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怪艦ウルフ号(かいかんウルフごう)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-11-2 8:51:48  点击:  切换到繁體中文

    一

 時は欧洲おうしう大戦の半ばごろところなみも煮え立つやうな暑い印度洋いんどやう。地中海に出動中の日本艦隊へ食糧や弾薬を運ぶ豊国丸ほうこくまるは、独逸どいつ商業破壊艦「ウルフ号」が、印度洋に向つたといふ警報を受けたので、帝国軍艦「伊吹いぶき」の保護を求めて、しきりに無電をかけながら、西へ西へと進んでゐた。
 前部甲板の日覆ひおひの下には、とぐろを巻いたロープを椅子いす代りに腰掛けた二人の少年が話してゐる。水夫の服装をした少年は下村しもむらといつて当年十八歳、もう一人は中原なかはらといつて一つ下の十七歳、中原は麻の白服にカラーをつけたボーイ姿だつた。二人はこの船に一緒に乗組んでから、まだ一航海をしたつきりなのに、非常に仲好なかよしになつて、互に仕事を助け合つたり、相談したり、将来の希望を語り合つたりするのだつた。
「ウルフの畜生奴ちくしやうめ、やつぱり出て来ないな。」と、下村は幾分か失望したやうな口振で言つた。「やつぱり帝国軍艦『伊吹』がこはいのだらう。」
「出て来ないで幸だらうよ。」と、中原は年下のくせに慎重な口のきゝやうをした。「こつちは武装してゐるとは言へ、十二サンチ砲を前後二門づつ載せてゐるつきり、速力だつて、高々十五ノットだ。ところが『ウルフ号』は一万八千噸もある客船を補助巡洋艦に仕立てたんだから、十八サンチが二門に、十サンチが十門も備へつけてあるつて話だ。それに二十二ノツトも出ると言ふから、見つかつたら最後、こつちは撃沈されるか、自爆するかより外にみちはない。」
「さうだな。だが、こつちだつて大砲があるんだから、むざむざやられはしないさ。一発でも二発でも打つて、かなはない時は、この船を爆沈させるだけの話だ。監督将校のほり大尉も、さつき船橋ブリツヂで船長にさう言つてゐた。」
 下村は自分が何でも知つてゐるやうに意気込んで話した。
 中原はしばらく黙つてゐたが、そろ/\と言つた――
「それもよからう。だが、ぼくなら、魚雷を使つて、あべこべに敵艦を撃沈してやるねえ。」
「えツ! 魚雷? この船に魚雷なんて無いぢやないか。」
「いや、ある。地中海の駆逐隊くちくたいへ送る分が二十発ばかり積み込んである。しかも大型の二十一インチだからね。補助巡洋艦なんか、こいつを一発くらへば、木葉微塵こつぱみぢんだ。」
「さうか。けれども、そいつを発射する発射管がなからう。」
「いや、魚雷は発射管がなくたつて、使へるものだよ。僕の親父おやぢは水雷専門の兵曹長へいさうちやうで水雷のことなら、僕も小さい時から、見たり、聞いたりして、よく知つてゐるんだ。実は僕、この間から、万一の場合には使つてやらうかと思つて、積んであるやつを調べて見たんだがね、ちやんと圧搾空気あつさくくうきもはいつてゐるし、恐しい爆薬をつめた実用頭部も取りつけてあるんだ。僕がちよつと仕掛をすれば、すぐ走つて行くやうになつてゐるんだ。」
「さうか。そいつは手廻てまはしがいゝな。ぢや断然やれよ。おれも手伝はあ。貴様が発射した魚雷で、巨艦『ウルフ』が海の底に深く沈むなんざア愉快だ!」
 下村は単純で、無邪気な少年だ。もはや敵艦を沈めてしまつたやうなはしやぎやうだ。
「ところが君、」と、中原はちよつと困つた顔をした。「二十一インチの魚雷ときたら、いゝ加減のボートぐらゐの大きさがあるから、大人でも、一人や二人の腕ぢや扱へないんだ。」
「それなら何でもない。」と、下村はすぐに言つた。「巻揚機ウインチを使ふさ。俺はその方にかけちや名人だ。巻上げるんでも、振り落すんでも自由自在だ。」
「フム。」と、中原はしばらく考へてゐたが、半ば独言ひとりごとのやうに、
