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源氏物語(げんじものがたり)06 末摘花

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-11-5 14:51:03  点击:  切换到繁體中文


 中門の車寄せの所が曲がってよろよろになっていた。夜と朝とは荒廃の度が違って見えるものである、どこもかしこも目に見える物はみじめでたまらない姿ばかりであるのに、松の木へだけは暖かそうに雪が積もっていた。田舎いなかで見るような身にしむ景色けしきであることを源氏は感じながら、いつか品定めにむぐらの門の中ということを人が言ったが、これはそれに相当する家であろう。ほんとうにあの人たちの言ったように、こんな家に可憐かれんな恋人を置いて、いつもその人を思っていたらおもしろいことであろう、自分の、思ってならぬ人を思う苦しみはそれによって慰められるであろうがと思って、これは詩的な境遇にいながらなんらの男を引きつける力のない女であると断案を下しながらも、自分以外の男はあの人を終世変わりない妻として置くことはできまい、自分があの人の良人おっとになったのも、気がかりにお思いになったはずの父宮の霊魂が導いて行ったことであろうと思ったのであった。うずめられているたちばなの木の雪を随身に払わせた時、横の松の木がうらやましそうに自力で起き上がって、さっと雪をこぼした。たいした教養はなくてもこんな時に風流を言葉で言いかわす人がせめて一人でもいないのだろうかと源氏は思った。車の通れる門はまだけてなかったので、供の者がかぎを借りに行くと、非常な老人としよりの召使が出て来た。そのあとから、娘とも孫とも見える、子供と大人の間くらいの女が、着物は雪との対照であくまできたなくよごれて見えるようなのを着て、寒そうに何か小さい物に火を入れてそでの中で持ちながらついて来た。雪の中の門が老人の手でかぬのを見てその娘が助けた。なかなか開かない。源氏の供の者が手伝ったのではじめて扉が左右に開かれた。

ふりにけるかしらの雪を見る人も劣らずぬらす朝の袖かな

 と歌い、また、「霰雪白紛紛さんせつはくふんぷん幼者形不蔽えうしやはかたちをおおはず」と吟じていたが、白楽天のその詩の終わりの句に鼻のことが言ってあるのを思って源氏は微笑された。頭中将があの自分の新婦を見たらどんな批評をすることだろう、何の譬喩ひゆを用いて言うだろう、自分の行動に目を離さない人であるから、そのうちこの関係に気がつくであろうと思うと源氏は救われがたい気がした。女王が普通の容貌きりょうの女であったら、源氏はいつでもその人から離れて行ってもよかったであろうが、醜い姿をはっきりと見た時から、かえってあわれむ心が強くなって、良人おっとらしく、物質的の補助などもよくしてやるようになった。黒貂ふるきの毛皮でない絹、あや、綿、老いた女たちの着料になる物、門番の老人に与える物までも贈ったのである。こんなことは自尊心のある女には堪えがたいことに違いないが常陸ひたちの宮の女王はそれを素直に喜んで受けるのに源氏は安心して、せめてそうした世話をよくしてやりたいという気になり、生活費などものちには与えた。
 灯影ほかげで見た空蝉うつせみの横顔が美しいものではなかったが、姿態の優美さは十分の魅力があった。常陸ひたちの宮の姫君はそれより品の悪いはずもない身分の人ではないか、そんなことを思うと上品であるということは身柄によらぬことがわかる。男に対する洗練された態度、正義の観念の強さ、ついには負けて退却をしたなどと源氏は何かのことにつけて空蝉が思い出された。
 その年の暮れの押しつまったころに、源氏の御所の宿直所とのいどころ大輔たゆう命婦みょうぶが来た。源氏は髪をかせたりする用事をさせるのには、恋愛関係などのない女で、しかも戯談じょうだんの言えるような女を選んで、この人などがよくその役に当たるのである。呼ばれない時でも大輔はそうした心安さからよく桐壺きりつぼへ来た。
「変なことがあるのでございますがね。申し上げないでおりますのも意地が悪いようにとられることですし、困ってしまって上がったのでございます」
 微笑ほほえみを見せながらそのあとを大輔は言わない。
「なんだろう。私には何も隠すことなんかない君だと思っているのに」
「いいえ、私自身のことでございましたら、もったいないことですがあなた様に御相談に上がって申し上げます。この話だけは困ってしまいました」
 なお言おうとしないのを、源氏は例のようにこの女がまた思わせぶりを始めたと見ていた。
「常陸の宮から参ったのでございます」
 こう言って命婦は手紙を出した。
「じゃ何も君が隠さねばならぬわけもないじゃないか」
 こうは言ったが、受け取った源氏は当惑した。もう古くて厚ぼったくなった檀紙だんし薫香くんこうのにおいだけはよくつけてあった。ともかくも手紙のていはなしているのである。歌もある。

