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土神と狐(つちがみときつね)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-10-29 16:17:41  点击:  切换到繁體中文

     (一)[#「(一)」は縦中横]

 一本木の野原の、北のはづれに、少し小高く盛りあがった所がありました。いのころぐさがいっぱいに生え、そのまん中には一本の奇麗な女のかばの木がありました。
 それはそんなに大きくはありませんでしたが幹はてかてか黒く光り、枝は美しく伸びて、五月には白き雲をつけ、秋は黄金きんや紅やいろいろの葉を降らせました。
 ですから渡り鳥のくゎくこうや百舌もずも、又小さなみそさゞいや目白もみんなこの木にまりました。たゞもしも若いたかなどが来てゐるときは小さな鳥は遠くからそれを見付けて決して近くへ寄りませんでした。
 この木に二人の友達がありました。一人は丁度、五百歩ばかり離れたぐちゃぐちゃの谷地やちの中に住んでゐる土神で一人はいつも野原の南の方からやって来る茶いろのきつねだったのです。
 樺の木はどちらかとへば狐の方がすきでした。なぜなら土神の方は神といふ名こそついてはゐましたがごく乱暴で髪もぼろぼろの木綿糸の束のやうも赤くきものだってまるでわかめに似、いつもはだしでつめも黒く長いのでした。ところが狐の方は大へんに上品な風で滅多めったに人を怒らせたり気にさはるやうなことをしなかったのです。
 たゞもしよくよくこの二人をくらべて見たら土神の方は正直で狐は少し不正直だったかも知れません。

     (二)[#「(二)」は縦中横]

