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銀河鉄道の夜(ぎんがてつどうのよる)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-10-29 15:49:07  点击:  切换到繁體中文

     一 午後の授業

「ではみなさんは、そういうふうに川だと言(い)われたり、乳(ちち)の流(なが)れたあとだと言(い)われたりしていた、このぼんやりと白いものがほんとうは何かご承知(しょうち)ですか」先生は、黒板(こくばん)につるした大きな黒い星座(せいざ)の図の、上から下へ白くけぶった銀河帯(ぎんがたい)のようなところを指(さ)しながら、みんなに問(と)いをかけました。
 カムパネルラが手をあげました。それから四、五人手をあげました。ジョバンニも手をあげようとして、急(いそ)いでそのままやめました。たしかにあれがみんな星だと、いつか雑誌(ざっし)で読んだのでしたが、このごろはジョバンニはまるで毎日教室でもねむく、本を読むひまも読む本もないので、なんだかどんなこともよくわからないという気持(きも)ちがするのでした。
 ところが先生は早くもそれを見つけたのでした。
「ジョバンニさん。あなたはわかっているのでしょう」
 ジョバンニは勢(いきお)いよく立ちあがりましたが、立ってみるともうはっきりとそれを答えることができないのでした。ザネリが前の席(せき)からふりかえって、ジョバンニを見てくすっとわらいました。ジョバンニはもうどぎまぎしてまっ赤になってしまいました。先生がまた言(い)いました。
「大きな望遠鏡(ぼうえんきょう)で銀河(ぎんが)をよっく調(しら)べると銀河(ぎんが)はだいたい何でしょう」
 やっぱり星だとジョバンニは思いましたが、こんどもすぐに答えることができませんでした。
 先生はしばらく困(こま)ったようすでしたが、眼(め)をカムパネルラの方へ向(む)けて、
「ではカムパネルラさん」と名指(なざ)しました。
 するとあんなに元気に手をあげたカムパネルラが、やはりもじもじ立ち上がったままやはり答えができませんでした。
 先生は意外(いがい)なようにしばらくじっとカムパネルラを見ていましたが、急(いそ)いで、
「では、よし」と言(い)いながら、自分で星図を指(さ)しました。
「このぼんやりと白い銀河(ぎんが)を大きないい望遠鏡(ぼうえんきょう)で見ますと、もうたくさんの小さな星に見えるのです。ジョバンニさんそうでしょう」
 ジョバンニはまっ赤(か)になってうなずきました。けれどもいつかジョバンニの眼(め)のなかには涙(なみだ)がいっぱいになりました。そうだ僕(ぼく)は知っていたのだ、もちろんカムパネルラも知っている、それはいつかカムパネルラのお父さんの博士(はかせ)のうちでカムパネルラといっしょに読んだ雑誌(ざっし)のなかにあったのだ。それどこでなくカムパネルラは、その雑誌(ざっし)を読むと、すぐお父さんの書斎(しょさい)から巨(おお)きな本をもってきて、ぎんがというところをひろげ、まっ黒な頁(ページ)いっぱいに白に点々(てんてん)のある美(うつく)しい写真(しゃしん)を二人でいつまでも見たのでした。それをカムパネルラが忘(わす)れるはずもなかったのに、すぐに返事(へんじ)をしなかったのは、このごろぼくが、朝にも午後にも仕事(しごと)がつらく、学校に出てももうみんなともはきはき遊(あそ)ばず、カムパネルラともあんまり物を言(い)わないようになったので、カムパネルラがそれを知ってきのどくがってわざと返事(へんじ)をしなかったのだ、そう考えるとたまらないほど、じぶんもカムパネルラもあわれなような気がするのでした。
 先生はまた言(い)いました。
