「きまりを悪がりすぎますね」 と源氏は少し笑った。ほんとうにと思っているような姫君の目つきであった。少しも他人のようには扱わないで、源氏は親らしく言う。 「長い間あなたの居所がわからないので心配ばかりさせられましたよ。こうして逢うことができても、まだ夢のような気がしてね。それに昔のことが思い出されて堪えられないものが私の心にあるのです。だから話もよくできません」 こう言って目をぬぐう源氏であった。それは偽りでなくて、源氏は夕顔との死別の場を悲しく思い出しているのであった。年を数えてみて、 「親子であってこんなに長く逢えなかったというようなことは例もないでしょう。恨めしい運命でしたね。もうあなたは少女のように恥ずかしがってばかりいてよい年でもないのですから、今日までの話も私はしたいのに、なぜあなたは黙ってばかりいますか」 と源氏が恨みを言うのを聞くと、何と言ってよいかわからぬほど姫君は恥ずかしいのであったが、 「足立たずで(かぞいろはいかに哀れと思ふらん三とせになりぬ足立たずして)遠い国へ流れ着きましたころから、私は生きておりましたことか、死んでおりましたことかわからないのでございます」 とほのかに言うのが夕顔の声そのままの語音であった。源氏は微笑を見せながら、 「あなたに人生の苦しい道をばかり通らせて来た酬いは私がしないでだれにしてもらえますか」 と言って、源氏は聡明らしい姫君の物の言いぶりに満足しながら、右近にいろいろな注意を与えて源氏は帰った。 感じのよい女性であったことをうれしく思って、源氏は夫人にもそのことを言った。 「野蛮な地方に長くいたのだから、気の毒なものに仕上げられているだろうと私は軽蔑していたが、こちらがかえって恥ずかしくなるほどでしたよ。娘にこうした麗人を持っているということを世間へ知らせるようにして、よくおいでになる兵部卿の宮などに懊悩をおさせするのだね。恋愛至上主義者も私の家ではきまじめな方面しか見せないのも妙齢の娘などがないからなのだ。たいそうにかしずいてみせよう、まだ成っていない貴公子たちの懸想ぶりをたんと拝見しよう」 と源氏が言うと、 「変な親心ね。求婚者の競争をあおるなどとはひどい方」 と女王は言う。 「そうだった、あなたを今のような私の心だったらそう取り扱うのだった。無分別に妻などにはしないで、娘にしておくのだった」 夫人の顔を赤らめたのがいかにも若々しく見えた。源氏は硯を手もとへ引き寄せながら、無駄書きのように書いていた。
恋ひわたる身はそれながら玉鬘いかなる筋を尋ね来つらん
「かわいそうに」 とも独言しているのを見て、玉鬘の母であった人は、前に源氏の言ったとおりに、深く愛していた人らしいと女王は思った。 源氏は子息の中将にも、こうこうした娘を呼び寄せたから、気をつけて交際するがよいと言ったので、中将はすぐに玉鬘の御殿へ訪ねて行った。 「つまらない人間ですが、こんな弟がおりますことを御念頭にお置きくださいまして、御用があればまず私をお呼びになってください。こちらへお移りになりました時も、存じないものでお世話をいたしませんでした」 と忠実なふうに言うのを聞いていて、真実のことを知っている者はきまり悪い気がするほどであった。物質的にも一所懸命の奉仕をしていた九州時代の姫君の住居も現在の六条院の華麗な設備に思い比べてみると、それは田舎らしいたまらないものであったようにおとどなどは思われた。すべてが洗練された趣味で飾られた気高い家にいて、親兄弟である親しい人たちは風采を始めとして、目もくらむほどりっぱな人たちなので、こうなってはじめて三条も大弐を軽蔑してよい気になった。まして大夫の監は思い出すだけでさえ身ぶるいがされた。何事も豊後介の至誠の賜物であることを玉鬘も認めていたし、右近もそう言って豊後介を賞めた。