「ごもっともです。普通の家の娘以上に内親王のお後ろだてのないのは心細いものでございます。ごりっぱな儲君として天下の輿望を負うておいでになる東宮もおいでになるのでございますから、あなた様から特にお心がかりに思召す方のことをお話にさえあそばされておけば、一事でもおろそかにあそばさないはずで、何も将来のことをそう御心配になることはなかろうと申しますものの、即位をなさいました場合にも天子は公の君ですから政はお心のままになりましても、個人として女の御兄弟に親身のお世話をなされ、内親王が特別な御庇護をお受けになることはむずかしいでしょう。女の方のためにはやはり御結婚をなすって、離れることのできない関係による男の助力をお得になるのが安全な道と思われますが、御信仰にもさわるほどの御心配が残るのでございましたら、ひそかに婿君を御選定しておかれましてはと存じます」 「私もそうは思うのですが、それもまたなかなか困難なことですよ。昔の例を思ってもその時の天子の内親王がたにも配偶者をお選びになって結婚をおさせになることも多かったのですから、まして私のように出家までもする凋落に傾いた者の子の配偶者はむずかしい。資格をしいて言いませんが、またどうでもよいとすべてを言ってしまうこともできなくて煩悶ばかりを多くして、病気はいよいよ重るばかりだし、取り返せぬ月日もどんどんたっていくのですから気が気でもない。お気の毒な頼みですが、幼い内親王を一人、特別な御好意で預かってくだすって、だれでもあなたの鑑識にかなった人と縁組みをさせていただきたいと私はそのことをお話ししたかったのです。権中納言などの独身時代にその話を持ち出せばよかったなどと思うのです。太政大臣に先を越されてうらやましく思われます」 と朱雀院は仰せられた。 「中納言はまじめで忠良な良人になりうるでしょうが、まだ位なども足りない若さですから、広く思いやりのある姫宮の御補佐としては役だちませんでしょう。失礼でございますが、私が深く愛してお世話を申し上げますれば、あなた様のお手もとにおられますのとたいした変化もなく平和なお気持ちでお暮らしになることができるであろうと存じますが、ただそれはこの年齢の私でございますから、中途でお別れすることになろうという懸念が大きいのでございます」 こうお言いになって、六条院は女三の宮との御結婚をお引き受けになったのであった。 夜になったので御主人の院付きの高官も六条院に供奉して参った高官たちにも御饗応の膳が出た。正式なものでなくお料理は精進物の風流な趣のあるもので、席にはお居間が用いられた。朱雀院のは塗り物でない浅香の懸盤の上で、鉢へ御飯を盛る仏家の式のものであった。こうした昔に変わる光景に列席者は涙をこぼした。身にしむ気分の出た歌も人々によって詠まれたのであったが省略しておく。夜がふけてから六条院はお帰りになったのである。それぞれ等差のある纏頭を供奉の人々はいただいた。別当大納言はお送りをして六条院へまで来た。 朱雀院は雪の降っていたこの日に起きておいでになったために、また風邪をお引き添えになったのであるが、女三の宮の婚約が成り立ったことで御安心をあそばされた。 六条院も新しい御婚約についての責任感と、紫夫人との夫婦生活の形式が改められねばならぬことをお思いになる苦痛とがお心でいっしょになって煩悶をしておいでになった。朱雀院がそうした考えを持っておいでになるということは女王の耳にもはいっていたのであるが、そんなことにもなるまい、前斎院にあれほど恋はしておられたがしいて結婚も院はなさらなかったのであるからなどと思って、そうした問題のありなしも問わずにいて、疑っていないのを御覧になると、院は心苦しくて、何と思うであろう、自分のこの人に対する愛は少しも変わらないばかりでなく、そういうことになればいよいよ深くなるであろうが、その見きわめがつくまでに、この人は疑って自分自身を苦しめることであろうとお思いになると、お心が静かでありえない。今日になってはもう二人の間に隔てというものは何一つ残さないことに馴れた御夫妻であったから、この話をすぐに話さずにおいでになるのも院は苦痛にされながらその夜はお寝みになった。 翌日はなお雪が降って空も身にしむ色をしていた。六条院は紫の女王と来し方のこと、未来のことをしみじみと話しておいでになった。 「院の御病気がお悪くて衰弱しておいでになるのをお見舞いに上がって、いろいろと身にしむことが多かった。