五 袋の鼠
塔の中では馬賊が一人、番に残つてゐました。首領が二三人手下をつれて迎へにくるのを待つてゐるのでした。
すると、少時たつて、外で、何やら人のけはひがしたやうで、草やぶの鳴る音も聞えたやうでした。
「ハテな、迎へに来たのにしちや、少し早いぞ」と、馬賊は首を傾げました。
「ことによつたら、あの子供をお城の者がさがしにでも来たかしら」
馬賊は目じるしにならないやうに、急いであかりを吹き消しました。このときは、実はニナール姫の指図で、武装兵がこつそりと塔を囲んだときでした。
それから、またしばらくして、今度は、はつきり二三人の足音が聞えました。
「来た/\、いよ/\親分が来た」
馬賊は悦んで、また燈火をつけました。そして「親分ですか」と低い声で訊いてみました。そのときには、足音はもう、ごく近くに来てゐました。
「うん、待たせたね」と、闇の中で、太い声が答へました。それは変でしたけれど、中の馬賊は気がつきませんでした。
「ちよつと、入口まで出てくれ」と、その声は言ひました。
「ヘイ/\。あの人質もつれて行きますか」
「いや、お前だけでいゝ」
賊は火のついた蝋燭を手にもつて、戸口を一歩踏み出すと、忽ち、何者にか足をさらはれて、バツタリとそこに仆れました。
そのとき、懐中電気の光りが、まばゆく目をいました。そして、しまつたと思つたときには、もうきり/\と、後ろ手にしばり上げられてゐました。
「ハハハ、うまくつり出されたな。斯うして置けば、ジウラ殿下はもう大丈夫です」と、守備隊長が言ひました。「いや、どうもニナール姫さまの、何から何までお気づかれるのには、恐ろしいくらゐでございます。外の方も網が張つてありますから、馬賊がくれば、すぐ捕へます」
その言葉が終るか終らぬうちに、塔の外で、烈しい銃声が起つて、人の叫びのゝしる声や、走り廻はる足音がしました。それからまた二三発銃声がして、それがやむと、塔をさして、四五人の黒い人影が走つて来ました。
「誰か!」
守備隊長は入口に出て、どなりました。
「味方!」と、声がしました。つゞいて「隊長殿。賊は抵抗するので、みんな射殺しました」と、言ひました。
「よろしい。此処で取押へた奴を城へ曳いて行け。あとでしらべるから」
六 仏像のからくり
ニナール姫は懐中電気をつけ、まつ先きに立つて、先程、アルライや馬賊たちが、悪事の取引きをしてゐた部屋に入りました。けれども、ジウラ王子の姿は見えません。王子どころか、生きたものは、鼠一疋もゐません。そして可なり広い室の向ふの壁に、たゞ大きなラマ仏の木像が三つ立つてゐるつきりでした。
「おや、ジウラ殿下はお見えになりませんね」と、守備隊長が、失望したやうに言ひました、
「うん、ゐないね。どうしたのだらう」と、キャラ侯も心配さうに言ひました。「ニナールの見ちがひぢやないかね」
「いゝえ、悪者どもは、たしかに此の部屋にゐました。見違ひぢやありませんね。もつとも、ジウラさんの姿は見やしないんですが、どこかにかくしてあるやうに、アルライが言つてゐましたから、さがしてみませう」
「でも、隠すところがないぢやないか。別な部屋に押しこめてあるんだらう」
「いや、一時押へて置くのにまつ暗な別な部屋へ、わざ/\面倒な思ひをして、入れに行く筈がありませんわ。きつと、この部屋に、何か秘密の戸口があるのよ。あたし呼んでみませう――ジウラさん、ジウラさん!」
ニナール姫はしきりに呼んでみますけれど、何んの答へもありません。只井戸の中で物を言つてゐるやうに、高い天井に反響するつきりでした。
みんなは懐中電気やら、炬火やら、蝋燭やらを壁だの天井だのにさしつけて、秘密の出入口でもありはしないかと、しきりにさがしましたけれど、一向それらしいものが見当りません。でみんな困つてゐました。
と、そのとき、ニナール姫が、突然叫びました。
「分つたわ。あれよ! あすこよ!」