「ですからもしもこの天の川がほんとうに川だと考えるなら、その一つ一つの小さな星はみんなその川のそこの砂(すな)や砂利(じゃり)の粒(つぶ)にもあたるわけです。またこれを巨(おお)きな乳(ちち)の流(なが)れと考えるなら、もっと天の川とよく似(に)ています。つまりその星はみな、乳(ちち)のなかにまるで細(こま)かにうかんでいる脂油(あぶら)の球(たま)にもあたるのです。そんなら何がその川の水にあたるかと言(い)いますと、それは真空(しんくう)という光をある速(はや)さで伝(つた)えるもので、太陽(たいよう)や地球(ちきゅう)もやっぱりそのなかに浮(う)かんでいるのです。つまりは私(わたし)どもも天の川の水のなかに棲(す)んでいるわけです。そしてその天の川の水のなかから四方を見ると、ちょうど水が深いほど青く見えるように、天の川の底(そこ)の深(ふか)く遠いところほど星がたくさん集まって見え、したがって白くぼんやり見えるのです。この模型(もけい)をごらんなさい」
 先生は中にたくさん光る砂(すな)のつぶのはいった大きな両面(りょうめん)の凸(とつ)レンズを指(さ)しました。
「天の川の形はちょうどこんななのです。このいちいちの光るつぶがみんな私(わたし)どもの太陽(たいよう)と同じようにじぶんで光っている星だと考えます。私どもの太陽(たいよう)がこのほぼ中ごろにあって地球(ちきゅう)がそのすぐ近くにあるとします。みなさんは夜にこのまん中に立ってこのレンズの中を見まわすとしてごらんなさい。こっちの方はレンズが薄(うす)いのでわずかの光る粒(つぶ)すなわち星しか見えないでしょう。こっちやこっちの方はガラスが厚(あつ)いので、光る粒(つぶ)すなわち星がたくさん見えその遠いのはぼうっと白く見えるという、これがつまり今日の銀河(ぎんが)の説(せつ)なのです。そんならこのレンズの大きさがどれくらいあるか、またその中のさまざまの星についてはもう時間ですから、この次(つぎ)の理科の時間にお話します。では今日はその銀河(ぎんが)のお祭(まつ)りなのですから、みなさんは外へでてよくそらをごらんなさい。ではここまでです。本やノートをおしまいなさい」
 そして教室じゅうはしばらく机(つくえ)の蓋(ふた)をあけたりしめたり本を重(かさ)ねたりする音がいっぱいでしたが、まもなくみんなはきちんと立って礼(れい)をすると教室を出ました。

     二 活版所(かっぱんじょ)

 ジョバンニが学校の門を出るとき、同じ組の七、八人は家へ帰らずカムパネルラをまん中にして校庭(こうてい)の隅(すみ)の桜(さくら)の木のところに集(あつ)まっていました。それはこんやの星祭(ほしまつ)りに青いあかりをこしらえて川へ流(なが)す烏瓜(からすうり)を取(と)りに行く相談(そうだん)らしかったのです。
 けれどもジョバンニは手を大きく振(ふ)ってどしどし学校の門(もん)を出て来ました。すると町の家々ではこんやの銀河(ぎんが)の祭(まつ)りにいちいの葉(は)の玉(たま)をつるしたり、ひのきの枝(えだ)にあかりをつけたり、いろいろしたくをしているのでした。
 家へは帰らずジョバンニが町を三つ曲(ま)がってある大きな活版所(かっぱんじょ)にはいって靴(くつ)をぬいで上がりますと、突(つ)き当たりの大きな扉(とびら)をあけました。中にはまだ昼(ひる)なのに電燈(でんとう)がついて、たくさんの輪転機(りんてんき)がばたりばたりとまわり、きれで頭をしばったりラムプシェードをかけたりした人たちが、何か歌うように読んだり数えたりしながらたくさん働(はたら)いておりました。
 ジョバンニはすぐ入口から三番目の高い卓子(テーブル)にすわった人の所(ところ)へ行っておじぎをしました。その人はしばらく棚(たな)をさがしてから、
