玉鬘は除服したが、翌月の九月は女の宮中へはいることに忌む月でもあったから、十月になってから出仕することに源氏が決めたのを、お聞きになって帝は待ち遠しく思召した。求婚者は皆尚侍に決定したことを聞いて残念がった。それまでに縁組みを決めて、御所へはいるのを阻止したいと皆あせって、仲介者になっている女房たちを責めるのであるが、尚侍の出仕を阻止するようなことは、吉野の滝をふさぎ止めるよりもなお不可能なことであるとそれらの女たちは言っていた。源中将はしないでよい告白をしたことで感情を害しなかったかと不安で、この苦しみを紛らわすために一所懸命に尚侍の出仕についての用などに奔走して好意を見せることにつとめていた。もうあれ以来軽率に感情を告げたりすることもなく慎んでいるのである。兄弟である内大臣の子息たちはまだ遠慮が多くて出入りをようしないのである。御所で尚侍の後援をするためにはもっと親しくなっておかないでは都合が悪いのにと、その人たちは不安に思っていた。頭の中将は恋の奴になって幾通となく手紙を送ってきたようなこともなくなったのを正直だといって女房たちはおかしがっていたのであるが、父の大臣の使いになって訪ねて来た。まだ公然に親であり娘であるという往来ははばかって、そっと手紙を送って、そっと返事を玉鬘が出すほどにしかしていないのであったから、こうした月明の晩に隠れて頭の中将も訪ねて来たのである。以前はだれからも訪問者として取り扱おうとされなかった中将が、今夜は南の縁側に座を設けて招ぜられた。玉鬘は自身で出て話をすることはまだ恥ずかしくてできずに、返辞だけは宰相の君を取り次ぎにしてした。 「私が使いに選ばれて来ましたのは、お取り次ぎなしにお話を申すようにという父の考えだったかと思いますが、こんなふうな遠々しいお扱いでは、それを申し上げられない気がいたします。私はつまらぬ者ですが、あなたとは離しようもなくつながった縁のありますことで、自信に似たものができております」 と言って、中将はもう一段親しくしたい様子を見せた。 「ごもっともでございます。長い間失礼しておりましたお詫びも直接申し上げたいのでございますが、身体が何ということなしに悪うございまして、起き上がりますのも大儀でできませんものですから、こうさせていただいているのでございます。ただ今のようなお恨みを承りますのは、かえって他人らしいことだと存じます」 まじめな挨拶を玉鬘はした。 「御気分が悪くてお寝みになっていらっしゃる所の几帳の前へ通していただけませんか。しかし、よろしゅうございます、しいていろんなお願いをするのも失礼ですから」 と言って頭の中将は大臣の言葉を静かに伝えるのであった。身の取りなしも様子も源中将に匹敵するもので、感じのいい人である。 「御所へおいでになることでは、くわしいお報らせもまだいただいていませんが、あなたからその際にはこうしてほしい、何が入り用であるとかいうことを言ってくだすったら、そのとおりにしたいと思っています。世間の目にたつことが遠慮されて訪ねて行くこともできず、思うことを直接お話しできないのを遺憾に思っています」 というのが父の大臣から玉鬘へ伝えさせた言葉であった。 「私が過去に申し上げたことについては、それほど訂正しないでもいいと思います。どちらにもせよ愛していただけばいいのです。そう思いますとまた恨めしい気にもなります。今夜の御待遇などからそう思うのです。北側のお部屋へお入れになって、いい女房がたは失礼だとお思いになるでしょうが、下仕え級の方とでも話して行くようなことがしたいのです。兄弟をこんなふうにお扱いになるようなことは、これも不思議なことといわなければなりませんよ」 批難するふうに言っているのもおかしくて、宰相の君に玉鬘は言わせた。 「人聞きが遠慮いたされまして、あまりにわかな変わり方は見せられないように思うものですから、お話し申し上げたい長い年月のことも、聞いていただけませんことで、私もお言葉のように残念でならないのでございます」 ときまじめな挨拶をされ、頭の中将はきまりが悪くなって、この上のことは言わないことにした。
「妹背山深き道をば尋ねずてをだえの橋にふみまどひける
そうでしたよ」 と真底から感じているふうで中将は言った。
「まどひける道をば知らず妹背山たどたどしくぞたれもふみ見し