女三の宮のことでいまだに御心配をしておられて、私へこんなことを仰せられた」 院はその方を託したいと朱雀院の仰せられた話をくわしくあそばされた。 「あまりにお気の毒なので御辞退ができなかったのだが、これをまた世間は大仰に吹聴をするだろうね。私はもう今はそうした若い人と新しく結婚するような興味はなくなっているのだから、最初人を介してのお話の時は口実を設けてお断わり申していたのだが、直接お目にかかった際に、御親心というものがあまりに濃厚に見えて、冷淡に辞退をしてしまうことができなかったのですよ。郊外の寺へいよいよ院がおはいりになる時になってここへ迎えようと思う。味気ないこととあなたは思うでしょう。そのためにどんな苦しいことが一方に起こっても、私があなたを思うことは現在と少しも変わらないだろうから不快に思ってはいけませんよ。宮のためにはかえって不幸なことだと私は知っているが、それも体面は作ってあげることを上手にしますよ。そして双方平和な心でいてもらえれば私はうれしいだろう」 などと言われるのであった。ちょっとした恋愛問題を起こしても自身が侮辱されたように思う女王であったから、どんな気がするだろうとあやぶみながら話されたのであったが、夫人は非常に冷静なふうでいて、 「親としての御愛情から出ましたお頼みでございましょうね。私が不快になど思うわけはございません。あちらで私を失礼な女だとも、なぜ遠慮をしてどこへでも行ってしまわないかともおとがめにならなければ、私は安心しております。お母様の女御は私の叔母様でいらっしゃるわけですから、その続き合いで私を大目に見てくださるでしょうか」 と卑下した。 「あなたのそれほど寛大過ぎるのもなぜだろうとかえって私に不安の念が起こる。それはまあ冗談だが。まあそんなふうにも見てあなたが許していてくれて、一方にもその心得でいてもらって、平和が得られれば私はいよいよあなたを尊敬するだろう。中傷する者があって何を言おうともほんとうと思ってはいけませんよ。すべて噂というものは、だれがためにするところがあって言い出すというのでもなく、良いことは言わずに、悪いことを言うのがおもしろくて言いふらさせるものだが、そんなことから意外な悲劇がかもされもするのだから、人の言葉に動揺を受けないで、ただなるがままになっているのがいいのです。まだ実現されもせぬうちから物思いをして私をむやみに恨むようなことをしないでくださいね」 こう院はおさとしになった。女王は言葉だけでなく心の中でも、こんなふうに天から降ってきたような話で、院としては御辞退のなされようもない問題に対して嫉妬はすまい、言えばとてそのとおりになるものでもなく、成り立った話をお破りになることはないであろう、院のお心から発した恋でもないから、やめようもないのに、無益な物思いをしているような噂は立てられたくないと思った。継母である式部卿の宮の夫人が始終自分を詛うようなことを言っておいでになって、左大将の結婚についても自分のせいでもあるように、曲がった恨みをかけておいでになるのであるから、この話を聞いた時に、詛いが成就したように思うことであろうなどと、穏やかな性質の夫人もこれくらいのことは心の蔭では思われたのであった。今になってはもう幸福であることを疑わなかった自分であった。思い上がって暮らした自分が今後はどんな屈辱に甘んじる女にならねばならぬかしれぬと紫の女王は愁いながらもおおようにしていた。 春になった。朱雀院では姫宮の六条院へおはいりになる準備がととのった。今までの求婚者たちの失望したことは言うまでもない。帝も後宮にお入れになりたい思召しを伝えようとしておいでになったが、いよいよ今度のお話の決定したことを聞こし召されておやめになった。六条院はこの春で四十歳におなりになるのであったから、内廷からの賀宴を挙行させるべきであると、帝も春の初めから御心にかけさせられ、世間でも御賀を盛んにしたいと望む人の多いのを、院はお聞きになって、昔から御自身のことでたいそうな式などをすることのおきらいな方だったから話を片端から断わっておいでになった。 正月の二十三日は子の日であったが、左大将の夫人から若菜の賀をささげたいという申し出があった。少し前まではまったく秘密にして用意されていたことで、六条院が御辞退をあそばされる間がなかったのであった。目だたせないようにはしていたが、左大将家をもってすることであったから、玉鬘夫人の六条院へ出て来る際の従者の列などはたいしたものであった。