「これだけ拾(ひろ)って行けるかね」と言(い)いながら、一枚の紙切れを渡(わた)しました。ジョバンニはその人の卓子(テーブル)の足もとから一つの小さな平(ひら)たい函(はこ)をとりだして向(む)こうの電燈(でんとう)のたくさんついた、たてかけてある壁(かべ)の隅(すみ)の所(ところ)へしゃがみ込(こ)むと、小さなピンセットでまるで粟粒(あわつぶ)ぐらいの活字(かつじ)を次(つぎ)から次(つぎ)へと拾(ひろ)いはじめました。青い胸(むね)あてをした人がジョバンニのうしろを通りながら、
「よう、虫めがね君(くん)、お早う」と言(い)いますと、近くの四、五人の人たちが声もたてずこっちも向(む)かずに冷(つめ)たくわらいました。
 ジョバンニは何べんも眼(め)をぬぐいながら活字(かつじ)をだんだんひろいました。
 六時がうってしばらくたったころ、ジョバンニは拾(ひろ)った活字(かつじ)をいっぱいに入れた平(ひら)たい箱(はこ)をもういちど手にもった紙きれと引き合わせてから、さっきの卓子(テーブル)の人へ持(も)って来ました。その人は黙(だま)ってそれを受(う)け取(と)ってかすかにうなずきました。
 ジョバンニはおじぎをすると扉(とびら)をあけて計算台のところに来ました。すると白服(しろふく)を着(き)た人がやっぱりだまって小さな銀貨(ぎんか)を一つジョバンニに渡(わた)しました。ジョバンニはにわかに顔いろがよくなって威勢(いせい)よくおじぎをすると、台の下に置(お)いた鞄(かばん)をもっておもてへ飛(と)びだしました。それから元気よく口笛(くちぶえ)を吹(ふ)きながらパン屋(や)へ寄(よ)ってパンの塊(かたまり)を一つと角砂糖(かくざとう)を一袋(ふくろ)買いますといちもくさんに走りだしました。

     三 家

 ジョバンニが勢(いきお)いよく帰って来たのは、ある裏町(うらまち)の小さな家でした。その三つならんだ入口のいちばん左側(ひだりがわ)には空箱(あきばこ)に紫(むらさき)いろのケールやアスパラガスが植(う)えてあって小さな二つの窓(まど)には日覆(ひおお)いがおりたままになっていました。
「お母さん、いま帰ったよ。ぐあい悪(わる)くなかったの」ジョバンニは靴(くつ)をぬぎながら言いました。
「ああ、ジョバンニ、お仕事(しごと)がひどかったろう。今日(きょう)は涼(すず)しくてね。わたしはずうっとぐあいがいいよ」
 ジョバンニは玄関(げんかん)を上がって行きますとジョバンニのお母さんがすぐ入口の室(へや)に白い巾(きれ)をかぶって寝(やす)んでいたのでした。ジョバンニは窓(まど)をあけました。
「お母さん、今日は角砂糖(かくざとう)を買ってきたよ。牛乳(ぎゅうにゅう)に入れてあげようと思って」
「ああ、お前さきにおあがり。あたしはまだほしくないんだから」
「お母さん。姉(ねえ)さんはいつ帰ったの」
「ああ、三時ころ帰ったよ。みんなそこらをしてくれてね」
「お母さんの牛乳(ぎゅうにゅう)は来ていないんだろうか」
「来なかったろうかねえ」
「ぼく行ってとって来よう」
「ああ、あたしはゆっくりでいいんだからお前さきにおあがり、姉(ねえ)さんがね、トマトで何かこしらえてそこへ置(お)いて行ったよ」
「ではぼくたべよう」
 ジョバンニは[#「 ジョバンニは」は底本では「「ジョバンニは」]窓(まど)のところからトマトの皿(さら)をとってパンといっしょにしばらくむしゃむしゃたべました。
「ねえお母さん。ぼくお父さんはきっとまもなく帰ってくると思うよ」
「ああ、あたしもそう思う。けれどもおまえはどうしてそう思うの」
「だって今朝(けさ)の新聞に今年は北の方の漁(りょう)はたいへんよかったと書いてあったよ」
「ああだけどねえ、お父さんは漁(りょう)へ出ていないかもしれない」
