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源氏物語(げんじものがたり)23 初音

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-11-6 9:40:55  点击:  切换到繁體中文


 源氏はまだようやくあけぼのぐらいの時刻に南御殿へ帰った。こんなに早く出て行かないでもいいはずであるのにと、明石はそのあとでやはり物思わしい気がした。紫の女王はまして、失敬なことであると、不快に思っているはずの心がらを察して、
「ちょっとうたた寝をして、若い者のようによく寝入ってしまった私を、迎えにもよこしてくれませんでしたね」
 こんなふうにも言って機嫌きげんを取っているのもおもしろく思われた。打ち解けた返辞のしてもらえない源氏は困ったままで、そのまま寝入ったふうを作ったが、朝はずっとおそくなって起きた。正月の二日は臨時の饗宴きょうえんを催すことになっていたために、忙しいふうをして源氏はきまり悪さを紛らせていた。親王がたも高官たちもほとんど皆六条院の新年宴会に出席した。音楽の遊びがあって贈り物に纏頭てんとうに六条院にのみよくする華奢かしゃが見えた。多数の縉紳しんしんは皆きらびやかに風采ふうさいを作っているが、源氏に準じて見えるほどの人もないのであった。個別的に見ればりっぱな人の多い時ではあるが、源氏の前では光彩を失ってしまうのが気の毒である。つまらぬ下僕しもべなども主人に従って六条院へ来る時には、服装も身の取りなしをも晴れがましく思うのであったから、まして年若な高官たちは妙齢の姫君が新たに加わった六条院の参座には夢中になるほど容姿を気にして来て、平年と違った光景が現出された新春であった。春の花を誘う夕風がのどかに吹いていた。前の庭の梅が少し咲きそめたこの黄昏たそがれ時に、楽音がおもしろく起こって来た。「この殿」が最初に歌われて、はなやかな気分がまず作られたのである。源氏も時々声を添えた。福草さきぐさの三つ葉四つ葉にというあたりがことにおもしろく聞かれた。どんなことにも源氏の片影が加わればそのものが光づけられるのである。こうしたはなやかな遊びも派手はでな人出入りの物音も遠く離れた所で聞いている紫の女王にょおう以外の夫人たちは、極楽世界に生まれても下品下生げぼんげしょうの仏で、まだ開かないはすつぼみの中にこもっている気がされた。まして離れた東の院にいる人たちは、年月に添えて退屈さと寂しさが加わるのであるが、うるさい世の中と隔離した山里に住んでいる気になっていて、源氏の冷淡さをとがめたり恨んだりする気にもなれなかった。物質的の心配はいっさいなかったから、仏勤めをする人は専念に信仰の道に進めるし、文学好きな人はまたその勉強がよくできた。住居すまいなども個人個人の趣味と生活にかなった様式に作られてあった。
 新年騒ぎの少し静まったころになって源氏は東の院へ来た。末摘花すえつむはな女王にょおうは無視しがたい身分を思って、形式的には非常に尊貴な夫人としてよく取り扱っているのである。昔たくさんあった髪も、年々に少なくなって、しかも今は白い筋の多く混じったこの人を、面と向かって見ることが堪えられず気の毒で、源氏はそれをしなかった。柳の色は女が着て感じのよいものでないと思われたが、それはここだけのことで、着手が悪いからである。陰気な黒ずんだ赤の掻練かいねり糊気のりけの強い一かさねの上に、贈られた柳の織物の小袿こうちぎを着ているのが寒そうで気の毒であった。重ねに仕立てさせる服地も贈られたのであるがどうしたのであろう。鼻の色だけは春のかすみにもこれは紛れてしまわないだろうと思われるほどの赤いのを見て、源氏は思わず歎息たんそくをした。手はわざわざ几帳きちょうの切れを丁寧に重ね直した。かえって末摘花は恥ずかしがっていないのである。こうして変わらぬ愛をかける源氏に真心から信頼している様子に同情がされた。こんなことにも常識の不足した点のあるのを、哀れな人であると源氏は思って、自分だけでもこの人を愛してやらねばというふうに考えるところに源氏の善良さがうかがえるのである。話す声なども寒そうにふるえていた。
 源氏は見かねて言った。
「あなたの着物のことなどをお世話する者がありますか。こんなふうに気楽に暮らしていてよい人というものは、外見はどうでも、何枚でも着物を着重ねているのがいいのですよ。表面だけの体裁よさを作っているのはつまりませんよ」
 女王はさすがにおかしそうに笑った。
醍醐だいご阿闍梨あじゃりさんの世話に手がかかりましてね、仕立て物が間に合いませんでした上に、毛皮なども借りられてしまいまして寒いのですよ」
 と説明する阿闍梨というのは鼻の非常に赤い兄の僧のことである。あまりに見栄を知らない女であると思いながらも、ここではまじめな一面だけを見せている源氏はなおも注意をする。
「毛皮はお坊様にあげたほうが適当でいいのですよ、そんな物より、白い着物という物は何枚でも重ねて着ていいのですからね。なぜあなたはそうしないのですか。入り用な物も送ってよこすのを私が忘れていれば、遠慮なく言ってよこしてください。もとからぼんやりとした私はまたなまけ者でもあるし、ほかの方たちのこととこんがらがってしまうこともあって、済まない結果にもなるのですよ」
 と言って源氏は、隣の二条院のほうのくらをあけさせ、絹やあやを多くくれないの女王に贈った。荒れた所もないが、男主人の平生住んでいない家は、どことなく寂しい空気のたまっている気がした。前の庭の木立ちだけは春らしく見えて、咲いた紅梅なども賞翫しょうがんする人のないのをながめて、