姫の指は牀をさしてゐました。そこには二三寸も高く積つた埃の上に、大きな支那靴の跡がポタリ/\とついて、ラマ仏像の横の方へ走つてゐました。
「あの仏像が怪しいわ!」
ニナール姫は、向つて右端の仏像をゆびさしながら、その足跡をつけて行きました。
「怪しいといつて、この仏像の中にでも、ジウラがかくしてあるといふのかい」と、キャラ侯もニナール姫について行つて、その仏像を見上げました。
そこへ、守備隊長が来て、仏像の台坐のまはりを、手で押してみたり、叩いてみたりしましたが、ビクともしません。
「どうも、お姫様、今度はお考へがちがつたやうですね」
「いゝえ」と、ニナール姫は強く首を横に振りました。「間違ひありません。ほら、この仏像を外のと比らべて御覧なさい。一目で、ちがつてゐることが分りませう」
然し、隊長の目にも、キャラ侯の目にも、それは、外のと同じ、奇怪な、醜い、恐ろしいやうなラマ仏でしかありませんでした。
「分りませんか。これを御覧なさい」と、ニナール姫は仏像の膝のあたりから、台坐の下まで、なで下ろすやうな手附をしました。「それね、あすこだけ埃がとれて、縞になつてゐるでせう。他の仏像は埃を一めんにかぶつて、そんな縞がないぢやないの。だから、この仏像には人がさはつた証拠よ」
「やあ、すつかり感心しました」と、守備隊長は頭を下げました。「お姫様のお目はするどいですなあ」
「なるほど、ニナール、お前はえらい。だが、仏像のどこにジウラがかくしてあるのかい」
「さあ、仏像の中か、どこか分りません。でも、あの縞が終つてゐるお腹の横に光つた小さな石が見えるでせう。多分、あれを押すと、どこか秘密の戸口があくんぢやないか知らと思ひますわ。お母様が、ラマ仏には、そんな仕掛のしたのがあるつて、お話をなさつたことをおぼえてゐますもの」
守備隊長はすぐ仏像の台坐にのり、その光つた石を押すと、ぎつと音がして、仏像は前の方へ動き出して、あとには人のはいれるやうな穴が一つ、牀にあきました。
「ジウラさん!」と、叫びながら、ニナール姫はその穴に電気をさしこみのぞきました。「ジウラさん、しつかりなさいよ! 私達、助けに来たのよ!」
ジウラ王子は、穴の中に、ぐつたりとなつて、仆れてゐましたので、守備隊長がすぐそれを抱き上げて、牀の上にねかすと、ニナール姫はその口に手を当てがつて、息があるかを確めてみながら、
「ジウラさん、ジウラさん、しつかりしてよ! あたしよ、ニナールよ!」
と、心配さうに叫びました。けれども、ジウラ王子は目も開けなければ、動きもしません。勇敢で賢いニナール姫も、やつぱり少女です。かうなると、もう泣声になつて、
「お父様、どうしませう。ジウラさんがこのまゝ死にでもしたら、あたしが殺したやうなものですわ。どうかして頂戴よ。早く/\」
「いや、ジウラを死なしちや、お前ばかりか、わしの責任ぢや。早く城へつれて行つて、松本先生に手当をして貰はなけりや」
ジウラ王子はすぐお城へ運ばれ、侯の侍医をしてゐる日本人の松本氏に診察して貰ひました。別にどうしたといふわけでもなく、只驚きの余り気絶してゐたのでしたから、間もなく息を吹き返しました。
枕元にすわつて、心配してゐたニナール姫はやつと安心しましたが、それでも、目には涙をためて、言ひました。
「ジウラさん、御免なさいね。もう、肝ためしだなんて、あんな危ない目に貴方を、あはしませんわ。あたし本当に馬鹿だつたのねえ。でも、貴方、これから強く/\なつて、成吉斯汗のやうな英雄になつて下さいね」
ジウラ王子はその痩せて、あを白い顔に熱心の紅味をあらはして、うなづきました。
●表記について
- このファイルは W3C 勧告 XHTML1.1 にそった形式で作成されています。
- 「くの字点」は「/\」で表しました。
- 傍点や圏点、傍線の付いた文字は、強調表示にしました。
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