唐衣からごろも君が心のつらければたもとはかくぞそぼちつつのみ

 何のことかと思っていると、おおげさな包みの衣裳箱いしょうばこを命婦は前へ出した。
「これがきまり悪くなくてきまりの悪いことってございませんでしょう。お正月のおめしにというつもりでわざわざおつかわしになったようでございますから、お返しする勇気も私にございません。私の所へ置いておきましても先様の志を無視することになるでしょうから、とにかくお目にかけましてから処分をいたすことにしようと思うのでございます」
「君の所へ留めて置かれたらたいへんだよ。着物の世話をしてくれる家族もないのだからね、御親切をありがたく受けるよ」
 とは言ったが、もう戯談じょうだんも口から出なかった。それにしてもまずい歌である。これは自作に違いない、侍従がおれば筆を入れるところなのだが、そのほかには先生はないのだからと思うと、その人の歌作に苦心をする様子が想像されておかしくて、
「もったいない貴婦人と言わなければならないのかもしれない」
 と言いながら源氏は微笑して手紙と贈り物の箱をながめていた。命婦は真赤まっかになっていた。臙脂えんじの我慢のできないようないやな色に出た直衣のうしで、裏も野暮やぼに濃い、思いきり下品なその端々が外から見えているのである。悪感を覚えた源氏が、女の手紙の上へ無駄むだ書きをするようにして書いているのを命婦が横目で見ていると、

なつかしき色ともなしに何にこの末摘花すゑつむはなそでに触れけん

 色濃き花と見しかども、とも読まれた。花という字にわけがありそうだと、月のさし込んだ夜などに時々見た女王の顔を命婦は思い出して、源氏のいたずら書きをひどいと思いながらもしまいにはおかしくなった。

「くれなゐのひとはなごろもうすくともひたすら朽たす名をし立てずば

 その我慢も人生の勤めでございますよ」
 理解があるらしくこんなことを言っている命婦もたいした女ではないが、せめてこれだけの才分でもあの人にあればよかったと源氏は残念な気がした。身分が身分である、自分から捨てられたというような気の毒な名は立てさせたくないと思うのが源氏の真意だった。ここへ伺候して来る人の足音がしたので、
「これを隠そうかね。男はこんな真似まねも時々しなくてはならないのかね」
 源氏はいまいましそうに言った。なぜお目にかけたろう、自分までが浅薄な人間に思われるだけだったと恥ずかしくなり命婦はそっと去ってしまった。
 翌日命婦が清涼殿に出ていると、その台盤所だいばんどころを源氏がのぞいて、
「さあ返事だよ。どうも晴れがましくて堅くなってしまったよ」
 と手紙を投げた。おおぜいいた女官たちは源氏の手紙の内容をいろいろに想像した。「たたらめの花のごと、三笠みかさの山の少女をとめをばてて」という歌詞を歌いながら源氏は行ってしまった。また赤い花の歌であると思うと、命婦はおかしくなって笑っていた。理由を知らない女房らは口々に、
「なぜひとり笑いをしていらっしゃるの」
 と言った。
「いいえ寒い霜の朝にね、『たたらめの花のごと掻練かいねり好むや』という歌のように、赤くなった鼻を紛らすように赤い掻練を着ていたのをいつか見つかったのでしょう」
 と大輔の命婦が言うと、
「わざわざあんな歌をお歌いになるほど赤い鼻の人もここにはいないでしょう。左近さこんの命婦さんか肥後ひご采女うねめがいっしょだったのでしょうか、その時は」
 などと、その人たちは源氏のなぞの意味に自身らが関係のあるようにもないようにも言って騒いでいた。
 命婦が持たせてよこした源氏の返書を、常陸ひたちの宮では、女房が集まって大騒ぎして読んだ。