南の御殿の西の離れ座敷に賀をお受けになる院のお席が作られたのである。屏風も壁代の幕も皆新しい物で装らわれた。形式をたいそうにせず院の御座に椅子は立てなかった。地敷きの織物が四十枚敷かれ、褥、脇息など今日の式場の装飾は皆左大将家からもたらした物であって、趣味のよさできれいに整えられてあった。螺鈿の置き棚二つへ院のお召し料の衣服箱四つを置いて、夏冬の装束、香壺、薬の箱、お硯、洗髪器、櫛の具の箱なども皆美術的な作品ばかりが選んであった。御挿頭の台は沈や紫檀の最上品が用いられ、飾りの金属も持ち色をいろいろに使い分けてある上品な、そして派手なものであった。玉鬘夫人は芸術的な才能のある人で、工芸品を院のために新しく作りそろえたすぐれたものである。そのほかのことはきわだたせず質素に見せて実質のある賀宴をしたのであった。参列者を引見されるために客座敷へお出しになる時に玉鬘夫人と面会された。いろいろの過去の光景がお心に浮かんだことと思われる。院のお顔は若々しくおきれいで、四十の賀などは数え違いでないかと思われるほど艶で、賀を奉る夫人の養父でおありになるとも思われないのを見て、何年かを中に置いてお目にかかる玉鬘の尚侍は恥ずかしく思いながらも以前どおりに親しいお話をした。尚侍の幼児がかわいい顔をしていた。玉鬘夫人は続いて生まれた子供などをお目にかけるのをはばかっていたが、良人の左大将はこんな機会にでもお見せ申し上げておかねばお逢わせすることもできないからと言って、兄弟はほとんど同じほどの大きさで振り分け髪に直衣を着せられて来ていたのである。 「過ぎた年月のことというものは、自身の心には長い気などはしないもので、やはり昔のままの若々しい心が改められないのですが、こうした孫たちを見せてもらうことでにわかに恥ずかしいまでに年齢を考えさせられます。中納言にも子供ができているはずなのだが、うとい者に私をしているのかまだ見せませんよ。あなたがだれよりも先に数えてくだすって年齢の祝いをしてくださる子の日も、少し恨めしくないことはない。もう少し老いは忘れていたいのですがね」 と、院は仰せられた。玉鬘もますますきれいになって、重味というようなものも添ってきてりっぱな貴婦人と見えた。
若葉さす野辺の小松をひきつれてもとの岩根を祈る今日かな
こう大人びた御挨拶をした。沈の木の四つの折敷に若菜を形式的にだけ少し盛って出した。院は杯をお取りになって、
小松原末のよはひに引かれてや野辺の若菜も年をつむべき
などとお歌いになった。高官たちは南の外座敷の席に着いた。式部卿の宮は参りにくく思召したのであるが、院から御招待をお受けになって、御舅でいらせられながら賀宴に出ないことは含むことでもあるようであるからとお思いになり、ずっと時間をおくらせておいでになった。以前の婿の左大将が御養女の婿として得意な色を見せて、賀宴の主催者になっているのを御覧になる宮は、御不快なことであろうとも思われたが、御孫である左大将家の長男次男は紫夫人の甥としても、主催者の子としても席上の用にいろいろと立ち働いていた。籠詰めの料理の付けられた枝が四十、折櫃に入れられた物が四十、それらを中納言をはじめとして御親戚の若い役人たちが取り次いで御前へ持って出た。院の御前には沈の懸盤が四つ、優美な杯の台などがささげられた。朱雀院がまだ御全快あそばさないので、この御宴席で専門の音楽者は呼ばれなかった。楽器類のことは玉鬘夫人の実父の太政大臣が引き受けて名高いものばかりが集められてあった。 「この世で六条院の賀宴のほかに、高尚なものの集まってよい席というものはない筈なのだ」 と言って、大臣は当日の楽器を苦心して選んだ。それらで静かな音楽の合奏があった。和琴はこの大臣の秘蔵して来た物で、かつてこの名手が熱心に弾いた楽器は諸人がかき立てにくく思うようであったから、かたく辞退していた右衛門督にぜひにと弾くことを院がお求めになったが、予想以上に巧みに名手の長男は弾いた。どう遺伝があるものとしても、こうまで父の芸を継ぐことは困難なものであるがとだれも感動を隠せずにいた。支那から伝わった弾き方をする楽器はかえって学びやすいが、和琴はただ清掻きだけで他の楽器を統制していくものであるからむずかしい芸で、そしてまたおもしろいものなのである。右衛門督の爪音はよく響いた。一つのほうの和琴は父の大臣が絃もゆるく、柱も低くおろして、余韻を重くして、弾いていた。子息のははなやかに音がたって、甘美な愛嬌があると聞こえた。