「きっと出ているよ。お父さんが監獄(かんごく)へはいるようなそんな悪(わる)いことをしたはずがないんだ。この前お父さんが持ってきて学校へ寄贈(きぞう)した巨(おお)きな蟹(かに)の甲(こう)らだのとなかいの角(つの)だの今だってみんな標本室(ひょうほんしつ)にあるんだ。六年生なんか授業(じゅぎょう)のとき先生がかわるがわる教室へ持(も)って行くよ」
「お父さんはこの次(つぎ)はおまえにラッコの上着(うわぎ)をもってくるといったねえ」
「みんながぼくにあうとそれを言(い)うよ。ひやかすように言(い)うんだ」
「おまえに悪口(わるくち)を言(い)うの」
「うん、けれどもカムパネルラなんか決(けっ)して言(い)わない。カムパネルラはみんながそんなことを言(い)うときはきのどくそうにしているよ」
「カムパネルラのお父さんとうちのお父さんとは、ちょうどおまえたちのように小さいときからのお友達(ともだち)だったそうだよ」
「ああだからお父さんはぼくをつれてカムパネルラのうちへもつれて行ったよ。あのころはよかったなあ。ぼくは学校から帰る途中(とちゅう)たびたびカムパネルラのうちに寄(よ)った。カムパネルラのうちにはアルコールランプで走る汽車があったんだ。レールを七つ組み合わせるとまるくなってそれに電柱(でんちゅう)や信号標(しんごうひょう)もついていて信号標(しんごうひょう)のあかりは汽車が通るときだけ青くなるようになっていたんだ。いつかアルコールがなくなったとき石油(せきゆ)をつかったら、缶(かん)がすっかりすすけたよ」
「そうかねえ」
「いまも毎朝新聞をまわしに行くよ。けれどもいつでも家じゅうまだしいんとしているからな」
「早いからねえ」
「ザウエルという犬がいるよ。しっぽがまるで箒(ほうき)のようだ。ぼくが行くと鼻(はな)を鳴らしてついてくるよ。ずうっと町の角(かど)までついてくる。もっとついてくることもあるよ。今夜はみんなで烏瓜(からすうり)のあかりを川へながしに行くんだって。きっと犬もついて行くよ」
「そうだ。今晩(こんばん)は銀河(ぎんが)のお祭(まつ)りだねえ」
「うん。ぼく牛乳(ぎゅうにゅう)をとりながら見てくるよ」
「ああ行っておいで。川へははいらないでね」
「ああぼく岸(きし)から見るだけなんだ。一時間で行ってくるよ」
「もっと遊(あそ)んでおいで。カムパネルラさんといっしょなら心配(しんぱい)はないから」
「ああきっといっしょだよ。お母さん、窓をしめておこうか」
「ああ、どうか。もう涼(すず)しいからね」
 ジョバンニは立って窓(まど)をしめ、お皿(さら)やパンの袋(ふくろ)をかたづけると勢(いきお)いよく靴(くつ)をはいて、
「では一時間半(はん)で帰ってくるよ」と言(い)いながら暗(くら)い戸口(とぐち)を出ました。

     四 ケンタウル祭(さい)の夜

 ジョバンニは、口笛(くちぶえ)を吹(ふ)いているようなさびしい口つきで、檜(ひのき)のまっ黒にならんだ町の坂(さか)をおりて来たのでした。
 坂(さか)の下に大きな一つの街燈(がいとう)が、青白く立派(りっぱ)に光って立っていました。ジョバンニが、どんどん電燈(でんとう)の方へおりて行きますと、いままでばけもののように、長くぼんやり、うしろへ引いていたジョバンニの影(かげ)ぼうしは、だんだん濃(こ)く黒くはっきりなって、足をあげたり手を振(ふ)ったり、ジョバンニの横(よこ)の方へまわって来るのでした。
(ぼくは立派(りっぱ)な機関車(きかんしゃ)だ。ここは勾配(こうばい)だから速(はや)いぞ。ぼくはいまその電燈(でんとう)を通り越(こ)す。そうら、こんどはぼくの影法師(かげぼうし)はコンパスだ。あんなにくるっとまわって、前の方へ来た)
