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源氏物語(げんじものがたり)19 薄雲

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-11-6 9:35:31  点击:  切换到繁體中文


 秋の除目じもくに源氏を太政大臣に任じようとあそばして、内諾を得るためにお話をあそばした時に、帝は源氏を天子にしたいかねての思召しをはじめておらしになった。源氏はまぶしくも、恐ろしくも思って、あるまじいことに思うと奏上した。
「故院はおおぜいのお子様の中で特に私をお愛しになりながら、御位みくらいをお譲りになることはお考えにもならなかったのでございます。その御意志にそむいて、及びない地位に私がどうしてなれましょう。故院の思召しどおりに私は一臣下として政治に携わらせていただきまして、今少し年を取りました時に、静かな出家の生活にもはいろうと存じます」
 と平生の源氏らしく御辞退するだけで、御心を解したふうのなかったことを帝は残念に思召した。太政大臣に任命されることも今しばらくのちのことにしたいと辞退した源氏は、位階だけが一級進められて、牛車で禁門を通過する御許可だけを得た。帝はそれも御不満足なことに思召して、親王になることをしきりにお勧めあそばされたが、そうして帝の御後見をする政治家がいなくなる、中納言が今度大納言になって右大将を兼任することになったが、この人がもう一段昇進したあとであったなら、親王になって閑散な位置へ退くのもよいと源氏は思っていた。源氏はこんなふうな態度を帝がおとりあそばすことになったことで苦しんでいた。故中宮のためにもおかわいそうなことで、また陛下には御煩悶はんもんをおさせする結果になっている秘密奏上をだれがしたかと怪しく思った。命婦は御匣殿みくしげどのがほかへ移ったあとの御殿に部屋をいただいて住んでいたから、源氏はそのほうへたずねて行った。
「あのことをもし何かの機会に少しでも陛下のお耳へお入れになったのですか」
 と源氏は言ったが、
「私がどういたしまして。宮様は陛下が秘密をお悟りになることを非常に恐れておいでになりましたが、また一面では陛下へ絶対にお知らせしないことで陛下が御仏のとがをお受けになりはせぬかと御煩悶をあそばしたようでございました」
 命婦はこう答えていた。こんな話にも故宮の御感情のこまやかさが忍ばれて源氏は恋しく思った。
 斎宮さいぐう女御にょごは予想されたように源氏の後援があるために後宮こうきゅうのすばらしい地位を得ていた。すべての点に源氏の理想にする貴女きじょらしさの備わった人であったから、源氏はたいせつにかしずいていた。この秋女御は御所から二条の院へ退出した。中央の寝殿を女御の住居に決めて、輝くほどの装飾をして源氏は迎えたのであった。もう院への御遠慮も薄らいで、万事を養父の心で世話をしているのである。秋の雨が静かに降って植え込みの草の花のれ乱れた庭をながめて女院のことがまた悲しく思い出された源氏は、湿ったふうで女御の御殿へ行った。濃いにび色の直衣のうしを着て、病死者などの多いために政治の局にあたる者は謹慎をしなければならないというのに託して、実は女院のために源氏は続いて精進をしているのであったから、手に掛けた数珠じゅずを見せぬようにそでに隠した様子などがえんであった。御簾みすの中へ源氏ははいって行った。几帳きちょうだけを隔てて王女御はおいになった。
「庭の草花は残らず咲きましたよ。今年のような恐ろしい年でも、秋を忘れずに咲くのが哀れです」
 こう言いながら柱によりかかっている源氏は美しかった。御息所みやすどころのことを言い出して、野の宮に行ってなかなか逢ってもらえなかった秋のことも話した。故人を切に恋しく思うふうが源氏に見えた。宮も「いにしへの昔のことをいとどしくかくればそでぞ露けかりける」というように、少しお泣きになる様子が非常に可憐かれんで、みじろぎの音も類のない柔らかさに聞こえた。えんな人であるに相違ない、今日までまだよく顔を見ることのできないことが残念であると、ふと源氏の胸が騒いだ。困った癖である。