これほど上手であるという評判はなかったのであるがと親王がたも驚いておいでになった。琴は兵部卿の宮があそばされた。この琴は宮中の宜陽殿に納めておかれた御物であって、どの時代にも第一の名のあった楽器であったが、故院の御代の末ごろに御長皇女の一品の宮が琴を好んでお弾きになったので御下賜あそばされたのを、今日の賀宴のために太政大臣が拝借してきたのである。この楽器によって御父帝の御時のこと、また御姉宮に賜わった時のことが思召されて六条院はことさら身に沁んで音色に聞き入っておいでになった。兵部卿の宮も酔い泣きがとめられない御様子であった。そして院の御意をお伺いになった上琴を御前へ移された。今夜の御気分からお辞みになることはできずに院は珍しい曲を一つだけお弾きになった。そんなこともあって大がかりな演奏ではないがおもしろい音楽の夜になったのである。階段の所に声のよい若い殿上人たちの集められたのが、器楽のあとを歌曲に受け、「青柳」の歌われたころはもう塒に帰っていた鶯も驚くほど派手なものになった。主催する人は別にあった宴会ではあるが、院のほうでも纏頭の御用意があって出された。 夜明けに尚侍は自邸へ帰るのであった。院からのお贈り物があった。 「私はもう世の中から離れた気にもなって、勝手な生活をしていますから、たって行く月日もわからないのだが、こんなに年を数えてきてくだすったことで、老いが急に来たような心細さが感ぜられます。おりおりはどんな老人になったかとその時その時を見比べに来てください。老人でいながら自由に行動のできない窮屈な身の上ということにともかくもなっているのですから、自分の思うとおりに御訪問などができず、お目にかかる機会の少ないのを残念に思います」 などと院はお言いになって、身にしむことも、恋しい日のこともお思いにならないのではないのに、玉鬘がたまたま来ても早く去って行こうとするのを物足らず思召すようであった。玉鬘の尚侍も実父には肉親としての愛は持っているが、院のこまやかだった御愛情に対しては、年月に添って感謝の心が深くなるばかりであった。今日の境遇の得られたのも院の恩恵であると思っていた。 二月の十幾日に朱雀院の女三の宮は六条院へおはいりになるのであった。六条院でもその準備がされて、若菜の賀に使用された寝殿の西の離れに帳台を立て、そこに属した一二の対の屋、渡殿へかけて女房の部屋も割り当てた華麗な設けができていた。宮中へはいる人の形式が取られて、朱雀院からもお道具類は運び込まれた。その夜の儀装の列ははなやかなものであった。供奉者には高官も多数に混じっていた。姫宮を主公として結婚をしたいと望んだ大納言も失敗した恨みの涙を飲みながらお付きして来た。お車の寄せられた所へ六条院が出てお行きになって、宮をお抱きおろしになったことなどは新例であった。天子でおいでになるのではないから入内の式とも違い、親王夫人の入輿とも違ったものである。 三日の間は御舅の院のほうからも、また主人の院からも派手な伺候者へのおもてなしがあった。紫の女王もこうした雰囲気の中にいては寂しい気のすることであろうと思われた。夫人は静かにながめていながらも、院との間柄が不安なものになろうとは思わないのであるが、だれよりも愛される妻として動きのない地位をこれまで持った人も、若くて将来の長い内親王が競争者におなりになったのであるから、次第に自分が自分をはずかしめていく気がしないでもない心を、おさえて、おおように姫宮の移っておいでになる前の仕度なども院とごいっしょになってしたような可憐な態度に院は感激しておいでになった。女三の宮はかねて話のあったようにまだきわめて小さくて、幼い人といってもあまりにまでお子供らしいのである。紫の女王を二条の院へお迎えになった時と院は思い比べて御覧になっても、その時の女王は才気が見えて、相手にしていておもしろい少女であったのに、これは単に子供らしいというのに尽きる方であったから、これもいいであろう、自尊心の多過ぎず出過ぎたことのできない点だけが安心であると、院はつとめて善意で見ようとされながらも、あまりに言いがいのない新婦であるとお歎かれになった。 三日の間は続いてそちらへおいでになるのを、今日までそうしたことに馴れぬ女王であったから、忍ぼうとしても底から底から寂しさばかりが湧いてきた。新婚時代の新郎の衣服として宮のほうへおいでになる院のお召し物へ女房に命じて薫香をたきしめさせながら、自身は物思いにとらわれている様子が非常に美しく感ぜられた。