中門の車寄せの所が曲がってよろよろになっていた。夜と朝とは荒廃の度が違って見えるものである、どこもかしこも目に見える物はみじめでたまらない姿ばかりであるのに、松の木へだけは暖かそうに雪が積もっていた。田舎で見るような身にしむ景色であることを源氏は感じながら、いつか品定めに葎の門の中ということを人が言ったが、これはそれに相当する家であろう。ほんとうにあの人たちの言ったように、こんな家に可憐な恋人を置いて、いつもその人を思っていたらおもしろいことであろう、自分の、思ってならぬ人を思う苦しみはそれによって慰められるであろうがと思って、これは詩的な境遇にいながらなんらの男を引きつける力のない女であると断案を下しながらも、自分以外の男はあの人を終世変わりない妻として置くことはできまい、自分があの人の良人になったのも、気がかりにお思いになったはずの父宮の霊魂が導いて行ったことであろうと思ったのであった。うずめられている橘の木の雪を随身に払わせた時、横の松の木がうらやましそうに自力で起き上がって、さっと雪をこぼした。たいした教養はなくてもこんな時に風流を言葉で言いかわす人がせめて一人でもいないのだろうかと源氏は思った。車の通れる門はまだ開けてなかったので、供の者が鍵を借りに行くと、非常な老人の召使が出て来た。そのあとから、娘とも孫とも見える、子供と大人の間くらいの女が、着物は雪との対照であくまできたなく汚れて見えるようなのを着て、寒そうに何か小さい物に火を入れて袖の中で持ちながらついて来た。雪の中の門が老人の手で開かぬのを見てその娘が助けた。なかなか開かない。源氏の供の者が手伝ったのではじめて扉が左右に開かれた。
ふりにける頭の雪を見る人も劣らずぬらす朝の袖かな
と歌い、また、「霰雪白紛紛、幼者形不蔽」と吟じていたが、白楽天のその詩の終わりの句に鼻のことが言ってあるのを思って源氏は微笑された。頭中将があの自分の新婦を見たらどんな批評をすることだろう、何の譬喩を用いて言うだろう、自分の行動に目を離さない人であるから、そのうちこの関係に気がつくであろうと思うと源氏は救われがたい気がした。女王が普通の容貌の女であったら、源氏はいつでもその人から離れて行ってもよかったであろうが、醜い姿をはっきりと見た時から、かえってあわれむ心が強くなって、良人らしく、物質的の補助などもよくしてやるようになった。黒貂の毛皮でない絹、綾、綿、老いた女たちの着料になる物、門番の老人に与える物までも贈ったのである。こんなことは自尊心のある女には堪えがたいことに違いないが常陸の宮の女王はそれを素直に喜んで受けるのに源氏は安心して、せめてそうした世話をよくしてやりたいという気になり、生活費などものちには与えた。 灯影で見た空蝉の横顔が美しいものではなかったが、姿態の優美さは十分の魅力があった。常陸の宮の姫君はそれより品の悪いはずもない身分の人ではないか、そんなことを思うと上品であるということは身柄によらぬことがわかる。男に対する洗練された態度、正義の観念の強さ、ついには負けて退却をしたなどと源氏は何かのことにつけて空蝉が思い出された。 その年の暮れの押しつまったころに、源氏の御所の宿直所へ大輔の命婦が来た。源氏は髪を梳かせたりする用事をさせるのには、恋愛関係などのない女で、しかも戯談の言えるような女を選んで、この人などがよくその役に当たるのである。呼ばれない時でも大輔はそうした心安さからよく桐壺へ来た。 「変なことがあるのでございますがね。申し上げないでおりますのも意地が悪いようにとられることですし、困ってしまって上がったのでございます」 微笑を見せながらそのあとを大輔は言わない。 「なんだろう。私には何も隠すことなんかない君だと思っているのに」 「いいえ、私自身のことでございましたら、もったいないことですがあなた様に御相談に上がって申し上げます。この話だけは困ってしまいました」 なお言おうとしないのを、源氏は例のようにこの女がまた思わせぶりを始めたと見ていた。 「常陸の宮から参ったのでございます」 こう言って命婦は手紙を出した。 「じゃ何も君が隠さねばならぬわけもないじゃないか」 こうは言ったが、受け取った源氏は当惑した。もう古くて厚ぼったくなった檀紙に薫香のにおいだけはよくつけてあった。ともかくも手紙の体はなしているのである。歌もある。
唐衣君が心のつらければ袂はかくぞそぼちつつのみ