ふるさとの春の木末にたづねきて世の常ならぬ花を見るかな

 と源氏は独言ひとりごとしたが、鼻の赤い夫人は何のこととも気づかなかったであろう。
 空蝉うつせみの尼君の住んでいる所へ源氏は来た。そこの主人あるじらしくここは住まずに、目だたぬ一室にいて、住居すまいの大部分を仏間に取った空蝉が仏勤めに傾倒して暮らす様子も哀れに見えた。経巻の作りよう、仏像の飾り、ちょっとした閼伽あかの器具などにも空蝉のよい趣味が見えてなつかしかった。青鈍あおにび色の几帳きちょうの感じのよいかげにすわっている尼君の袖口そでぐちの色だけにはほかの淡い色彩も混じっていた。源氏は涙ぐんでいた。
「松が浦島うらしま(松が浦島今日けふぞ見るうべ心あるあまも住みけり)だと思って神聖視するのにとどめておかねばならないあなたなのですね。昔から何という悲しい二人でしょう。しかしこうしてってお話しするくらいのことは永久にできるだけの因縁があるのですね」
 などと言った。空蝉の尼君も物哀れな様子で、
「ただ今こんなふうに御信頼して暮らさせていただきますことで、私は前生に御縁の深かったことを思っております」
 と言う。
「あなたをしいたげた過去の追憶に苦しんで、おりおり今でも仏におびを言わねばならないのが私です。しかしおわかりになりましたか、ほかの男は私のように純なものではないということを、あなたはそれからの経験でお知りになっただろうと思う」
 継息子ままむすこのよこしまな恋に苦しめられたことを、源氏は聞いていたのであろうと女は恥ずかしく思った。
「こんなにみじめになりました晩年をお見せしておりますことでだれの過去の罪も清算されるはずでございます。これ以上の報いがどこにございましょう」
 と言って、空蝉うつせみは泣いてしまった。昔よりも深味のできた品のよい所が見え、過去の恋人で現在の尼君として別世界のものに扱うだけでは満足のできかねる気も源氏はしたが、恋の戯れを言いかけうる相手ではなかった。いろいろな話をしながらも、せめてこれだけの頭のよさがあの人にあればよいのにと末摘花の住居すまいのほうがながめられた。こんなふうで源氏の保護を受けている女は多かった。だれの所もらさず訪問して、
「長く来られない時もありますが、心のうちでは忘れているのではないのです。ただ生死の別れだけが私たちを引き離すものだと思いますが、その命というものを考えると、実に心細くなりますよ」
 などとなつかしい調子で恋人たちを慰めていた。皆ほどほどに源氏は愛していた。女に対して驕慢きょうまんな心にもついなりそうな境遇にいる源氏ではあるが、末々の恋人にまで誠意を忘れず持ってくれることに、それらの人々は慰められて年月を送っていた。
 今年ことしの正月には男踏歌おとことうかがあった。御所からすぐに朱雀すざく院へ行ってその次に六条院へ舞い手はまわって来た。道のりが遠くてそれは夜の明け方になった。月が明るくさして薄雪の積んだ六条院の美しい庭で行なわれる踏歌がおもしろかった。舞や音楽の上手じょうずな若い役人の多いころで、笛なども巧みに吹かれた。ことにここでのできばえを皆晴れがましく思っているのである。他の二夫人らにも来て見物することを源氏が勧めてあったので、南の御殿の左右の対や渡殿わたどのを席に借りて皆来ていた。東の住居すまいの西の対の玉鬘たまかずらの姫君は南の寝殿に来て、こちらの姫君に面会した。紫夫人も同じ所にいて几帳きちょうだけを隔てて玉鬘と話した。