とだけ書かれてある手紙を、例のように源氏は熱心にながめていた。斎院が父宮の喪の済んでお服直しをされる時も、源氏からたいした贈り物が来た。
女王はそれをお受けになることは醜いことであるというように言っておいでになったが、求婚者としての言葉が添えられていることであれば辞退もできるが、これまで長い間何かの場合に公然の進物を送り続けた源氏であって、親切からすることであるから返却のしようがないように言って女房たちは困っていた。
女五の
宮のほうへもこんなふうにして始終物質的に御補助をする源氏であったから、宮は深く源氏を愛しておいでになった。
「源氏の君というと、いつも美しい少年が思われるのだけれど、こんなに大人らしい親切を見せてくださる。顔がきれいな上に心までも並みの人に違ってでき上がっているのだね」
とおほめになるのを、若い女房らは笑っていた。西の女王とお逢いになる時には、
「源氏の大臣から熱心に結婚が申し込まれていらっしゃるのだったら、いいじゃありませんかね、今はじめての話ではなし、ずっと以前からのことなのですからね、お
亡くなりになった宮様もあなたが斎院におなりになった時に、結婚がせられなくなったことで失望をなすってね、以前宮様がそれを実行しようとなすった時に、あなたの気の進まなかったことで、話をそのままにしておいたのを御後悔してお話しになることがよくありましたよ。けれどもね、宮様がそうお思い立ちになったころは左大臣家の奥さんがいられたのですからね、そうしては三の宮がお気の毒だと思召して第二の結婚をこちらでおさせにはなりにくかったのですよ。あなたと
従妹のその奥様が亡くなられたのだし、そうなすってもいいのにと私は思うし、一方ではまた新しく熱心にお申し込みがあるというのは、やはり前生の約束事だろうと思う」
などと古めかしい御勧告をあそばすのを、女王は苦笑して聞いておいでになった。
「お父様からもそんな
強情者に思われてきた私なのですから、今さら源氏の大臣の声名が高いからと申して結婚をいたしますのは恥ずかしいことだと思います」
こんなふうに思いもよらぬように言っておいでになったから、宮もしまいにはお勧めにならなかった。
邸の人は上から下まで皆が皆そうなるのを望んでいることを女王は知って警戒しておいでになったが、源氏自身は至誠で女王を動かしうる日は待っているが、しいて力で結婚を遂げるようなことをしたくないと女王の感情を尊重していた。
故太政大臣家で生まれた源氏の若君の元服の式を上げる用意がされていて、源氏は二条の院で行なわせたく思うのであったが、祖母の宮が御覧になりたく思召すのがもっともで、そうしたことはお気の毒に思われて、やはり今までお育てになった宮の御殿でその式をした。右大将を始め
伯父君たちが皆りっぱな顕官になっていて勢力のある人たちであったから、母方の親戚からの祝品その他の贈り物もおびただしかった。かねてから京じゅうの騒ぎになるほど華美な祝い事になったのである。初めから四位にしようと源氏は思ってもいたことであったし、世間もそう見ていたが、まだきわめて小さい子を、何事も自分の意志のとおりになる時代にそんな取り計らいをするのは、俗人のすることであるという気がしてきたので、源氏は長男に四位を与えることはやめて、六位の
浅葱の
袍を着せてしまった。
大宮が言語道断のことのようにこれをお歎きになったことはお道理でお気の毒に思われた。源氏は宮に御面会をしてその問題でお話をした。
「ただ今わざわざ低い位に置いてみる必要もないようですが、私は考えていることがございまして、大学の課程を踏ませようと思うのでございます。ここ二、三年をまだ元服以前とみなしていてよかろうと存じます。朝廷の御用の勤まる人間になりますれば自然に出世はして行くことと存じます。私は宮中に育ちまして、世間知らずに御前で教養されたものでございますから、陛下おみずから師になってくだすったのですが、やはり刻苦精励を体験いたしませんでしたから、詩を作りますことにも素養の不足を感じたり、音楽をいたしますにも
