時 一九二〇年代
処 盛岡市郊外
人物 爾薩待 正 開業したての植物医師
ペンキ屋徒弟
農民 一
農民 二
農民 三
農民 四
農民 五
農民 六
幕あく。
粗末なバラック室、卓子二、一は顕微鏡を載せ一は客用、椅子二、爾薩待正 椅子に坐り心配そうに新聞を見て居る。立ってそわそわそこらを直したりする。
「今日はあ。」
「はぁい。」(爾薩待忙しく身づくろいする)
(ペンキ屋徒弟登場 看板を携える)
爾薩待「ああ、君か、出来たね。」
ペンキ屋(汗を拭きながら渡す)「あの、五円三十銭でございます。」
爾薩待「ああ、そうか。ずいぶん急がして済まなかったね。何せ今日から開業で、新聞にも広告したもんだからね。」
ペンキ屋「はあ、それでようございましょうか。」
爾薩待「ああ、いいとも、立派にできた。あのね、お金は月末まで待って呉れ給え。」
ペンキ屋「あのう、実はどちらさまにも現金に願ってございますので。」
爾薩待「いや、それはそうだろう。けれどもね、ぼくも茲でこうやって医者を開業してみれば、別に夜逃げをする訳でもないんだから、月末まで待ってくれたまえ。」
ペンキ屋「ええ、ですけれど、そう言いつかって来たんですから。」
爾薩待「まあ、いいさ。僕だって、とにかくこうやって病院をはじめれば、まあ、院長じゃないか。五円いくらぐらいきっと払うよ。そうしてくれ給え。」
ペンキ屋「だって、病院だって、人の病院でもないんでしょう。」
爾薩待「勿論さ。植物病院さ。いまはもう外国ならどこの町だって植物病院はあるさ。ここではぼくがはじめだけれど。」
ペンキ屋「だって現金でないと私帰って叱られますから。そんなら代金引替ということにねがいます。」
(すばやく看板を奪う)
爾薩待「君、君、そう頑固なこと言うんじゃないよ。実は僕も困ってるんだ。先月まではぼくは県庁の耕地整理の方へ出てたんだ。ところが部長と喧嘩してね、そいつをぶんなぐってやめてしまったんだ。商売をやるたって金もないしね、やっとその顕微鏡を友だちから借りてこの商売をはじめたんだ。同情してくれ給え。」
ペンキ屋「だって、そんな先月まで交通整理だかやっていて俄かに医者なんかできるんですか。」
爾薩待「交通整理じゃないよ。耕地整理だよ。けれどもそりぁ、医者とはちがわぁね。しかしね、百姓のことなんざ何とでもごまかせるもんだよ。ぼく、きっとうまくやるから、まあ置いとけよ。置いとけよ。」
(また取り返す)
ペンキ屋「そうですか。そいじゃ月末にはどうか間ちがいなく。困っちまうなあ。」
爾薩待「大丈夫さ。君を困らしぁしないよ。ありがとう、じゃ、さよなら。」
ペンキ屋徒弟退場。
「申し。」
爾薩待(居座いを直し身繕いする)「はあ。」
農民一(登場 枯れた陸稲をもっている)「稲の伯楽づのぁ、こっちだべすか。」
爾薩待「はあ、そうです。」
農民一「陸稲のごとでもわがるべすか。」
爾薩待「ああ、わかります。私は植物一切の医者ですから。」
農民一「はあ、おりゃの陸稲ぁ、さっぱりおがらなぃです。この位になって、だんだん枯れはじめです、なじょにしたらいが、教えてくな※[#小書き平仮名ん、228-12]せ。」(出す)
爾薩待(手にとって見る)「ははあ、あんまり乾き過ぎたな。」
農民一「いいえ、おりゃのあそごぁひでえ谷地で、なんぼ旱でも土ぽさぽさづぐなるづごとのなぃどごだます。」
爾薩待「ははあ、あんまり水のはけないためだ。」
農民一(考える)「すた、去年なも、ずいぶん雨降りだたんとも、ずいぶんゆぐ穫れだます、まんつ、おらあだりでば大谷地中でおれのこれぁとったもの無ぃがったます。」
爾薩待「ははあ、あんまり厚く蒔きすぎたな。」
農民一「厚ぐ蒔ぐて全体陸稲づもな、一反歩さなんぼごりゃ蒔げばいのす。」
爾薩待「さうですな。品種や土壌によりますがなあ、さうですなあ、陸稲一反歩となるというと、可成いろいろですがなあ、その塩水撰したやつとしないやつでもちがいますがなあ。」
農民一「はあ、その塩水撰したのです。」
爾薩待「ははあ、塩水撰した陸稲の種子と、土壌や肥料にもよりますがなあ。」
農民一「まんつ、あだり前のどごで、あだり前の肥料してす。」
爾薩待「そうですなあ、それは、ええと、あなたのあたりではなんぼぐらい播きます?」
農民一「まず一反歩四升だなす。おらもその位に播いだんす。」
爾薩待「ははあ、一反歩四升と。少し厚いようですなあ、三升八合ぐらいでしょうな。然し、あなたのとこのは厚蒔のためでもないですなあ。そうすると、やっぱり肥料ですな。肥料があんまり少かったのでしょう。」
農民一「はあ、まぁんつ、人並よりは、やったます。百刈りでば、まずおらあだり一反四畝なんだ、その百刈りさ、馬肥、十五駄、豆粕一俵、硫安十貫目もやったます。」
