「実際のことは宮様の御意志どおりの関係にとどめるにしても、この状態はあまりに変則だ。またそうであるからといって、私が断然来なくなったら、宮様はどういう世評をお取りになるだろう。あまりに人生を悲観なされ過ぎて、御幼稚な態度をお改めにならないのを私は宮様のために惜しむ」 などと大将が責めるのに道理があるように少将は思い、また夕霧の様子には気の毒で見ておられぬところがあって、女房たちが通って行く出入り口にしてある内蔵の北の戸から大将を入れた。ひどいことをする恨めしい人たちであると宮は女房をお思いになり、こうしてだれの心も利己的になるのであるから、これ以上のことを女房たちからされないものでもないとお考えになると、その人ら以外に頼む者のない今の御境遇をかえすがえす悲しくお思いになった。男は宮のお心の動かねばならぬようにして多くささやくのであるが、宮はただ恨めしくばかりお思いになって、この人に親しみを見いだそうとはあそばさない。 「こんなふうにあらん限りの侮蔑を加えられております私が非常に恥ずかしくて、あるまじい恋をし始めました初めの自分を後悔いたしますが、これは取り返しうるものではありませんし、あなた様のためにももうそれはしてならないことです。ですからもう御自分はどうでもよいという徹底した弱い心におなりなさい。思うことのかなわない時に身を投げる人があるのですから、私のこの愛情を深い水とお思いになって、それへ身を捨てるとお思いになればよいと思います」 と夕霧は言った。単衣の着物にお身体を包むようにして、ほかへお見せになる強さといっては声を出してお泣きになることよりおできにならないのも、あくまで女らしくお気の毒なのをながめていて、なぜこうであろう、こんなにまで自分をお愛しになることが不可能なのであろうか、どんなに許しがたく思う人といっても、これほどの志を見ていては自然に心のゆるんでくるものであるが、岩や木以上に無情なふうをお見せになるのは、前生の約束がそうであるためで、自分に憎悪をお持ちにならねばならぬ運命を持っておいでになるのではなかろうかと、こんなことを思った時から大将はあまりなお扱いに憤りに似た気持ちが起こって、三条の夫人が今ごろどう思っているかと考えだすと、単純な幼心に思い合った昔のこと、近年になって望みがかない、同棲することのできて以来の信頼し合った夫婦の情味などが思われて、自身のし始めたことではあるが、この恋が味気なくなって、もうしいて宮の御機嫌をとろうとも努めずに歎き明かした。こんなみじめなことで来たり出て行ったりすることもきまり悪くこの人は思って、今日はこちらにとどまっていることにして落ち着いているのにも、宮は反感がお持たれになって、いよいようといふうをお見せになることが増してくるのを、幼稚なお心の方であると、恨めしく思いながらも哀れに感じていた。蔵の中も別段細かなものがたくさん置かれてあるのでなく、香の唐櫃、お置き棚などだけを体裁よくあちこちの隅へ置いて、感じよく居間に作って宮はおいでになるのである。中は暗い気のする所へ、出たらしい朝日の光がさして来た時に、夕霧は被いでおいでになる宮の夜着の端をのけて、乱れたお髪を手でなで直しなどしながらお顔を少し見た。上品で、あくまで女らしく艶なお顔であった。男は正しく装っている時以上に、部屋の中での柔らかな姿が顔を引き立ててきれいに見えた。柏木が普通の風采でしかないのにもかかわらず思い上がり切っていて、宮を美人でないと思うふうを時々見せたことを宮はお思い出しになると、その当時よりも衰えてしまった自分をこの人は愛し続けることができないであろうとお考えられになって、恥ずかしくてならぬ気があそばされるのであった。 宮はなるべく楽観的にものを考えることにお努めになってみずから慰めようとしておいでになるのであった。ただ複雑な関係になって、あちらへもこちらへも済まぬわけになることを苦しくお思いになるのと、おりが母君の喪中であることによってこうした冷ややかな態度をおとり続けになるのである。 大将の手水や朝餉の粥が宮のお居間のほうへ運ばれた。この際に喪の色を不吉として、なるべく目につかぬようにこの室の東のほうには屏風を立て、中央の室との仕切りの所には香染めの几帳を置いて、目に立つ巻き絵物などは避けた沈の木製の二段の棚などを手ぎわよく配置してあるのは皆大和守のしたことであった。