音足らずな気持ちを痛感したりいたしました。つまらぬ親にまさった子は自然に任せておきましてはできようのないことかと思います。まして孫以下になりましたなら、どうなるかと不安に思われてなりませんことから、そう計らうのでございます。貴族の子に生まれまして、官爵が思いのままに進んでまいり、自家の勢力に慢心した青年になりましては、学問などに身を苦しめたりいたしますことはきっとばかばかしいことに思われるでしょう。遊び事の中に浸っていながら、位だけはずんずん上がるようなことがありましても、家に権勢のあります間は、心で
嘲笑はしながらも追従をして
機嫌を人がそこねまいとしてくれますから、ちょっと見はそれでりっぱにも見えましょうが、家の権力が失墜するとか、保護者に死に別れるとかしました際に、人から
軽蔑されましても、なんらみずから
恃むところのないみじめな者になります。やはり学問が第一でございます。
日本魂をいかに
活かせて使うかは学問の根底があってできることと存じます。ただ今目前に六位しか持たないのを見まして、たよりない気はいたしましても、将来の国家の柱石たる教養を受けておきますほうが、死後までも私の安心できることかと存じます。ただ今のところは、とにかく私がいるのですから、窮迫した大学生と指さす者もなかろうと思います」
と源氏が言うのを、聞いておいでになった宮は
歎息をあそばしながら、
「ごもっともなお話だと思いますがね、右大将などもあまりに変わったお好みだと不審がりますし、子供もね、残念なようで、大将や
左衛門督などの
息子の、自分よりも低いもののように見下しておりました者の位階が皆上へ上へと進んで行きますのに、自分は
浅葱の
袍を着ていねばならないのをつらく思うふうですからね。私はそれがかわいそうなのでした」
とお言いになる。
「大人らしく父を恨んでいるのでございますね。どうでしょう、こんな小さい人が」
源氏はかわいくてならぬと思うふうで子を見ていた。
「学問などをいたしまして、ものの理解のできるようになりましたら、その恨みも自然になくなってまいるでしょう」
と言っていた。
若君の師から
字をつけてもらう式は東の院ですることになって、東の院に式場としての設けがされた。高官たちは皆この式を珍しがって参会する者が多かった。
博士たちが晴れがましがって気おくれもしそうである。
「遠慮をせずに
定りどおりに厳格にやってください」
と源氏から言われたので、しいて冷静な態度を見せて、借り物の
衣裳の身に合わぬのも恥じずに、顔つき、声づかいに学者の
衒気を見せて、座にずっと並んでついたのははなはだ異様であった。若い役人などは笑いがおさえられないふうである。しかもこれは笑いやすいふうではない、落ち着いた人が
酒瓶の役に選ばれてあったのである。すべてが風変わりである。右大将、民部卿などが丁寧に杯を勧めるのを見ても作法に合わないと
叱り散らす、
「御接待役が多すぎてよろしくない。あなたがたは今日の学界における私を知らずに朝廷へお仕えになりますか。まちがったことじゃ」
などと言うのを聞いてたまらず笑い出す人があると、
「鳴りが高い、おやめなさい。はなはだ礼に欠けた方だ、座をお
退きなさい」
などと
威す。大学出身の高官たちは得意そうに微笑をして、源氏の教育方針のよいことに敬服したふうを見せているのであった。ちょっと彼らの目の前で話をしても博士らは
叱る、無礼だと言って何でもないこともとがめる。やかましく勝手気ままなことを言い放っている学者たちの顔は、夜になって
灯がともったころからいっそう
滑稽なものに見えた。まったく異様な会である。源氏は、
「自分のような規律に
馴れないだらしのない者は粗相をして叱りまわされるであろうから」
と言って、
御簾の中に隠れて見ていた。式場の席が足りないために、あとから来て帰って行こうとする大学生のあるのを聞いて、源氏はその人々を別に
釣殿のほうでもてなした。贈り物もした。式が終わって退出しようとする博士と詩人をまた源氏はとどめて詩を作ることにした。高官や殿上役人もそのほうの才のある人は皆残したのである。博士たちは律の詩、源氏その他の人は絶句を作るのであった。おもしろい題を