確とした規律のある生活をするのにはそれが必要であると言って、玉鬘付きの家従や執事が決められた時に豊後介もその一人に登用された。すっかり田舎上がりの失職者になっていた豊後介はにわかに朗らかな身の上になった。かりにも出入りする便宜などを持たなかった六条院に朝夕出仕して、多数の侍を従えて執務することのできるようになったことを豊後介は思いがけぬ大幸福を得たと思っていた。これらもすべて源氏が思いやり深さから起こったことと言わねばならない。 年末になって、新年の室内装飾、春の衣裳を配る時にも、源氏は玉鬘を尊貴な夫人らと同じに取り扱った。どんなに思いのほかによい趣味を知った人と見えても、またどんなまちがった物の取り合わせをするかもしれぬという不安な気持ちもあって、玉鬘のほうへはすでに衣裳にでき上がった物を贈ることにしたが、その時にほうぼうの織物師が力いっぱいに念を入れて作り出した厚織物の細長や小袿の仕立てたのを源氏は手もとへ取り寄せて見た。 「非常にたくさんありますね。奥さんたちなどにもそれぞれよい物を選って贈ることにしよう」 と源氏が夫人に言ったので、女王は裁縫係の所にでき上がっている物も、手もとで作らせた物もまた皆出して源氏に見せた。紫の女王はこうした服飾類を製作させることに趣味と能力を持っている点ででも源氏はこの夫人を尊重しているのである。あちらこちらの打ち物の上げ場から仕上がって来ている糊をした打ち絹も源氏は見比べて、濃い紅、朱の色などとさまざまに分けて、それを衣櫃、衣服箱などに添えて入れさせていた。高級な女房たちがそばにいて、これをそれに、それをこれにというように源氏の命じるままに贈り物を作っているのであった。夫人もいっしょに見ていて、 「皆よくできているのですから、お召しになるかたのお顔によく似合いそうなのを見立てておあげなさいまし。着物と人の顔が離れ離れなのはよくありませんから」 と言うと、源氏は笑って、 「素知らぬ顔であなたは着る人の顔を想像しようとするのですね。それにしてもあなたはどれを着ますか」 と言った。 「鏡に見える自分の顔にはどの着物を着ようという自信も出ません」 さすがに恥ずかしそうに言う女王であった。紅梅色の浮き模様のある紅紫の小袿、薄い臙脂紫の服は夫人の着料として源氏に選ばれた。桜の色の細長に、明るい赤い掻練を添えて、ここの姫君の春着が選ばれた。薄いお納戸色に海草貝類が模様になった、織り方にたいした技巧の跡は見えながらも、見た目の感じの派手でない物に濃い紅の掻練を添えたのが花散里。真赤な衣服に山吹の花の色の細長は同じ所の西の対の姫君の着料に決められた。見ぬようにしながら、夫人にはひそかにうなずかれるところがあるのである。内大臣がはなやかできれいな人と見えながらも艶な所の混じっていない顔に玉鬘の似ていることを、この黄色の上着の選ばれたことで想像したのであった。色に出して見せないのであるが、源氏はそのほうを見た時に、夫人の心の平静でないのを知った。 「もう着る人たちの容貌を考えて着物を選ぶことはやめることにしよう、もらった人に腹をたてさせるばかりだ。どんなによくできた着物でも物質には限りがあって、人の顔は醜くても深さのあるものだからね」 こんなことも言いながら、源氏は末摘花の着料に柳の色の織物に、上品な唐草の織られてあるのを選んで、それが艶な感じのする物であったから、人知れず微笑まれるのであった。梅の折り枝の上に蝶と鳥の飛びちがっている支那風な気のする白い袿に、濃い紅の明るい服を添えて明石夫人のが選ばれたのを見て、紫夫人は侮辱されたのに似たような気が少しした。空蝉の尼君には青鈍色の織物のおもしろい上着を見つけ出したのへ、源氏の服に仕立てられてあった薄黄の服を添えて贈るのであった。同じ日に着るようにとどちらへも源氏は言い添えてやった。