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源氏物語(げんじものがたり)15 蓬生

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-11-6 9:27:59  点击:  切换到繁體中文


 きまりの悪い迷惑なことと思いながら女王は侍従を応接に出した。すすけた几帳きちょうを押し出しながら侍従は客と対したのである。容貌ようぼうは以前に比べてよほど衰えていた。しかしやつれながらもきれいで、女王の顔に代えたい気がする。
「もう出発しなければならないのですが、こちらのことが気がかりなものですから、今日は侍従の迎えがてらおたずねしました。私の好意をくんでくださらないで、御自分がちょっとでも来てくださることを御承知にならないことはやむをえませんが、せめて侍従だけをよこしていただくお許しをいただきに来たのです。まあお気の毒なふうで暮らしていらっしゃるのですね」
 こう言ったのであるから、続いて泣いてみせねばならないのであるが、実は大弐夫人は九州の長官夫人になって出発して行く希望に燃えているのである。
「宮様がおいでになったころ、私の結婚相手が悪いからって、交際するのをおきらいになったものですから、私らもついかけ離れた冷淡なふうになっていましたものの、それからもこちら様は源氏の大将さんなどと御結婚をなさるような御幸運でいらっしゃいましたから、晴れがましくてお出入りもしにくかったのです。しかし人間世界は幸福なことばかりもありませんからね、その中でわれわれ階級の者がかえって気楽なんですよ。及びもない懸隔のあるおうちでしたが、こちらはお気の毒なことになってしまいまして、私も心配なんですが、近くにおりますうちは、何かの場合に力にもなれると思っていましたものの、遠い所へ出て行くことになりますと、とてもあなたのことが気になってなりません」
 と夫人は言うのであるが、女王は心の動いたふうもなかった。
「御好意はうれしいのですが、人並みの人にもなれない私はこのままここで死んで行くのが何よりもよく似合うことだろうと思います」
 とだけ末摘花は言う。
「それはそうお思いになるのはごもっともですが、生きている人間であって、こんなひどい場所に住んでいるのなどはほかにめったにないでしょう。大将さんが修繕をしてくだすったら、またもう一度玉のうてなにもなるでしょうと期待されますがね。近ごろはどうしたことでしょう、兵部卿ひょうぶきょうの宮の姫君のほかはだれもきらいになっておしまいになったふうですね。昔から恋愛関係をたくさん持っていらっしゃった方でしたが、それも皆清算しておしまいになりましたってね。ましてこんなみじめな生き方をしていらっしゃる人を、みさおを立てて自分を待っていてくれたかと受け入れてくださることはむずかしいでしょうね」
 こんなよけいなことまで言われてみると、そうであるかもしれないと末摘花は悲しく泣き入ってしまった。しかも九州行きをうべなうふうは微塵みじんもない。夫人はいろいろと誘惑を試みたあとで、
「では侍従だけでも」
 と日の暮れていくのを見てせきたてた。侍従は名残なごりを惜しむ間もなくて、泣く泣く女王にょおうに、
「それでは、今日はあんなにおっしゃいますから、お送りにだけついてまいります。あちらがああおっしゃるのももっともですし、あなた様が行きたく思召おぼしめさないのも御無理だとは思われませんし、私は中に立ってつらくてなりませんから」
 と言う。この人までも女王を捨てて行こうとするのを、恨めしくも悲しくも末摘花は思うのであるが、引き止めようもなくてただ泣くばかりであった。形見に与えたい衣服も皆悪くなっていて長い間のこの人の好意にむくいる物がなくて、末摘花は自身の抜け毛を集めてかずらにした九尺ぐらいの髪の美しいのを、雅味のある箱に入れて、昔のよい薫香くんこうつぼをそれにつけて侍従へ贈った。

「絶ゆまじきすぢを頼みし玉かづら思ひのほかにかけ離れぬる

 死んだ乳母ままが遺言したこともあるからね、つまらない私だけれど一生あなたの世話をしたいと思っていた。あなたが捨ててしまうのももっともだけれど、だれがあなたの代わりになって私を慰めてくれる者があると思って立って行くのだろうと思うと恨めしいのよ」
 と言って、女王は非常に泣いた。侍従も涙でものが言えないほどになっていた。
乳母ままが申し上げましたことはむろんでございますが、そのほかにもごいっしょに長い間苦労をしてまいりましたのに、思いがけない縁に引かれて、しかも遠方へまで行ってしまいますとは」
 と言って、また、