文章博士が選んだ。短夜のころであったから、夜がすっかり明けてから詩は講ぜられた。
左中弁が講師の役をしたのである。きれいな男の左中弁が重々しい神さびた調子で詩を読み上げるのが感じよく思われた。この人はことに深い学殖のある博士なのである。こうした大貴族の家に生まれて、栄華に戯れてもいるはずの人が
蛍雪の苦を積んで学問を志すということをいろいろの
譬えを借りて
讃美した作は句ごとにおもしろかった。
支那の人に見せて批評をさせてみたいほどの詩ばかりであると言われた。源氏のはむろん傑作であった。子を思う親の情がよく現われているといって、列席者は皆涙をこぼしながら
誦した。
それに続いてまた入学の式もあった。東の院の中に若君の勉強部屋が設けられて、まじめな学者を一人つけて源氏は学ばせた。若君は大宮の所へもあまり行かないのであった。夜も昼もおかわいがりにばかりなって、いつまでも幼児であるように宮はお扱いになるのであったから、そこでは勉学ができないであろうと源氏が認めて、学問所を別にして若君を入れたわけである。月に三度だけは大宮を御訪問申してよいと源氏は定めた。じっと学問所にこもってばかりいる苦しさに、若君は父君を恨めしく思った。ひどい、こんなに苦しまないでも出世をして世の中に重んぜられる人がないわけはなかろうと考えるのであるが、一体がまじめな性格であって、
軽佻なところのない少年であったから、よく忍んで、どうかして早く読まねばならぬ本だけは皆読んで、人並みに社会へ出て立身の道を進みたいと一所懸命になったから、四、五か月のうちに史記などという書物は読んでしまった。もう大学の試験を受けさせてもよいと源氏は思って、その前に自身の前で一度学力をためすことにした。例の
伯父の右大将、式部
大輔、左中弁などだけを招いて、家庭教師の大内記に命じて史記の中の解釈のむずかしいところの、寮試の問題に出されそうな所々を若君に読ますのであったが、若君は非常に
明瞭に難解なところを幾通りにも読んで意味を説明することができた。師の
爪じるしは一か所もつける必要のないのを見て、人々は若君に学問をする天分の豊かに備わっていることを喜んだ。伯父の大将はまして感動して、
「父の大臣が生きていられたら」
と言って泣いていた。源氏も冷静なふうを作ろうとはしなかった。
「世間の親が愛におぼれて、子に対しては正当な判断もできなくなっているなどと私は見たこともありますが、自分のことになってみると、それは子が大人になっただけ親はぼけていくのでやむをえないことだと解釈ができます。私などはまだたいした年ではないがやはりそうなりますね」
などと言いながら涙をふいているのを見る若君の教師はうれしかった。名誉なことになったと思っているのである。大将が杯をさすともう深く酔いながら
畏まっている顔つきは気の毒なように
痩せていた。変人と見られている男で、学問相当な地位も得られず、後援者もなく貧しかったこの人を、源氏は見るところがあってわが子の教師に招いたのである。たちまちに源氏の
庇護を受ける身の上になって、若君のために生まれ変わったような幸福を得ているのである。将来はましてこの今の若君に重用されて行くことであろうと思われた。
大学へ若君が寮試を受けに行く日は、寮門に顕官の車が無数に止まった。あらゆる廷臣が今日はここへ来ることかと思われる列席者の
派手に並んだ所へ、人の介添えを受けながらはいって来た若君は、大学生の仲間とは見ることもできないような品のよい美しい顔をしていた。例の貧乏学生の多い席末の座につかねばならないことで、若君が迷惑そうな顔をしているのももっともに思われた。ここでもまた
叱るもの
威嚇するものがあって不愉快であったが、若君は少しも
臆せずに進んで出て試験を受けた。昔学問の盛んだった時代にも劣らず大学の栄えるころで、上中下の各階級から学生が出ていたから、いよいよ学問と見識の備わった人が輩出するばかりであった。
文人と
擬生の試験も若君は成績よく通ったため、師も
