樺太鉄道
やなぎらんやあかつめくさの群落
松脂岩薄片のけむりがただよひ
鈴谷山脈は光霧か雲かわからない
(灼かれた馴鹿の黒い頭骨は
線路のよこの赤砂利に
ごく敬虔に置かれてゐる)
そつと見てごらんなさい
やなぎが青くしげつてふるへてゐます
きつとポラリスやなぎですよ
おお満艦飾のこのえぞにふの花
月光いろのかんざしは
すなほなコロボツクルのです
(ナモサダルマプフンダリカサスートラ)
Van't Hoff の雲の白髪の崇高さ
崖にならぶものは聖白樺
青びかり野はらをよぎる細流
それはツンドラを截り
(光るのは電しんばしらの碍子)
夕陽にすかし出されると
その緑金の草の葉に
ごく精巧ないちいちの葉脈
(樺の微動のうつくしさ)
黒い木柵も設けられて
やなぎらんの光の点綴
(こゝいらの樺の木は
焼けた野原から生えたので
みんな大乗風の考をもつてゐる)
にせものの大乗居士どもをみんな灼け
太陽もすこし青ざめて
山脈の縮れた白い雲の上にかかり
列車の窓の稜のひととこが
プリズムになつて日光を反射し
草地に投げられたスペクトル
(雲はさつきからゆつくり流れてゐる)
日さへまもなくかくされる
かくされる前には感応により
かくされた後には威神力により
まばゆい白金環ができるのだ
(ナモサダルマプフンダリカサスートラ)
たしかに日はいま羊毛の雲にはひらうとして
サガレンの八月のすきとほつた空気を
やうやく葡萄の果汁のやうに
またフレツプスのやうに甘くはつかうさせるのだ
そのためにえぞにふの花が一そう明るく見え
松毛虫に食はれて枯れたその大きな山に
桃いろな日光もそそぎ
すべて天上技師 Nature 氏の
ごく斬新な設計だ
山の襞のひとつのかげは
緑青のゴーシユ四辺形
そのいみじい玲瓏のなかに
からすが飛ぶと見えるのは
一本のごくせいの高いとどまつの
風に削り残された黒い梢だ
(ナモサダルマプフンダリカサスートラ)
結晶片岩山地では
燃えあがる雲の銅粉
(向ふが燃えればもえるほど[#底本では行末に「)」]
ここらの樺ややなぎは暗くなる)
こんなすてきな瑪瑙の天蓋
その下ではぼろぼろの火雲が燃えて
一きれはもう錬金の過程を了へ
いまにも結婚しさうにみえる
(濁つてしづまる天の青らむ一かけら)
いちめんいちめん海蒼のチモシイ
めぐるものは神経質の色丹松
またえぞにふと桃花心木の柵
こんなに青い白樺の間に
鉋をかけた立派なうちをたてたので
これはおれのうちだぞと
その顔の赤い愉快な百姓が
井上と少しびつこに大きく壁に書いたのだ
(一九二三、八、四)
[#改ページ] 鈴谷平原
蜂が一ぴき飛んで行く
琥珀細工の春の器械
蒼い眼をしたすがるです
(私のとこへあらはれたその蜂は
ちやんと抛物線の図式にしたがひ
さびしい未知へとんでいつた)
チモシイの穂が青くたのしくゆれてゐる
それはたのしくゆれてゐるといつたところで
荘厳ミサや
雲環とおなじやうに
うれひや悲しみに対立するものではない
だから新らしい蜂がまた一疋飛んできて
ぼくのまはりをとびめぐり
また茨や灌木にひつかかれた
わたしのすあしを刺すのです
こんなうるんで秋の雲のとぶ日
鈴谷平野の荒さんだ山際の焼け跡に
わたくしはこんなにたのしくすわつてゐる
ほんたうにそれらの焼けたとゞまつが
まつすぐに天に立つて加奈太式に風にゆれ
また夢よりもたかくのびた白樺が
青ぞらにわづかの新葉をつけ
三稜玻璃にもまれ
(うしろの方はまつ青ですよ
クリスマスツリーに使ひたいやうな
あをいまつ青いとどまつが
いつぱいに生えてゐるのです)
いちめんのやなぎらんの群落が
