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ある回想から(あるかいそうから)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-11-2 10:56:12  点击:  切换到繁體中文


 一九三二年の春から一九四五年十月までの十三年間に、日本の一作家たる私が、ともかく書いたものを発表できたのは、三年九ヵ月ほどであった。あとの九年という歳月は、拘禁生活か、あるいは十三年度の一年半、十六年一月から治安維持法撤廃までの執筆禁止の長い期間にあたっている。
 公衆の面前で、一定の人間を、これでもか、これでもか、というふうにあつかったことは、直接そういう目にあうものを極度に苦しめたばかりでなく、ある距離をもってそのぐるりをかこみ、その光景を目撃している、より多数の、より不安定な条件におかれているものの精神を毒することはおびただしかった。文学の領域において、作家の敏感性や個人主義の傾向は、この点で十二分に利用された。一九四一年(昭和十六年)の一月から、また、幾人かの作家・評論家が執筆禁止になった。三年前は、主として内務省がその仕事をやったものであったが、四一年には、情報局がこの抑圧の中心になった。噂では、けがらわしいリスト調製に無関係ではないと話される作家さえもあった。
 アメリカへの戦争準備を強行中の軍事力は専断のかぎりをつくした。情報局でこしらえたジャーナリストと役人との、執筆者リストのようなものを、そのころ偶然みたことがあった。それは、当時の輿論が、どんなにふみにじられたものであったかを証明した。ジャーナリストが、さまざまの意味から、執筆して欲しい作家をA・B・C級にわけた。そのA級が大部分、役人にいわせれば禁止A級に入れられていた。役人が執筆させたいAの方には、通俗的また軍国的文筆家が大多数を占めていた。

 軍事行動邁進の三年という年月に、ジャーナリストたちの自立も弱められた。新聞は、もう再度の文化暴圧にたいして、発言しなかった。進歩的な作家たちも、それについて理性からの批判は示しえなかった。舟橋聖一氏がこの間発表した「毒」という小説は、作品としては問題にするべきいくつかの点をもっているけれども、あのころ、わが身を庇うために、日本の知識人がどのくらい自負をすて卑劣になり、破廉恥にさえなっていたかという姿だけは、示しえている。
 個人の問題ではなく、文学の置かれている非道な境遇として、中野や私は、なんとかそれを全般の関心事としたかった。進歩的な精神をもち、行動も消極ではないある評論家を二人で訪問した。今回の情報局のやりかたは正しくないという意見の、雑誌編集者もいあわせた。いろいろの事情を綜合し、文学者たちの気分を研究し、つまり、意味ある反応は期待しがたいという結論になった。この時期になると、こわいものに近よらず、自分たちを守るのが精一杯、という気風が瀰漫して、その人々のために、幅ひろい、なだらかな、そして底の知れない崩壊への道が、軍用トラックで用意されていたのであった。
 そのころ、文芸家協会の事務所が、芝田村町の、妙に粋めいた家に置かれていた。一室に事務所があった。私は、ある午後、ひとりでそこを訪ねた。英文学の仕事をしていた某氏が事務担当をしていた。私の用事は、前に中野さんと某氏を訪ねたとおなじ題目であった。文芸家協会は、大正年代に組織され、古い歴史をもつ日本で唯一の文学者の集団である。理事というところには、日本の代表的著述家・作家が顔をならべている。これらの人々の顔ぶれの世俗的に賑やかな体面上からも、日本の文学が瀕している危機にたいして黙っていられないはずであろうと思えた。こちらからの話があれば、文芸家協会の議題にのぼることなのだろうか。
 光線のたりないその事務室で、正直な某氏は、苦渋の面持ちであった。
「それは、もう当然、問題にするべきなんです。しかし……今の理事は――」
「どなたから提案なさるということも不可能なんでしょうか」
「率直にいって麻痺していますからね、どの点からも――。想像もしていないでしょう」
「しかたがないというわけかしら」
 某氏は苦痛な眼つきでしばらく沈黙していた。
「――どうも。だいたい、自分に関係のあることだと感じていないんだから、しまつがわるいです」
 こういうことがあってしばらくして、文芸家協会は改組した。ばからしい、いかめしい官僚組織になって、文学報国会となった。評論家協会は、言論報国会となった。文学報国会の大会では、軍人が挨拶をし、一九三一、二年代に、文学の純粋性といって、プロレタリア文学に極力抵抗した作家たちが、群をなして軍国主義御用の先頭に立ったのであった。