派手な色でない山吹色、黒みのある紅、深い紫、青鈍などに喪服を着かえさせ、薄紫、青朽葉などの裳を目だたせず用いさせた女房たちが大将の給仕をした。今まで婦人がただけのお住居であって、規律のくずれていたのを引き締めて、少数の侍を巧みに使い不都合のないようにしているのも、皆一人の大和守が利巧な男だからである。こうして思いがけず勢力のある宮の御良人がおできになったことを聞いて、もとは勤めていなかった家司などが突然現われて来て事務所に詰め、仕事に取りかかっていた。 実質はともかくも、この家の主人らしい生活を大将が一条で始めている数日間を、三条の夫人はもう捨てられ果てたもののように見て、これほど愛をことごとく新しい人に移すこともしないであろうと信頼していたのは自分の誤解であった、忠実であった良人がほかに恋人のできた時は、愛の痕跡も残さず変わってしまうものだと人の言うのは嘘でないと、苦しい体験をはじめてするという気もしてこの侮辱にじっと堪えていることはできないことであると思って、父の大臣家へ方角除けに行くと言って邸を出て行った。女御が実家に帰っている時でもあったから、姉君にも逢って、悩ましい気持ちの少し紛らすこともできた雲井の雁夫人は、平生のようにすぐ翌日に邸へ帰るようなこともせず父の家の客になっていた。これはすぐに左大将へも聞こえて行った。そんなことがあるようにも予感されたことである、はげしい性質の人であるからと大将は思った。大臣もまたりっぱな人物でありながら大人らしい寛大さの欠けた性格であるから、一徹に目にものを見せようとされないものでもない、失敬である、もう絶交するというような態度をとられて、家庭の醜態が外へ知られることになってはならぬと驚いて、三条へ帰って見ると、子供は半分ほどあとに残されているのであった。姫君たちと幼少な子だけを夫人はつれて行ったのである。父を見つけて喜んでまつわりに来る子もあれば、母を恋しがって泣く子もあるのを、大将は心苦しく思った。手紙をたびたびやって迎えの車を出すが、夫人からは返事もして来なかった。こうして妻に意地を張られるようなことは、自分らの貴族の間にはないことであるがと、うとましく思いながらも、大臣へ対しての義理を思って、日の暮れるのを待って自身で夕霧は迎えに行った。 「寝殿にいらっしゃいます」 ということで、平生行って使っている座敷のほうには女房だけがいた。男の子供たちだけは乳母に添ってここにいた。 「今さら若々しい態度をとるあなたではありませんか。かわいい人たちをあちらこちらへ置きはなしにして、自身は寝殿でお姫様に帰った気でいられるあなたの気持ちは解釈に苦しむ。私への愛情がそんなふうに少ないとは私にもわかっているのですが、昔からあなたにばかり惹かれる心を私は持っているし、今ではおおぜいのかわいそうな子供ができているのですから、二人の結合のゆるむことはないと信じていたのに、ちょっとしたことにこだわって、こんな扱いを私になさることはいいことだろうか」 取り次ぎによって夕霧はこう妻を責めた。 「もうすべてのことがお気に入らないものになってしまったのですから、お困りになる私の性質は今さら直す必要もないと思います。かわいそうな子供たちだけを愛してくださればうれしく思います」 と夫人は返事をさせた。 「おとなしい御挨拶だ。結局はだれの不名誉になることとお思いになるのだろう」 と言って、しいて夫人の出て来ることも求めずに、この晩は一人で寝ることにした。どちらつかずの境遇になったと思いながら、子供たちをそばへ寝させて大将は女二の宮の御様子も想像するのであった。どんなにまた煩悶をしておいでになる夜であろうなどと考えると苦しくなって、こんな遣る瀬ない苦しみばかりをせねばならぬ恋というものをなぜおもしろいことに人は思うのであろうと、懲りてしまいそうな気もした。夜が明けた時に、 「こんなことを若夫婦のように言い合っているのも恥ずかしいことですから、だめならだめとあきらめますが、もう一度だけもとどおりになってほしいという私の希望をいれたらどうですか。三条にいる小さい人たちもかわいそうな顔をして母を恋しがっていましたが、選って残しておいでになったのにはそれだけの考えがあるのでしょうから、あなたに愛されない子供達を私の手でどうにか育てましょう」 とまた多少威嚇的なことを夫人へ言ってやった。一本気なこの人は自分の生んだ子供たちまでもほかの家へつれて行くかもしれぬという不安を夫人は覚えた。 「姫君を本邸のほうへ帰してください。