光ともやの紫いろの花をつけ
遠くから近くからけむつてゐる
(さはしぎも啼いてゐる
たしかさはしぎの発動機だ)
こんやはもう標本をいつぱいもつて
わたくしは宗谷海峡をわたる
だから風の音が汽車のやうだ
流れるものは二条の茶
蛇ではなくて一ぴきの栗鼠
いぶかしさうにこつちをみる
(こんどは風が
みんなのがやがやしたはなし声にきこえ
うしろの遠い山の下からは
好摩の冬の青ぞらから落ちてきたやうな
すきとほつた大きなせきばらひがする
これはサガレンの古くからの誰かだ)
(一九二三、八、七)
[#改ページ] 噴火湾(ノクターン)
稚いゑんどうの澱粉や緑金が
どこから来てこんなに照らすのか
(車室は軋みわたくしはつかれて睡つてゐる)
とし子は大きく眼をあいて
烈しい薔薇いろの火に燃されながら
(あの七月の高い熱……)
鳥が棲み空気の水のやうな林のことを考へてゐた
(かんがへてゐたのか
いまかんがへてゐるのか)
車室の軋りは二疋の
栗鼠 ことしは勤めにそとへ出てゐないひとは
みんなかはるがはる林へ行かう
赤銅の半月刀を腰にさげて
どこかの生意気なアラビヤ酋長が言ふ
七月末のそのころに
思ひ余つたやうにとし子が言つた
おらあど死んでもいゝはんて
あの林の中さ行ぐだい
うごいで熱は高ぐなつても
あの林の中でだらほんとに死んでもいいはんて
鳥のやうに栗鼠のやうに
そんなにさはやかな林を恋ひ
(栗鼠の軋りは水車の夜明け
大きなくるみの木のしただ)
一千九百二十三年の
とし子はやさしく眼をみひらいて
透明薔薇の身熱から
青い林をかんがへてゐる
フアゴツトの声が前方にし
Funeral march があやしくいままたはじまり出す
(車室の軋りはかなしみの二疋の栗鼠)
栗鼠お魚たべあんすのすか
(二等室のガラスは霜のもやう)
もう明けがたに遠くない
崖の木や草も明らかに見え
車室の軋りもいつかかすれ
一ぴきのちひさなちひさな白い蛾が
天井のあかしのあたりを這つてゐる
(車室の軋りは天の楽音)
噴火湾のこの黎明の水明り
室蘭通ひの汽船には
二つの赤い灯がともり
東の天末は濁つた孔雀石の縞
黒く立つものは樺の木と楊の木
駒ヶ岳駒ヶ岳
暗い金属の雲をかぶつて立つてゐる
そのまつくらな雲のなかに
とし子がかくされてゐるかもしれない
ああ何べん理智が教へても
私のさびしさはなほらない
わたくしの感じないちがつた空間に
いままでここにあつた現象がうつる
それはあんまりさびしいことだ
(そのさびしいものを死といふのだ)
たとへそのちがつたきらびやかな空間で
とし子がしづかにわらはうと
わたくしのかなしみにいぢけた感情は
どうしてもどこかにかくされたとし子をおもふ
(一九二三、八、一一)
[#改丁、ページの左右中央に] 風景とオルゴール
[#改ページ] 不貪慾戒
油紙を着てぬれた馬に乗り
つめたい風景のなか 暗い森のかげや
ゆるやかな
環状削剥の丘 赤い萱の穂のあひだを
ゆつくりあるくといふこともいゝし
黒い多面角の
洋傘をひろげ
砂砂糖を買ひに町へ出ることも
ごく新鮮な企画である
(ちらけろちらけろ 四十雀)
粗剛なオリザサチバといふ植物の人工群落が
タアナアさへもほしがりさうな
上等のさらどの色になつてゐることは
慈雲尊者にしたがへば
不貪慾戒のすがたです
(ちらけろちらけろ
四十雀 そのときの高等遊民は
いましつかりした執政官だ)
ことことと寂しさを噴く暗い山に
防火線のひらめく灰いろなども
慈雲尊者にしたがへば
不貪慾戒のすがたです
(一九二三、八、二八)
[#改ページ] 雲とはんのき