何のことかと思っていると、おおげさな包みの衣裳箱を命婦は前へ出した。 「これがきまり悪くなくてきまりの悪いことってございませんでしょう。お正月のお召にというつもりでわざわざおつかわしになったようでございますから、お返しする勇気も私にございません。私の所へ置いておきましても先様の志を無視することになるでしょうから、とにかくお目にかけましてから処分をいたすことにしようと思うのでございます」 「君の所へ留めて置かれたらたいへんだよ。着物の世話をしてくれる家族もないのだからね、御親切をありがたく受けるよ」 とは言ったが、もう戯談も口から出なかった。それにしてもまずい歌である。これは自作に違いない、侍従がおれば筆を入れるところなのだが、そのほかには先生はないのだからと思うと、その人の歌作に苦心をする様子が想像されておかしくて、 「もったいない貴婦人と言わなければならないのかもしれない」 と言いながら源氏は微笑して手紙と贈り物の箱をながめていた。命婦は真赤になっていた。臙脂の我慢のできないようないやな色に出た直衣で、裏も野暮に濃い、思いきり下品なその端々が外から見えているのである。悪感を覚えた源氏が、女の手紙の上へ無駄書きをするようにして書いているのを命婦が横目で見ていると、
なつかしき色ともなしに何にこの末摘花を袖に触れけん
色濃き花と見しかども、とも読まれた。花という字にわけがありそうだと、月のさし込んだ夜などに時々見た女王の顔を命婦は思い出して、源氏のいたずら書きをひどいと思いながらもしまいにはおかしくなった。
「くれなゐのひとはな衣うすくともひたすら朽たす名をし立てずば
その我慢も人生の勤めでございますよ」 理解があるらしくこんなことを言っている命婦もたいした女ではないが、せめてこれだけの才分でもあの人にあればよかったと源氏は残念な気がした。身分が身分である、自分から捨てられたというような気の毒な名は立てさせたくないと思うのが源氏の真意だった。ここへ伺候して来る人の足音がしたので、 「これを隠そうかね。男はこんな真似も時々しなくてはならないのかね」 源氏はいまいましそうに言った。なぜお目にかけたろう、自分までが浅薄な人間に思われるだけだったと恥ずかしくなり命婦はそっと去ってしまった。 翌日命婦が清涼殿に出ていると、その台盤所を源氏がのぞいて、 「さあ返事だよ。どうも晴れがましくて堅くなってしまったよ」 と手紙を投げた。おおぜいいた女官たちは源氏の手紙の内容をいろいろに想像した。「たたらめの花のごと、三笠の山の少女をば棄てて」という歌詞を歌いながら源氏は行ってしまった。また赤い花の歌であると思うと、命婦はおかしくなって笑っていた。理由を知らない女房らは口々に、 「なぜひとり笑いをしていらっしゃるの」 と言った。 「いいえ寒い霜の朝にね、『たたらめの花のごと掻練好むや』という歌のように、赤くなった鼻を紛らすように赤い掻練を着ていたのをいつか見つかったのでしょう」 と大輔の命婦が言うと、 「わざわざあんな歌をお歌いになるほど赤い鼻の人もここにはいないでしょう。左近の命婦さんか肥後の采女がいっしょだったのでしょうか、その時は」 などと、その人たちは源氏の謎の意味に自身らが関係のあるようにもないようにも言って騒いでいた。 命婦が持たせてよこした源氏の返書を、常陸の宮では、女房が集まって大騒ぎして読んだ。
逢はぬ夜を隔つる中の衣手に重ねていとど身も沁みよとや
ただ白い紙へ無造作に書いてあるのが非常に美しい。 三十日の夕方に宮家から贈った衣箱の中へ、源氏が他から贈られた白い小袖の一重ね、赤紫の織物の上衣、そのほかにも山吹色とかいろいろな物を入れたのを命婦が持たせてよこした。 「こちらでお作りになったのがよい色じゃなかったというあてつけの意味があるのではないでしょうか」 と一人の女房が言うように、だれも常識で考えてそうとれるのであるが、 「でもあれだって赤くて、重々しいできばえでしたよ。まさかこちらの好意がむだになるということはないはずですよ」 老いた女どもはそう決めてしまった。 「お歌だって、こちらのは意味が強く徹底しておできになっていましたよ。御返歌は技巧が勝ち過ぎてますね」 これもその連中の言うことである。末摘花も大苦心をした結晶であったから、自作を紙に書いておいた。 