三 悪事の相談
それから十五六分も経ちましたらうか。ニナール姫も、さすがに心配しながら、ジウラ王子が無事で早く帰つてくるやうに祈つてをりましたが、どうしたことか、待てども待てども帰つて来ません。ニナール姫は心配で、もうぢつとしてゐられなくなりました。で、自分も、ラマ塔をめざして行きました。一足々々、ジウラ王子が、そこに仆れてはゐないかと、危ぶみながら進みました。
いよ/\ラマ塔の入口に来ると、さすがに勇気のある姫もちよつと躊躇しました。といふのは塔の根のところは、なか/\宏大なもので、その入口はお城の門ほど高くて、広くて、しかも、すばらしく大きな、仁王様のやうな石像が、門の両側の柱や、壁に立つてゐるので、勇気のあるニナール姫でもぞつとするほど恐いのですから、ジウラ王子のやうな弱い人は、とても、その前を通れやうはずがない。或はこゝらで気絶してゐはしなからうかと、思ひながら、あたりをよく見まはしても、そんなふうもないので、ニナール姫は断然、塔の中へはいりました。ひやりとした空気が顔をなで、黴つ臭いにほひが鼻をうちました。然し、何分、まつくらなので、足元があぶないからちよつと立ちすくんでゐましたが、フト前の方に、かすかに燈が見えて来ました。
「あゝ、やつぱりお父様が、誰かにいひつけて、燈火をおつけさせになつたんだわ。ジウラさんも、きつと、あすこにゐるでせう」
ニナール姫は、足元をさぐり/\、そつと奥へすゝみました。すると、二三人の男の声で、何やら話してゐるのが聞えました。それがこゝらへんの言葉でないらしいので、賢い姫ははて、変だと感づいて、いよ/\そつと進んで行きますと、燈明は塔の北側の部屋からもれてくることが分りました。そつと忍寄つてのぞくと、その中には、三人の、馬賊らしい、鬚モジャの男たちが、あぐらをかいて、坐つてゐました。そのうちの二人だけは入口に向かつて坐り、そばに馬の鞍やら、馬具の類やら、宝石をちりばめた短剣やら、美しい手箱などが置いてありました。
「もう少し負けねえか」
と、そのうちの一人が、こちらへ後ろを向けてゐる男に言ひました。
「一銭も負からねえ」とこつちの男が、答へました。それが土地の言葉である上、何んだか声にも聞き覚えがあるやうでした。
「考えて見ろ。ブレツといや、キャラ侯の厩のうちばかりでねえ、北満洲、蒙古きつての名馬だぞ」
「さう云や、さうだが――すると、馬を渡すのはいつだい」
「明日、渡してやる」
「間違ひないな。それぢや、手附金五十両やつて置く」
長い赤鬚の馬賊は、ピカ/\光つた銀貨をかぞへて、そこに出しました。それを、こつちへ後ろを向けてゐる男が、受取る拍子に、ふとその横顔を見せました。
「あツ!」
ニナール姫は思はず、小さな驚きの声をあげました。それはニナール姫の馬の世話をしてゐる馬丁のアルライだつたからです。
アルライはニナール姫の小さな叫びをきゝつけて、すぐに戸を開けて、炬火をつけました。けれども、ニナール姫はすばやく、隅の方の壁にピタリと身を押し付けましたから、見付かりませんでした。
「何んだい」と、馬賊の一人が声をかけました。
「何んだか声がしたので、又誰か来やがつたと思つたんだが、空耳だつた」
と、アルライが答へました。すると、赤鬚の馬賊が、
「あの餓鬼はどうするんだ」と、訊きました。
「あすこに投り込んどきや、鼠の餌になるか、飢ゑ死にするか、どつちみちおれの秘密がもれることはない。おれも、ブレツをお前たちに渡しや、もう仕事もないから、いゝ加減、見切りをつけて、此の城を立退くんだ」
「だが、只、くたばらせるのは惜しいな。どうだ人質にして、五十でも百でも金にするからおれに売らねえか」と、その馬賊が言ひました。
「うん、そいつはいゝ考へだ。ぢや、いくらに買ふ?」
「五両ぢやどうだ」
アルライはせゝら笑つて
「そんな金ぢあ渡せねえよ、あれでも未来は蒙古は伽什爾の王様になるのだぜ、やがては大蒙古の王様だ。それを人質にとるんだ。どんなに安くつもつても、万両の価はあるんだぞ」
「まあ話は半分と聞いて置かう。とにかく、いくらなら手放す」
「千両といひたいが、うんとまけて百両」
「高い/\五十両にしとけ!」
「さうはならねえ。いやなら止せ」
ニナール姫はこの話を聞いて歯ぎしりしました。悪馬丁のアルライはニナール姫の愛馬ブレツを盗み出して、馬賊に売る約束した上、うつかり塔に入つたジウラ王子をつかまへて人質として売らうとしてゐるのでした。
「あゝ、ジウラさんに、あのピストルを渡してゐなかつたなら、アルライも二人の馬賊も、すぐ射殺して、ジウラさんを助けてあげられるのに」
ニナール姫は、思はず懐をさぐると、短剣の柄に手がふれました。
「タクマールがしたやうに、入口に待受けて、一人づつ、これで胸を刺してやらうか」と、思ひました。けれども、相手は大の男が三人で、こちらは小さな女の児一人です。やりそこなつたら、それこそ大へんです。勇気ばかりでなく、智恵もすぐれてゐるニナール姫は、そんな危ぶないことをする代りに、別に安全な方法を考へ出して、アルライや、馬賊たちのすることをこつそりと見てゐました。