雲は羊毛とちぢれ
黒緑
赤楊のモザイツク
またなかぞらには氷片の雲がうかび
すすきはきらつと光つて過ぎる
北ぞらのちぢれ羊から
おれの崇敬は照り返され
天の海と窓の日おほひ
おれの崇敬は照り返され
沼はきれいに鉋をかけられ
朧ろな秋の水ゾルと
つめたくぬるぬるした
蓴菜とから組成され
ゆふべ一晩の雨でできた
陶庵だか東庵だかの蒔絵の
精製された水銀の川です
アマルガムにさへならなかつたら
銀の水車でもまはしていい
無細工な銀の水車でもまはしていい
(赤紙をはられた火薬車だ
あたまの奥ではもうまつ白に爆発してゐる)
無細工の銀の水車でもまはすがいい
カフカズ風に帽子を折つてかぶるもの
感官のさびしい盈虚のなかで
貨物車輪の裏の秋の明るさ
(ひのきのひらめく六月に
おまへが刻んだその線は
やがてどんな重荷になつて
おまへに男らしい償ひを強ひるかわからない)
手宮文字です 手宮文字です
こんなにそらがくもつて来て
山も大へん尖つて青くくらくなり
豆畑だつてほんたうにかなしいのに
わづかにその山稜と雲との間には
あやしい光の微塵にみちた
幻惑の天がのぞき
またそのなかにはかがやきまばゆい積雲の一列が
こころも遠くならんでゐる
これら葬送行進曲の層雲の底
鳥もわたらない
清澄な空間を
わたくしはたつたひとり
つぎからつぎと冷たいあやしい幻想を抱きながら
一梃のかなづちを持つて
南の方へ石灰岩のいい層を
さがしに行かなければなりません
(一九二三、八、三一)
[#改ページ] 宗教風の恋
がさがさした稲もやさしい
油緑に熟し
西ならあんな暗い立派な霧でいつぱい
草穂はいちめん風で波立つてゐるのに
可哀さうなおまへの弱いあたまは
くらくらするまで青く乱れ
いまに太田武か誰かのやうに
眼のふちもぐちやぐちやになつてしまふ
ほんたうにそんな偏つて尖つた心の動きかたのくせ
なぜこんなにすきとほつてきれいな気層のなかから
燃えて暗いなやましいものをつかまへるか
信仰でしか得られないものを
なぜ人間の中でしつかり捕へようとするか
風はどうどう空で鳴つてるし
東京の避難者たちは半分脳膜炎になつて
いまでもまいにち遁げて来るのに
どうしておまへはそんな医される筈のないかなしみを
わざとあかるいそらからとるか
いまはもうさうしてゐるときでない
けれども悪いとかいゝとか云ふのではない
あんまりおまへがひどからうとおもふので
みかねてわたしはいつてゐるのだ
さあなみだをふいてきちんとたて
もうそんな宗教風の恋をしてはいけない
そこはちやうど両方の空間が二重になつてゐるとこで
おれたちのやうな初心のものに
居られる場処では決してない
(一九二三、九、一六)
[#改ページ] 風景とオルゴール
爽かなくだもののにほひに充ち
つめたくされた銀製の
薄明穹を
雲がどんどんかけてゐる
黒曜ひのきやサイプレスの中を
一疋の馬がゆつくりやつてくる
ひとりの農夫が乗つてゐる
もちろん農夫はからだ半分ぐらゐ
木だちやそこらの銀のアトムに溶け
またじぶんでも溶けてもいいとおもひながら
あたまの大きな曖昧な馬といつしよにゆつくりくる
首を垂れておとなしくがさがさした南部馬
黒く巨きな松倉山のこつちに
一点のダアリア複合体
その電燈の
企画なら
じつに九月の宝石である
その電燈の献策者に
わたくしは青い
蕃茄を贈る
どんなにこれらのぬれたみちや
クレオソートを塗つたばかりのらんかんや
電線も二本にせものの
虚無のなかから光つてゐるし
風景が深く透明にされたかわからない
下では水がごうごう流れて行き
薄明穹の爽かな銀と苹果とを