自身の選定した物がしっくりと似合っているかを源氏は見に行こうと思うのである。 夫人たちからはそれぞれの個性の見える返事が書いてよこされ、使いへ出した纏頭もさまざまであったが、末摘花は東の院にいて、六条院の中のことでないから纏頭などは気のきいた考えを出さねばならぬのに、この人は形式的にするだけのことはせずにいられぬ性格であったから纏頭も出したが、山吹色の袿の袖口のあたりがもう黒ずんだ色に変色したのを、重ねもなく一枚きりなのである。末摘花女王の手紙は香の薫りのする檀紙の、少し年数物になって厚く膨れたのへ、
どういたしましょう、いただき物はかえって私の心を暗くいたします。
着て見ればうらみられけりから衣かへしやりてん袖を濡らして
と書かれてあった。字は非常に昔風である。源氏はそれをながめながらおかしくてならぬような笑い顔をしているのを、何があったのかというふうに夫人は見ていた。源氏は使いへ末摘花の出した纏頭のまずいのを見て、機嫌の悪くなったのを知り、使いはそっと立って行った。そしてその侍は自身たちの仲間とこれを笑い話にした。よけいな出すぎたことをする点で困らせられる人であると源氏は思っていた。 「りっぱな歌人なのだね、この女王は。昔風の歌詠みはから衣、袂濡るるという恨みの表現法から離れられないものだ。私などもその仲間だよ。凝り固まっていて、新しい言葉にも表現法にも影響されないところがえらいものだ。御前などの歌会の時に古い人らが友情を言う言葉に必ずまどいという三字が使われるのもいやなことだ。昔の恋愛をする者の詠む歌には相手を悪く見て仇人という言葉を三句めに置くことにして、それをさえ中心にすれば前後は何とでもつくと思ったものらしい」 などと源氏は夫人に語った。 「いろんな歌の手引き草とか、歌に使う名所の名とかの集めてあるのを始終見ていて、その中にある言葉を抜き出して使う習慣のついている人は、それよりほかの作り方ができないものと見える。常陸の親王のお書きになった紙屋紙の草紙というのを、読めと言って女王さんが貸してくれたがね、歌の髄脳、歌の病、そんなことがあまりたくさん書いてあったから、もともとそのほうの才分の少ない私などは、それを見たからといって、歌のよくなる見込みはないから、むずかしくてお返ししましたよ。それに通じている人の歌としては、だれでもが作るような古いところがあるじゃないかね」 滑稽でならないように源氏に笑われている末摘花の女王はかわいそうである。夫人はまじめに、 「なぜすぐお返しになりましたの、写させておいて姫君にも見せておあげになるほうがよかったでしょうにね。私の書物の中にも古いその本はありましたけれど、虫が穴をあけて何も読めませんでした。その御本に通じていて歌の下手な方よりも、全然知らない私などはもっとひどく拙いわけですよ」 と言った。 「姫君の教育にそんなものは必要でない。いったい女というものは一つのことに熱中して専門家的になっていることが感じのいいものではない。といって、どの芸にも門外の人であることはよくないでしょうがね。ただ思想的に確かな人にだけしておいて、ほかは平穏で瑕のない程度の女に私は教育したい」 こんなことを源氏は言っていて、もう一度末摘花へ返事を書こうとするふうのないのを、夫人は、 「返しやりてん、とお言いになったのですから、もう一度何とかおっしゃらないでは失礼ですわ」 と言って、書くことを勧めていた。人情味のある源氏であったから、すぐに返歌が書かれた、非常に楽々と、
かへさんと言ふにつけても片しきの夜の衣を思ひこそやれ
ごもっともです。
という手紙であったらしい。
●表記について
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