弟子もいっそう励みが出て学業を熱心にするようになった。源氏の家でも始終詩会が催されなどして、
博士や文士の得意な時代が来たように見えた。何の道でも優秀な者の認められないのはないのが当代であった。
皇后が
冊立されることになっていたが、
斎宮の
女御は母君から委託された方であるから、自分としてはぜひこの方を推薦しなければならないという源氏の態度であった。御母后も内親王でいられたあとへ、またも王氏の
后の立つことは一方に偏したことであると批難を加える者もあった。そうした人たちは
弘徽殿の
女御がだれよりも早く
後宮にはいった人であるから、その人の后に昇格されるのが当然であるとも言うのである。双方に味方が現われて、だれもどうなることかと不安がっていた。
兵部卿の宮と申した方は今は
式部卿になっておいでになって、当代の御外戚として重んぜられておいでになる宮の姫君も、予定どおりに後宮へはいって、斎宮の女御と同じ王女御で侍しているのであるが、他人でない濃い御親戚関係もあることであって、母后の御代わりとして后に立てられるのが合理的な処置であろうと、そのほうを助ける人たちは言って、三女御の競争になったのであるが、結局
梅壺の前斎宮が后におなりになった。女王の幸運に世間は驚いた。源氏が太政大臣になって、右大将が内大臣になった。そして関白の仕事を源氏はこの人に譲ったのであった。この人は正義の観念の強いりっぱな政治家である。学問を深くした人であるから
韻塞ぎの遊戯には負けたが公務を処理することに賢かった。幾人かの腹から生まれた子息は十人ほどあって、大人になって役人になっているのは次々に昇進するばかりであったが、女は女御のほかに一人よりない。それは親王家の姫君から生まれた人で、尊貴なことは嫡妻の子にも劣らないわけであるが、その母君が今は
按察使大納言の夫人になっていて、今の
良人との間に幾人かの子女が生まれている中において継父の世話を受けさせておくことはかわいそうであるといって、大臣は引き取ってわが母君の大宮に姫君をお託ししてあった。大臣は女御を愛するほどには決してこの娘を愛してはいないのであるが、性質も
容貌も美しい少女であった。そうしたわけで源氏の若君とこの人は同じ家で成長したのであるが、双方とも十歳を越えたころからは、別な場所に置かれて、どんなに親しい人でも男性には用心をしなければならぬと、大臣は娘を
訓えて
睦ませないのを、若君の心に物足らぬ気持ちがあって、花や
紅葉を贈ること、
雛遊びの材料を提供することなどに真心を見せて、なお遊び相手である地位だけは保留していたから、姫君もこの
従弟を愛して、男に顔を見せぬというような、普通の慎みなどは無視されていた。
乳母などという後見役の者も、この少年少女には幼い日からついた習慣があるのであるから、にわかに厳格に二人の間を隔てることはできないと大目に見ていたが、姫君は無邪気一方であっても、少年のほうの感情は進んでいて、いつの間にか情人の関係にまで
到ったらしい。東の院へ学問のために閉じこめ同様になったことは、このことがあるために若君を
懊悩させた。まだ子供らしい、そして未来の上達の思われる字で、二人の恋人が書きかわしている手紙が、幼稚な人たちのすることであるから、抜け目があって、そこらに落ち散らされてもあるのを、姫君付きの女房が見て、二人の交情がどの程度にまでなっているかを合点する者もあったが、そんなことは人に訴えてよいことでもないから、だれも秘密はそっとそのまま秘密にしておいた。
后の宮、両大臣家の大
饗宴なども済んで、ほかの催し事が続いて
仕度されねばならぬということもなくて、世間の静かなころ、秋の通り雨が過ぎて、
荻の上風も寂しい日の夕方に、大宮のお
住居へ内大臣が御訪問に来た。大臣は姫君を宮のお居間に呼んで琴などを
弾かせていた。宮はいろいろな芸のおできになる方で、姫君にもよく教えておありになった。
「
琵琶は女が
弾くとちょっと反感も起こりますが、しかし貴族的なよいものですね。今日はごまかしでなくほんとうに琵琶の弾けるという人はあまりなくなりました。何親王、何の源氏」