黒白鳥のむな毛の塊が奔り
ああ お月さまが出てゐます
ほんたうに鋭い秋の粉や
玻璃末の雲の稜に磨かれて
紫磨銀彩に尖つて光る六日の月
橋のらんかんには雨粒がまだいつぱいついてゐる
なんといふこのなつかしさの湧きあがり
水はおとなしい膠朧体だし
わたくしはこんな
過透明な景色のなかに
松倉山や
五間森荒つぽい
石英安山岩の岩頸から
放たれた剽悍な刺客に
暗殺されてもいいのです
(たしかにわたくしがその木をきつたのだから)
(杉のいただきは黒くそらの椀を刺し)
風が口笛をはんぶんちぎつて持つてくれば
(気の毒な二重感覚の機関)
わたくしは古い印度の青草をみる
崖にぶつつかるそのへんの水は
葱のやうに横に
外れてゐる
そんなに風はうまく吹き
半月の表面はきれいに吹きはらはれた
だからわたくしの洋傘は
しばらくぱたぱた言つてから
ぬれた橋板に倒れたのだ
松倉山松倉山尖つてまつ暗な悪魔蒼鉛の空に立ち
電燈はよほど熟してゐる
風がもうこれつきり吹けば
まさしく吹いて来る
劫のはじめの風
ひときれそらにうかぶ暁のモテイーフ
電線と恐ろしい
玉髄の雲のきれ
そこから見当のつかない大きな青い星がうかぶ
(何べんの恋の償ひだ)
そんな恐ろしいがまいろの雲と
わたくしの上着はひるがへり
(オルゴールをかけろかけろ)
月はいきなり二つになり
盲ひた黒い暈をつくつて光面を過ぎる雲の一群
(しづまれしづまれ五間森
木をきられてもしづまるのだ)
(一九二三、九、一六)
[#改ページ] 風の偏倚
風が偏倚して過ぎたあとでは
クレオソートを塗つたばかりの電柱や
逞しくも起伏する
暗黒山稜や
(虚空は古めかしい
月汞にみち)
研ぎ澄まされた天河石天盤の半月
すべてこんなに錯綜した雲やそらの景観が
すきとほつて巨大な過去になる
五日の月はさらに小さく副生し
意識のやうに移つて行くちぎれた蛋白彩の雲
月の尖端をかすめて過ぎれば
そのまん中の厚いところは黒いのです
(風と
嘆息との
中にあらゆる世界の
因子がある)
きららかにきらびやかにみだれて飛ぶ断雲と
星雲のやうにうごかない天盤附属の氷片の雲
(それはつめたい虹をあげ)
いま硅酸の雲の大部が行き過ぎようとするために
みちはなんべんもくらくなり
(月あかりがこんなにみちにふると
まへにはよく硫黄のにほひがのぼつたのだが
いまはその小さな硫黄の粒も
風や酸素に溶かされてしまつた)
じつに空は底のしれない洗ひがけの虚空で
月は水銀を塗られたでこぼこの噴火口からできてゐる
(山もはやしもけふはひじやうに峻儼だ)
どんどん雲は月のおもてを研いで飛んでゆく
ひるまのはげしくすさまじい雨が
微塵からなにからすつかりとつてしまつたのだ
月の彎曲の内側から
白いあやしい気体が噴かれ
そのために却つて一きれの雲がとかされて
(杉の列はみんな黒真珠の保護色)
そらそら B氏のやつたあの虹の交錯や顫ひと
苹果の未熟なハロウとが
あやしく天を覆ひだす
杉の列には山烏がいつぱいに
潜み
ペガススのあたりに立つてゐた
いま雲は一せいに散兵をしき
極めて堅実にすすんで行く
おゝ私のうしろの松倉山には
用意された一万の硅化流紋凝灰岩の弾塊があり
川尻断層のときから息を殺してしまつてゐて
私が腕時計を光らし過ぎれば落ちてくる
空気の透明度は水よりも強く
松倉山から生えた木は
敬虔に天に祈つてゐる
辛うじて赤いすすきの穂がゆらぎ
(どうしてどうして松倉山の木は
ひどくひどく風にあらびてゐるのだ
あのごとごといふのがみんなそれだ)
呼吸のやうに月光はまた明るくなり
雲の遷色とダムを超える水の音
