいろと、お慰めの言葉を尽くしていた。 風が野分ふうに吹く夕方に、大将は昔のことを思い出して、ほのかにだけは見ることができた人だったのにと、過ぎ去った秋の夕べが恋しく思われるとともに、また麗人の終わりの姿を見て夢のようであったことも人知れず忍んでいると非常に悲しくなるのを、人目に怪しまれまいとする紛らわしには、阿弥陀仏、阿弥陀仏と唱えて数珠の緒を繰ることをした。涙の玉も混ぜてである。
いにしへの秋の夕べの恋しきに今はと見えし明け暗れの夢
この夢の酔いごこちは永遠の悲しみの澱を大将の胸に残したようである。りっぱな僧たちを集めて忌籠りの念仏をさせることは普通であるが、なおそのほかに法華経をも院がお読ませになっているのも両様の悲哀を招く声のように聞こえた。 寝ても起きても涙のかわくまもなく目はいつも霧におおわれたお気持ちで院は日を送っておいでになった。一生を回顧してごらんになると、鏡に写る容貌をはじめとして恵まれた人物として世に登場したことは確かであるが、幼年時代からすでに人生の無常を悟らせられるようなことが次々周囲に起こって、これによって仏道へはいれと仏の促すのをしいて知らぬふうに世の中から離脱することのできなかったために、過去にも未来にもこんなことがあろうとは思われぬ大なる悲しみを体験させられることになった、これほど悲しみのしずめがたい心を持っている間は、仏の道にもはいることは不可能であろうとみずからおあやぶまれになる院は、この心持ちを少しゆるやかにされたいと阿弥陀仏を念じておいでになった。 忌中の院をお見舞いになるかたがたは宮中をはじめとして、皆形式的ではなくたびたびの使いをおつかわしになるのであった。仏道から言えばいっさいのことは院の御念頭から除けられてよいわけではあるが、さすがに悲しみにぼけたふうには人から見られたくない、こうした一生の末になって妻を失った悲しみに堪えないで入道したという名の残ることだけははばかっておいでになるために、見えぬ拘束を受けて自由に出家のおできにならぬこともこのごろの悲しみに添った一つの悲しみになった。 太政大臣は人が不幸であるおりに傍観していられぬ性質であったから、紫夫人というような不世出の佳人の突然に死んだことを惜しがり、院に御同情してたびたび見舞いの手紙をお送りした。昔大将の母君が亡くなったのも秋のこのごろのことであったと思い出して、大臣は当時の悲しみもまた心の中に湧き出してくるのであったが、その時に妹の死を惜しんだ人たちも多くすでに故人になっている、先立つということも、後れるということもたいした差のない時間のことではないかなどと考えて、もののしんみりと感ぜられる夕方に庭をながめていた。息子の蔵人少将を使いにして六条院へ手紙を持たせてあげた。人生の悲しみをいろいろと言って、古い親友をお慰めする長い文章の書かれてある端のほうに、
古への秋さへ今のここちして濡れにし袖に露ぞ置き添ふ
という歌もあった。ちょうど院も、過去になったいろいろな場合を思い出しておいでになる時であったから、大臣の言う昔の秋も、早く死別した妻のことも皆一つの恋しさになって流れてくる涙の中で返事をお書きになるのであった。
露けさは昔今とも思ほえずおほかた秋の世こそつらけれ
悲しいことだけを書いておいては、あまりに弱いことであると批難するであろう、大臣の性格を知っておいでになる院は御注意をみずからあそばして、たびたび厚意のある御慰問を受けているといって、悦びの言葉などもお書き加えになるのをお忘れにならなかった。 薄墨色を着ると葵夫人の死んだ時にお歌いになったその喪服よりも、今度は少し濃い色のを着て悲しみを示された。 どんな幸運に恵まれていても、理由のない世間の嫉妬を受けることがあるものであるし、またその人自身にも驕慢な心ができてそのために人の苦しめられる人もあるのであるが、紫の女王という人は不思議なほどの人気があって、何につけても渇仰され、ほめられる唯一の瑕のない珠のような存在であり、善良な貴女であったのであるから、たいした関係のない世間一般の人たちまでも今年の秋は虫の声にも、風の音にも、また得がたいこの世の宝を失った悲しみに誘われて、涙を落とさない者はないのである。ましてほのかにでも女王を見たことのある人たちにとって、女王を失った悲しみはとうてい忘られるものではなかった。女王が親しく手もとに使っていた女房たちで、たとい少しの間にもせよ夫人に後れて生き残っている命を恨めしいと思って尼になる者もあった。尼になってまだ満足ができずに遠く世と離れた田舎へ住居を移そうとする者もあった。 冷泉院の后の宮も御同情のこもるお手紙を始終お寄せになった。故人を忍ぶことをお書きになった奥に、
枯れはつる野べをうしとや亡き人の秋に心をとどめざりけん
はじめてわかった気もいたします。
とお書きになったものを、院はお悲しみの中でも繰り返しお読みになって、いつまでもながめておいでになった。趣味の洗練された方として、思うことも書きかわしうる方はまだお一人この方があるとお思いになって、院は少しうれいの紛れる気持ちをお覚えになりながら涙の流れ続けるためにお筆が進まなかった。
昇りにし雲井ながらも返り見よわれ飽きはてぬ常ならぬ世に
お返事をお書き了えになったあとでもなお院は見えぬものに見入っておいでになった。 お気持ちを強くあそばすことができずに悲しみにぼけたところがあるようにみずからお認めになる院はもとの夫人の居間のほうにばかりおいでになった。仏像をお据えになった前に少数の女房だけを侍らせて、ゆるやかに仏勤めをあそばす院でおありになった。千年もごいっしょにいたく思召した最愛の夫人も死に奪われておしまいにならねばならなかったことがお気の毒である。もうこの世にはなんらの執着も残らぬことを自覚あそばされて、遁世の人とおなりになるお用意ばかりを院はしておいでになるのであるが、人聞きということでまた躊躇しておいでになるのはよくないことかもしれない。 夫人の法事についても順序立てて人へお命じになることは悲しみに疲れておできにならない院に代わって大将がすべて指図をしていた。自分の命も今日が終わりになるのであろうとお考えられになる日も多かったが、結局四十九日の忌の明けるのを御覧になることになったかと院は夢のように思召した。中宮なども紫夫人を忘れる時なく慕っておいでになった。
●表記について
- このファイルは W3C 勧告 XHTML1.1 にそった形式で作成されています。
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