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源氏物語(げんじものがたり)34 若菜(上)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-11-6 9:53:45  点击:  切换到繁體中文


 三月ごろの空のうららかな日に、六条院へ兵部卿ひょうぶきょうの宮がおいでになり、衛門督もおたずねして来た。院はすぐに出ておいになった。
「ひまな私の所などはこの時節などが最も退屈で、気を紛らすことができずに困っていましたよ。どこも皆無事平穏なのですね。今日はどうして暮らしたらいいだろう」
 などと院はお言いになって、また、
今朝けさ大将が来ていたのだがどこにいるだろう。慰めに小弓でも射させたく思っている時にちょうどそれのできる人たちもまた来ていたようだったが、もう皆出て行ったのだろうか」
 近侍にこうお聞きになった。大将は東の町の庭で蹴鞠けまりをさせて見ているという報告をお聞きになって、
「乱暴な遊びのようだけれど、見た目に爽快そうかいなものでおもしろい」
 とお言いになり、
「こちらへ来るように」
 と、院が大将を呼びにおやりになると、すぐに庭で蹴鞠をしていた人たちはこちらへ来た。若い公達きんだちが多かった。
「鞠もこちらへ持って来ましたか。だれとだれがあちらへ来ているのか」
 大将の所にいた官人たちの名があげられ、
「それもこちらへ来させましょうか」
 と大将は父君へ申した。寝殿の東側になった座敷には桐壺きりつぼかたがいたのであるが、若宮をお伴いして東宮へ参ったあとで、そこはき間になっていて静かだった。蹴鞠の人たちは流水を避けて競技によい場所を求めて皆庭へ出た。太政大臣家の公達は頭弁とうのべんなどという成年者も兵衛佐ひょうえのすけ太夫たゆうの君などという少年上がりの人も混じって来ているが、他に比べて皆風采ふうさいがきれいであった。時間がたち日暮れになるまで、この競技に適して風も出ないよい日だと皆言って庭上の遊びは続いていたが、頭弁も闘志がおさえられなくなったらしくその中へ出て行った。
「文官の誇りにする弁さえ傍観していられないのだから、高官になっていても若い衛府えふの人などはおとなしくしている必要もない。私の青春時代にもそうしたことの仲間にはいりえないのが残念に思われたものだ。しかし軽々しく人を見せるね、この遊びは」
 院がお勧めになるので、大将も衛門督も皆出て、美しい桜のかげを行き歩いていたこの夕方の庭のながめはおもしろかった。あまり静かでないこの遊戯であるが、乱暴な運動とは見えないのも所がら人柄によるものなのであろう。趣のある庭の木立ちのかすんだ中に花の木が多く、若葉のこずえはまだ少ない。遊び気分の多いものであって、鞠の上げようのよし悪しを競って、われ劣らじとする人ばかりであったが、本気でもなく出て混じった衛門督えもんのかみの足もとに及ぶ者はなかった。顔がきれいで風采のえんなこの人は十分身の取りなしに注意して鞠を蹴り出すのであったが、自然にその姿の乱れるのも美しかった。正面の階段きざはしの前にあたった桜の木蔭で、だれも花のことなどは忘れて競技に熱中しているのを、院も兵部卿の宮もすみの所の欄干によりかかって見ておいでになった。それぞれ特長のある巧みさを見せて勝負はなお進んでいったから、高官たちまでも今日はたしなみを正しくしてはおられぬように、冠の額を少し上へ押し上げたりなどしていた。大将も官位の上でいえば軽率なふるまいをすることになるが、目で見た感じはだれよりも若く美しくて、桜の色の直衣のうしの少し柔らかに着らされたのをつけて、指貫さしぬきすそのふくらんだのを少し引き上げた姿は軽々しい形態でなかった。雪のような落花が散りかかるのを見上げて、しおれた枝を少し手に折った大将は、階段きざはしの中ほどへすわって休息をした。衛門督が続いて休みに来ながら、
