您现在的位置: 贯通日本 >> 作家 >> 水上 滝太郎 >> 正文

貝殻追放(かいがらついほう)013

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-10-27 9:30:14  点击:  切换到繁體中文


 その日以來先生は益々不安を感じ出した。中途でしてもいゝと云つて學校通ひを嫌つた時は、學校の難有味を説いて勉強するやうに忠告したが、忽ち彼が熱烈に學校生活を續け度いと夢中になつて來たのを見て、今度は學校も大したものではない、衣食足りてこそ藝術の製作も完全なものが出來るが、喰ふために書く事になれば文學勞働程悲慘なものは無く、作品も必ず儲け爲事の目的と墮落するに違ひ無い、殷鑑遠からず誰も彼も、其處にも此處にも濫作家がゐるではないか、それよりも一層方面違ひの事で衣食して、且つ藝術の製作に努力した方がましであらうと、もつともらしく勸め始めた。それには幸ひ先生自身が、會社員としての俸給で衣食し、同時に文學的創作に勉勵してゐる實例なので、繰返し繰返し納得させようと努めた。けれども實はうつかりした事を云つて、少年がその一家の者の意見に對抗して自己の希望を貫徹しようと夢中にでもなつた場合には、飛んだとばつちりを喰つて、その一家の人々と何等か面倒な交渉を惹き起しはしないか、それが第一に避け度かつたのだ。
「會社になんか行く位なら生きてる甲斐が無いわ。」
 少年は甘やかされて育つた者に限る我儘な調子でつぶやいた。
 けれども次に訪れて來た時は、彼は既にその亡父の爲事であつた或會社の社員にされてゐた。自分はそれを聞くと安心して云つた。
「お目出度う。勤人の生活も存外嫌では無いでせう。」
「イヤもう土臺つまりません。」
 彼は言下に先生のちやらつぽこを拒けてしまつた。
 會社で一緒に爲事をしてゐる大人の愚劣さを、少年は公事を憤る人の口ぶりで滅茶苦茶に嘲笑した。俸給の上つた話、諸會社の賞與の話、物の値段の話、たまに話題が變つたと思ふと、それは猥談に極まつてゐるといふのである。
 先生も亦かゝる周圍の中に暮してゐるのであるが、しかも擦れつからしの態度をとつて、人々を心中馬鹿にしながら尚且つ平氣で交際つきあつて行くのであつた。殊に先生は曾て少年の日に於ては目前の少年と同じく、藝術家の生活といふものを一種特別の高尚なものだと思ひ違へてあこがれた事もあつたが、つかず離れずの態度ではあるが何時いつかしら其の仲間にはいつて見ると、尊敬の的だつた藝術家といふものも、意外にも下劣卑賤な人間が多く、中には幇間たいこもちにも劣る連中を發見して忽ち愛想をつかしたのであつた。
「君が結構なものだと思つてゐる文士だつて、君が愚劣がる會社員と同じものですよ。」
 自分は例によつて少年の浪漫主義に水をさした。
 けれどもこれが必ずしも先生の臆病とばかりは云はれないのである。先生はほんとに自分の見聞の範圍内に於て、ほとほと文士といふものに愛想を盡かしてゐるのである。投書雜誌と交互になれ合つて、田舍の投書家に媚びる事を專門にする賣名專門の徒、黨同伐異を事とし、わけもわかりもしない癖に白痴脅こけおどかしの知つたかぶりで、一押二押三押で押の強味で横行してゐる輩、役人役者芝居者を取卷いて飮んでゐる連中、嫉妬深くて奸譎で、得手勝手で愚癡つぽく、數へれば數へる程面白くない卑賤民の仲間のかくいふ先生もその一人に過ぎないのであつた。
「文士なんて下等な人間が多ござんすぜ。」
 と云ふ時は他人を罵倒すると同時に、そんな人間と交際を持つ自分自身をも嘲笑する意氣込みが、不知不識にあらはれてゐるのであつた。
 何れにしても先生は、自分を先生々々と呼ぶ少年の前途を危ぶむとともに、その危なつかしい前途にかゝりあつては堪らないと思ふ念に惱まされる事が多かつた。
 或時少年は、先生が先生と呼ばれないで濟むかはりに、終日貸金の利息を勘定したり、諸拂の傳票に盲目判を押したりする會社員の生活をしてゐる事務室へ電話を掛けて來て、相談事があるから今夜行きますと云つて來た。こいつは困つたと思つてゐると、果して困つた問題を持つて來た。
 彼は度々繰返して愚痴を云つてゐた會社づとめの單調無味に堪へられなくなつて、如何しても學校にはいる決心をしたが、それには何處の學校がいいだらうと云ふのである。
「お母さんも同意したのですか。」
「私がそれ程熱心なら爲方が無いから大阪の家をたたんで、私の卒業する迄東京に住むと云うてなはります。」
 我儘者は凱歌を奏する態度で答へた。
