一
ある野原の薄藪の中に、母と子との二匹の鶉が巣を構へてをりました。母鶉はもう年よりなので羽が弱くて、少し遠いところには飛んで行くことが出来ませんでした。ですから巣から余り遠くないところで、小さな虫を捕つたり、粟の穂を拾つたりして、少しづゝ餌をあつめてをりました。子鶉は至つて親孝行で、毎日朝早くから巣を飛び出して、遠くへ餌をあさりに出かけ、夕方になつて帰つて参ります。そしていろ/\おいしいものを持つて来てはおつ母さんの鶉に喰べさしてをりました。
さうするうちに秋も更けて、丁度中頃になりましたから、冬の間に喰べるものを貯へなくてはなりません。そこである日天気もいゝので、近くの野を謡ひながら、あちこち飛び廻つてをりました。鶉の声といふものはもと/\晴々として大へん威勢のいゝもので、それを聞くと気がせい/\して病気をしてゐるものでもすぐなほるほど愉快なものです。それだのにその上にこの子鶉はとりわけ美い声でそれが「チックヮラケー。」と鳴きますと、本当に深くかゝつてゐる霧もすつかり晴れてしまふやうな気持のよい、美しい声をもつてをりました。
丁度その時、国の王様が、そこの野原に遊びに出ていらつしやいました。すると子鶉の鳴く美しい声をお聞きになりますと、家来に向つておつしやいました。
「私はまだあんないゝ声の鶉を聞いたことがない。早速あれを生捕りにしてまゐれ。お城につれて行つて飼うてつかはすから。」
そこで家来のものどもは、すぐに馬の尾一筋づゝを結んだ網をそこいら中に張りまはしますと、可哀さうに子鶉は、すぐ捕はれてしまひました。
王様はいゝ声の鶉が手に入つたので大よろこびです。すぐに国中で一番上手な職人を呼んで、りつぱな籠をお作らせになりました。その籠といふのが大変なものでした。まづ四隅の柱と横の桟とは黄金で作り、彫刻をして、紅宝石、碧玉、紫水晶などをはめそれに細い銀の格子が出来てをりました。籠の天井は七色の絹の糸の網で、寵を吊るす紐は皆簪の玉にする程の大きな真珠がつないでありました。
それから又喰べるものは、皆おいしい摺り餌で、「鶉の頭」といふお役が出来て、籠の掃除やら、餌の世話など一切をいたします。朝は王様がお后と御一緒に表の御殿へおでましになると、その御坐近くの柱に籠がかけられ、夕方お寝間へお下りになると、そのお次の間に籠が置かれます。誠に結構な身の上となりました。
併しどういふものか子鶉は、ちつとも嬉しさうなそぶりも見せなければ、物も喰べず、又一つも謡ひもせず、夜も昼も悲しさうに首を垂れて何やら考へてをりました。
幾日たつても子鶉は、そのとほり物を喰べず、謡ひもせず、だん/\と眼が凹んで、痩せてきますので、王様は大変不思議に思召して、或時籠に近く寄つて、かうお尋ねになりました。
「鶉や/\、お前は、なぜ鳴かないのだ。私が遊山に行つたをり聞かしたあの美しい声をお前はどうしたのだ。お前はこの立派な籠が気にいらないのか? お前はこのおいしいものが、ほしくはないのか?」
子鶉は悲しさうに垂れた首を持ち上げて、王様をぢつと見ました。その眼には涙が光つてをりました。
「尊い王様。」と、やう/\子鶉は口を開きました。
「この美しい籠や、このおいしい餌は私には余りもつたいな過ぎます。こんなものがありますと私は謡ひたくても、謡ふことが出来ません。私は何だか、あの網でとらへられたとき、私の歌を落して来たやうな気がいたします。私の声はあの広い野の風に吹かれたとき、本当に心から出すことが出来ます。私の歌は私の年よつた一人の母のそばにゐて、それを慰めるために謡ふとき本当に上手に出ます。あゝ。」
そこで子鶉は、はら/\と涙を流しました。その雫は丁度秋の野の黄色い草に置く露のやうに、籠に凝りつきました。
王様はおつしやいました。
「では、お前には年よつたおつ母さんがあるのだね。そして、そのおつ母さんを慰めるために、あんないゝ声を出して謡ふのか?」
「はい、その通りでございます。きつと母は私の行衛が知れなくなつたので、ひどく心配して、死にかけてをると存じます。ですから私だけこゝにをりまして結構なものを頂戴する気には、どうしても、なれません。」
王様は子鶉の親孝行な心に大変感心なさいまして、
「これは、私が悪かつた。ではお前を放してやりますから、早速おつ母さんのところへ行つておあげなさい。」と、おつしやつて、すぐに籠の戸をお開けになりました。
子鶉は大よろこびで、お庭の樹の枝へ飛んで行つて止りました。そして、かう申しました。
「尊い王様、今こそ、あなたは私のもとのいゝ声をお聞きになれます。私は、おつ母さんを慰めましたら、あなたが私を放して下さつた御恩返しに、これから二三日おきにこのお庭へ来て、精一ぱいいゝ声で謡つてお聞きに入れませう。では、さやうなら、御機嫌よろしう。」
子鶉はもと通りの美しい生々した勢のよい声で、