わたしの帽子の静寂と風の塊
いまくらくなり電車の単線ばかりまつすぐにのび
レールとみちの粘土の可塑性
月はこの変厄のあひだ不思議な黄いろになつてゐる
(一九二三、九、一六)
[#改ページ] 昴
沈んだ月夜の楊の木の梢に
二つの星が逆さまにかかる
(
昴がそらでさう云つてゐる)
オリオンの幻怪と青い電燈
また農婦のよろこびの
たくましくも赤い頬
風は吹く吹く 松は一本立ち
山を下る電車の奔り
もし車の外に立つたらはねとばされる
山へ行つて木をきつたものは
どうしても帰るときは肩身がせまい
(ああもろもろの徳は
善逝から来て
そしてスガタにいたるのです)
腕を組み暗い貨物電車の壁による少年よ
この籠で今朝鶏を持つて行つたのに
それが売れてこんどは持つて戻らないのか
そのまつ青な夜のそば畑のうつくしさ
電燈に照らされたそばの畑を見たことがありますか
市民諸君よ
おおきやうだい これはおまへの感情だな
市民諸君よなんてふざけたものの云ひやうをするな
東京はいま生きるか死ぬかの堺なのだ
見たまへこの電車だつて
軌道から青い火花をあげ
もう蝎かドラゴかもわからず
一心に走つてゐるのだ
(豆ばたけのその
喪神のあざやかさ)
どうしてもこの貨物車の壁はあぶない
わたくしが壁といつしよにここらあたりで
投げだされて死ぬことはあり得過ぎる
金をもつてゐるひとは金があてにならない
からだの丈夫なひとはごろつとやられる
あたまのいいものはあたまが弱い
あてにするものはみんなあてにならない
たゞもろもろの徳ばかりこの巨きな旅の資糧で
そしてそれらもろもろの徳性は
善逝から来て
善逝に至る
(一九二三、九、一六)
[#改ページ] 第四梯形
青い抱擁衝動や
明るい雨の中のみたされない唇が
きれいにそらに溶けてゆく
日本の九月の気圏です
そらは霜の織物をつくり
萱の穂の
満潮 (
三角山はひかりにかすれ)
あやしいそらのバリカンは
白い雲からおりて来て
早くも七つ森第一
梯形の
松と
雑木を
刈りおとし
野原がうめばちさうや山羊の乳や
沃度の匂で荒れて大へんかなしいとき
汽車の進行ははやくなり
ぬれた赤い崖や何かといつしよに
七つ森第二梯形の
新鮮な
地被が刈り払はれ
手帳のやうに青い
卓状台地は
まひるの夢をくすぼらし
ラテライトのひどい崖から
梯形第三のすさまじい羊歯や
こならやさるとりいばらが滑り
(おお第一の紺青の寂寥)
縮れて雲はぎらぎら光り
とんぼは萱の花のやうに飛んでゐる
(萱の穂は満潮
萱の穂は満潮)
一本さびしく赤く燃える栗の木から
七つ森の第四
伯林青スロープは
やまなしの匂の雲に起伏し
すこし日射しのくらむひまに
そらのバリカンがそれを刈る
(腐植土のみちと天の石墨)
夜風太郎の配下と子孫とは
大きな帽子を風にうねらせ
落葉松のせはしい足なみを
しきりに馬を急がせるうちに
早くも第六梯形の暗いリパライトは
ハツクニーのやうに刈られてしまひ
ななめに琥珀の
陽も射して
たうとうぼくは一つ勘定をまちがへた
第四か第五かをうまくそらからごまかされた
どうして決して そんなことはない
いまきらめきだすその真鍮の畑の一片から
明暗交錯のむかふにひそむものは
まさしく第七梯形の
雲に浮んだその最後のものだ
緑青を吐く松のむさくるしさと
ちぢれて悼む 雲の羊毛
(
三角やまはひかりにかすれ)
(一九二三、九、三〇)
[#改ページ] 火薬と紙幣
萱の穂は赤くならび
雲はカシユガル産の苹果の果肉よりもつめたい
鳥は一ぺんに飛びあがつて
ラツグの音譜をばら撒きだ
古枕木を灼いてこさへた