 こういう文化上の悲劇、作家一人一人の運命についていえば目もあてられない逆立ち芸当をつとめるにいたった理由は複雑であろう。根源には、日本の近代社会のおくれた本質が、作家の全生活に暗く反映している。跛な日本の経済事情そのものから生じている出版企業の不安定と結ばれた作家の経済事情の、文明国らしくないあぶなかしさがある。それらのことから派生して、日本の作家はこれまであまり個々の才能を過大に評価しすぎたし、文学創造の過程にある心的な独自性、ほかの精神活動にないメンタルな特性の主張を、おおざっぱに文学の純粋性だの、文学性だのという概念でかためてしまってきた。それというのも、裏がえしてみれば、作家の社会的位置というものが、おくれた日本の社会の中では低く不安だから、逆に存在意義として個々の才能の自由競争を強いられる結果であった。他の生産部門にたいして、とくに社会を皮相からみたときには、いつもそれだけが支配力をもつような政治・経済の力に抗して、文学の独特な価値を肯かせようとして、ほかの仕事とは違う、違うと、ますます手足のえた状態に自身を追いこんだ。勤労階級と、文学が遊離してきた原因も、この事情の他の一面のあらわれであった。古風なものの考えかたでは、頭脳の労作と筋肉的労作との間に、人間品位の差があるようにあつかわれた。社会のための活動の、それぞれちがった部門・専門、持ち場というふうには感じられていなかった。その古風さに、近代の出版企業が絡んだ。出版企業は、作家を原料加工業、読者を市場としてみるにすぎない。営利出版は、本質がそうである。将来にわたる文化の沃土として作家や読者大衆をみない。この条件は、作家をわる巧者にして、自分にとっても曖昧な「文学性」の上に外見高くとまりつつ稼ぎつづけで、消耗されてきたのである。
 戦争の年々は、私たちすべてに、苛烈な教訓を与えた。個々の作家の才能だけきりはなしてどんなに評価しても、全般にこうむる文化暴圧に対抗するにはなんの力でもなかったことを、まず学んだ。それにつけても、文筆の活動で生計を立ててゆかなければならない私たちの必要は、食うためにはそれもしかたがない、という過去、あるいは現在の諸条件を、生存するばかりか人生のための仕事なのだからこそ、ここまで高まらなくてはならないと社会的に主張し、努力してゆくのが、私たち作家の任務であると知らしてきていると思う。
 作家一人一人の仕事ぶりについてみれば、文学の創造過程の独自さから、それはめいめいのやりかた、めいめいの住居での仕事場というふうに、別々に行われる。この事情は、それだから作家や評論家は、社会的本質がバラバラなものだという理由にはならない。そういう個々の具体的状態において、一貫性をもっているのである。
 民主的な社会生活の確保ということがいわれ、文学の民主性ということが話されるとき、とかく、題材の方へばかり目がくばられる。あるいは、文学をとおして大衆との結合というふうに相対の形態を考える。しかし、作家たちが社会機構の中で保守封建なものとたたかいながら、営利資本の圧力に抗しつつ自身とその芸術を新しくし、なおさらに新しい作家と文学とをもりたててゆこうと欲するとき、自分たちの文学活動の自立性を、民主の立場にたって、経済的に政治的に守る力さえもたないで、どうして遠大な希望にふさわしい実力をもちえよう。これまでにも、民主の方向をもつ文学団体というものは出来ている。それだけでは、まだ盾の半面が欠けている。文学が、社会の文化生産の労作であるという本質を理解して、作家たちが、他の文化関係の全勤労者の組合と連繋をもつ、著作者としての組合をもつなら、作家の社会的にあらわしうる能力は「文士」の域から必ず脱しうるであろう。日本の自覚あるすべての勤労者が、歴史のうちに描きだす自分たちの人生を大切に思い、自分たちの生命の価値を表現する職務を愛し、自分とすべての人々のために力ある組織をもちはじめているいま、人生を感受することの最も鋭いはずの作家たちが、自分たちも組合をもとうと希望するのは、ふしぎのないことである。
 日本の将来には、幸にしてもう二度とふたたび治安維持法は出現しないだろう。軍人どもが文化を殲滅させることもないであろう。私たち作家は、日本文化をけっしてまたとそのような目にあわせまいとかたく決意している。あってならないことは絶対にありえない条件を確保しようと願うのである。

〔一九四六年七月〕





底本:「宮本百合子全集 第十三巻」新日本出版社
   1979(昭和54)年11月20日初版発行
   1986(昭和61)年3月20日第5刷発行
底本の親本:「宮本百合子全集 第十一巻」河出書房
   1952(昭和27)年5月発行
初出:「日本評論」
   1946(昭和21)年7月号
入力:柴田卓治
校正:米田進
2003年4月23日作成
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