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源氏物語(げんじものがたり)28 野分

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-11-6 9:44:41  点击:  切换到繁體中文

源氏物語

野分

紫式部

與謝野晶子訳




けざやかにめでたき人ぞましたる野
分がくる絵巻のおくに  (晶子)

 中宮ちゅうぐうのお住居すまいの庭へ植えられた秋草は、今年はことさら種類が多くて、その中へ風流な黒木、赤木のませがきが所々にわれ、朝露夕露の置き渡すころの優美な野の景色けしきを見ては、春の山も忘れるほどにおもしろかった。春秋の優劣を論じる人は昔から秋をよいとするほうの数が多いのであったが、六条院の春の庭のながめに説を変えた人々はまたこのごろでは秋の讃美さんび者になっていた、世の中というもののように。
 中宮はこれにお心がかれてずっと御実家生活を続けておいでになるのであるが、音楽の会の催しがあってよいわけではあっても、八月は父君の前皇太子の御忌月おんきづきであったから、それにはばかってお暮らしになるうちにますます草の花は盛りになった。今年の野分のわきの風は例年よりも強い勢いで空の色も変わるほどに吹き出した。草花のしおれるのを見てはそれほど自然に対する愛のあるのでもない浅はかな人さえも心が痛むのであるから、まして露の吹き散らされて無惨むざんに乱れていく秋草を御覧になる宮は御病気にもおなりにならぬかと思われるほどの御心配をあそばされた。おおうばかりのそでというものは春の桜によりも実際は秋空の前に必要なものかと思われた。日が暮れてゆくにしたがってしいたげられる草木の影は見えずに、風の音ばかりのつのってくるのも恐ろしかったが、格子なども皆おろしてしまったので宮はただ草の花を哀れにお思いになるよりほかしかたもおありにならなかった。
 南の御殿のほうも前の庭を修理させた直後であったから、この野分にもとあらの小萩こはぎが奔放に枝を振り乱すのを傍観しているよりほかはなかった。枝が折られて露の宿ともなれないふうの秋草を女王にょおうは縁の近くに出てながめていた。源氏は小姫君の所にいたころであったが、中将が来て東の渡殿わたどの衝立ついたての上から妻戸の開いた中を何心もなく見ると女房がおおぜいいた。中将は立ちどまって音をさせぬようにしてのぞいていた。屏風びょうぶなども風のはげしいために皆畳み寄せてあったから、ずっと先のほうもよく見えるのであるが、そこの縁付きの座敷にいる一女性が中将の目にはいった。女房たちと混同して見える姿ではない。気高けだかくてきれいで、さっとにおいの立つ気がして、春のあけぼのかすみの中から美しい樺桜かばざくらの咲き乱れたのを見いだしたような気がした。夢中になってながめる者の顔にまで愛嬌あいきょうが反映するほどである。かつて見たことのない麗人である。御簾みすの吹き上げられるのを、女房たちがおさえ歩くのを見ながら、どうしたのかその人が笑った。非常に美しかった。草花に同情して奥へもはいらずに紫の女王がいたのである。女房もきれいな人ばかりがいるようであっても、そんなほうへは目が移らない。父の大臣が自分に接近する機会を与えないのは、こんなふうに男性が見ては平静でありえなくなる美貌びぼうの継母と自分を、聡明そうめいな父は隔離するようにして親しませなかったのであったと思うと、中将は自身の隙見すきみの罪が恐ろしくなって、立ち去ろうとする時に、源氏は西側の襖子ふすまをあけて夫人の居間へはいって来た。
「いやな日だ。あわただしい風だね、格子を皆おろしてしまうがよい、男の用人がこの辺にもいるだろうから、用心をしなければ」