 夏のはじめのある晩でした。樺には新らしい柔らかな葉がいっぱいについていゝかをりがそこら中いっぱい、空にはもう天の川がしらしらと渡り星はいちめんふるへたりゆれたりともったり消えたりしてゐました。
 その下を狐が詩集をもって遊びに行ったのでした。仕立おろしの紺の背広を着、赤革のくつもキッキッと鳴ったのです。
「実にしづかな晩ですねえ。」
「えゝ。」樺の木はそっと返事をしました。
さそりぼしが向ふをってゐますね。あの赤い大きなやつを昔は支那しなではくゎと云ったんですよ。」
「火星とはちがふんでせうか。」
「火星とはちがひますよ。火星は惑星ですね、ところがあいつは立派な恒星なんです。」
「惑星、恒星ってどういふんですの。」
「惑星といふのはですね、自分で光らないやつです。つまりほかから光を受けてやっと光るやうに見えるんです。恒星の方は自分で光るやつなんです。お日さまなんかは勿論もちろん恒星ですね。あんなに大きくてまぶしいんですがもし途方もない遠くから見たらやっぱり小さな星に見えるんでせうね。」
「まあ、お日さまも星のうちだったんですわね。さうして見ると空にはずゐぶん沢山のお日さまが、あら、お星さまが、あらやっぱり変だわ、お日さまがあるんですね。」
 きつね鷹揚おうやうに笑ひました。
「まあさうです。」
「お星さまにはどうしてあゝ赤いのや黄のや緑のやあるんでせうね。」
 狐は又鷹揚に笑って腕を高く組みました。詩集はぷらぷらしましたがなかなかそれで落ちませんでした。
「星にだいだいや青やいろいろある訳ですか。それはうです。全体星といふものははじめはぼんやりした雲のやうなもんだったんです。いまの空にも沢山あります。たとへばアンドロメダにもオリオンにも猟犬座にもみんなあります。猟犬座のは渦巻きです。それから環状星雲リングネビュラといふのもあります。魚の口の形ですから魚口星雲フィッシュマウスネビュラとも云ひますね。そんなのが今の空にも沢山あるんです。」
「まあ、あたしいつか見たいわ。魚の口の形の星だなんてまあどんなに立派でせう。」
「それは立派ですよ。僕水沢の天文台で見ましたがね。」
「まあ、あたしも見たいわ。」
「見せてあげませう。僕実は望遠鏡を独乙ドイツのツァイスに注文してあるんです。来年の春までには来ますから来たらすぐ見せてあげませう。」狐は思はず斯う云ってしまひました。そしてすぐ考へたのです。あゝ僕はたった一人のお友達にまたついうそを云ってしまった。あゝ僕はほんたうにだめなやつだ。けれども決して悪い気で云ったんぢゃない。よろこばせやうと思って云ったんだ。あとですっかり本当のことを云ってしまはう、狐はしばらくしんとしながら斯う考へてゐたのでした。かばの木はそんなことも知らないでよろこんで言ひました。
「まあうれしい。あなた本当にいつでも親切だわ。」
 狐は少し悄気しょげながら答へました。
「えゝ、そして僕はあなたのためならばほかのどんなことでもやりますよ。この詩集、ごらんなさいませんか。ハイネといふ人のですよ。翻訳ですけれども仲々よくできてるんです。」
「まあ、お借りしていゝんでせうかしら。」
「構ひませんとも。どうかゆっくりごらんなすって。ぢゃ僕もう失礼します。はてな、何か云ひ残したことがあるやうだ。」
「お星さまのいろのことですわ。」
「あゝさうさう、だけどそれは今度にしませう。僕あんまり永くお邪魔しちゃいけないから。」
「あら、いゝんですよ。」
「僕又来ますから、ぢゃさよなら。本はあげてきます。ぢゃ、さよなら。」狐はいそがしく帰って行きました。そしてかばの木はその時吹いて来た南風にざわざわ葉を鳴らしながらきつねの置いて行った詩集をとりあげて天の川やそらいちめんの星から来るかすかなあかりにすかしてページを繰りました。そのハイネの詩集にはロウレライやさまざま美しい歌がいっぱいにあったのです。そして樺の木は一晩中よみ続けました。たゞその野原の三時すぎ東から金牛宮きんぎうきゅうののぼるころ少しとろとろしただけでした。
 夜があけました。太陽がのぼりました。
 草には露がきらめき花はみな力いっぱい咲きました。
 その東北の方からけた銅の汁をからだ中にかぶったやうに朝日をいっぱいに浴びて土神がゆっくりゆっくりやって来ました。いかにも分別くささうに腕をこまねきながらゆっくりゆっくりやって来たのでした。
 樺の木は何だか少し困ったやうに思ひながらそれでも青い葉をきらきらと動かして土神の来る方を向きました。その影は草に落ちてちらちらちらちらゆれました。土神はしづかにやって来て樺の木の前に立ちました。
「樺の木さん。お早う。」
「お早うございます。」
「わしはね、どうも考へて見るとわからんことが沢山ある、なかなかわからんことが多いもんだね。」
「まあ、どんなことでございますの。」
「たとへばだね、草といふものは黒い土から出るのだがなぜかう青いもんだらう。黄や白の花さへ咲くんだ。どうもわからんねえ。」
「それは草の種子が青や白をもってゐるためではないでございませうか。」
「さうだ。まあさう云へばさうだがそれでもやっぱりわからんな。たとへば秋のきのこのやうなものは種子もなし全く土の中からばかり出て行くもんだ、それにもやっぱり赤や黄いろやいろいろある、わからんねえ。」
「狐さんにでも聞いて見ましたらいかゞでございませう。」
 樺の木はうっとり昨夜ゆふべの星のはなしをおもってゐましたのでついう云ってしまひました。
 このことばを聞いて土神はにはかに顔いろを変へました。そしてこぶしを握りました。
「何だ。狐? 狐が何を云ひった。」
 樺の木はおろおろ声になりました。
「何もっしゃったんではございませんがちょっとしたらご存知かと思ひましたので。」
「狐なんぞに神が物を教はるとは一体何たることだ。えい。」
 樺の木はもうすっかりこはくなってぷりぷりぷりぷりゆれました。土神は歯をきしきしみながら高く腕を組んでそこらをあるきまはりました。その影はまっ黒に草に落ち草も恐れてふるへたのです。
きつねごときは実に世の害悪だ。たゞ一言もまことはなく卑怯ひけふ臆病おくびゃうでそれに非常にねたみ深いのだ。うぬ、畜生の分際として。」
 かばの木はやっと気をとり直して云ひました。
「もうあなたの方のお祭も近づきましたね。」
 土神は少し顔色を和げました。
「さうぢゃ。今日は五月三日、あと六日だ。」
 土神はしばらく考へてゐましたがにはかに又声をあららげました。
「しかしながら人間どもは不届だ。近頃ちかごろはわしの祭にも供物一つ持って来ん、おのれ、今度わしの領分に最初に足を入れたものはきっと泥の底に引き擦り込んでやらう。」土神はまたきりきり歯噛はがみしました。
 樺の木は折角なだめようと思って云ったことが又もやかへってこんなことになったのでもうどうしたらいゝかわからなくなりたゞちらちらとその葉を風にゆすってゐました。土神は日光を受けてまるで燃えるやうになりながら高く腕を組みキリキリ歯噛みをしてその辺をうろうろしてゐましたが考へれば考へるほど何もかもしゃくにさはって来るらしいのでした。そしてたうとうこらへ切れなくなって、えるやうにうなって荒々しく自分の谷地やちに帰って行ったのでした。