 彼は文學書生の常例にもれず、早稻田大學の文科に入學し度いと希望してゐるのであるが、彼處あそこは風儀が惡いからいけないと身内の者に反對されたさうだ。何故彼が早稻田大學を擇んだかといふと、どんな雜誌を見ても執筆者の大多數はその學校の出身者で、數に於て到底他の學校出身の文士と比較にならない程有力であるから、將來自分が世に出るにも最も有利だらうと考へたのださうである。まことに恐るべきは頭數の勢力である。
「それでは慶應義塾がいいでせう。」
 と先生は曾てその學校で落第した事などを思ひ出しながら云つた。
「あそこは金ばかりつかうてる怠け者の學校だからいかんと云うてます。」
「成程ね。」
 先生は一言も無く參つてしまつて、感服する外に致し方がなかつた。
「それにあの學校からは餘り偉い文學者は出てゐませんだつしやろ。」
 少年の舌はなめらかに動いた。
「さう云へばさうだね。」
 あまりの事の激しさに、流石に先生も殘念に思つたが、りとていくら考へてみても、一流として許せるのは小説家では久保田万太郎氏、美術評論家では澤木梢氏を數へるばかりで、遙に下つたお次には先生自身位なものであるから、聲を高くして反對する勇氣は無かつた。たゞ負惜みもまぜて、平素自分の考へてゐる慶應義塾の特徴をぽつりぽつりと説いた。
「そりやァ便利な人間はあの學校からは出ないかもしれないが、そのかはり比較的素直な心持を持つているところがいいと思ふ。」
 と云ふのがその要旨であつた。
 少年は餘り感心もしない顏をして聞いて歸つたが、數日後に又やつて來た時は、前とは全く調子が變つて、愈々慶應義塾に入り度いから、甲種商業學校出の者でも入學出來るかどうかを確めて呉れと云つて來た。
 先生は又してもこれはしまつたと思ひながら、兎に角その學校に教鞭をとつてゐる友人にきいて見ようと約束した。
 考へてみると此前の時、少し慶應義塾をほめ過ぎたやうに思はれて後悔した。あれは少年が自分の母校を罵つたので、人情として些かせき込み過ぎたのと、もう一つは彼れが慶應に入るまいと思つて安心してゐたので、うつかり提灯を持つてしまつたのである。萬一彼が入學して、金ばかりつかう怠け者になられては、先生の立場として厄介だと考へると、どうしても甲種商業學校出身者には入學の資格を與へない方が合理的であるやうに思はれて來た。
 一週間後、友人から商業學校出では入學出來ないと囘答して來た時は、先生は大なる災厄を免れた氣持がして、平生の無精に似ず自ら少年の許へ電話を掛けてその旨を通じて、さうして始めて安心した。
 それから後しばらく、自分は會社の用事で地方へ旅行して歸つて來てからも、少年には成るべく會ひ度くないと思ひながら何時の間にか夏を迎へたのである。暑い暑い大阪の貧乏下宿の二階で汗を流して暮してゐると、豫て惱み勝だつた持病が堪へ難い容體になつて來た。それに船や車で旅をして來た事も、平素たしなむ酒の應報むくいもあつたのであらう、しまひには會社で机にむかつてゐるのが苦しくなつて來た程、病氣は加速度で進行した。たうとう我慢し切れなくなつて休暇を貰つて數日中に東京へ歸り、入院して治療を受けようと考へてゐた。
 ところへ、日曜の朝であつたが、家中の疊にさし込む強烈な夏の日光に、頭の先から足のさき迄汗を流して、いとど病氣の身をもてあましてゐると、突然少年がやつて來た。しかも彼は一人でなく、年配の婦人を伴つて來た。
「お母さんをつれて來ました。」
 と挨拶する迄も無く、一見して親子とわかる目鼻立の母親に面して、先生は愈々豫感してゐた迷惑な舞臺に身を置く事になつたのを感じた。
 雙方とも汗を拭き拭き挨拶を濟ますと、目の前の息子の先生の、意外にも若僧なのに驚いたと同時に安心したらしい母親は、そろそろ用件を語り出した。
 元來會社の爲事に熱心だつた父親の子に似ず、息子は商賣が嫌ひで學校時代には學校から歸つて[#「歸つて」は底本では「歸つと」]來ると、只今では會社から歸つて來ると、二階の自室に閉ぢ籠つて机に向つて本を讀むか書き物をしてゐる。
「こんな者に何が書けますものかとは存じますけれど。」
 と親らしい前置きをして、一體その息子の書く物によつて判斷すれば、將來文士として名を成す事が出來るか如何か先生の御意見を伺ひ度いといふのである。
「それは勉強次第でせう。」
 と先生は暑氣と病氣と、且は又迷惑な自分の地位に惱みながら責任のがれ專一に答へた。
「せめて新聞にでも出るやうな有名な人にでもなります事なら、當人の好きな事でもあり、爲方が無いとあきらめて、學校に通はせてもいいと思ひますが。」
 しつかりした口のきき方をする母親は、次第によつては曾て自分も其處で教育を受けた事のある東京に息子と共に家を構へて、その成業を待つてもいいといふのであつた。
 先生は事の餘りに大がかりなのに吃驚びつくりしたと同時に、愈々自分の責任の重い事と迷惑の大きい事を痛感した。