黒い保線小屋の秋の中では
四面体
聚形の一人の工夫が
米国風のブリキの缶で
たしかメリケン粉を
捏ねてゐる
鳥はまた一つまみ 空からばら撒かれ
一ぺんつめたい雲の下で展開し
こんどは巧に引力の法則をつかつて
遠いギリヤークの電線にあつまる
赤い碍子のうへにゐる
そのきのどくなすゞめども
口笛を吹きまた新らしい濃い空気を吸へば
たれでもみんなきのどくになる
森はどれも群青に泣いてゐるし
松林なら地被もところどころ剥げて
酸性土壌ももう十月になつたのだ
私の着物もすつかり thread-bare
その陰影のなかから
逞ましい向ふの土方がくしやみをする
氷河が海にはひるやうに
白い雲のたくさんの流れは
枯れた野原に注いでゐる
だからわたくしのふだん決して見ない
小さな三角の前山なども
はつきり白く浮いてでる
栗の梢のモザイツクと
鉄葉細工のやなぎの葉
水のそばでは堅い黄いろなまるめろが
枝も裂けるまで実つてゐる
(こんどばら撒いてしまつたら……
ふん ちやうど四十雀のやうに)
雲が縮れてぎらぎら光るとき
大きな帽子をかぶつて
野原をおほびらにあるけたら
おれはそのほかにもうなんにもいらない
火薬も燐も大きな紙幣もほしくない
(一九二三、一〇、一〇)
[#改ページ] 過去情炎
截られた根から青じろい樹液がにじみ
あたらしい腐植のにほひを嗅ぎながら
きらびやかな雨あがりの中にはたらけば
わたくしは移住の
清教徒です
雲はぐらぐらゆれて馳けるし
梨の葉にはいちいち精巧な葉脈があつて
短果枝には雫がレンズになり
そらや木やすべての景象ををさめてゐる
わたくしがここを環に掘つてしまふあひだ
その雫が落ちないことをねがふ
なぜならいまこのちひさなアカシヤをとつたあとで
わたくしは
鄭重にかがんでそれに唇をあてる
えりをりのシヤツやぼろぼろの上着をきて
企らむやうに肩をはりながら
そつちをぬすみみてゐれば
ひじやうな
悪漢にもみえようが
わたくしはゆるされるとおもふ
なにもかもみんなたよりなく
なにもかもみんなあてにならない
これらげんしやうのせかいのなかで
そのたよりない
性質が
こんなきれいな露になつたり
いぢけたちひさなまゆみの木を
紅からやさしい月光いろまで
豪奢な織物に染めたりする
そんならもうアカシヤの木もほりとられたし
いまはまんぞくしてたうぐはをおき
わたくしは待つてゐたこひびとにあふやうに
鷹揚にわらつてその木のしたへゆくのだけれども
それはひとつの
情炎だ
もう水いろの過去になつてゐる
(一九二三、一〇、一五)
[#改ページ] 一本木野
松がいきなり明るくなつて
のはらがぱつとひらければ
かぎりなくかぎりなくかれくさは日に燃え
電信ばしらはやさしく白い碍子をつらね
ベーリング市までつづくとおもはれる
すみわたる
海蒼の天と
きよめられるひとのねがひ
からまつはふたたびわかやいで萌え
幻聴の透明なひばり
七時雨の青い起伏は
また心象のなかにも起伏し
ひとむらのやなぎ木立は
ボルガのきしのそのやなぎ
天椀の孔雀石にひそまり
薬師岱赭のきびしくするどいもりあがり
火口の雪は皺ごと刻み
くらかけのびんかんな
稜は
青ぞらに星雲をあげる
(おい かしは
てめいのあだなを
やまのたばこの木つていふつてのはほんたうか)
こんなあかるい
穹窿と草を
はんにちゆつくりあるくことは
いつたいなんといふおんけいだらう
わたくしはそれをはりつけとでもとりかへる
こひびととひとめみることでさへさうでないか
(おい やまのたばこの木
あんまりへんなをどりをやると
未来派だつていはれるぜ)
