おほかたの荻の葉過ぐる風の音もうき身一つに沁むここちして
こんなことを口ずさんでいた。 源氏が東の町の西の対へ行った時は、夜の風が恐ろしくて明け方まで眠れなくて、やっと睡眠したあとの寝過ごしをした玉鬘が鏡を見ている時であった。たいそうに先払いの声を出さないようにと源氏は注意していて、そっと座敷へはいった。屏風なども皆畳んであって混雑した室内へはなやかな秋の日ざしがはいった所に、あざやかな美貌の玉鬘がすわっていた。源氏は近い所へ席を定めた。荒い野分の風もここでは恋を告げる方便に使われるのであった。 「そんなふうなことを言って、私をお困らせになりますから、私はあの風に吹かれて行ってしまいたく思いました」 と機嫌をそこねて玉鬘が言うと源氏はおもしろそうに笑った。 「風に吹かれてどこへでも行ってしまおうというのは少し軽々しいことですね。しかしどこか吹かれて行きたい目的の所があるでしょう。あなたも自我を現わすようになって、私を愛しないことも明らかにするようになりましたね。もっともですよ」 と源氏が言うと、玉鬘は思ったままを誤解されやすい言葉で言ったものであると自身ながらおかしくなって笑っている顔の色がはなやかに見えた。海酸漿のようにふっくらとしていて、髪の間から見える膚の色がきれいである。目があまりに大きいことだけはそれほど品のよいものでなかった。そのほかには少しの欠点もない。中将は父の源氏がゆっくりと話している間に、この異腹の姉の顔を一度のぞいて知りたいとは平生から願っていることであったから、隅の部屋の御簾が几帳も添えられてあるが、乱れたままになっている、その端をそっと上げて見ると、中央の部屋との間に障害になるような物は皆片づけられてあったからよく見えた。戯れていることは見ていてわかることであったから、不思議な行為である。親子であっても懐に抱きかかえる幼年者でもない、あんなにしてよいわけのものでないのにと目がとまった。源氏に見つけられないかと恐ろしいのであったが、好奇心がつのってなおのぞいていると、柱のほうへ身体を少し隠すように姫君がしているのを、源氏は自身のほうへ引き寄せていた。髪の波が寄って、はらはらとこぼれかかっていた。女も困ったようなふうはしながらも、さすがに柔らかに寄りかかっているのを見ると、始終このなれなれしい場面の演ぜられていることも中将に合点された。悪感の覚えられることである、どういうわけであろう、好色なお心であるから、小さい時から手もとで育たなかった娘にはああした心も起こるのであろう、道理でもあるがあさましいと真相を知らない中将にこう思われている源氏は気の毒である。玉鬘は兄弟であっても同腹でない、母が違うと思えば心の動くこともあろうと思われる美貌であることを中将は知った。昨日見た女王よりは劣って見えるが、見ている者が微笑まれるようなはなやかさは同じほどに思われた。八重の山吹の咲き乱れた盛りに露を帯びて夕映えのもとにあったことを、その人を見ていて中将は思い出した。このごろの季節のものではないが、やはりその花に最もよく似た人であると思われた。花は美しくても花であって、またよく乱れた蕊なども盛りの花といっしょにあったりなどするものであるが、人の美貌はそんなものではないのである。だれも女房がそばへ出て来ない間、親しいふうに二人の男女は語っていたが、どうしたのかまじめな顔をして源氏が立ち上がった。玉鬘が、
吹き乱る風のけしきに女郎花萎れしぬべきここちこそすれ
と言った。これはその人の言うのが中将に聞こえたのではなくて、源氏が口にした時に知ったのである。不快なことがまた好奇心を引きもして、もう少し見きわめたいと中将は思ったが、近くにいたことを見られまいとしてそこから退いていた。源氏が、
「しら露に靡かましかば女郎花荒き風にはしをれざらまし
弱竹をお手本になさい」 と言ったと思ったのは、中将の僻耳であったかもしれぬが、それも気持ちの悪い会話だとその人は聞いたのであった。 花散里の所へそこからすぐに源氏は行った。今朝の肌寒さに促されたように、年を取った女房たちが裁ち物などを夫人の座敷でしていた。細櫃の上で真綿をひろげている若い女房もあった。きれいに染め上がった朽ち葉色の薄物、淡紫のでき上がりのよい打ち絹などが散らかっている。 「なんですこれは、中将の下襲なんですか。御所の壺前栽の秋草の宴なども今年はだめになるでしょうね。こんなに風が吹き出してしまってはね、見ることも何もできるものでないから。ひどい秋ですね」 などと言いながら、何になるのかさまざまの染め物織り物の美しい色が集まっているのを見て、こうした見立ての巧みなことは南の女王にも劣っていない人であると源氏は花散里を思った。源氏の直衣の材料の支那の紋綾を初秋の草花から摘んで作った染料で手染めに染め上げたのが非常によい色であった。 「これは中将に着せたらいい色ですね。