悪者どもはさうとも知らず、ジウラ王子の値段を押問答してゐましたが、とう/\五十両で約束がきまつて、アルライはそのお金を受取り、馬賊の一人はあとに残つて、番をし、他の一人は、外の仲間をつれて来て、此処で買つた品物やら、ジウラ王子やらを受取つて行くことにきまりました。
四 不敵の馬丁
ニナール姫はアルライと一人の馬賊とが塔から出て行つたあとで、自分もこつそりと、塔を出て、走つてお城へ帰りました。
お城ではニナール姫と、ジウラ王子との姿が見えなくなつたといふので、大騒ぎをしてゐるところだつたので、ニナール姫がひよつこりと帰つてくると、お父様は大悦びで
「まあ、ニナール?」と、たしなめるやうに言ひました。「お前はこの夜中、何処へ行つたの。心配させるぢやないか。お転婆もいゝ加減にするものだよ。そしてジウラは何処に、」
ニナール姫はわざと落着いて、
「お父様、それについて大事なお話がありますの。ちよつと、お広間へ来てちやうだい」お広間へ来ると、ニナール姫は声をひそめて「あのね、とても大へんなことよ」
「何が大へんなのかい。」
「ジウラさんが、馬賊にさらはれるところよ」
「えッ、何をいふ」
「それに私のブレツも盗みだして、明日は売られてしまふところよ」
「誰が売るのか」
「アルライが」
「お前、どうかしてゐやしないか」
「いゝえ」と、いつて、ニナール姫は今までの話を手短かにしました。するとキャラ侯はかん/\に怒つて、すぐアルライをよばうとしましたが、ニナール姫はとめました。
「まづ塔に兵隊をやつて、内からも外からも、馬賊が出入りのならぬやうにして下さい。それも中の馬賊に知られると、ジウラさんを殺すやうなことになるといけませんから、ジウラさんは、あとで、私たちがいつて、うまく、けいりやくで、内の馬賊を押へて置いて、それから助け出しませう。それよりもさきに、此処へ、守備隊長をよんで、このことを話して兵隊を二三人つれて来させ、それから厩頭のウラップに、アルライを此処へつれて来るやうに言付けて下さい」
ニナール姫の手配はまるで、りつぱな警察署長のやうに、よく行きとゞいたものでした。で、お父様もすつかり感心して、そのいふとほりにしました。
アルライは、まさか自分の悪事がつゝぬけに御主人の耳にはいつてゐるとは知りませんが、たつた今、悪るいことをして、帰つて来たばかりのところへ、こんな夜更けによび出されるのを不審に思つた、不安心な様子でした。
アイチャンキャラ侯はアルライが広間へはいつてくると、眉をつり上げて雷のやうな声で叱りつけました。
「貴様はふらちな奴だ。主人の馬を馬賊に売る約束をしたり、ジウラをかどわかして、人質にやらうとしたり、悪いことばかりをしてゐるな、こちらには一々分つとるぞ!」
アルライはさすがに驚いて顔の色を変へました。でも飽くまでづう/\しく、にや/\笑ひながら
「何をおつしやるんです。そんな馬鹿げたことを! 誰か私をねたむものが言つたことでせう」
「馬鹿およし」と、わきから、ニナール姫が言ひました。「わたし、お前たちが塔のなかでしてゐたことや、言つてたことを見たり、聞いたりしてゐたんですよ」
「へへへ、お姫様は夢を見ていらつしやるんでせう」
アルライはさう言ひながら、戸口の方へそろ/\と歩るいて行きました。
「黙れ!」と、どなつたキャラ侯は、いきなり壁から鞭をとり下ろして、ピシリ/\と、二度、アルライの頭を打ちました。
「畜生!」と、アルライが叫んだかと思ふと、ぴかりと何やらその手に光りました。かくしてゐた短剣をぬいたのでした。そしてキャラ侯にとびかゝりました。
「どつこい、さうは問屋で下ろさない」と、後ろから、ウラップがその手をしつかりと押へつけました。
「ハハハ、じたばたするない。手前は鷲でもまだ羽の生えそろはない子供だ。そんな大それた真似をするのは、早いぞ!」
アルライはまつかな顔をして、一生懸命にその手をもぎ放さうとしましたが、なか/\放れません。その額には、今打たれた鞭の痕が、醜くついてゐました。
その途端、戸が開いて、守備隊長が、二人の兵をつれて、はいつて来ました。それを見ると、アルライはありつたけの力を出してウラップの手をふりきつて、みんながアツといふ間に、窓にとびのり、すぐその張り出しの上に、すつくと立ちました。下は、二十メートルばかりの高い断崖で、その下は底知れぬ深い淵です。けれども大胆不敵のアルライは、こつちを見返つて、そのきら/\する短剣をふりまはし、
「親も子も、よく覚えてをれ。アルライ様の仕返しが、どんなに恐ろしいかつてことを!」
守備隊長はすぐ腰のサツクから、短銃を取り出しました。が、ドンといふ物凄い音がその手から起つた瞬間には、アルライの姿はもう深い淵へザンブととび込んでゐました。
「ちえツ! 遁がしたか。まさか、あんなところから飛び込みはしないと思つたのは、油断だ。しかし、流れが早いから、助かりやしまい」
守備隊長は自分で自分を慰めて、それからキャラ侯に向つて、
「閣下、鞭など使はずに、あんな悪魔は、すぐ首を叩つきつておしまひなされば、ようございましたのに!」
「いや/\、あんな者を切つちや、刀の汚れだ」
と、侯は言ひながら、鞭を二つにへし折つて、別々になげすてました。
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