「こちらでせう、慈悲心正助さんといふ方のお家は?」
「え、さうですよ、あなたはどちらからおいでになりましたか?」
「一寸、此処を開けて下さい。さうすればお分りになります。」
婆さんもその物音に目を醒しました。そして起きて戸を開けてみますと、吃驚して、思はずアッと言つて、尻餅を搗くところでした。といふのは、其処には一疋の竜の駒(たつのおとしご)の大きなのが、金銀、珊瑚、真珠などの飾りのついた鞍を置かれ、その上には魚の形をした冠に、鱗の模様のついた広袖を着た美しい女が立つてをりました。
お婆さんはすつかり驚いてしまひました。
「ぢいさん/\大変なものが舞ひ込んだ。お怪けが来た。早く此処へ来て戸を閉めて下さい。私は恐くて、もう足も腰もかなはない。」とお婆さんは呶鳴りました。
お爺さんもびつくりして飛び起きてくるとこの有様でした。けれども流石に男だけに、気を落付けて訊きました――
「もし/\お姫様、あなたは何だつて此処へおいでになりました。そして又この慈悲心正助に何の御用がおありなさいますか?」
竜の駒の背中にのつた美しい女は答へました――
「ちつとも恐がることもなければ、吃驚なさることもありません。私は竜宮から来た使者でございます。正助さんを竜王さま、乙姫さまが御召でございます。どうぞ御面倒ですが、一寸私について来て下さい。」
正助爺さんは、初めは少々恐がつて、一緒に行くことを躊躇しましたが、道案内が、か弱い女のことですから、何でもなからうと安心してその女について海岸まで参りますと、そこには別に一疋のもつと大きな竜の駒がをりまして、正助爺さんを乗せ、竜宮のお使ひを先に立てゝ浪の中へさつと駆け込みました。すると不思議なことには正助爺さん達の行く処は、まるで壁で仕切りをしたやうに海の水が両方に分れて、陸を行くのとちつとも変りがありません。驚いて後を振り返つてみますと、そこはもう水ばかりで、白い浪が物凄いやうに吼えたり、噛み合つたりして、岸の方へ押掛て行くのが見えました。
おほよそ二三十丁も来たかと思ふと、突然眼の前に立派なお城が見えました。近づいてみますと、門には竜宮といふ字を真珠を熔かして書き、それを紅珊瑚の玉で縁取つた素晴らしい大きな額をかけて、その中には矢張り鱗模様の着物に、魚形の冠を被つた番兵がついてをりました。
正助爺さんはこの門を通つて、お城の中へ参りましたが、その美しいのに恍惚として、危く竜の駒から落ちようとしたことが幾度あつたか知れません。
とある玄関で駒をすて、迎へに出た女官につれられて立派なお坐敷に通り、暫く待つてゐると、竜王と、乙姫とが沢山な家来をつれて其処へおでましになりました。
「これ正助。」と竜王は仰せられました。「お前が夕方私にくれた天の羽衣は、この乙姫が前から手に入れようとして、どうしても求めることの出来なかつたものぢや。それがお前の殊勝な心掛で計らずも手に入つたので、乙姫は勿論、わしもことの外満足ぢや。何はなくとも先づ一献過せ。」
そこで大変立派な御馳走が出まして、正助爺さん、すつかりいい気持に酔つて夜の更けるのも知りませんでしたが、そのうちに東が白んで来ましたので、やうやく気がついて、お暇乞ひを申しますと、乙姫は侍女にいひつけ一つの美しい箱を持つて来さしました。
「正助や。」と、乙姫は申されました。「この箱には一疋の犬が這入つてゐる。これはお前が天の羽衣を私に贈つてくれたお礼です。侍女から、よくその養ひ方を教はつて行きなさい。」
正助爺さんは有難くお受け申して、又もとのとほり竜の駒に乗つて海岸まで送つてもらひました。その時侍女は、かう申しました――
「この犬には毎日小豆を五合づゝよく煮て喰べさせてお置きなさい。さうすると夜中に糞の代りに五合だけの黄金をします。だけれど五合以上は決して喰べさせてはなりませんから。そこはよく気をおつけなさい。」
成程、侍女が教へたとほり、五合の小豆をよく煮て喰べさせますと、その犬は夜中に五合だけの黄金を出してゐましたから、爺さんも婆さんも一寸の間に大金持になりました。けれども無慾で慈悲心の深い人達ですから、さうして取つた黄金も隣近所の貧乏人なんかに多くは恵みますから、人は皆この二人の年寄を褒めないものはありませんでした。
ところがその隣りに一人の名高い強慾婆さんがをりました。慈悲心正助のうちが俄に大金持になつたのに不審を抱き、或日、その家へ行つて、どうしてそんなに金持になつたのかと訊きました。慈悲心正助は正直なものですから、すつかり打明て話しますと、それぢや私にその犬を二三日貸して下さいと、慾張婆さんが申しました。
「えゝゝお安い御用です、さあどうぞお持ちなさい。」と、正助のところでは快く犬をかしてやりました。
然し二三日どころか五日経つても、又六日経つても犬を返して来ませんので、取りに行つてみると、慾張婆はひどい見幕で呶鳴りつけました。
「お前達は大うそつきだ。黄金を出すどころか、したゝかに糞をしたので、私は腹が立つて火吹竹でどやしつけたら、死んでしまつたから、裏の掃溜に棄てゝしまつた。」
「おや/\ひどいことをしますね。そんな筈はありませんが、お前さん、私の言つたとほり五合の小豆を煮て喰べさせましたか?」
「そりや小豆を煮て喰はしたさ。けれども二三日借りたきりのものだから、そのうちにウンと黄金を取つてやれと思つて、一升喰はしたんだ。そしたら一升だけ糞をたれて、本当にひどい目にあはされた。」
「あゝそれぢやあいけない、五合以上喰べさしちやならないのだ。犬は可哀さうなことをした。どれ、では死骸でも葬つてやりませう。」
そこで正助爺さんは掃溜の中から犬の死骸を拾つて、綺麗に洗ひ浄め、それを土竈のさきへ埋めました。すると直ぐそこから榎が芽を出して、正月の十七日にはその枝に沢山の大判小判の金貨がなりました。正月にかざる繭玉の由来はこれだと申します。
●表記について
- このファイルは W3C 勧告 XHTML1.1 にそった形式で作成されています。
- 「くの字点」は「/\」で表しました。
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