 と源氏が言っているのを聞いて、中将はまた元の場所へ寄ってのぞいた。女王は何かものを言っていて源氏も微笑しながらその顔を見ていた。親という気がせぬほど源氏は若くきれいで、美しい男の盛りのように見えた。女の美もまた完成の域に達した時であろうと、身にしむほどに中将は思ったが、この東側の格子も風に吹き散らされて、立っている所が中から見えそうになったのに恐れて身を退けてしまった。そして今来たようにせき払いなどをしながら南の縁のほうへ歩いて出た。
「だから私が言ったように不用心だったのだ」
 こう言った源氏がはじめて東の妻戸のあいていたことを見つけた。長い年月の間こうした機会がとらえられなかったのであるが、風はいわも動かすという言葉に真理がある、慎み深い貴女きじょも風のために端へ出ておられて、自分に珍しい喜びを与えたのであると中将は思ったのであった。家司けいしたちが出て来て、
「たいへんな風力でございます。北東から来るのでございますから、こちらはいくぶんよろしいわけでございます。馬場殿と南の釣殿つりどのなどは危険に思われます」
 などと主人に報告して、下人げにんにはいろいろな命令を下していた。
「中将はどこから来たか」
「三条の宮にいたのでございますが、風が強くなりそうだと人が申すものですから、心配でこちらへ出て参りました。あちらではお一方ひとかたきりなのですから心細そうになさいまして、風の音なども若い子のように恐ろしがっていられますからお気の毒に存じまして、またあちらへ参ろうと思います」
 と中将は言った。
「ほんとうにそうだ。早く行くがいいね。年がいって若い子になるということは不思議なようでも実は皆そうなのだね」
 と源氏は大宮に御同情していた。
騒がしい天気でございますから、いかがとお案じしておりますが、この朝臣あそんがお付きしておりますことで安心してお伺いはいたしません。
 という挨拶あいさつを言づてた。途中も吹きまくる風があってわびしいのであったが、まじめな公子であったから、三条の宮の祖母君と、六条院の父君への御機嫌きげん伺いを欠くことはなくて、宮中の御謹慎日などで、御所から外へ出られぬ時以外は、役所の用の多い時にも臨時の御用の忙しい時にも、最初に六条院の父君の前へ出て、三条の宮から御所へ出勤することを規則正しくしている人で、こんな悪天候の中へ身を呈するようなお見舞いなども苦労とせずにした。宮様は中将が来たので力を得たようにお喜びになった。
「年寄りの私がまだこれまで経験しないほどの野分ですよ」
 とふるえておいでになった。大木の枝の折れる音などもすごかった。家々のかわらの飛ぶ中を来たのは冒険であったとも宮は言っておいでになった。はなやかな御生活をあそばされたことも皆過去のことになって、この人一人をたよりにしておいでになる御現状を拝見しては無常も感ぜられるのである。今でも世間から受けておいでになる尊敬が薄らいだわけではないが、かえってお一人子の内大臣のとる態度にあたたかさの欠けたところがあった。
 夜通し吹き続ける風に眠りえない中将は、物哀れな気持ちになっていた。今日は恋人のことが思われずに、風の中でした隙見すきみではじめて知るを得た継母の女王の面影が忘られないのであった。これはどうしたことか、だいそれた罪を心で犯すことになるのではないかと思って反省しようとつとめるのであったが、また同じ幻が目に見えた。過去にも未来にもないような美貌びぼうの方である、あれほどの夫人のおられる中へ東の夫人が混じっておられるなどということは想像もできないことである。東の夫人がかわいそうであるとも中将は思った。父の大臣のりっぱな性格がそれによって証明された気もされる。まじめな中将は紫の女王を恋の対象として考えるようなことはしないのであるが、自分もああした妻がほしい、短い人生もああした人といっしょにいれば長生きができるであろうなどと思い続けていた。
 明け方に風が少し湿気を帯びた重い音になって村雨むらさめ風な雨になった。
「六条院では離れた建築物が皆倒れそうでございます」