 とジョバンニが思いながら、大股(おおまた)にその街燈(がいとう)の下を通り過(す)ぎたとき、いきなりひるまのザネリが、新しいえりのとがったシャツを着(き)て、電燈(でんとう)の向(む)こう側(がわ)の暗(くら)い小路(こうじ)から出て来て、ひらっとジョバンニとすれちがいました。
「ザネリ、烏瓜(からすうり)ながしに行くの」ジョバンニがまだそう言(い)ってしまわないうちに、
「ジョバンニ、お父さんから、ラッコの上着(うわぎ)が来るよ」その子が投(な)げつけるようにうしろから叫(さけ)びました。
 ジョバンニは、ばっと胸(むね)がつめたくなり、そこらじゅうきいんと鳴るように思いました。
「なんだい、ザネリ」とジョバンニは高く叫(さけ)び返(かえ)しましたが、もうザネリは向(む)こうのひばの植(う)わった家の中へはいっていました。
(ザネリはどうしてぼくがなんにもしないのにあんなことを言(い)うのだろう。走るときはまるで鼠(ねずみ)のようなくせに。ぼくがなんにもしないのにあんなことを言(い)うのはザネリがばかなからだ)
 ジョバンニは、せわしくいろいろのことを考えながら、さまざまの灯(あかり)や木の枝(えだ)で、すっかりきれいに飾(かざ)られた街(まち)を通って行きました。時計屋(とけいや)の店には明るくネオン燈(とう)がついて、一秒(びょう)ごとに石でこさえたふくろうの赤い眼(め)が、くるっくるっとうごいたり、いろいろな宝石(ほうせき)が海のような色をした厚(あつ)い硝子(ガラス)の盤(ばん)に載(の)って、星のようにゆっくり循(めぐ)ったり、また向(む)こう側(がわ)から、銅(どう)の人馬がゆっくりこっちへまわって来たりするのでした。そのまん中にまるい黒い星座早見(せいざはやみ)が青いアスパラガスの葉(は)で飾(かざ)ってありました。
 ジョバンニはわれを忘(わす)れて、その星座(せいざ)の図に見入りました。
 それはひる学校で見たあの図よりはずうっと小さかったのですが、その日と時間に合わせて盤(ばん)をまわすと、そのとき出ているそらがそのまま楕円形(だえんけい)のなかにめぐってあらわれるようになっており、やはりそのまん中には上から下へかけて銀河(ぎんが)がぼうとけむったような帯(おび)になって、その下の方ではかすかに爆発(ばくはつ)して湯(ゆ)げでもあげているように見えるのでした。またそのうしろには三本の脚(あし)のついた小さな望遠鏡(ぼうえんきょう)が黄いろに光って立っていましたし、いちばんうしろの壁(かべ)には空じゅうの星座(せいざ)をふしぎな獣(けもの)や蛇(へび)や魚や瓶(びん)の形に書いた大きな図(ず)がかかっていました。ほんとうにこんなような蠍(さそり)だの勇士(ゆうし)だのそらにぎっしりいるだろうか、ああぼくはその中をどこまでも歩いてみたいと思ってたりしてしばらくぼんやり立っていました。
 それからにわかにお母さんの牛乳(ぎゅうにゅう)のことを思いだしてジョバンニはその店をはなれました。
 そしてきゅうくつな上着(うわぎ)の肩(かた)を気にしながら、それでもわざと胸(むね)を張(は)って大きく手を振(ふ)って町を通って行きました。
 空気は澄(す)みきって、まるで水のように通りや店の中を流(なが)れましたし、街燈(がいとう)はみなまっ青なもみや楢(なら)の枝(えだ)で包(つつ)まれ、電気会社の前の六本のプラタナスの木などは、中にたくさんの豆電燈(まめでんとう)がついて、ほんとうにそこらは人魚の都(みやこ)のように見えるのでした。子どもらは、みんな新しい折(おり)のついた着物(きもの)を着(き)て、星めぐりの口笛(くちぶえ)を吹(ふ)いたり、
「ケンタウルス、露(つゆ)をふらせ」と叫(さけ)んで走ったり、青いマグネシヤの花火を燃(も)したりして、たのしそうに遊(あそ)んでいるのでした。けれどもジョバンニは、いつかまた深(ふか)く首(くび)をたれて、そこらのにぎやかさとはまるでちがったことを考えながら、牛乳屋(ぎゅうにゅうや)の方へ急(いそ)ぐのでした。