はぬ夜を隔つる中の衣手ころもでに重ねていとど身もみよとや

 ただ白い紙へ無造作むぞうさに書いてあるのが非常に美しい。
 三十日の夕方に宮家から贈った衣箱の中へ、源氏が他から贈られた白い小袖こそでの一重ね、赤紫の織物の上衣うわぎ、そのほかにも山吹やまぶき色とかいろいろな物を入れたのを命婦が持たせてよこした。
「こちらでお作りになったのがよい色じゃなかったというあてつけの意味があるのではないでしょうか」
 と一人の女房が言うように、だれも常識で考えてそうとれるのであるが、
「でもあれだって赤くて、重々しいできばえでしたよ。まさかこちらの好意がむだになるということはないはずですよ」
 老いた女どもはそう決めてしまった。
「お歌だって、こちらのは意味が強く徹底しておできになっていましたよ。御返歌は技巧が勝ち過ぎてますね」
 これもその連中の言うことである。末摘花すえつむはなも大苦心をした結晶であったから、自作を紙に書いておいた。
 元三日が過ぎてまた今年は男踏歌おとことうかであちらこちらと若い公達きんだちが歌舞をしてまわる騒ぎの中でも、寂しい常陸の宮を思いやっていた源氏は、七日の白馬あおうま節会せちえが済んでから、お常御殿を下がって、桐壺きりつぼで泊まるふうを見せながら夜がふけてから末摘花の所へ来た。これまでに変わってこの家が普通の家らしくなっていた。女王の姿も少し女らしいところができたように思われた。すっかり見違えるほどの人にできればどんなに犠牲の払いがいがあるであろうなどとも源氏は思っていた。日の出るころまでもゆるりと翌朝はとどまっていたのである。東側の妻戸をあけると、そこから向こうへ続いた廊がこわれてしまっているので、すぐ戸口から日がはいってきた。少しばかり積もっていた雪の光も混じって室内の物が皆よく見えた。源氏が直衣のうしを着たりするのをながめながら横向きに寝た末摘花の頭の形もその辺の畳にこぼれ出している髪も美しかった。この人の顔も美しく見うる時が至ったらと、こんなことを未来に望みながら格子こうしを源氏が上げた。かつてこの人を残らず見てしまった雪の夜明けに後悔されたことも思い出して、ずっと上へは格子を押し上げずに、脇息きょうそくをそこへ寄せて支えにした。源氏が髪の乱れたのを直していると、非常に古くなった鏡台とか、支那しな出来の櫛箱くしばこき上げの箱などを女房が運んで来た。さすがに普通の所にはちょっとそろえてあるものでもない男専用の髪道具もあるのを源氏はおもしろく思った。末摘花が現代人風になったと見えるのは三十日に贈られた衣箱の中の物がすべてそのまま用いられているからであるとは源氏の気づかないところであった。よい模様であると思ったうちぎにだけは見覚えのある気がした。
「春になったのですからね。今日は声も少しお聞かせなさいよ、うぐいすよりも何よりもそれが待ち遠しかったのですよ」
 と言うと、「さへづる春は」(百千鳥ももちどりさへづる春は物ごとに改まれどもわれぞく)とだけをやっと小声で言った。
「ありがとう。二年越しにやっと報いられた」
 と笑って、「忘れては夢かとぞ思ふ」という古歌を口にしながら帰って行く源氏を見送るが、口をおおうたそでかげから例の末摘花が赤く見えていた。見苦しいことであると歩きながら源氏は思った。
 二条の院へ帰って源氏の見た、半分だけ大人のような姿の若紫がかわいかった。あかい色の感じはこの人からも受け取れるが、こんなになつかしい紅もあるのだったと見えた。無地の桜色の細長を柔らかに着なした人の無邪気な身の取りなしが美しくかわいいのである。昔風の祖母の好みでまだ染めてなかった歯を黒くさせたことによって、美しいまゆも引き立って見えた。自分のすることであるがなぜつまらぬいろいろな女を情人に持つのだろう、こんなに可憐かれんな人とばかりいないでと源氏は思いながらいつものようにひな遊びの仲間になった。紫の君は絵をかいて彩色したりもしていた。何をしても美しい性質がそれにあふれて見えるようである。源氏もいっしょに絵をかいた。髪の長い女をかいて、鼻に紅をつけて見た。絵でもそんなのは醜い。源氏はまた鏡に写る美しい自身の顔を見ながら、筆で鼻を赤く塗ってみると、どんな美貌びぼうにも赤い鼻の一つ混じっていることは見苦しく思われた。若紫が見て、おかしがって笑った。
「私がこんな不具者になったらどうだろう」
 と言うと、
「いやでしょうね」
 と言って、しみ込んでしまわないかと紫の君は心配していた。源氏は真似まねだけをして見せて、
「どうしても白くならない。ばかなことをしましたね。陛下はどうおっしゃるだろう」
 まじめな顔をして言うと、かわいそうでならないように同情して、そばへ寄ってすずりの水入れの水を檀紙だんしにしませて、若紫が鼻の紅を拭く。
平仲へいちゅうの話のように墨なんかをこの上に塗ってはいけませんよ。赤いほうはまだ我慢ができる」
 こんなことをしてふざけている二人は若々しく美しい。
 初春らしくかすみを帯びた空の下に、いつ花を咲かせるのかとたよりなく思われる木の多い中に、梅だけが美しく花を持っていて特別なすぐれた木のように思われたが、緑の階隠はしかくしのそばの紅梅はことに早く咲く木であったから、枝がもう真赤まっかに見えた。

くれなゐの花ぞあやなくうとまるる梅の立枝たちえはなつかしけれど

 そんなことをだれが予期しようぞと源氏は歎息たんそくした。末摘花、若紫、こんな人たちはそれからどうなったか。
(訳注) この巻は「若紫」の巻と同年の一月から始まっている。





底本:「全訳源氏物語 上巻」角川文庫、角川書店
   1971(昭和46)年8月10日改版初版発行
   1994(平成6)年12月20日56版発行
※このファイルは、古典総合研究所(http://www.genji.co.jp/)で入力されたものを、青空文庫形式にあらためて作成しました。
※校正には、2002(平成14)年4月5日71版を使用しました。
入力:上田英代
校正:門田裕志
2003年7月12日作成
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