 などと侍が報じた。風がみ抜いている間、広い六条院は大臣の住居すまい辺はおおぜいの人が詰めているであろうが、東の町などは人少なで花散里はなちるさと夫人は心細く思ったことであろうと中将は驚いて、まだほのぼのしらむころに三条の宮からたずねに出かけた。横雨が冷ややかに車へ吹き込んで来て、空の色もすごい道を行きながらも中将は、魂が何となく身に添わぬ気がした。これはどうしたこと、また自分には物思いが一つふえることになったのかと慄然りつぜんとした。これほどあるまじいことはない、自分は狂気したのかともいろいろに苦しんで六条院へ着いた中将は、すぐに東の夫人を見舞いに行った。非常におびえていた花散里をいろいろと慰めてから、家司けいしを呼んでそこねた所々の修繕を命じて、それから南の町へ行った。まだ格子は上げられずに人も起きていなかったので、中将は源氏の寝室の前にあたる高欄によりかかって庭をながめていた。風のあとの築山つきやまの木が被害を受けて枝などもたくさん折れていた。草むらの乱れたことはむろんで、檜皮ひわだとかかわらとかが飛び散り、立蔀たてじとみとか透垣すきがきとかが無数に倒れていた。わずかだけさした日光に恨み顔な草の露がきらきらと光っていた。空はすごく曇って、霧におおわれているのである。こんな景色けしきに対していて中将は何ということなしに涙のこぼれるのを押し込むようにいてせき払いをしてみた。
「中将が来ているらしい。まだ早いだろうに」
 と言って源氏は起き出すのであった。何か夫人が言っているらしいが、その声は聞こえないで源氏の笑うのが聞こえた。
「昔もあなたに経験させたことのない夜明けの別れを、今はじめて知って寂しいでしょう」
 と言っているのが感じよく聞こえた。女王の言葉は聞こえないのであるが、一方の言葉から推して、こうした戯れを言い合う今も緊張した間柄であることが中将にわかった。格子を源氏が手ずからあけるのを見て、あまり近くいることを遠慮して、中将は少し後へ退いた。
「どうだったか、昨晩伺ったことで宮様はお喜びになったかね」
「そうでございました。何でもないことにもお泣きになりますからお気の毒で」
 と中将が言うと源氏は笑って、
「もう長くはいらっしゃらないだろう。誠意をこめてお仕えしておくがいい。内大臣はそんなふうでないと私へおこぼしになったことがある。華美なきらきらしいことが好きで、親への孝行も人目を驚かすようにしたい人なのだね。情味を持ってどうしておあげしようというようなことのできない人なのだよ。複雑な性格で、非常な聡明そうめいさで末世の大臣に過ぎた力量のある人だがね。まあそう言えばだれにだって欠点はあるからね」
 などと源氏は言うのであった。
「あの大風に中宮ちゅうぐう付きの役人は皆出て来ていたか、昨夜ゆうべのことが不安だ」
 と言って、源氏は中将を見舞いに出すのであった。
昨晩の風のきついころはどうしておいでになりましたか。私は少しそのころから身体からだの調子がよろしゅうございませんのでただ今はまだ伺われません。
 という挨拶あいさつを持たせてやったのである。そこを立ち廊の戸を通って中宮の町へ出て行く若い中将の朝の姿が美しかった。東の対の南側の縁に立って、中央の寝殿を見ると、格子が二間ほどだけ上げられて、まだほのかな朝ぼらけに御簾みすを巻き上げて女房たちが出ていた。高欄によりかかって庭を見ているのは若い女房ばかりであった。打ち解けた姿でこうしたふうに出ていたりすることはよろしくなくても、これは皆きれいにいろいろな上着にまでつけて、重なるようにしてすわりながらおおぜいで出ているので感じのよいことであった。中宮は童女を庭へおろして虫籠むしかごに露を入れさせておいでになるのである。※(「くさかんむり/宛」、第3水準1-90-92)しおん色、撫子なでしこ色などの濃い色、淡い色のあこめに、女郎花おみなえし色の薄物の上着などの時節に合った物を着て、四、五人くらいずつ一かたまりになってあなたこなたの草むらへいろいろな籠を持って行き歩いていて、折れた撫子の哀れな枝なども取って来る。霧の中にそれらが見えるのである。