「桜があまり散り過ぎますよ。桜だけは避けたらいいでしょうね」
 などと言って歩いているこの人は姫宮のお座敷を見ぬように見ていると、そこには落ち着きのない若い女房たちが、あちらこちらの御簾みすのきわによって、透き影に見えるのも、端のほうから見えるのも皆その人たちの派手はでな色の褄袖口つまそでぐちばかりであった。暮れゆく春への手向けのぬさの袋かと見える。几帳きちょうなどは横へ引きやられて、締まりなく人のいる気配けはいがあまりにもよく外へ知れるのである。
 支那しな産のねこの小さくかわいいのを、少し大きな猫があとから追って来て、にわかに御簾みすの下から出ようとする時、猫の勢いにおそれて横へ寄り、後ろへ退こうとする女房のきぬずれの音がやかましいほど外へ聞こえた。この猫はまだあまり人になつかないのであったのか、長い綱につながれていて、その綱が几帳のすそなどにもつれるのを、一所懸命に引いて逃げようとするために、御簾の横があらわにはすに上がったのを、すぐに直そうとする人がない。そこの柱の所にいた女房などもただあわてるだけでおじけ上がっている。几帳より少し奥の所に袿姿うちぎすがたで立っている人があった。階段のある正面から一つ西になったの東の端であったから、あらわにその人の姿は外から見られた。紅梅がさねなのか、濃い色とうすい色をたくさん重ねて着たのがはなやかで、着物の裾は草紙の重なった端のように見えた。桜の色の厚織物の細長らしいものを表着うわぎにしていた。裾まであざやかに黒い髪の毛は糸をよって掛けたようになびいて、その裾のきれいに切りそろえられてあるのが美しい。身丈に七、八寸余った長さである。着物の裾の重なりばかりがかさ高くて、その人は小柄なほっそりとした人らしい。この姿も髪のかかった横顔も非常に上品な美人であった。夕明りで見るのであるからこまごまとした所はわからなくて、後ろにはもうやみが続いているようなのが飽き足らず思われた。まりに夢中でいる若公達わかきんだちが桜の散るのにも頓着とんちゃくしていぬふうな庭を見ることに身が入って、女房たちはまだ端の上がった御簾に気がつかないらしい。猫のあまりに鳴く声を聞いて、その人の見返った顔に余裕のある気持ちの見える佳人であるのを、衛門督は庭にいて発見したのである。大将はすだれが上がって中の見えるのを片腹痛く思ったが、自身が直しに寄って行くのも軽率らしく思われることであったから、注意を与えるためにせき払いをすると、立っていた人は静かに奥へはいった。そうはさせながら大将自身も美しい人の隠れてしまったのは物足らなかったのであるが、そのうち猫の綱は直されて御簾もりたのを見て、大将は思わず歎息たんそくの声をらした。ましてその人に見入っていた衛門督の胸は何かでふさがれた気がして、あれはだれであろう、女房姿でない袿であったのによって思うのでなくて、人と混同すべくもない容姿から見当のほぼつく人を、なおだれであろうか確かに知りたく思った。素知らぬ顔を大将は作っていたが、自分の見た人を衛門督の目にも見ぬはずはないと思って、その貴女をお気の毒に思った。何ともしがたい恋しく苦しい心の慰めに、大将は猫を招き寄せて、抱き上げるとこの猫にはよい薫香たきものの香がんでいて、かわいい声で鳴くのにもなんとなく見た人に似た感じがするというのも多情多感というものであろう。
 院がこの若い二人の高官のいるほうを御覧になって、
「高官たちの席があまりに軽々しい。こちらへおいでなさい」