     (三)[#「(三)」は縦中横]

 土神のんでゐる所は小さな競馬場ぐらゐある、冷たい湿地でこけやからくさやみじかいあしなどが生えてゐましたが又所々にはあざみやせいの低いひどくねぢれたやなぎなどもありました。
 水がじめじめしてその表面にはあちこち赤い鉄の渋がきあがり見るからどろどろで気味も悪いのでした。
 そのまん中の小さな島のやうになった所に丸太でこしらへた高さ一間ばかりの土神のほこらがあったのです。
 土神はその島に帰って来て祠の横に長々と寝そべりました。そして黒いせた脚をがりがりきました。土神は一羽の鳥が自分の頭の上をまっすぐにけて行くのを見ました。すぐ土神は起き直って「しっ」と叫びました。鳥はびっくりしてよろよろっと落ちさうになりそれからまるではねも何もしびれたやうにだんだん低く落ちながら向ふへげて行きました。
 土神は少し笑って起きあがりました。けれども又すぐ向ふの樺の木の立ってゐる高みの方を見るとはっと顔色を変へて棒立ちになりました。それからいかにもむしゃくしゃするといふ風にそのぼろぼろの髪毛を両手で掻きむしってゐました。
 その時谷地の南の方から一人の木樵きこりがやって来ました。三つ森山の方へかせぎに出るらしく谷地のふちに沿った細いみち大股おほまたに行くのでしたがやっぱり土神のことは知ってゐたと見えて時々気づかはしさうに土神のほこらの方を見てゐました。けれども木樵きこりには土神の形は見えなかったのです。
 土神はそれを見るとよろこんでぱっと顔をほてらせました。それから右手をそっちへ突き出して左手でその右手の手首をつかみこっちへ引き寄せるやうにしました。すると奇体なことは木樵はみちを歩いてゐると思ひながらだんだん谷地やちの中に踏み込んで来るやうでした。それからびっくりしたやうに足が早くなり顔も青ざめて口をあいて息をしました。土神は右手のこぶしをゆっくりぐるっとまはしました。すると木樵はだんだんぐるっと円くまはって歩いてゐましたがいよいよひどく周章あわてだしてまるではあはあはあはあしながら何べんも同じ所をまはり出しました。何でも早く谷地からげて出ようとするらしいのでしたがあせってもあせっても同じところを廻ってゐるばかりなのです。たうとう木樵はおろおろ泣き出しました。そして両手をあげて走り出したのです。土神はいかにもうれしさうににやにやにやにや笑って寝そべったまゝそれを見てゐましたが間もなく木樵がすっかり逆上のぼせて疲れてばたっと水の中に倒れてしまひますと、ゆっくりと立ちあがりました。そしてぐちゃぐちゃ大股にそっちへ歩いて行って倒れてゐる木樵のからだを向ふの草はらの方へぽんと投げ出しました。木樵は草の中にどしりと落ちてううんと云ひながら少し動いたやうでしたがまだ気がつきませんでした。
 土神は大声に笑ひました。その声はあやしい波になって空の方へ行きました。
 空へ行った声はまもなくそっちからはねかへってガサリとかばの木の処にも落ちて行きました。樺の木ははっと顔いろを変へて日光に青くすきとほりせはしくせはしくふるへました。

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