お座敷の中を通って吹いて来る風は侍従香のにおいを含んでいた。貴女きじょの世界の心憎さが豊かに覚えられるお住居すまいである。驚かすような気がして中将は出にくかったが、静かな音をたてて歩いて行くと、女房たちはきわだって驚いたふうも見せずに皆座敷の中へはいってしまった。宮の御入内ごじゅだいの時に童形どうぎょう供奉ぐぶして以来知り合いの女房が多くて中将には親しみのある場所でもあった。源氏の挨拶あいさつを申し上げてから、宰相の君、内侍ないしなどもいるのを知って中将はしばらく話していた。ここにはまたすべての所よりも気高けだかい空気があった。そうした清い気分の中で女房たちと語りながらも中将は昨日きのう以来の悩ましさを忘れることができなかった。
 帰って来ると南御殿は格子が皆上げられてあって、夫人は昨夜ゆうべ気にかけながら寝た草花が所在も知れぬように乱れてしまったのをながめている時であった。中将は階段の所へ行って、中宮のお返辞を報じた。
荒い風もお防ぎくださいますでしょうと若々しく頼みにさせていただいているのでございますから、お見舞いをいただきましてはじめて安心いたしました。
 というのである。
「弱々しい宮様なのだからね、そうだったろうね。女はだれも皆こわくてたまるまいという気のした夜だったからね、実際不親切に思召おぼしめしただろう」
 と言って、源氏はすぐに御訪問をすることにした。直衣のうしなどを着るために向こうの室の御簾みすを引き上げて源氏がはいる時に、短い几帳きちょうを近くへ寄せて立てた人の袖口そでぐちの見えたのを、女王にょおうであろうと思うと胸がき上がるような音をたてた。困ったことであると思って中将はわざと外のほうをながめていた。源氏は鏡に向かいながら小声で夫人に言う、
「中将の朝の姿はきれいじゃありませんか、まだ小さいのだが洗練されても見えるように思うのは親だからかしら」
 鏡にある自分の顔はしかも最高の優越した美を持つものであると源氏は自信していた。身なりを整えるのに苦心をしたあとで、
「中宮にお目にかかる時はいつも晴れがましい気がする。なんらの見識を表へ出しておいでになるのでないが、前へ出る者は気がつかわれる。おおように女らしくて、そして高い批評眼が備わっているというようなかただ」
 こう言いながら源氏は御簾から出ようとしたが、中将が一方を見つめて源氏の来ることにも気のつかぬふうであるのを、鋭敏な神経を持つ源氏はそれをどう見たか引き返して来て夫人に、
昨日きのう風の紛れに中将はあなたを見たのじゃないだろうか。戸があいていたでしょう」
 と言うと女王は顔を赤くして、
「そんなこと。渡殿わたどののほうには人の足音がしませんでしたもの」
 と言っていた。
「しかし、疑わしい」
 源氏はこう独言ひとりごとを言いながら中宮の御殿のほうへ歩いて行った。また供をして行った中将は、源氏が御簾みすの中へはいっている間を、渡殿の戸口の、女房たちの集まっているけはいのうかがわれる所へ行って、戯れを言ったりしながらも、新しい物思いのできた人は平生よりもめいったふうをしていた。
 そこからすぐに北へ通って明石あかしの君の町へ源氏は出たが、ここでははかばかしい家司けいし風の者は来ていないで、下仕えの女中などが乱れた草の庭へ出て花の始末などをしていた。童女が感じのいい姿をして夫人の愛している竜胆りんどうや朝顔がほかの葉の中に混じってしまったのをり出していたわっていた。物哀れな気持ちになっていて明石は十三げんの琴をきながら縁に近い所へ出ていたが、人払いの声がしたので、平常着ふだんぎの上へさおからおろした小袿こうちぎを掛けて出迎えた。こんな急な場合にも敬意を表することを忘れない所にこの人の性格が見えるのである。座敷の端にしばらくすわって、風の見舞いだけを言って、そのまま冷淡に帰って行く源氏の態度を女は恨めしく思った。


 

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