 とお言いになって、対のほうの南の座敷へおはいりになったので人々も皆従って行った。兵部卿の宮はまたへやの中へ院とごいっしょに席を移してお落ち着きになった。高官らもごいっしょである。殿上役人たちは敷き物を得て縁側の座に着いた。饗応きょうおうというふうでなく椿餠つばきもちなし蜜柑みかんなどが箱のふたに載せて出されてあったのを、若い人たちは戯れながら食べていた。乾物類のさかなでお座敷の人々へは酒杯が勧められた。衛門督はじっと思い入ったふうをしていて、ともすれば庭の桜へ目をやった。大将はあの場を共に見た人であったから、衛門督が作っている幻の何であるかがわかる気もするのであった。軽々しくあまりな端近へ出ておられたものであると大将は姫宮をお思いした。あれだけの方がなされることでもないのであるがと思われてくるにしたがって、今まで不可解であったことに合点のゆく気もした。そんな欠点がおありになるために、世間でたいした方のようにいう割合に院の御愛情が薄いという理由が発見されたのである。貴女らしいお慎みが足らず、無邪気であることは可憐かれんなものだが、その人の良人おっとになっては安心のできないことであろうと軽侮する念も起こった。衛門督は道義も何も思わぬ盲目的な情熱に燃えていた。思いも寄らぬ物の間からほのかながらも確かにその方を見ることができたのも、自分の長い間の恋の祈りが神仏に受け入れられた結果であろうと、こんな解釈をしながらも、ただそれが瞬間のことであったのを残念がった。
 院は座中の人に昔の話をいろいろあそばして、
「太政大臣は私の相手で勝負をよく争われたものだが、蹴鞠けまりの技術だけはとうてい自分が敵することのできぬ巧さがおありになった。親のすべてが子に現われてくるものではなかろうが、やはり芸の道だけは不思議によく伝わるものだね。あなたの今日のできばえはたいしたものだった」
 と衛門督へお言いになると、微笑を見せて
「他の点では父祖を恥ずかしめるような私でございますが、遺伝の蹴鞠の芸だけで後世へ名を残すことになりましたらそれで無事かもしれません」
 と言った。
「何も悪くはない。どんなことでも人に出抜けたことは書いておいて後世へ伝うべきだから」
 などと冗談じょうだんをお言いになる院の御様子の若々しくて、またお美しいのを衛門督は見て、自分は何によってこの方をおいて宮のお心を自分へ向けることができようと院と自身を比較してもみたが、何からも優越したものを見いだされないのをついに知り、衛門督は寂しい心になって六条院を退出した。大将も帰りを共にして衛門督と車中で話し合った。
「春の日の退屈を紛らわすのには六条院へ伺うのがいちばんよいことですね。また今日のようなひまの出来た時分、桜の散らぬ間にもう一度来るようにおっしゃっていましたから、春を惜しみがてらにこの月のうちにもう一度、その時は小弓をお供にお持たせになっていらっしゃい」
 と大将は言うのであった。道の別れ目までこうして同車して行くのであったが、衛門督は女三にょさんみやのおうわさばかりがしたくて、
「院は今でも平生のお住居すまいは対のほうに決めていらっしゃるようですね。宮様はどんな気持ちでいられるだろう。朱雀すざく院様が御秘蔵になすった方が、第一のちょうを他の夫人に譲って、しかも同じ家におられるかと思うとお気の毒ですね」
 こんな無遠慮なことを言い出すと、
「そんな失礼なことを院はなさいませんよ。対の夫人は普通におめとりになったのでなく、御自身でお育てになった方だという事実から、少し違った親しみがおありになるだけでしょう。宮様を何事の上にでも第一夫人として立てておられますよ」
 と大将は否定した。
「そんなことはまあ言わないでお置きなさい。私は皆聞いて知っていますよ。とてもお気の毒な御様子でおられる時があるのだと言いますよ。光輝ある院の姫君がそれですよ。もったいない気のするのが当然じゃありませんか。

