そのうち九月になりました。私ははじめたった一人で行かうと思ったのでしたがどうも野原から大分奥でこはかったのですし第一どの辺だったかあまりはっきりしませんでしたから誰か友だちを誘はうときめました。
そこで土曜日に私は藤原慶次郎にその話をしました。そして誰にもその場所をはなさないなら一緒に行かうと相談しました。すると慶次郎はまるでよろこんで言ひました。
「楢渡なら方向はちゃんとわかってゐるよ。あすこでしばらく木炭を焼いてゐたのだから方角はちゃんとわかってゐる。行かう。」
私はもう占めたと思ひました。
次の朝早く私どもは今度は大きな籠を持ってでかけたのです。実際それを一ぱいとることを考へると胸がどかどかするのでした。
ところがその日は朝も東がまっ赤でどうも雨になりさうでしたが私たちが柏の林に入ったころはずゐぶん雲がひくくてそれにぎらぎら光って柏の葉も暗く見え風もカサカサ云って大へん気味が悪くなりました。
それでも私たちはずんずん登って行きました。慶次郎は時々向ふをすかすやうに見て
「大丈夫だよ。もうすぐだよ。」と云ふのでした。実際山を歩くことなどは私よりも慶次郎の方がずうっとなれてゐて上手でした。
ところがうまいことはいきなり私どもははぎぼだしに出っ会はしました。そこはたしかに去年の処ではなかったのです。ですから私は
「おい、こゝは新らしいところだよ。もう僕らはきのこ山を二つ持ったよ。」と言ったのです。すると慶次郎も顔を赤くしてよろこんで眼や鼻や一緒になってどうしてもそれが直らないといふ風でした。
「さあ、取ってかう。」私は云ひました。そして白いのばかりえらんで二人ともせっせと集めました。昨年のことなどはすっかり途中で話して来たのです。
間もなく籠が一ぱいになりました。丁度そのときさっきからどうしても降りさうに見えた空から雨つぶがポツリポツリとやって来ました。
「さあぬれるよ。」私は言ひました。
「どうせずぶぬれだ。」慶次郎も云ひました。
雨つぶはだんだん数が増して来てまもなくザアッとやって来ました。楢の葉はパチパチ鳴り雫の音もポタッポタッと聞えて来たのです。私と慶次郎とはだまって立ってぬれました。それでもうれしかったのです。
ところが雨はまもなくぱたっとやみました。五六つぶを名残りに落してすばやく引きあげて行ったといふ風でした。そして陽がさっと落ちて来ました。見上げますと白い雲のきれ間から大きな光る太陽が走って出てゐたのです。私どもは思はず歓呼の声をあげました。楢や柏の葉もきらきら光ったのです。
「おい、こゝはどの辺だか見て置かないと今度来るときわからないよ。」慶次郎が言ひました。
「うん。それから去年のもさがして置かないと。兄さんにでも来て貰はうか。あしたは来れないし。」
「あした学校を下ってからでもいゝぢゃないか。」慶次郎は私の兄さんには知らせたくない風でした。
「帰りに暗くなるよ。」
「大丈夫さ。とにかくさがして置かう。崖はぢきだらうか。」
私たちは籠はそこへ置いたまま崖の方へ歩いて行きました。そしたらまだまだと思ってゐた崖がもうすぐ目の前に出ましたので私はぎくっとして手をひろげて慶次郎の来るのをとめました。
「もう崖だよ。あぶない。」
慶次郎ははじめて崖を見たらしくいかにもどきっとしたらしくしばらくなんにも云ひませんでした。
「おい、やっぱり、すると、あすこは去年のところだよ。」私は言ひました。
「うん。」慶次郎は少しつまらないといふやうにうなづきました。
「もう帰らうか。」私は云ひました。
「帰らう。あばよ。」と慶次郎は高く向ふのまっ赤な崖に叫びました。
「あばよ。」崖からこだまが返って来ました。
私はにはかに面白くなって力一ぱい叫びました。
「ホウ、居たかぁ。」
「居たかぁ。」崖がこだまを返しました。
「また来るよ。」慶次郎が叫びました。
「来るよ。」崖が答へました。
「馬鹿。」私が少し大胆になって悪口をしました。
「馬鹿。」崖も悪口を返しました。
「馬鹿野郎」慶次郎が少し低く叫びました。
ところがその返事はたゞごそごそごそっとつぶやくやうに聞えました。どうも手がつけられないと云ったやうにも又そんなやつらにいつまでも返事してゐられないなと自分ら同志で相談したやうにも聞えました。
私どもは顔を見合せました。それから俄かに恐くなって一緒に崖をはなれました。
それから籠を持ってどんどん下りました。二人ともだまってどんどん下りました。雫ですっかりぬればらや何かに引っかゝれながらなんにも云はずに私どもはどんどんどんどん遁げました。遁げれば遁げるほどいよいよ恐くなったのです。うしろでハッハッハと笑ふやうな声もしたのです。
ですから次の年はたうとう私たちは兄さんにも話して一緒にでかけたのです。
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