わたくしは森やのはらのこひびと
蘆のあひだをがさがさ行けば
つつましく折られたみどりいろの通信は
いつかぽけつとにはひつてゐるし
はやしのくらいとこをあるいてゐると
三日月がたのくちびるのあとで
肱やずぼんがいつぱいになる
(一九二三、一〇、二八)
[#改ページ] 鎔岩流
喪神のしろいかがみが
薬師火口のいただきにかかり
日かげになつた火山
礫堆の中腹から
畏るべくかなしむべき
砕塊熔岩の黒
わたくしはさつきの柏や松の野原をよぎるときから
なにかあかるい曠原風の情調を
ばらばらにするやうなひどいけしきが
展かれるとはおもつてゐた
けれどもここは空気も深い淵になつてゐて
ごく強力な鬼神たちの棲みかだ
一ぴきの鳥さへも見えない
わたくしがあぶなくその一一の
岩塊をふみ
すこしの小高いところにのぼり
さらにつくづくとこの焼石のひろがりをみわたせば
雪を越えてきたつめたい風はみねから吹き
雲はあらはれてつぎからつぎと消え
いちいちの
火山塊の黒いかげ
貞享四年のちひさな噴火から
およそ二百三十五年のあひだに
空気のなかの酸素や炭酸瓦斯
これら清洌な
試薬によつて
どれくらゐの
風化が行はれ
どんな植物が生えたかを
見ようとして
私の来たのに対し
それは恐ろしい二種の苔で答へた
その白つぽい厚いすぎごけの
表面がかさかさに乾いてゐるので
わたくしはまた麺麭ともかんがへ
ちやうどひるの食事をもたないとこから
ひじやうな
饗応ともかんずるのだが
(なぜならたべものといふものは
それをみてよろこぶもので
それからあとはたべるものだから)
ここらでそんなかんがへは
あんまり僭越かもしれない
とにかくわたくしは荷物をおろし
灰いろの苔に靴やからだを埋め
一つの赤い
苹果をたべる
うるうるしながら苹果に噛みつけば
雪を越えてきたつめたい風はみねから吹き
野はらの白樺の葉は
紅や
金やせはしくゆすれ
北上山地はほのかな幾層の青い縞をつくる
(あれがぼくのしやつだ
青いリンネルの農民シヤツだ)
(一九二三、一〇、二八)
[#改ページ] イーハトヴの氷霧
けさはじつにはじめての凜々しい
氷霧だつたから
みんなはまるめろやなにかまで出して歓迎した
(一九二三、一一、二二)
[#改ページ] 冬と銀河ステーシヨン
そらにはちりのやうに小鳥がとび
かげろふや青いギリシヤ文字は
せはしく野はらの雪に燃えます
パツセン大街道のひのきからは
凍つたしづくが
燦々と降り
銀河ステーシヨンの遠方シグナルも
けさはまつ
赤に澱んでゐます
川はどんどん
氷を流してゐるのに
みんなは
生ゴムの長靴をはき
狐や犬の毛皮を着て
陶器の露店をひやかしたり
ぶらさがつた
章魚を品さだめしたりする
あのにぎやかな土沢の冬の
市日です
(はんの木とまばゆい雲のアルコホル
あすこにやどりぎの黄金のゴールが
さめざめとしてひかつてもいい)
あゝ Josef Pasternack の指揮する
この冬の銀河軽便鉄道は
幾重のあえかな氷をくぐり
(でんしんばしらの赤い碍子と松の森)
にせものの金のメタルをぶらさげて
茶いろの瞳をりんと張り
つめたく青らむ天椀の下
うららかな雪の台地を急ぐもの
(窓のガラスの氷の羊歯は
だんだん白い湯気にかはる)
パツセン大街道のひのきから
しづくは燃えていちめんに降り
はねあがる青い枝や
紅玉やトパースまたいろいろのスペクトルや
もうまるで市場のやうな盛んな取引です
(一九二三、一二、一〇)
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