いかなれば花に伝ふうぐひすの桜を分きてねぐらとはせぬ

 春の鳥でいながらねえ。私には合点のいかないことですよ」
 とも言う。穏当でないたとえをこの人はする、こんな乱暴なことを言うようになったのは、自分が想像したとおりに姫君を見た友が恋を覚えたものに違いないと大将は思った。

深山木みやまぎねぐら定むるはこ鳥もいかでか花の色に飽くべき

 あなたは誤解の上に立脚してお言いになるのだ」
 と反対して言ったが、興奮している右衛門督とこの問題を語ることは避くべきであると思い、あとはほかの話に紛らして別れた。
 衛門督はまだ太政大臣家の東の対に独身で暮らしているのである。結婚にある理想を持っていて長くこうして来たのであるが、時には非常に寂しく心細く思うこともあるものの、自分ほどの者に思うことのかなわないことはないという自信を多分に持って、そうした寂寥せきりょう感は心から追っているのであった。それがこの日の夕べからは頭が痛み出し、堪えがたい煩悶はんもんをいだくようになった。どんな時にまたあれだけの機会がつかめるであろう、どんなことも目だたずに済む階級の恋人であれば、その人の謹慎日とか、自分の方角けとか、巧みな策略を作って、居所へうかがい寄ることもできるのであるが、これは言葉にも言われぬほどの深窓に隠れた貴女きじょなのであるから、どんな手段でも自分はこれほど愛する心をその人に告げるだけのこともできようとは思われないと衛門督は思うと胸が痛く苦しくなるあまりに、いつも書く小侍従への手紙を書いて送った。
この間は春風に浮かされまして御園みそののうちへ参りましたが、どんなにその時の私がまた御心証を悪くしたことかと悲しまれます。その夕方から私は病気になりまして、続いて今も病床にぼんやりと物思いをしております。
 などと書かれてあって、

よそに見て折らぬなげきはしげれどもなごり恋しき花の夕かげ

 という歌も添っていた。宮のお姿を衛門督が見たことなどは知らない小侍従であったから、ただいつもの物思いという言葉と同じ意味に解した。宮のお居間に女房たちもあまり出ていないのを見て、小侍従は衛門督の手紙を持って参った。
「この人がこの手紙にもございますように、今日までもまだあなた様をお思いすることばかりを書いてまいりますので困ります。あまりに気の毒な様子を見せられますと、私まで頭がどうかしてしまいそうで、どんな間違った手引きなどをいたすかしれません」
 小侍従は笑いながらこう言うのであった。
「いやなことを言う人ね、おまえは」
 無心なふうにそうお言いになって、宮は小侍従のひろげた手紙をお読みになった。「見ずもあらず見もせぬ人の恋しくてひねもす今日はながめ暮らしつ」という古歌を引いて書いてある所を御覧になった時に、蹴鞠けまりの日の御簾みすの端の上がっていたことを思い出すことがおできになり、お顔が赤くなった。院が何度も、
「大将に見られないようになさい。あまりにあなたは幼稚にできていらっしゃるから、うっかりとしていてのぞかれることもあるでしょうから」
 こうおいましめになったのをお思い出しになり、大将からあの時のことが言われた時、院から自分はどんなにおしかりを受けることであろうと、手紙の主が見たことなどは問題にもあそばさずに、それを心配あそばしたのは幼いお心の宮様である。平生よりもものをお言いにならず黙っておしまいになったのを見て、小侍従はつぎほのない気がしたし、この上しいて申し上げてよいことでもなかったから、そっと手紙を持って行った。そして忍んで返事を書いた。
この間はあまりに澄ましておいでになったものですから、軽蔑けいべつをしていらっしゃると思っていたのですが「見ずもあらず」とはどういうことなのでしょう。もったいないことですね。

今さらに色になでそ山桜及ばぬ枝に思ひかけきと

むだなことはおよしなさいませ。
 こんな手紙である。





底本:「全訳源氏物語 中巻」角川文庫、角川書店
   1971(昭和46)年11月30日改版初版発行
   1994(平成6)年6月15日39版発行
※このファイルは、古典総合研究所(http://www.genji.co.jp/)で入力されたものを、青空文庫形式にあらためて作成しました。
※校正には、2002(平成14)年1月15日44版を使用しました。
※「この間はあまりに澄ましておいでになったものですから、軽蔑けいべつをしていらっしゃると思っていたのですが「見ずもあらず」とはどういうことなのでしょう。もったいないことですね。」の部分は、手紙の一部であると判断し、他の箇所に合わせて一字下げとしました。
入力:上田英代
校正:門田裕志、小林繁雄
2004年3月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。



●表記について
  • このファイルは W3C 勧告 XHTML1.1 にそった形式で作成されています。
  • 「くの字点」をのぞくJIS X 0213にある文字は、画像化して埋め込みました。

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