などと大臣は数えたあとで、
「女では太政大臣が
嵯峨の山荘に置いておく人というのが非常に
巧いそうですね。さかのぼって申せば音楽の天才の出た家筋ですが、京官から
落伍して地方にまで行った男の娘に、どうしてそんな
上手が出て来たのでしょう。源氏の大臣はよほど感心していられると見えて、何かのおりにはよくその人の話をせられます。ほかの芸と音楽は少し性質が変わっていて、多く聞き、多くの人と合わせてもらうことでずっと進歩するものですが、独習をしていて、その域に達したというのは珍しいことです」
こんな話もしたが、大臣は宮にお弾きになることをお
奨めした。
「もう
絃を押すことなどが思うようにできなくなりましたよ」
とお言いになりながらも、宮は上手に琴をお弾きになった。
「その山荘の人というのは、幸福な人であるばかりでなく、すぐれた
聡明な人らしいですね。私に預けてくだすったのは男の子一人であの方の女の子もできていたらどんなによかったろうと思う女の子をその人は生んで、しかも自分がつれていては子供の不幸になることをよく理解して、りっぱな奥さんのほうへその子を渡したことなどを、感心なものだと私も話に聞きました」
こんな話を大宮はあそばした。
「女は頭のよさでどんなにも出世ができるものですよ」
などと内大臣は人の批評をしていたのであるが、それが自家の不幸な話に移っていった。
「私は女御を完全でなくても、どんなことも人より劣るような娘には育て上げなかったつもりなんですが、意外な人に負ける運命を持っていたのですね。人生はこんなに予期にはずれるものかと私は悲観的になりました。この子だけでも私は思うような幸運をになわせたい、東宮の御元服はもうそのうちのことであろうかと、心中ではその希望を持っていたのですが、今のお話の
明石の幸運女が生んだお后の候補者があとからずんずん生長してくるのですからね。その人が後宮へはいったら、ましてだれが競争できますか」
大臣が歎息するのを宮は御覧になって、
「必ずしもそうとは言われませんよ。この家からお后の出ないようなことは絶対にないと私は思う。そのおつもりで
亡くなられた大臣も女御の世話を引き受けて皆なすったのだものね。大臣がおいでになったらこんな意外な結果は見なかったでしょう」
この問題でだけ大宮は源氏を恨んでおいでになった。姫君がこぢんまりとした美しいふうで、十三
絃の琴を弾いている髪つき、顔と髪の接触点の美などの
艶な上品さに大臣がじっと見入っているのを姫君が知って、恥ずかしそうにからだを少し小さくしている横顔がきれいで、
絃を押す手つきなどの美しいのも絵に描いたように思われるのを、大宮も非常にかわいく
思召されるふうであった。姫君はちょっと
掻き合わせをした程度で弾きやめて琴を前のほうへ押し出した。内大臣は
大和琴を引き寄せて、律の調子の曲のかえって若々しい気のするものを、名手であるこの人が、
粗弾きに弾き出したのが非常におもしろく聞こえた。外では木の葉がほろほろとこぼれている時、老いた女房などは涙を落としながらあちらこちらの
几帳の
蔭などに幾人かずつ集まってこの音楽に聞き入っていた。「
風の力
蓋し少なし」(
落葉俟二微一以隕、
而風之力蓋寡、
孟嘗遭二雍門一而泣、
琴之感以末。)と
文選の句を大臣は口ずさんで、
「琴の感じではないが身にしむ夕方ですね。もう少しお弾きになりませんか」
と大臣は大宮にお勧めして、秋風楽を弾きながら歌う声もよかった。宮はこの座の人は
御孫女ばかりでなく、大きな大臣までもかわいく思召された。そこへいっそうの御満足を加えるように源氏の若君が来た。
「こちらへ」
と宮はお言いになって、お居間の中の几帳を隔てた席へ若君は通された。
「あなたにはあまり逢いませんね。なぜそんなにむきになって学問ばかりをおさせになるのだろう。あまり学問のできすぎることは不幸を招くことだと大臣も御体験なすったことなのだけれど、あなたをまたそうおしつけになるのだね、わけのあることでしょうが、ただそんなふうに閉じ込められていてあなたがかわいそうでならない」
と内大臣は言った。