爾薩待「あ、その硫安だ。硫安を濃くして掛けたでしょう。」
農民一「はあ、別段濃いど思わなぃがったが、全体なんぼ位に薄めたらいがべす。」
爾薩待「そうですな。硫安の薄め方となるとずいぶん色々ですがなあ、天気にもよりますしね。」
農民一「曇ってまず、土のさっと湿けだずぎだら、なんぼこりゃにすたらいがべす。」
爾薩待「そうですな。またあんまり薄くてもいかんですな。あなたの処ではどれ位にします。」
農民一「まず肥桶一杯の水さ、この位までて言うます。」
爾薩待「ええ、まあそうですね、けれども、これ位では少し多いかも知れませんね。まあ、こんなんでしょうな。」(掌を少し小さくする)
農民一「はあ、せどなはおれぁは、もっと入れだます。」
爾薩待「そうですか。そうすればまあ病気ですな。」
農民一「何病だべす。」
爾薩待(勿体らしく顕微鏡に掛ける)「ははあ、立枯病ですな。立枯病です。ちゃんと見えています。立枯病です。」
農民一「はでな、病気よりも何が虫だなぃがべすか。」
爾薩待「虫もいますか。葉にですか。」
農民一「いいえ、根にす、小せぁ虫こぁ居るようだます。」
爾薩待「ああなるほど虫だ。ちゃんと根を食ったあとがある。これは病気と虫と両方です。主に虫の方です。」
農民一「はあ、私もそうだと思ってあんすた。」
爾薩待(汗を拭いてやっと安心という風)「ええ、そうですとも、これはもう明らかに虫です。しかも根切虫だということは極めて明白です。つまりこの稲は根切虫の害によって枯れたのですな。」
農民一「はあ、それで、その根切虫、無ぐするになじょにすたらいがべす。」
爾薩待「さうですなあ、虫を殺すとすればやっぱり亜砒酸などが一番いいですな。」
農民一「はあ、どこで売ってるべす。」
爾薩待「いや、それは私のとこが病院ですからな。私のとこにあります。いま上げます。」
農民一「はあ。」
爾薩待(立って薬瓶をとる)「何反といいましたですか。」
農民一「五畝歩でごあんす。」
爾薩待「五畝歩とするとどれ位でいいかなあ。(しばらく考えてなあにくそという風)これ位でいいな。」(瓶のまま渡す)
農民一「あの虫のいなぃどごさも掛げるのすか。」
爾薩待(あわてる)「いや、それは、いたとこへだけかけるのです。」
農民一「枯れだどごぁ半分ごりゃだんす。」
爾薩待「ああ、丁度その位へかけるだけです。」
農民一「水さなんぼごりゃ入れるのす。」
爾薩待「肥桶一つへまずこれ位ですなあ。」
農民一「はあ、そうせば、よっぽど叮ねいに掛げなぃやなぃな。まんつお有難うごあんすな。すぐ行って掛げで見ら※[#小書き平仮名ん、232-7]す。なんぼ上げだらいがべす。」
爾薩待「そうですな。診察料一円に薬価一円と、二円いただきます。」
農民一「はあ。」(財布から二円出す)
爾薩待(受取る)「やあ、ありがとう。」
農民一「どうもお有難うごあんした。これがらもどうがよろしぐお願いいだしあんす。」
爾薩待「いや、さよなら。」(農民一 退場)
爾薩待(ほくほくして室の中を往来する)「ふん。亜砒酸は五十銭で一円五十銭もうけだ。これなら一向訳ないな。向こうから聞いた上でこっちは解決をつけてやる丈だから。」(硫安を入れるときの手付をする)
「もうし。」
爾薩待「はい。」(農民二 登場)
農民二「植物医者づのぁお前さんだべすか。」
爾薩待「ええ、そうです。」
農民二「陸稲のごとでもわがるべすか。」
爾薩待「ああわかります。私は植物一切の医者ですから。」
農民二「はあ、おりゃの陸稲ぁ、さっぱりおがらなぃです。この位になってだんだん枯れはじめです。」
爾薩待「ああ、そうですか。まあお掛けなさい。ええと、陸稲が枯れるんですか。」
農民二「はあ、斯う言うにならんす。」(出す)
爾薩待「ああ、なるほど、これはね、こいつはね、あんまり乾き過ぎたという訳でもない、また水はけの悪いためでもない。」
農民二「はあ、全ぐその通りだんす。」
爾薩待「そうでしょう。またあんまり厚く蒔き過ぎたというのでもない。まあ一反歩四升位蒔いたでしょう。」
農民二「そうでごあんす、そうでごあんす、丁度それ位蒔ぎあんすた。」
爾薩待「そうでしょう。また肥料があんまり少ないのでもない。また硫安を追肥するのに濃過ぎたのでもない。まあ肥桶一つにこれ位入れたでしょう。」
農民二「はあ、そうでごあんす、そうでごあんす。」
爾薩待「そうでしょう、またこれは病気でもない。ぼく考えるに、どうです、これ位ぐらいのこんな虫が根についちゃいませんか。」
農民二「はあ、おりあんす、おりあんす。」
爾薩待「なるほど、そうでしょう。そいつがいかんのです。」
農民二「なじょにすたらいがべす。」
爾薩待「それはね、亜砒酸という薬をかけるんです。」
農民二「どごで売ってべす。」