踏歌の組は朱雀すざく院で皇太后の宮のほうへ行っても一回舞って来たのであったから、時間がおそくなり、夜も明けてゆくので、饗応きょうおうなどは簡単に済ますのでないかと思っていたが、普通以上の歓待を六条院では受けることになった。光の強い一月の暁の月夜に雪は次第に降り積んでいった。松風が高い所から吹きおろしてきてすさまじい感じにももう一歩でなりそうな庭にもう折り目もなくなった青色の上着に白襲しろがさねを下にしただけの服装に、見ばえのない綿を頭にかぶっている舞い手が出ているだけのことも、所がらかおもしろくて、命も延びるほどに観衆は思った。源氏の子息の中将と内大臣の公子たちが舞い手の中ではことにはなやかに見えた。ほのぼのと東の空が白んでゆく光に、やや大降りに降る雪の影が見えて寒い中で、「竹川」を歌って、右に寄り、左に集まって行く舞い手の姿、若々しいその歌声などは、絵にかいて残すことのできないのが遺憾である。各夫人の見物席には、いずれ劣らぬ美しい色を重ねた女房の袖口そでぐちが出ていて、あけぼのの空に春の花のにしきかすみが長く一段だけ見せているようで、これがまた見ものであった。舞い人は、「高巾子こうこじ」という脱俗的な曲を演じたり、自由な寿詞じゅし滑稽味こっけいみを取り混ぜたりもして、音楽、舞曲としてはたいして価値のないことで役を済ませて、慣例の纏頭てんとうである綿を一袋ずつ頭にいただいて帰った。夜がすっかり明けたので、二夫人らは南御殿を去った。源氏はそれからしばらく寝て八時ごろに起きた。
「中将の声はべんの少将の美音にもあまり劣らなかったようだ、今は不思議に優秀な若者の多い時代なのですね。昔は学問その他の堅実な方面にすぐれた人が多かったろうが、芸術的のことでは近代の人の敵ではないらしく思われる。私は中将などをまじめな役人に仕上げようとする教育方針を取っていて、私自身のまじめでありえなかった名誉を回復させたく思っていたが、やはりそれだけでは完全な人間に成りえないのだから、芸術的な所をなくさせぬようにしなければならないのだと知った。どんな欲望も抑制したまじめ顔がその人の全部であってはいやなものですよ」
 などと源氏は夫人に言って、息子をかわいく思うふうが見えた。万春楽ばんしゅんがくを口ずさみにしていた源氏は、
「奥さんがたがはじめてこちらへ来た記念に、もう一度集まってもらって、音楽の合奏をして遊びたい気がする。私のうちだけの後宴ごえんがあるべきだ」
 と言って、秘蔵の楽器をそれぞれ袋から出してちりを払わせたり、ゆるんだげんを締めさせたりなどしていた。夫人たちはそのことをどんなに晴れがましく思ったことであろう。





底本:「全訳源氏物語 中巻」角川文庫、角川書店
   1971(昭和46)年11月30日改版初版発行
   1994(平成6)年6月15日39版発行
※このファイルは、古典総合研究所(http://www.genji.co.jp/)で入力されたものを、青空文庫形式にあらためて作成しました。
※校正には、2002(平成14)年1月15日44版を使用しました。
入力:上田英代
校正:kumi
2003年5月22日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。



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  • このファイルは W3C 勧告 XHTML1.1 にそった形式で作成されています。

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