元三日が過ぎてまた今年は男踏歌であちらこちらと若い公達が歌舞をしてまわる騒ぎの中でも、寂しい常陸の宮を思いやっていた源氏は、七日の白馬の節会が済んでから、お常御殿を下がって、桐壺で泊まるふうを見せながら夜がふけてから末摘花の所へ来た。これまでに変わってこの家が普通の家らしくなっていた。女王の姿も少し女らしいところができたように思われた。すっかり見違えるほどの人にできればどんなに犠牲の払いがいがあるであろうなどとも源氏は思っていた。日の出るころまでもゆるりと翌朝はとどまっていたのである。東側の妻戸をあけると、そこから向こうへ続いた廊がこわれてしまっているので、すぐ戸口から日がはいってきた。少しばかり積もっていた雪の光も混じって室内の物が皆よく見えた。源氏が直衣を着たりするのをながめながら横向きに寝た末摘花の頭の形もその辺の畳にこぼれ出している髪も美しかった。この人の顔も美しく見うる時が至ったらと、こんなことを未来に望みながら格子を源氏が上げた。かつてこの人を残らず見てしまった雪の夜明けに後悔されたことも思い出して、ずっと上へは格子を押し上げずに、脇息をそこへ寄せて支えにした。源氏が髪の乱れたのを直していると、非常に古くなった鏡台とか、支那出来の櫛箱、掻き上げの箱などを女房が運んで来た。さすがに普通の所にはちょっとそろえてあるものでもない男専用の髪道具もあるのを源氏はおもしろく思った。末摘花が現代人風になったと見えるのは三十日に贈られた衣箱の中の物がすべてそのまま用いられているからであるとは源氏の気づかないところであった。よい模様であると思った袿にだけは見覚えのある気がした。 「春になったのですからね。今日は声も少しお聞かせなさいよ、鶯よりも何よりもそれが待ち遠しかったのですよ」 と言うと、「さへづる春は」(百千鳥囀る春は物ごとに改まれどもわれぞ古り行く)とだけをやっと小声で言った。 「ありがとう。二年越しにやっと報いられた」 と笑って、「忘れては夢かとぞ思ふ」という古歌を口にしながら帰って行く源氏を見送るが、口を被うた袖の蔭から例の末摘花が赤く見えていた。見苦しいことであると歩きながら源氏は思った。 二条の院へ帰って源氏の見た、半分だけ大人のような姿の若紫がかわいかった。紅い色の感じはこの人からも受け取れるが、こんなになつかしい紅もあるのだったと見えた。無地の桜色の細長を柔らかに着なした人の無邪気な身の取りなしが美しくかわいいのである。昔風の祖母の好みでまだ染めてなかった歯を黒くさせたことによって、美しい眉も引き立って見えた。自分のすることであるがなぜつまらぬいろいろな女を情人に持つのだろう、こんなに可憐な人とばかりいないでと源氏は思いながらいつものように雛遊びの仲間になった。紫の君は絵をかいて彩色したりもしていた。何をしても美しい性質がそれにあふれて見えるようである。源氏もいっしょに絵をかいた。髪の長い女をかいて、鼻に紅をつけて見た。絵でもそんなのは醜い。源氏はまた鏡に写る美しい自身の顔を見ながら、筆で鼻を赤く塗ってみると、どんな美貌にも赤い鼻の一つ混じっていることは見苦しく思われた。若紫が見て、おかしがって笑った。 「私がこんな不具者になったらどうだろう」 と言うと、 「いやでしょうね」 と言って、しみ込んでしまわないかと紫の君は心配していた。源氏は拭く真似だけをして見せて、 「どうしても白くならない。ばかなことをしましたね。陛下はどうおっしゃるだろう」 まじめな顔をして言うと、かわいそうでならないように同情して、そばへ寄って硯の水入れの水を檀紙にしませて、若紫が鼻の紅を拭く。 「平仲の話のように墨なんかをこの上に塗ってはいけませんよ。赤いほうはまだ我慢ができる」 こんなことをしてふざけている二人は若々しく美しい。 初春らしく霞を帯びた空の下に、いつ花を咲かせるのかとたよりなく思われる木の多い中に、梅だけが美しく花を持っていて特別なすぐれた木のように思われたが、緑の階隠しのそばの紅梅はことに早く咲く木であったから、枝がもう真赤に見えた。
くれなゐの花ぞあやなく疎まるる梅の立枝はなつかしけれど
そんなことをだれが予期しようぞと源氏は歎息した。末摘花、若紫、こんな人たちはそれからどうなったか。
(訳注) この巻は「若紫」の巻と同年の一月から始まっている。
●表記について
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