何事があっても自分はもう一人の妻を持つべきではなかったのである。この問題だけを謝絶しきれずに締まりがなく受け入れた自分の弱さからこんな悲しい思いをすることにもなったと、院は御自身の心が恨めしくばかりおなりになって、涙ぐんで、 「もう一晩だけは世間並みの義理を私に立てさせてやると思って、行くのを許してください。今日からあとに続けてあちらへばかり行くようなことをする私であったなら、私自身がまず自身を軽蔑するでしょうね。しかしまた院がどうお思いになることだか」 と、お言いになりながら煩悶をされる様子がお気の毒であった。夫人は少し微笑をして、 「それ御覧なさいませ。御自身のお心だってお決まりにならないのでしょう。ですもの、道理のあるのが強味ともいっておられませんわ」 絶望的にこう女王に言われては、恥ずかしくさえ院はお思われになって、頬杖を突きながらうっとりと横になっておいでになった。紫の女王は硯を引き寄せて無駄書きを始めていた。
目に近くうつれば変はる世の中を行く末遠く頼みけるかな
と書き、またそうした意味の古歌なども書かれていく紙を、院は手に取ってお読みになり夫人の気持ちをお憐みになった。
命こそ絶ゆとも絶えめ定めなき世の常ならぬ中の契りを
こんな歌を書いて、急に立って行こうともされないのを見て、夫人が、 「おそくなっては済みませんことですよ」 と催促したのを機会に、柔らかな直衣の、艶に薫香の香をしませたものに着かえて院が出てお行きになるのを見ている女王の心は平静でありえまいと思われた。これまでにさらに新婦を得ようとされるらしい気ぶりはあっても、いよいよことが進行しそうな時に反省しておしまいになる院でおありになったから、ただもう何でもなく順調に幸福が続いていくとばかり信じていた末に、世間のものにも自分の位置をあやぶませるようなことが湧いてきた。永久に不変なものなどはないこうしたこの世ではまたどんな運命に自分は遭遇するかもしれないと女王は思うようになった。表面にこの動揺した気持ちは見せないのであるが、女房たちも、 「意外なことになるものですね。ほかの奥様がたはおいでになってもこちらの奥様の競争者などという自信を持つ方もなくて、御遠慮をしていらっしゃるから無事だったのですが、こんなふうにこの奥様をすら眼中にお置きあそばさないような方が出ていらっしってはどうなることでしょう。だれよりも優越性のある方に劣等者の役はお勤まりにはならないでしょう。そしてまたあちらから申せば、何でもないことに神経をおたかぶらせになるようなこともないとは言われませんから、そこで苦しい争闘が起こって奥様は御苦労をなさるでしょうね」 などと語って歎いているのであったが、少しも気にせぬふうで、機嫌よく夫人は皆と話をして夜がふけるまで座敷に出ていたが、女房たちの中にあるそうした空気が外へ知れては醜いように思って言った。 「院には何人もの女性が侍しておられるのだけれど、理想的な御配偶とお認めになるはなやかな身分の人はないとお思いになって、物足らず思召していらっしゃったのだから、宮様がおいでになってこれで完全になったのよ。私はまだ子供の気持ちがなくなっていないと見えて、いっしょに遊んで楽しく暮らしたくばかり思っているのに、皆が私の気持ちを忖度して面倒な関係にしてしまわないかと心配よ。自分と同じほどの人とか、もっと下の人とかには、あの人が自分より多く愛されることは不愉快だというような気持ちは自然起こるものだけれど、あちらは高貴な方で、お気の毒な事情でこうしておいでになったのだから、その方に悪くお思われしたくないと私は努めているのよ」 中将とか中務とかいう女房は目を見合わせて、 「あまりに思いやりがおありになり過ぎるようね」 ともひそかに言っていた。この人たちは若いころに院の御愛人であったが、須磨へおいでになった留守中から夫人付きになっていて、皆女王を愛していた。他の夫人の中には、どんなお気持ちがなさることでしょう、愛されない者のあきらめが平生からできている自分らとは違っておいでになったのであるからという意味の慰問をする人もあるので、女王はそんな同情をされることがかえって自分には苦痛になる。無常のこの世にいてそう夫婦愛に執着している自分でもないものと思っていた。あまりに長く寝ずにいるのも人が異様に思うであろうと我と心にとがめられて、帳台へはいると、女房は夜着を掛けてくれた。