と申されます」 と女主人の歌を伝えてからまた宰相は言う、 「どのことをお言いになりますことかそのころはおわかりにならなかったようでございます。ただあまり御おとなしくて御遠慮ばかりあそばすものですから、どなた様へもお返事をお出しになることがなかったのでございます。これからは決してそうでもございませんでしょう」 もっともなことでもあったから、 「ではまあよろしいことにしまして、ここで長居をしていましてもつまりません。誠意を認めていただくことに骨を折りましょう。これからは毎日精勤することにして」 と言って中将は帰って行くのであった。月が明るく中天に上っていて、艶な深夜に上品な風采の若い殿上人の歩いて行くことははなやかな見ものであった。源中将ほどには美しくないが、これはこれでまたよく思われるのは、どうしてこうまでだれもすぐれた人ぞろいなのであろうと、若い女房たちは例のように、より誇張した言葉でほめたてていた。 大将はこの中将のいる右近衛のほうの長官であったから、始終この人を呼んで玉鬘との縁組みについて熟談していた。内大臣へも希望を取り次いでもらっていたのである。人物もりっぱであったし、将来の大臣として活躍する素地のある人であったから、娘のために悪い配偶者ではないと大臣は認めていたが、源氏が尚侍をばどうしようとするかには抗議の持ち出しようもなく、またそうすることには深い理由もあることであろうと思っていたから、すべて源氏に一任していると返辞をさせていた。この大将は東宮の母君である女御とは兄弟であった。源氏と内大臣に続いての大きい勢力があった。年は三十二である。夫人は紫の女王の姉君であった。式部卿の宮の長女である。年が三つか四つ上であることはたいして並みはずれな夫婦ではないが、どうした理由でかその夫人をお婆様と呼んで、大将は愛していなかった。どうかして別れたい、別に結婚がしたいと願っていた。そうした夫人の関係があるために、源氏は大将と玉鬘との縁談には賛成ができないでいたのである。大将の家庭のためにもそう思ったことであり、玉鬘のためにも煩雑な関係を避けさせたかったのである。大将は好色な人ではないが、夢中になって玉鬘を得ようとしていた。内大臣も断然不賛成だというのでもないという情報を大将は得ていた。玉鬘自身は宮仕えに気が進んでいないということもまた身辺にいる者からくわしく伝えられて大将は聞いていた。 「ではただ源氏の大臣だけが家庭の人になるのに反対していられるのだというわけではないか。実父がいいと思われる事どおりになすったらいいじゃないか」 と大将は仲介者の女房の弁を責めていた。 九月になった。初霜が庭をほの白くした艶な朝に、また例のように女房たちが諸方から依頼された手紙を、恥じるようにしながら玉鬘の居間へ持って来たのを、自分で読むことはせずに、女房があけて読むのをだけ姫君は聞いていた。右大将のは、
恋する人の頼みにします八月もどうやら過ぎてしまいそうな空をながめて私は煩悶しております。
数ならばいとひもせまし長月に命をかくるほどぞはかなき
十月に玉鬘が御所へ出ることを知っている書き方である。兵部卿の宮は、
不幸な運命を持つ、無力な私は今さら何を申し上げることもないのですが、
朝日さす光を見ても玉笹の葉分の霜は消たずもあらなん
私の恋する心を認めていてくださいましたら、せめてそれだけを慰めにしたいと思っています。
というのである。手紙の付けられてあったのは縮かんだようになった下折れ笹に霜の積もったのであって、来た使いの形もこの笹にふさわしい姿であった。式部卿の宮の左兵衛督は南の夫人の弟である。六条院へは始終来ている人であったから、玉鬘の宮中入りのこともよく知っていて、相当に煩悶をしているのが文意に現われていた。
忘れなんと思ふも物の悲しきをいかさまにしていかさまにせん
選んだ紙の色、書きよう、焚きしめた薫香の匂いもそれぞれ特色があって、美しい感じ、はっきりとした感じ、奥ゆかしい感じをそれらの手紙から受け取ることができた。玉鬘が御所へ出るようになればこうしたことがなくなることを言って、女房たちは惜しがっていた。宮への御返事だけを、どういう気持ちになっていたのか、短くはあったが玉鬘は書いた。
心もて日かげに向かふ葵だに朝置く露をおのれやは消つ
ほのかな字で書かれたこの歌に、同情を持つ心の言ってあるのを御覧になって、一つの歌ではあるが宮は非常にうれしくお思いになった。こんなふうに恨めしがる手紙はまだほかからも多く来た。求婚者を多数に持つ女の中の模範的の女だと源氏と内大臣は玉鬘を言っていたそうである。
●表記について
- このファイルは W3C 勧告 XHTML1.1 にそった形式で作成されています。
上一页 [1] [2] 尾页
|