「默つて會社に勤めて居りますれば、末始終すゑしじゆうは間違ひ無く相當な地位にのぼる事も出來ますのですが文學と申せば先づ風流な事でございますから。」
 第一學校に通はせるにしても月々多額の出費だし、將來存外成功したにしても、なかなかお金にはなるまいといふのが、親として最もあやぶむ理由に外ならなかつた。
「お母さんは又金々ばかり云うて、金なんかいくらあつたかてあかん。」
 息子は苛々した調子で、默つてゐる先生の態度を頼母しくなく思つたらしく、傍から横槍を入れた。
「けれども文學者だつて喰べなくては生きて行かれませんから、それは御心配になるのがもつともです。」
 と先生は母親に向つて調子を合せた。
「ごらんなさい、貴方樣もさうおつしやるではないか。」
 母親は勢に乘つて息子の不平を抑へつけてから、或る知人の子は東京帝國大學の哲學科を出て年三十にして未だ親の脛を噛つてゐる事、或る知人の息子は慶應義塾に通つてゐて月々莫大な金を費消してゐる事、それからそれと實例を擧げて、學問殊に文學の儲けの少い事、大概はマイナスになる事、及び東京へ遊學に出す事の出費と危險を雄辯に説いた。聞いてゐるうちに先生は自分自身が意見をされてゐるのではないかと疑つた程、諄諄と聞かされたのである。
「お母さんなんかに何がわかるもんか。」
 息子は聞くに堪へないらしく、面をあかくして母親を叱したが、さういふ時には先生が必ず母親の味方になつて、
「それは考へてみれば學校に長く通つたつて無駄な事かもしれません。勉強しようと思へば一人でも勉強は出來るのですから。」
 などと頼みにならない事を云ふのであつた。先生は實際平然として應對している樣子は見せながら、心中甚だ困却してゐたのである。可愛い息子の好きな事なら、好勝手すきかつてにさせてやればいいのにと思ひもし、可愛いからこそ息子の將來を心配して、やきもき氣をもみもするのだと、息子にも同情し、母親にも同情した。同時に又、二言目ふたことめにはお金がかかるお金がかかると云ひ、藝術の作品を金錢に計量しなくては承知しない母親の態度にもあきたらず、こんな迷惑な地位に自分をおとしいれ、前觸れもなしに母親なぞを引張つて來た息子の世間見ずの我儘なぼんぼんづらも面憎かつた。
 さはさりながら此の場合、先生が專念に祈つたのは、自分自身がかかりあひになる面倒を避ける事であつたから、その爲めには是が非でも母親側につく方が利益だと考へたのは勿論である。
「まあひとつ會社で出世して、その間に實世間の經驗を積むのも、作家となる上から見ていい事かもしれませんよ。」
 と悄氣しよげてゐる少年に對して、實業家と稱される種類の人間の屡々口癖にいふやうなせりふ迄口の外に出した。
「ではまあ宅に歸りまして、又當人の決心も聞きました上、改めて御相談に伺ひます。」
 と永い時間の對座の後、母親は坐り直して手をついた。
「貴方樣もああおつしやるのだから、貴方もとつくり思案して見なさい。」
 と先生の頼み甲斐無いのに氣の拔けた息子にいひきかせて、
「まことにお邪魔致しました。」
 と頭を下げると、母は子をうながして歸つて行つた。
 先生はホツト一息ついて、額から胸から流れる汗にぐつしより濡れた單衣ひとへの氣持惡く肌に絡みついた體を崩し、親子が立際に置いて行つた大きな菓子折を目の前にして、つくづくと自分の年をとつた事を感じたのである。(大正七年十二月十三日)

――「三田文學」大正八年一月號





底本:「水上瀧太郎全集 九卷」岩波書店
   1940(昭和15)年12月15日発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:柳田節
校正:門田裕志
2005年1月17日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。




●表記について
  • このファイルは W3C 勧告 XHTML1.1 にそった形式で作成されています。
  • [#…]は、入力者による注を表す記号です。
  • 「くの字点」は「/\」で、「濁点付きくの字点」は「/″\」で表しました。
  • 「くの字点」をのぞくJIS X 0213にある文字は、画像化して埋め込みました。

上一页  [1] [2]  尾页


 

作家录入:贯通日本语    责任编辑:贯通日本语 

  • 上一篇作家:

  • 下一篇作家:
  •  
     
     
    网友评论:(只显示最新10条。评论内容只代表网友观点,与本站立场无关!)
     

    没有任何图片作家

    广告

    广告