 ジョバンニは、いつか町はずれのポプラの木が幾本(いくほん)も幾本(いくほん)も、高く星ぞらに浮(う)かんでいるところに来ていました。その牛乳屋(ぎゅうにゅうや)の黒い門(もん)をはいり、牛のにおいのするうすくらい台所(だいどころ)の前に立って、ジョバンニは帽子(ぼうし)をぬいで、
「今晩(こんばん)は」と言(い)いましたら、家の中はしいんとして誰(だれ)もいたようではありませんでした。
「今晩(こんばん)は、ごめんなさい」ジョバンニはまっすぐに立ってまた叫(さけ)びました。するとしばらくたってから、年とった女の人が、どこかぐあいが悪(わる)いようにそろそろと出て来て、何か用かと口の中で言(い)いました。
「あの、今日、牛乳(ぎゅうにゅう)が僕(ぼく)※[#小書き平仮名ん、183-7]とこへ来なかったので、もらいにあがったんです」ジョバンニが一生けん命(めい)勢(いきお)いよく言(い)いました。
「いま誰(だれ)もいないでわかりません。あしたにしてください」その人は赤い眼(め)の下のとこをこすりながら、ジョバンニを見おろして言(い)いました。
「おっかさんが病気(びょうき)なんですから今晩(こんばん)でないと困(こま)るんです」
「ではもう少したってから来てください」その人はもう行ってしまいそうでした。
「そうですか。ではありがとう」ジョバンニは、お辞儀(じぎ)をして台所(だいどころ)から出ました。
 十字になった町のかどを、まがろうとしましたら、向(む)こうの橋(はし)へ行く方の雑貨店(ざっかてん)の前で、黒い影(かげ)やぼんやり白いシャツが入り乱(みだ)れて、六、七人の生徒らが、口笛(くちぶえ)を吹(ふ)いたり笑(わら)ったりして、めいめい烏瓜(からすうり)の燈火(あかり)を持(も)ってやって来(く)るのを見(み)ました。その笑(わら)い声も口笛(くちぶえ)も、みんな聞きおぼえのあるものでした。ジョバンニの同級(どうきゅう)の子供(こども)らだったのです。ジョバンニは思わずどきっとして戻(もど)ろうとしましたが、思い直(なお)して、いっそう勢(いきお)いよくそっちへ歩いて行きました。
「川へ行くの」ジョバンニが言(い)おうとして、少しのどがつまったように思ったとき、
「ジョバンニ、ラッコの上着(うわぎ)が来るよ」さっきのザネリがまた叫(さけ)びました。
「ジョバンニ、ラッコの上着(うわぎ)が来るよ」すぐみんなが、続(つづ)いて叫(さけ)びました。ジョバンニはまっ赤になって、もう歩いているかもわからず、急(いそ)いで行きすぎようとしましたら、そのなかにカムパネルラがいたのです。カムパネルラはきのどくそうに、だまって少しわらって、おこらないだろうかというようにジョバンニの方を見ていました。
 ジョバンニは、にげるようにその眼(め)を避(さ)け、そしてカムパネルラのせいの高いかたちが過(す)ぎて行ってまもなく、みんなはてんでに口笛(くちぶえ)を吹(ふ)きました。町かどを曲(ま)がるとき、ふりかえって見ましたら、ザネリがやはりふりかえって見ていました。そしてカムパネルラもまた、高く口笛(くちぶえ)を吹(ふ)いて向(む)こうにぼんやり見える橋(はし)の方へ歩いて行ってしまったのでした。ジョバンニは、なんとも言(い)えずさびしくなって、いきなり走りだしました。すると耳に手をあてて、わあわあと言(い)いながら片足(かたあし)でぴょんぴょん跳(と)んでいた小さな子供(こども)らは、ジョバンニがおもしろくてかけるのだと思って、わあいと叫(さけ)びました。
 まもなくジョバンニは走りだして黒い丘(おか)の方へ急(いそ)ぎました。

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