「チックヮラケー。」と、謡つたかと思ふと、ぱつと飛び立つて、はや姿は見えなくなりました。
二
子鶉は急いで巣に帰つてみますと、案の定、母鶉は可愛い自分の独り子の行衛が知れなくなつたので大変心配して、もう物も喰べられないで、ねてをりました。併し子鶉の顔を一目見ると、すぐに飛び起きてきました。子鶉も嬉し泣きに、
「チックヮラ/\。」と吃り鳴きに鳴きながら、王様のところへ、つかまつていつたことや、りつぱな籠に入れられ、おいしいものを食べさせられたけれど、おつ母さんのことを考へると、とても心配で/\たまらないから、喰べも飲みもしないで、頭を垂れてゐたら王様が、なぜさうしてゐるのかとお尋ねになつたから、そのことを御返事申し上げると、とう/\放して下さつたことなどを詳しく話しました。
「それはまあ、よかつた。それにしても王様は本当にお情け深いお方だ。お前はそんな王様のしろしめしていらつしやる国に生れたことを有難く思つて、何か王様の御用をつとめなけりやなりませんよ。」と母の鶉はよく/\さとしました。
「それはもう、やるどころではありません。私はこれから暇を見ては二三日おきに王様の御殿へ行つて一生懸命で、美しい歌を謡つて、お聞きに入れますと、お約束いたしました。」
母と子の鶉は、それから粟の穂や、虫などの拾つたのを喰べましたが、これまでにそれ程おいしく喰べたことはないと思ひました。
さて翌日から、又前のとほり母の鶉は近いところを、子の鶉は遠いところを、いろ/\餌をあさつて歩きました。といふのは、もう冬が近いのに、王様につかまつたりなんかして、そのしたくが、まださつぱり出来てゐなかつたのでした。で、もう母も子も毎日/\、朝から晩まで真黒になつて働いてをりました。それだものですから、つい忘れるともなく王様へのお約束も忘れてをりました。
すると或日、藪の中で、お喋りの、みそさゞいが子鶉を呼びかけました。
「おいうづ公。お前は嘘つきだな。」
子鶉は、あんまりだしぬけですから少しも様子が分りません。ですから丸い眼をいよ/\丸くし、尖つた嘴をいよ/\尖んがらかして呶鳴り返しました。
「なんだと、このおしやべりもの奴。俺を嘘つきだなんて、一たい貴様、何だつてそんな悪口をいふんだ? そんなことをいふわけを言へ、もしわけを言へなかつたら、貴様の片羽へし折つて、鼠の餌食にしてくれるから。」
みそさゞいは嘲笑ひました。
「わけを言へないで、どうするものか? お前は王様に何とお約束申し上げたのだ?」
「ウーン、それは……。」
子の鶉は二の句がつげません。みそさゞいは、それ見ろといふやうな顔をして……。
「フン、それで嘘つきでないといふのか? お前は王様がこの間から、重い疱瘡にかゝつていらつしやるのを知らないか? あの菊石面の赤い疱瘡神は、王様のお体に、その一万もある針を、すつかりさしこんで、毒を入れてゐる。もう王様のお命は、いつなくなるか知れないのだ。そこでお側にゐるものが、賢い学者に聞いてみると、鶉の声をお聞きになれば、疱瘡の神が驚いて遁げるといふことで、いろ/\の鶉を集めて、鳴かせるが、疱瘡の神はびくともしないのだ。王様は――私が放してやつたあの鶉の威勢のいゝ声を聞けば、きつと私の病はなほるとおつしやる。それだのにお前は自分のことばかりして、王様にお約束申したこともやらなけりや、お見舞にすら上らないぢやないか? だから私はお前を嘘つきといふのだ。」
「あゝさうだつたか?」と、子の鶉は面目なさゝうに頭を下げました。
「まつたく、そんなことは少しも知らなかつた。みそさゞい君、私が悪かつた。どうぞ、ゆるしてくれたまへ。私はこれから、王様のお城へ行つて、その疱瘡の神をみごと追ひ払つて、王様のお寿命を、のばすやうにするから……。」
子の鶉はさういふが早いか、すぐ、まつしぐらにお城へ飛んで丁度王様がねておいでなさる御座敷のお庭の木にとまりました。
なるほど、菊石面の赤いきたない疱瘡の神が、まるで大きな章魚のやうに王様のお体に、ぴつたりと吸ひ付いてをります。それを見ると、子の鶉は、おのれ太い奴と、すつかり怒つて、いきなり、大きな声で、
「チックヮラケー/\。」と鳴きました。
「おや鶉が来た。あの鶉が来た。」
王様は重いお頭を枕の上にもたげ、疱瘡の神は醜い顔を王様のお体から離してこの歌をきゝました。
「チックヮラケー/\。」
鶉の声がます/\冴えると疱瘡の神は汐が退いて行くやうに、王様からぢり/\と退いて行きます。それと一緒に王様のお顔には、日がさしてくるやうに血の気が紅々とさして来ます。
「チックヮラケー/\。」
勢のよい、しかも美しい鶉の声にとう/\疱瘡の神は烈しい風に吹きとばされる雲のやうに追ひのけられ、王様の御気色はうららかに晴れた蒼空のやうに美しくなりました。
[1] [2] 下一页 尾页