人から憐まれているとおりに確かに自分は寂しい、自分の嘗めているものは苦いほかの味のあるものではないと夫人は思ったが、須磨へ源氏の君の行ったころを思い出して遠くに隔たっていようとも同じ世界に生きておいでになることで心を慰めようとそのころはした、自分がどんなにみじめであるかは心で問題にせず源氏の君のせめて健在でいることだけを喜んだではないか、その時の悲しみがもとで源氏の君なり自分なりが死んでいたとしたら、それからのち今日までの幸福は享けられなかったのであるともまた思い直されもするのであった。外には風の吹いている夜の冷えで急には眠れない。近くに寝ている女房が寝返りの音を聞いて気をもむことがあるかもしれぬと思うことで、床の中でじっとしているのもまた女王に苦しいことであった。一番鶏の声も身に沁んで聞かれた。恨んでばかりいるのでもなかったが、夫人のこんなに苦しんでいたことのあちらへ通じたのか、院は夫人の夢を御覧になった。目がさめて胸騒ぎのあそばされる院は鶏の鳴くのを聞いておいでになって、その声が終わるとすぐに宮の御殿をお出になるのであったが、お若い宮であるために乳母たちが近くにやすんでいて、その人たちが院の妻戸をあけて外へ出られるのをお見送りした。夜明け前のしばらくだけことさらに暗くなる時間で、わずかな雪の光で院のお姿がその人たちに見えるのである。院のお服から発散された香気がまだあとに濃く漂っているのに乳母たちは気づいて「春の夜の闇はあやなし梅の花」などとも古歌が思わず口に上りもした。院は所々にたまった雪の色も砂子の白さと差別のつきにくい庭をながめながら対のほうへ向いてお歩きになりながらなお「残れる雪」と口ずさんでおいでになった。対の格子をおたたきになったが、久しく夜明けの帰りなどをあそばされなかったのであったから、女房たちはくやしい気になってしばらく寝入ったふうをしていてやっとあとに格子をお上げした。 「長く外に待たされて、身体が冷え通る気がしたのも、それは私の心が済まぬとあなたを恐れる内部のせいで、女房に罪はなかったのかもしれない」 と、院はお言いになりながら、夫人の夜着を引きあけて御覧になると、少し涙で濡れている下の単衣の袖を隠そうとする様子が美しく心へお受け取られになった。しかも打ち解けぬものが夫人の心にあって品よく艶な趣なのである。最高の貴女といっても完全にもののととのわぬ憾みがあるのにと院は新婦の宮と紫の女王を心にくらべておいでになった。二人が来た道を振り返ってお話しになりながら、恨みの解けぬふうな夫人をなだめて翌日はずっとそばを離れずにおいでになったあとでは、夜になっても宮のほうへお行きになれずに手紙だけをお送りになった。
今暁の雪に健康をそこねて苦しい気がしますから、気楽な所で養生をしようと思います。
というのであった。乳母の、 「そのとおりに申し上げました」 という言葉を使いが聞いて来た。平凡な返事であると院はお思いになった。朱雀院がどうお思いになるかということが気がかりであるから、当分はあちらを立てるようにしておきたいと院はお思いになっても、実行に伴う苦痛が堪えがたく、なんということであろうと悲しんでおいでになった。夫人も、 「あちらへ御同情心の欠けたことでございますよ」 と言いつつ自分の立場を苦しんでいた。次の日はこれまでのとおりに自室でお目ざめになって、宮の御殿へ手紙をお書きになるのであった。晴れがましくは少しもお思いにならぬ相手ではあったが、筆を選んで白い紙へ、
中道を隔つるほどはなけれども心乱るる今朝のあは雪
と書いて、梅の枝へお付けになった。侍をお呼びになって、 「西の渡殿のほうから参って差し上げるように」 とお命じになった。そして院はそのまま縁に近い座敷で庭をながめておいでになった。白い服をお召しになって、梅の枝の残りを手にまさぐっておいでになるのである。仲間を待つ雪がほのかに白く残っている上に新しい雪も散っていた。若やかな声で鶯が近いところの紅梅の梢で鳴くのがお耳にはいって、「袖こそ匂へ」(折りつれば袖こそ匂へ梅の花ありとやここに鶯ぞ啼く)と口ずさんで、花をお持ちになった手を袖に引き入れながら、御簾を掲げて外を見ておいでになる姿は、ゆめにも院などという御位の方とは見えぬ若々しさである。寝殿から来るお返事が手間どるふうであったから、院は居室のほうへおいでになって夫人に梅の花をお見せになった。 「花であればこれだけの香気を持ちたいものですね。桜の花にこの香があればその他の花は皆捨ててしまうでしょうね。