「玉かづら絶えてもやまじ行く道のたむけの神もかけて誓はん

 命のございます間はあなた様に誠意をお見せします」
 などとも言う。
「侍従はどうしました。暗くなりましたよ」
 と大弐だいに夫人に小言こごとを言われて、侍従は夢中で車に乗ってしまった。そしてあとばかりが顧みられた。困りながらも長い間離れて行かなかった人が、こんなふうにして別れて行ったことで、女王はますます心細くなった。だれも雇い手のないような老いた女房までが、
「もっともですよ。どうしてこのままいられるものですか。私たちだってもう我慢ができませんよ」
 こんなことを言って、ほかへ勤める手蔓てづるを捜し始めて、ここを出る決心をしたらしいことを言い合うのを聞くことも末摘花の身にはつらいことであった。十一月になると雪やみぞれの日が多くなって、ほかの所では消えている間があっても、ここでは丈の高い枯れた雑草のかげなどに深く積もったものはかさが高くなるばかりでこし白山はくさんをそこに置いた気がする庭を、今はもうだれ一人出入りする下男もなかった。こんな中につれづれな日を送るよりしかたのない末摘花の女王であった。泣き合い笑い合うこともあった侍従がいなくなってからは、夜のちりのかかった帳台の中でただ一人寂しい思いをして寝た。
 源氏は長くこがれ続けた紫夫人のもとへ帰りえた満足感が大きくて、ただの恋人たちの所などへは足が向かない時期でもあったから、常陸ひたちの宮の女王はまだ生きているだろうかというほどのことは時々心に上らないことはなかったが、捜し出してやりたいと思うことも、急ぐことと思われないでいるうちにその年も暮れた。四月ごろに花散里はなちるさとを訪ねて見たくなって夫人の了解を得てから源氏は二条の院を出た。幾日か続いた雨の残り雨らしいものが降ってやんだあとで月が出てきた。青春時代の忍び歩きの思い出されるえんな夕月夜であった。車の中の源氏は昔をうつらうつらと幻に見ていると、形もないほどに荒れた大木が森のようなやしきの前に来た。高い松にふじがかかって月の光に花のなびくのが見え、風といっしょにその香がなつかしく送られてくる。たちばなとはまた違った感じのする花の香に心がかれて、車から少し顔を出すようにしてながめると、長く枝をたれた柳も、土塀どべいのない自由さに乱れ合っていた。見たことのある木立ちであると源氏は思ったが、以前の常陸の宮であることに気がついた。源氏は物哀れな気持ちになって車を止めさせた。例の惟光これみつはこんな微行にはずれたことのない男で、ついて来ていた。
「ここは常陸の宮だったね」
「さようでございます」
「ここにいた人がまだ住んでいるかもしれない。私は訪ねてやらねばならないのだが、わざわざ出かけることもたいそうになるから、この機会に、もしその人がいれば逢ってみよう。はいって行って尋ねて来てくれ。住み主がだれであるかを聞いてから私のことを言わないと恥をかくよ」
 と源氏は言った。
 末摘花の君は物悩ましい初夏の日に、その昼間うたた寝をした時の夢に父宮を見て、さめてからも名残なごりの思いにとらわれて、悲しみながら雨のってれたひさしの室の端のほうをかせたり部屋の中を片づけさせたりなどして、平生にも似ず歌を思ってみたのである。

き人を恋ふるたもとのほどなきに荒れたる軒のしづくさへ添ふ

 こんなふうに、寂しさを書いていた時が、源氏の車の止められた時であった。
 惟光は邸の中へはいってあちらこちらと歩いて見て、人のいる物音の聞こえる所があるかと捜したのであるが、そんな物はない。自分の想像どおりにだれもいない、自分はき返りにこのやしきは見るが、人の住んでいる所とは思われなかったのだからと思って惟光が足を返そうとする時に、月が明るくさし出したので、もう一度見ると、格子こうしを二間ほど上げて、そこの御簾みすは人ありげに動いていた。これが目にはいった刹那せつなは恐ろしい気さえしたが、寄って行って声をかけると、老人らしくせきを先に立てて答える女があった。
「いらっしゃったのはどなたですか」
 惟光これみつは自分の名を告げてから、
「侍従さんという方にちょっとお目にかかりたいのですが」
 と言った。
「その人はよそへ行きました。けれども侍従の仲間の者がおります」
 と言う声は、昔よりもずっと老人じみてきてはいるが、聞き覚えのある声であった。家の中の人は惟光が何であったかを忘れていた。狩衣かりぎぬ姿の男がそっとはいって来て、柔らかな調子でものを言うのであったから、あるいはきつねか何かではないかと思ったが、惟光が近づいて行って、
「確かなことをお聞かせくださいませんか。こちら様が昔のままでおいでになるかどうかお聞かせください。私の主人のほうでは変心も何もしておいでにならない御様子です。今晩も門をお通りになって、訪ねてみたく思召すふうで車を止めておいでになります。どうお返辞をすればいいでしょう、ありのままのお話を私には御遠慮なくして下さい」
 と言うと、女たちは笑い出した。


 

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