間もなく町は灯になって見る間にあわただしく日が沈めばどこからともなく暮れ初めて坂の上のほんのり片明りした空に星がチロリチロリと現われて煙草屋の柳に涼しい風の渡る夏の夜となる。
「お尻の用心御用心」
と調子づいた子供の声はますます高くなってゆく。
「オイオイあすこへ来たのはお鶴ちゃんだろう」
こう言った若者の一人は清ちゃんの姉さんが止めるのも聞かずに、面白がる仲間にやれやれと言われて子供たちにいいつけた。
「誰でもいいからお鶴ちゃんの着物を捲ったら氷水をおごるぜ」
さすがに金ちゃんは姉のこととて承知しなかったが車屋の鉄公はゲラゲラ笑いながら電信柱の後に隠れる。私は息を殺してお鶴のために胸を波打たせた。夜目に際立って白い浴衣のすらりとした姿をチラチラと店灯りに浮き上らせてお鶴はいつもの通り蓮葉に日和下駄をカラコロと鳴らしてやって来る。やり過して地びたを這って後へ廻った鉄公の手がお鶴の裾にかかったかと思うと紅が翻って高く捲れた着物から真白な脛が見えた。同時に振り返ったお鶴は鉄公の頭をピシャピシャと平手でひっぱたいてクルリと踵をかえすと元来た方へカラコロとやがて横町の闇に消えてしまった。気を呑まれた若者は白けた顔を見合わせておかしくもなく笑った。私は強い味方を持てる気強さと滝夜叉のように凄いほど美しいわがお鶴をたまらなく嬉しく懐かしく思ったのであったが待ち設けた人に逢われぬ本意なさにまだ崩れない集まりを抜けて帰った。
暗闇の多い坂上の屋敷町は、私をして若い女や子供が一人で夜歩きするとどこからか出て来て生き血を吸うという野衾の話を想い起させた。その話をして聞かせた乳母の里でも村一番の美しい娘が人に逢いたいとて闇夜に家を抜け出して鎮守の森で待っているうちに野衾に血を吸われて冷めたくなっていたそうだ。氷を踏むような自分の足音が冷え初めた夜の町に冴え渡るのを心細く聞くにつけ野衾が今にも出やしないかとビクビクしながら、一人で夜歩きをしたことをつくづく悔いたのであった。覆いかかった葉柳に蒼澄んだ瓦斯燈がうすぼんやりと照しているわが家の黒門は、固くしまって扉に打った鉄鋲が魔物のように睨んでいた。私は重い潜戸をどうしてはいることが出来たのだったろう。明るい玄関の格子戸から家の内へ馳け込むと中の間から飛んで出て来た乳母はしっかりと私を抱き締めた。
「新様あなたはマアどこに今ごろまで遊んでいらっしゃったのです」
あれほど言っておくのになぜ町へ出るのかと幾度か繰り返して言い聞かせた後、
「もう二度と町っ子なんかとお遊びになるんじゃありません乳母がお母様に叱られます」
と私の涙を誘うように掻き口説くので、いつも私が言うことをきかないと「もう乳母は里へ帰ってしまいます」と言うのが真実になりはしないかと思われて知らず知らずホロリとして来たが、
「新次や新次や」
と奥で呼んでいらっしゃるお母様のお声の方に私は馳け出して行った。
お屋敷の子と生まれた悲哀はしみじみと刻まれた。
「卑しい町の子と遊ぶと、いつの間にか自分も卑しい者になってしまってお父様のような偉い人にはなれません。これからはお母様の言うことを聞いてお家でお遊びなさい。それでも町の子と遊びたいなら、町の子にしてしまいます」
と言う母の誡めを厳かに聞かされてから私はまた掟の中に囚われていなければならなかった。しばらくは宅中に玩具箱をひっくり返して、数を尽して並べても「真田三代記」や「甲越軍談」の絵本を幼い手ぶりで彩っても、陰欝な家の空気は遊びたい盛りの坊ちゃんを長く捕えてはいられない。私はまた雑草をわけ木立の中を犬のように潜って崖端へ出て見はるかす町々の賑わいにはかなく憧憬れる子となった。
「なぜお屋敷の坊ちゃんは町っ子と遊んではいけないのだろう」
こう自分に尋ねて見たがどうしてもわからなかった。後年、この時分の、解きがたい謎を抱いて青空を流れる雲の行衛を見守った遣瀬ない心持が、水のように湧き出して私は物の哀れを知り初めるという少年のころに手飼いの金糸雀の籠の戸をあけて折からの秋の底までも藍を湛えた青空に二羽の小鳥を放してやったことがある。
崖に射す日光は日に日に弱って油を焦がすようだった蝉の音も次第に消えて行くと夏もやがて暮れ初めて草土手を吹く風はいとど堪えがたく悲哀を誘う。烈しかっただけに逝く夏は肉体の疲れからもかえって身に沁みて惜しまれる。木の葉も凋落する寂寥の秋が迫るにつれて癒しがたき傷手に冷え冷えと風の沁むように何ともわからないながらも、幼心に行きて帰らぬもののうら悲しさを私はしみじみと知ったように思われる。こうして秋を迎えた私ははかなくお鶴と別れなければならなかった。