顔を見に来ることもこうしたきまりの悪い思いを始終しなければならないことですから、たびたびはようしません。あちらに残っている子供たちも寂しくてかわいそうですから、せめていっしょに置いてやりたいと思います」 とまた大将は言ってよこした。そうしてから小さくてきれいな顔をした姫君たちが父のいる座敷へつれられて来た。夕霧はかわいく思って女の子たちを見た。 「お母様の言うとおりになってはいけませんよ。ものの判断のできない女になっては悪いからね」 などと教えていた。 大臣は娘と婿のこの事件を聞いて外聞を悪がっていた。 「しばらく静観をしているべきだった。大将にも考えがあってしていたことだろうからね。婦人が反抗的に家を出て来るようなことは軽率なことに見られて、かえって人の同情を失ってしまう。しかしもうそうした態度を取りかけた以上は、すぐに負けて出てはならない。そのうちに先方の誠意のありなしもわかることだから」 と娘に言って、一条の宮へ蔵人少将を使いにして大臣は手紙をお送りするのであった。
契りあれや君を心にとどめおきて哀れと思ひ恨めしと聞く
無関心にはなれません因縁があるのでございますね。
この手紙を持って、少将はずんずん宮家へはいって来た。南の縁側に敷き物を出したが、女房たちは応接に出るのを気づらく思った。まして宮はわびしい気持ちになっておいでになった。この人は兄弟の中で最も風采のよい人で、落ち着いた態度で邸の中を見まわしながらも、亡き兄のことを思い出しているふうであった。 「始終伺っている所のような気になって私はいるのですが、そちらでは親しい者とお認めくださらないかもしれませんね」 などと皮肉を少し言う。大臣への返事をしにくく宮は思召して、 「私にはどうしても書かれない」 こうお言いになると、 「お返事をなさいませんと、あちらでは礼儀のないようにお思いになるでございましょうし、私どもが代わって御挨拶をいたしておいてよい方でもございませんから」 女房たちが集まって、なおもお書きになることをお促しすると、宮はまずお泣きになって、御息所が生きていたなら、どんなに不愉快なことと自分の今日のことを思っても、身に代えて罪は隠してくれるであろうと母君の大きな愛を思い出しながら、お書きになる紙の上には、墨よりも涙のほうが多く伝わって来てお字が続かない。
何故か世に数ならぬ身一つを憂しとも思ひ悲しとも聞く
と実感のままお書きになり、それだけにして包んでお出しになった。少将は女房たちとしばらく話をしていたが、 「時々伺っている私が、こうした御簾の前にお置かれすることは、あまりに哀れですよ。これからはあなたがたを友人と思って始終まいりますから、お座敷の出入りも許していただければ、今日までの志が酬いられた気がするでしょう」 などという言葉を残して蔵人少将は帰った。 こんなことから宮の御感情はまたまた硬化していくのに対して、夕霧が煩悶と焦躁で夢中になっている間、一方で雲井の雁夫人の苦悶は深まるばかりであった。こんな噂を聞いている典侍は、自分を許しがたい存在として嫉妬し続ける夫人にとって今度こそ侮りがたい相手が出現したではないかと思って、手紙などは時々送っているのであったから、見舞いを書いて出した。
数ならば身に知られまし世の憂さを人のためにも濡らす袖かな
失敬なというような気も夫人はするのであったが、物の身にしむころで、しかも退屈な中にいてはこれにも哀れは覚えないでもなかった。
人の世の憂きを哀れと見しかども身に代へんとは思はざりしを
とだけ書かれた返事に、典侍はそのとおりに思うことであろうと同情した。 夫人と結婚のできた以前の青春時代には、この典侍だけを隠れた愛人にして慰められていた大将であったが、夫人を得てからは来ることもたまさかになってしまった。さすがに子供の数だけはふえていった。夫人の生んだのは、長男、三男、四男、六男と、長女、二女、四女、五女で、典侍は三女、六女、二男、五男を持っていた。大将の子は皆で十二人であるが、皆よい子で、それぞれの特色を持って成長していった。典侍の生んだ男の子は顔もよく、才もあって皆すぐれていた。三女と二男は六条院の花散里夫人が手もとへ引き取って世話をしていた。その子供たちは院も始終御覧になって愛しておいでになった。それはまったく理想的にいっているわけである。
●表記について
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