こればかりがよくなって」 「この花もただ今でこそ唯一の花で、梅はよいものだと思われるのですよ。春の百花の盛りにほかのものと比較したらどうでしょうかしら」 などと夫人が言っている時に、宮のお返事が来た。紅い薄様に包まれたお文が目にたつので院ははっとお思いになった。幼稚な宮の手跡は当分女王に隠しておきたい。この人に隔て心はないがさげすむ思いをさせることがあっては宮の身分に対して済まないと院はお思いになるのであるが、隠しておしまいになることも夫人の不快がることであろうからと、半分は見せてもよいというようにお拡げになった文を、女王は横目に見ながら横たわっていた。
はかなくて上の空にぞ消えぬべき風に漂ふ春のあは雪
文字は実際幼稚なふうであった。十五にもおなりになればこんなものではないはずであるがと目にとまらぬことでもなかったが、見ぬふりをしてしまった。他の女性のことであれば批評的な言葉も院は口にせられたであろうが御身分に敬意をお払いになって、 「あなたは安心していてよいとお思いなさいよ」 とだけ夫人に言っておいでになった。 今日は昼間に宮のほうへおいでになった。特にきれいに化粧をお施しになった院のお美しさに、この日はじめて近づいた女房は興奮していた。老いた女房などの中には、なんといっても幸福な奥様はあちらのお一方だけで、宮は御不快な目にもおあいになるのであろうと、こんなことを思う者もあった。姫宮は可憐で、たいそうなお居間の装飾などとは調和のとれぬ何でもない無邪気な少女で、お召し物の中にうずもれておしまいになったような小柄な姿を持っておいでになるのである。格別恥ずかしがってもおいでにならない。人見知りをせぬ子供のようであつかいやすい気を院はお覚えになった。朱雀院は重い学問のほうは奥を究めておいでになると言われておいでにならないが、芸術的な趣味の豊かな方としてすぐれておいでになりながら、どうして御愛子をこう凡庸に思われるまでの女にお育てになったかと院は残念な気もあそばされたのであるが、御愛情が起こらないのでもなかった。院のお言いになるままになってなよなよとおとなしい。お返辞なども習っておありになることだけは子供らしく皆言っておしまいになって、自発的には何もおできにならぬらしい。昔の自分であれば厭気のさしてしまう相手であろうが、今日になっては完全なものは求めても得がたい、足らぬところを心で補って平凡なものに満足すべきであるという教訓を、多くの経験から得てしまった自分であるから、これをすら妻の一人と見ることができる。第三者は自分のことを好適な配偶を得たと見ることであろうとお考えになると、離れる日もなく見ておいでになった紫の女王の価値が今になってよくおわかりになる気がされて、御自身のお与えになった教育の成功したことをお認めにならずにはおられなかった。ただ一夜別れておいでになる翌朝の心はその人の恋しさに満たされ、しばらくして逢いうる時間がもどかしくお思われになって、院の愛はその人へばかり傾いていった。なぜこんなにまで思うのであろうかと院は御自身をお疑いになるほどであった。 朱雀院はそのうちに御寺へお移りになるのであって、このころは御親心のこもったお手紙をたびたび六条院へつかわされた。姫宮のことをお頼みになるお言葉とともに、自分がどう思うかと心にお置きになるようなことはないようにして、ともかくもお心にかけていてくださればよいという意味の仰せがあるのであった。そうは仰せられながらも御幼稚な宮がお気がかりでならぬ御様子が見えるお文であった。紫夫人へもお手紙があった。
幼い娘が、何を理解することもまだできぬままでそちらへ行っておりますが、邪気のないものとしてお許しになってお世話をおやきください。あなたには縁故がないわけでもないのですから。
そむきにしこの世に残る心こそ入る山みちの絆なりけれ
親の心の闇を隠そうともしませんでこの手紙を差し上げるのもはばかり多く思われます。
というのであった。院も御覧になって、 「御同情すべきお手紙ですから、あなたからも丁寧にお返事を書いておあげなさい」 こうお言いになって、そのお使いへは女房を出して酒をお勧めになった。 「どう書いてよろしいのかわかりません。お返事がいたしにくうございます」 と女王は言っていたが、言葉を飾る必要のある場合のお返事でもなかったから、ただ感じただけを、
そむく世のうしろめたくばさりがたき絆を強ひてかけなはなれそ