「さうだ、後部の巻揚機ウインチで上甲板まで上げて、ちやんと準備をしてから、水ん中へ振り落してやれば、あとは水雷がひとりでに仕事をする。」
 中原がこゝまで言ひかけたとき、船橋ブリツヂの方で、けたゝましく喇叭らつぱが鳴つた。
「おうツ、非常喇叭だ!」
 二人はとび上つた。そして、右舷うげん近くへ走りよつて、敵はどこ? と見渡すと……
 見える、見える! 右斜、前方の水平線に三本煙突、二本マストの巨船が、こちらの航路をおさへるやうに走つて来る。四段にかまへた甲板、へさきともの形などからして、勿論もちろん、軍艦ではない。旅客船だ。
 速い、速い! 見る/\うちに双方の距離が五千メートルになつた。と忽ち、その前檣ぜんしやうにさら/\と上がつたのはドイツの鉄十字! あゝ、つひに恐しい海の上のおほかみ、「ウルフ号」は現れた。ひつじの皮を着た狼とは、まさしくこのことである。表面は平和な客船に見えてゐるけれど、艦長が電気ぼたんを一つ押せば、たちまち武装いかめしい軍艦に変るのだ。今まで何にも見えなかつた舷側には、この時にはかに砲門がずらりと開いて、大砲がによき/\と頭を出し、前後の甲板には十八サンチ砲がにゆうつとせり上つた。
 と、忽ち、その横檣わうしやうに万国信号旗がひら/\と上つた。中原はそれを見て、さも軽蔑けいべつするやうに言つた。
「ふん、海賊のおきまりのおどし文句だ。『止れ、我、なんぢに語るべき用事あり。』と言ふんだらう。信号簿をくつて見るまでもないや。」
「生意気な!」と、下村がそれを受継いで呶鳴どなつた時、ドンとすさまじい音を立てて、こつちの十二サンチが打出した。それと同時に檣頭高く日章旗が翻つた。これが「ウルフ号」の信号に対する日本男児の答であつた。
「うまいぞ、かう来なくちや!」
 下村がむやみに興奮してゐるうち、豊国丸は続けさまにつ放した。
 一発遠く、二発近く、三発命中!
 命中、又命中、四門ではあるが砲射の技術にかけては、世界にほこる日本の海軍兵だ。見る/\「ウルフ号」の甲板は滅茶滅茶めちやめちやに打ちこはされた。勿論もちろん、敵もこれしきのことにひるむやうな弱虫ではない。その十八サンチの主砲をはじめ、十サンチの副砲が猛烈に火をふきだした。しかし、敵はこちらを余りに弱いものと見くびつて、油断をしてゐたので、はじめの程の砲撃はいたづらに魚を驚かしたに過ぎなかつた。
 とは言へ、大人と子供とでは角力にならない。間もなく独艦の精鋭クルツプ砲は恐るべき威力を見せ出した。十八サンチの一弾は豊国丸の煙筒えんとつを根本からもぎ取つた。十サンチの砲弾は舷側にはちの巣のやうに穴をあけた。もしその一発でもが、積んでゐる水雷か、砲弾にか当らうものなら!
 そのうち、だん/\時がつにつれて、海図室をやられる。操舵機さうだきをこはされる。おまけに大事な前部の十二サンチ砲は敵弾を受け、砲身が曲つたり砲架をいためられたりして、砲員も死傷して、とう/\二門とも発砲が出来なくなつた。後部の二門もこの時、別な理由でだめになつた。
「弾薬がつきました。監督大尉!」
 後部の掌砲兵しやうはうちやうが悲痛の声を絞つて、伝声管ボーイス・チユーブに口を寄せて叫んだ。けれども伝声管ボーイス・チユーブはもう敵弾にいたんでゐるので、船橋ブリツヂへは通じない。よし通じても、監督の堀大尉は戦死してゐた。砲のことは素人の船長には分らない。いや、その船長も既に重傷を負うて、船の指揮は今一等運転士がつかさどつてゐる。
「せめてもう一発でも――畜生もう一発あれば、あの艦橋ブリツヂにドカンとつくらはしてやるんだが! ちえツ、残念だ!」
 掌砲長が砲の把手ハンドルを握りしめて、口惜しさうに敵をにらんで叫ぶのを、嘲笑あざわらつてでもゐるやうに、敵弾はぶん/\飛んで来て、ところきらはず命中するそれだのに、こちらからは答へる弾薬が尽きてしまつたのだ。いよいよ自ら爆沈すべき最後の時がせまつて来た。

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