若い人には似合うでしょう」 こんなことも言って源氏は帰って行った。 面倒な夫人たちの訪問の供を皆してまわって、時のたったことで中将は気が気でなく思いながら妹の姫君の所へ行った。 「まだ御寝室にいらっしゃるのでございますよ。風をおこわがりになって、今朝はもうお起きになることもおできにならないのでございます」 と、乳母が話した。 「悪い天気でしたからね。こちらで宿直をしてあげたかったのだが、宮様が心細がっていらっしゃったものですからあちらへ行ってしまったのです。お雛様の御殿はほんとうにたいへんだったでしょう」 女房たちは笑って言う、 「扇の風でもたいへんなのでございますからね。それにあの風でございましょう。私どもはどんなに困ったことでしょう」 「何でもない紙がありませんか。それからあなたがたがお使いになる硯を拝借しましょう」 と中将が言ったので女房は棚の上から出して紙を一巻き蓋に入れて硯といっしょに出してくれた。 「これはあまりよすぎて私の役にはたちにくい」 と言いながらも、中将は姫君の生母が明石夫人であることを思って、遠慮をしすぎる自分を苦笑しながら書いた。それは淡紫の薄様であった。丁寧に墨をすって、筆の先をながめながら考えて書いている中将の様子は艶であった。しかしその手紙は若い女房を羨望させる一女性にあてて書かれるものであった。
風騒ぎむら雲迷ふ夕べにも忘るるまなく忘られぬ君
という歌の書かれた手紙を、穂の乱れた刈萱に中将はつけていた。女房が、 「交野の少将は紙の色と同じ色の花を使ったそうでございますよ」 と言った。 「そんな風流が私にはできないのですからね。送ってやる人だってまたそんなものなのですからね」 中将はこうした女房にもあまりなれなれしくさせない溝を作って話していた。品のよい貴公子らしい行為である。中将はもう一通書いてから右馬助を呼んで渡すと、美しい童侍や、ものなれた随身の男へさらに右馬助は渡して使いは出て行った。若い女房たちは使いの行く先と手紙の内容とを知りたがっていた。姫君がこちらへ来ると言って、女房たちがにわかに立ち騒いで、几帳の切れを引き直したりなどしていた。昨日から今朝にかけて見た麗人たちと比べて見ようとする気になって、平生はあまり興味を持たないことであったが、妻戸の御簾へ身体を半分入れて几帳の綻びからのぞいた時に、姫君がこの座敷へはいって来るのを見た。女房が前を往き来するので正確には見えない。淡紫の着物を着て、髪はまだ着物の裾には達せずに末のほうがわざとひろげたようになっている細い小さい姿が可憐に思われた。一昨年ごろまでは稀に顔も見たのであるが、そのころよりはまたずっと美しくなったようであると中将は思った。まして妙齢になったならどれほどの美人になるであろうと思われた。さきに中将の見た麗人の二人を桜と山吹にたとえるなら、これは藤の花といってよいようである。高い木にかかって咲いた藤が風になびく美しさはこんなものであると思われた。こうした人たちを見たいだけ見て暮らしたい、継母であり、異母姉妹であれば、それのできないのがかえって不自然なわけであるが、事実はそうした恨めしいものになっていると思うと、まじめなこの人も魂がどこかへあこがれて行ってしまう気がした。 三条の宮へ行くと宮は静かに仏勤めをしておいでになった。若い美しい女房はここにもいるが、身なりも取りなしも盛りの家の夫人たちに使われている人たちに比べると見劣りがされた。顔だちのよい尼女房の墨染めを着たのなどはかえってこうした場所にふさわしい気がして感じよく思われた。内大臣も宮を御訪問に来て、灯などをともしてゆっくりと宮は話しておいでになった。 「姫君に長く逢いませんね。ほんとうにどうしたことだろう」 とお言い出しになって、宮はお泣きになった。 「近いうちにお伺わせいたします。自身から物思いをする人になって、哀れに衰えております。女の子というものは実際持たなくていいものですね。何につけかにつけ親の苦労の絶えないものです」 内大臣はまだあの古い過失について許し切っていないように言うのを、宮は悲しくお思いになって、望んでおいでになることは口へお出しになれなかった。話の続きに大臣は、 「ものにならない娘が一人出て来まして困っております」 と母宮に訴えた。 「どうしてでしょう。娘という名がある以上おとなしくないわけはないものですが」 「それがそういかないのです。醜態でございます。お笑いぐさにお目にかけたいほどです」 と大臣は言っていた。
●表記について
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- 「くの字点」をのぞくJIS X 0213にある文字は、画像化して埋め込みました。
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