「私は過去の青年時代に、みずから求めて物思いの多い日を送りました。恋愛するのは苦しいものなのですよ。悪い結果を見ることもたくさんありましたが、とうとうしまいまで自分の誠意がわかってもらえなかった二つのことがあるのですが、その一つはあなたのお母様のことです。お恨ませしたままお別れしてしまって、このことで未来までの煩いになることを私はしてしまったかと悲しんでいましたが、こうしてあなたにお尽くしすることのできることで私はみずから慰んでいるもののなおそれでもおかくれになったあなたのお母様のことを考えますと、私の心はいつも暗くなります」
 もう一つのほうの話はしなかった。
「私の何もかもが途中で挫折ざせつしてしまったころ、心苦しくてなりませんでしたことがどうやら少しずつよくなっていくようです。今東の院に住んでおります妻は、寄るべの少ない点で絶えず私の気がかりになったものですが、それも安心のできるようになりました。善良な女で、私と双方でよく理解し合っていますから朗らかなものです。私がまた世の中へ帰って朝政にあずかるような喜びは私にたいしたこととは思われないで、そうした恋愛問題のほうがたいせつに思われる私なのですから、どんな抑制を心に加えてあなたの御後見だけに満足していることか、それをご存じになっていますか、御同情でもしていただかなければかいがありません」
 と源氏は言った。面倒めんどうな話になって、宮は何ともお返辞をあそばさないのを見て、
「そうですね、そんなことを言って私が悪い」
 と話をほかへ源氏は移した。
「今の私の望みは閑散な身になって風流三昧ざんまいに暮らしうることと、のちの世の勤めも十分にすることのほかはありませんが、この世の思い出になることを一つでも残すことのできないのはさすがに残念に思われます。ただ二人の子供がございますが、老い先ははるかで待ち遠しいものです。失礼ですがあなたの手でこの家の名誉をお上げくだすって、私のくなりましたのちも私の子供らをまもっておやりください」
 などと言った。宮のお返事はおおようで、しかも一言をたいした努力でお言いになるほどのものであるが、源氏の心はまったくそれにきつけられてしまって、日の暮れるまでとどまっていた。
「人聞きのよい人生の望みなどはたいして持ちませんが、四季時々の美しい自然を生かせるようなことで、私は満足を得たいと思っています。春の花の咲く林、秋の野のながめを昔からいろいろに優劣が論ぜられていますが、道理だと思って、どちらかに加担のできるほどのことはまだだれにも言われておりません。支那しなでは春の花の錦が最上のものに言われておりますし、日本の歌では秋の哀れが大事に取り扱われています。どちらもその時その時に感情が変わっていって、どれが最もよいとは私らに決められないのです。狭いやしきの中ででも、あるいは春の花の木をもっぱら集めて植えたり、秋草の花を多く作らせて、野に鳴く虫を放しておいたりする庭をこしらえてあなたがたにお見せしたく思いますが、あなたはどちらがお好きですか、春と秋と」
 源氏にこうお言われになった宮は、返辞のしにくいことであるとはお思いになったが、何も言わないことはよろしくないとお考えになって、
「私などはまして何もわかりはいたしませんで、いつも皆よろしいように思われますけれど、そのうちでも怪しいと申します夕べ(いつとても恋しからずはあらねども秋の夕べは怪しかりけり)は私のためにもくなりました母の思い出される時になっておりまして、特別な気がいたします」
 お言葉じりのしどけなくなってしまう様子などの可憐かれんさに、源氏は思わずのりを越した言葉を口に出した。