こんな歌にして書いた。女の装束に細長衣を添えた纏頭をお使いへ出した。女王の書いたお返事の字のりっぱであるのを院は御覧になって、こんなにも物事の整った夫人もある六条院へ、一人の夫人となって幼稚な姫宮が行っておられることを心苦しく思召した。 御出家の際に悲しがった女御、更衣は院が御寺へお移りになることによって、いよいよ散り散りにそれぞれの自邸へ帰るのであったが気の毒な人ばかりであった。尚侍はお崩れになった皇太后がお住みになった二条の宮へはいって住むことになった。姫宮を心がかりに思召されたのに次いでは尚侍のことを院の帝は顧みがちにされた。 尼になりたい希望を前尚侍は持っていたが、この際それを実行するのは、人を慕って出家をすることで、悟った人のすることでないと院は御忠告をあそばして、ひたすら御自身の御寺の仏像の製作を急がせておいでになった。 六条院はこの朧月夜の前尚侍と飽かぬ別れをあそばされたまま、今もその時に続いて長い恋をしておいでになり、どんな機会にまた逢うことができよう、今一度は逢って、その時の血のにじむほど苦しかった心をその人に告げたいと思召されるのであったが、双方とも世間の評のはばかられる身の上でもおありになって、女のためにも重い傷手を負わせたあの騒動をお思いになると、積極的な御行動は取れないで院は忍んでおいでになったのであるが、朱雀院ともお別れして閑散な独身生活にはいっているそのこと自身がお心を惹いて、お逢いになりたくてならないのであった。あるまじいこととはお思いになりながら、ただ友情による手紙と見せて、忘れえぬ熱情をお洩らしになることがたびたびになった。もう青春の男女のように、危険がる必要もないと思っては時々お返事も前尚侍は出した。昔に増してあらゆる点の完成されつつある跡の見える朧月夜の君の手紙がいっそうの魅力になって、昔の中納言の君の所へも、二人の逢う道を開かせようとする手紙を院は常に書いておいでになった。その女の兄である前和泉守をお呼び寄せになっては、若い日へお帰りになったような相談をされた。 「取り次ぎをもって話をするようなことでなく、そして直接といっても物越しでいいのだが話さねばならぬ用が私にあるのだ。尚侍の承諾を得るようにしてくれれば、私はそっと訪ねて行く。今はもう絶対にそんなこともできない身の上になっている私が、そうしようと思うのだから、あちらでも秘密にしていただけるだろうと安心はしている」 そのお話を中納言の君から聞いた時に、尚侍は、 「それは必要のない会見よ。私はもうあの時のような幼稚な心で人生を見ていない。昔から真実の欠けた愛しか私には持ってくださらなかった方の御誘惑などに今さらかからない。お気の毒な御生活に法皇様をお置きして、あの方とする昔の話など私にはない。お言葉どおり秘密にはするとしても私自身の心に恥ずかしいことではないか」 と歎息して、なおそういうことは思いもよらぬことであるというお返事ばかりをしていた。すべてのものを無視して、苦しい中で愛し合った二人ではないか、出家をあそばされた院に対してやましいことではあるが、かつてなかったことではない関係なのだから、今になって清浄がっても昔の浮き名をあの人が取り返すことはできないのだと、こう院はお思いになって、にわかにこの和泉守を案内役として朧月夜の尚侍の二条の宮を訪ねる決心を院はあそばされたのであった。夫人の女王へは、 「東の院にいる常陸の宮の女王がずっと病気をしておられるのですが、ここの取り込みに紛れて見舞ってあげなかったのがかわいそうなのだが、昼間は人目に立ってよろしくないから夜になってから出かけてみようと思います。だれにも知らせないことだからそのつもりにしておくのですよ」 と、お言いになって、院は外出の化粧におかかりになったが、ただ事とは思われなかった。平生はそんなにしてお行きになる所ではないのであるから夫人は不審をいだいたが、思い合わされることもないではないのを、女三の宮がおいでになってからは、以前のように思うことをすぐに言う習慣も女王は改めていて、素知らぬふうを作っているのであった。 この日は寝殿へもお行きにならないでただ手紙をお書きかわしになっただけである。熱心に薫香の香を袖につけて、院は日の暮れるのを待っておいでになった。そしてきわめて親しい人を四、五人だけおつれになり、昔の微行に用いられた簡単な網代車でお出かけになった。
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