ある日私は崖下の子供たちの声に誘われて母の誡めを破って柳屋の店先の縁台に母よりも懐かしかったお鶴の膝に抱かれた。
「なぜこのごろはちっとも来なかったの。私が嫌になったんだよ憎らしいねえ」
と柔かい頬を寄せ、
「私もう坊ちゃんに嫌われてつまらないから芸者の子になってしまうんだ」
と言ったお鶴の言葉はどんなに私を驚かしたろう。遠い下町の、華やかな淫らな街に売られて行くのを出世のように思って面白そうに嬉しそうにお鶴の話すのを私はどんなに悲しく聞いたろう。しかしそれも今は忘れようとしても忘れることの出来ない懐かしい思い出となってしまった。
お鶴はすでに、明日にも、買われて行くべき家に連れて行かれる身であった。そこは鉄道馬車に乗って三時間もかかって行く隅田川の辺りで一町内すっかり芸者屋で、芸者の子になるとおいしい物が食べられて、奇麗な着物は着たいほうだい、踊りを踊ったり、三味線を弾いたりして毎日賑やかに遊んでいられるのだとお鶴は言った。
「私もいい芸者になるから坊ちゃんも早く偉い人になって遊びに来ておくれ」
お鶴は明日の日の幸福を確く信じて疑わない顔をして言った。平生よりも一層はしゃいで苦のない声でよく笑った。
「今度遊びに行っていいかい」
と私が言ったのを、
「子供の癖に芸者が買えるかい」
と囃し立てた子供連にまじってお鶴のはれた声も笑った。そしていつもよりも早く帰えると言い出して別れ際に、
「私を忘れちゃ厭だよ、きっと偉い人になって遊びに来ておくれ」
と幾たびか頬擦りをしたあげくに野衾のように私の頬を強く強く吸った。「あばよ」と言って、蓮葉にカラコロと歩いて行く姿が瞭然と私に残った。
悄然と黒門の内に帰った私は二度とお鶴に逢う時がなかった。忘れることの出来ないお鶴について私の追想はあまりにしばしば繰り返えされたので、もう幼かった当時の私の心持をそのままに記すことは出来ないであろう。私は長じた後の日に彩った記憶だと知りながら、お鶴に別れた夕暮の私を懐かしいものとして忘れない。
「お鶴は行ってしまうのだ」
と思うと眼が霞んで何にも見えなくなって、今までにお鶴がささやいた断れ断れの言葉や、まだ残っている頬擦りや接吻の温かさ柔かさもすべて涙の中に溶けて行って私に残るものは悲哀ばかりかと思われる。堪えようとしても浮ぶ涙を紛らすために庭へ出て崖端に立った。「お鶴の家はどこだろう」傾く日ざしがわずかに残る、一様に黒い長屋造りの場末の町とてどうしてそれが見分けられよう。悲哀に満ちた胸を抱いてほしいままに町へも出られない掟と誡めとに縛られるお屋敷の子は明日にもお鶴が売られて行く遠い下町に限りも知らず憧がれた。「子供には買えないという芸者になるお鶴と一日も早く大人になって遊びたい」
見る見る落日の薄明も名残りなく消えて行けば、
「蛙が鳴いたから帰えろ帰えろ」
と子供の声も黄昏れて水底のように初秋の夕霧が流れ渡る町々にチラチラと灯[#ルビの「ともしび」は底本では「ともびし」]がともるとどこかで三味線の音が微かに聞え出した。ポツンポツンと絶え絶えに崖の上までも通う音色を私はどうしてもお鶴が弾くのだと思わないではいられなかった。そして何だかその絃に身も魂も誘われて行くようにいとせめて遣瀬ない思いが小さな胸に充分になった。「お鶴は行ってしまうのだ」「一人ぼっちになってしまうのだ」とうら悲しさに迫り来る夜の闇の中に泣き濡れて立っていた。
ふと私は木立を越した家の方で「新様新様」と呼ぶ女中の声に気がつくと始めて闇に取り巻かれうなだれて佇む自分を見出して夜の恐怖に襲われた。息も出来ないで夢中に木立を抜けた私は縁側から座敷へ馳け上ると突然端近に坐っていた母の懐にひしと縋って声も惜しまずに泣いた。涙が尽きるまで泣いた。
ああ思い出の懐かしさよ。大人になって、偉い人になって、遊びに行くと誓った私はお屋敷の子の悲哀を抱いて掟られ縛められわずかに過ぎし日を顧みて慰むのみである。お鶴はどこにいるのか知らないが過ぎし日のはかなき美しき追想に私はお鶴に別れた夕暮、母の懐に縋って涙を流した心持をば、悲しくも懐かしくも嬉しき思い出として二十歳の今日もしみじみと味わうことが出来るのである。
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