「君もさは哀れをかはせ人知れずわが身にしむる秋の夕風

 忍びきれないおりおりがあるのです」
 宮のお返辞のあるわけもない。に落ちないとお思いになるふうである。いったんおさえたものが外へあふれ出たあとは、その勢いで恋も恨みも源氏の口をついて出てきた。それ以上にも事を進ませる可能性はあったが、宮があまりにもあきれてお思いになる様子の見えるのも道理に思われたし、自身の心もけしからぬことであると思い返されもして源氏はただ歎息たんそくをしていた。えんな姿ももう宮のお目にはうとましいものにばかり見えた。柔らかにみじろぎをして少しずつあとへ引っ込んでお行きになるのを知って、
「そんなに私が不愉快なものに思われますか、高尚こうしょう貴女きじょはそんなにしてお見せになるものではありませんよ。ではもうあんなお話はよしましょうね。これから私をお憎みになってはいけませんよ」
 と言って源氏は立ち去った。しめやかな源氏の衣服の香の座敷に残っていることすらを宮は情けなくお思いになった。女房たちが出て来て格子こうしなどをめたあとで、
「このお敷き物の移り香の結構ですこと、どうしてあの方はこんなにすべてのよいものを備えておいでになるのでしょう。柳の枝に桜を咲かせたというのはあの方ね。どんな前生ぜんしょうをお持ちになる方でしょう」
 などと言い合っていた。
 西の対に帰った源氏はすぐにも寝室へはいらずに物思わしいふうで庭をながめながら、端の座敷にからだを横たえていた。燈籠とうろうを少し遠くへ掛けさせ、女房たちをそばに置いて話をさせなどしているのであった。思ってはならぬ人が恋しくなって、悲しみに胸のふさがるような癖がまだ自分には残っているのでないかと、源氏は自身のことながらも思われた。これはまったく似合わしからぬ恋である、おそろしい罪であることはこれ以上であるかもしれぬが若き日の過失は、思慮の足らないためと神仏もお許しになったのであろう、今もまたその罪を犯してはならないと、源氏はみずから思われてきたことによって、年が行けば分別ができるものであるとも悟った。
 王女御は身にしむ秋というものを理解したふうにお返辞をされたことすらお悔やみになった。恥ずかしく苦しくて、無気味で病気のようになっておいでになるのを、源氏は素知らぬふうで平生以上に親らしく世話などやいていた。
 源氏は夫人に、
「女御の秋がよいとお言いになるのにも同情されるし、あなたの春が好きなことにも私は喜びを感じる。季節季節の草木だけででも気に入った享楽をあなたがたにさせたい。いろいろの仕事を多く持っていてはそんなことも望みどおりにはできないから、早く出家が遂げたいものの、あなたの寂しくなることが思われてそれも実現難になりますよ」
 などと語っていた。
 大井の山荘の人もどうしているかと絶えず源氏は思いやっているが、ますます窮屈な位置に押し上げられてしまった今では、通って行くことが困難にばかりなった。悲観的に人生を見るようになった明石あかしを、源氏はそうした寂しい思いをするのも心がらである、自分の勧めに従って町へ出て来ればよいのであるが、他の夫人たちといっしょに住むのがいやだと思うような思い上がりすぎたところがあるからであると見ながらも、また哀れで、例の嵯峨さがの御堂の不断の念仏に託して山荘をたずねた。住みれるにしたがってますますすごい気のする山荘に待つ恋人などというものは、この源氏ほどの深い愛情を持たない相手をも引きつける力があるであろうと思われる。ましてたまさかに逢えたことで、恨めしい因縁のさすがに浅くないことも思って歎く女はどう取り扱っていいかと、源氏は力限りの愛撫あいぶを試みて慰めるばかりであった。木のしげった中からさすかがりの光が流れのほたると同じように見える庭もおもしろかった。
「過去に寂しい生活の経験をしていなかったら、私もこの山荘で逢うことが心細くばかり思われることだろう」
 と源氏が言うと、

「いさりせしかげ忘られぬ篝火かがりびは身のうき船や慕ひ来にけん

 あちらの景色けしきによく似ております。不幸な者につきもののような灯影ほかげでございます」
 と明石が言った。

「浅からぬ下の思ひを知らねばやなほ篝火の影は騒げる

 だれが私の人生観を悲しいものにさせたのだろう」
 と源氏のほうからも恨みを言った。少し閑暇ひまのできたころであったから、御堂みどうの仏勤めにも没頭することができて、二、三日源氏が山荘にとどまっていることで女は少し慰められたはずである。





底本:「全訳源氏物語 上巻」角川文庫、角川書店
   1971(昭和46)年8月10日改版初版発行
   1994(平成6)年12月20日56版発行
※このファイルは、古典総合研究所(http://www.genji.co.jp/)で入力されたものを、青空文庫形式にあらためて作成しました。
※校正には、2002(平成14)年4月5日71版を使用しました。
入力:上田英代
校正:kompass
2003年7月14日作成
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