或日曜の朝の事であつた。寢坊をした床の中でぼんやりして、起きようか寢てゐようか迷ひながら、枕頭の火鉢の上の鐵瓶の口から、さかんに立昇る湯氣を見てゐるところに、こまつちやくれの下宿の小婢が、來客のある事を告げに來た。その取次いだ名前が昔の學校友達のそれと同一だつたので、自分は一緒に惡戲つ子だつた中學時代の友達の、今川燒のやうにまあるく平べつたくて、しかもぶよぶよしてゐた顏中を想ひ出しながら、狼狽てて飛起きて洗面場に馳けて行つた。
身じまひをして、玄關に出て見ると、其處にはまだ十八九の見馴れない少年が一人ゐるばかりだつた。側に立つてゐる小婢に、
「お客は。」
と訊くと、
「そのお方です。」
と指差した。
「先生ですか。」
少年は意外だつたといふ表情を包まずに、此方を見上げてから帽子を取つて頭をさげた。
「お上んなさい。」
先生と呼びかけられた自分を、けげんさうに見守つてゐる小婢の目を避けるやうに、心中少し狼狽しながら、さつさと先に立つて自分の室に少年を導いた。先生と呼ばれた丈で、何の爲めに此の少年が自分を訪問したか、彼が如何なる種類の人間であるかが直感された。自分は寧ろ不機嫌で、相手の態度を見守つた。
少年は一見不良少年らしい沈着さで、初對面の年長者の前で、惡びれもしずに煙草をふかしたが、紺がすりの着物に紺がすりの羽織で、海老茶の毛糸で編んだ羽織の紐が如何にも子供らしかつた。
「私を訊ねて來たのは如何いふ御用です。」
と自分の方から切出した。
「實は朝日新聞の○○さんが、先生を紹介してやらうと云うて下さつたので……」
「○○さん?」
自分はいくら考へてもそんな人は知らなかつた。
少年の云ふところに據ると、○○といふのは大阪朝日新聞の社會部の記者であるが、少年が文學に熱中して、文學談ばかり持ちかけるので、それでは此頃大阪に來てゐる水上に紹介してやらうと云つて、下宿の所在迄教へて呉れたのださうだ。どうしても自分にはそんな知己は無いので、腑に落ちない話だつたが、例の新聞記者一流の出たらめをやつたんだなと思つて苦笑するより他に爲方が無かつた。
時に甚だしく口の重い事のある自分に對して、訪問者もはか/″\しく口をきかず、次第に手持無沙汰らしく見えて來るので、無理に何か話材をこしらへても、相手は兎角簡短な應答をするばかりで、且つ最初は不良少年かと思つた程無遠慮な態度に似ず、返事をする時は羞しさうにさへ見えるのであつた。
彼はその頃甲種商業學校の五年生で、目の前に卒業試驗を控へてゐた。
「學校はいやでいやで適はん。」
と駄々子の物言ひをして、文學以外の學課に興味が無く、卒業出來るかどうかもわからないといふ意味の事を云つた。
父親は死んでしまつたけれど、その父が生前殘した事業があつて、母親は學校を卒業すると同時に其處で働かせるつもりでゐる。彼は學校なんか今日からでもやめて、小説の作家になり度いのであつた。
「學校なんぞは役にたちませんなァ。」
と少年は少し雄辯になつて、自分の同感を求めた。
聽いてゐるうちに自分の目の前には、その少年の年頃の自分自身の姿が浮んで來た。學課は怠けて運動場を馳り、文學書以外には殆ど何も本は讀まず、一ヶ月の缺席數は出席數よりも遙かに多く、落第に落第の續いた時代である。自分には苦も無く目前の少年の心持になり切る事が出來た。けれども自分は夙の昔臆病な大人になつてゐるので、相手の一本調子にうつかり相槌は打てないぞと、腹の中で、油斷のない狡猾な注意を忘れなかつた。
「けれどもね、矢張り學校は續けてやつた方がよござんすよ。」
自分は學校では別段小説家に特に必要な智識を與へては呉れないにしても、學問の根柢があると此の世の中を知る上に深みを増すに違ひ無いなどゝ、もつともらしい顏付をして云つた。
少年は「金色夜叉」を幾度も幾度も愛讀した事を話し、「蒲團」に感心した話をし、谷崎潤一郎氏の作品を好む事を話し、曾て友人と小遣を出しあつて雜誌を發行し、創作を發表した事を話した。その癖時々思ひ切つて愚劣な質問をして先生を困らせた。
「一體新聞小説家になる方がいいでせうか。」
などと眞顏で訊きもした。
「それで滿足してゐられればね。」
少し中腹で返事をしても、彼には通じないところがあつた。
話をしてゐる中に、最初不良少年かと思つた程無遠慮に見えたのも、口のきき方のぞんざいなのも、要するに彼がぼんぼんだからだと解つて來た。女の姉妹はあるが男は一人きりだといふ彼は、父母の懷に甘つたれて育つたに違ひない。さう思つた時、自分は我儘らしい少年の態度を是認した。
元來未見の人に逢ふのを好まない自分は、たまたま知らない人に面會を求められるのを、何よりも迷惑な出來事の一に數へてゐる。
紹介も無しに突然人を訪れるのは新聞記者か雜誌記者に多いが、行儀が惡く、人擦れてゐて、且つ他人の迷惑には頓着しない點に於て、世に所謂文學書生も新聞記者に劣らない者である。
自分は平素貴下の作品を愛讀してゐるものであるが、一度親しく謦咳に接して御高見を拜聽し度いといふやうな申出は、難有迷惑な次第には違ひ無いが、たとへ斷るにしても叮嚀に斷るべき筋合であらう。手酷しいのになると、自分は「文章世界」の投書家で、田山花袋氏選の懸賞募集文に幾囘か當選した前途有望の青年であるが、物質的窮乏に壓迫されて、自由に才能を延ばす事が出來ないから、どうか先生と同居させて下さいなどと、一時間も二時間も坐り込んでゐて動かないのがある。さういふ連中に比べて、此の少年の邪氣の無い態度は自分をして餘り苛々させなかつた。
長い間兎角途絶え勝ではあつたが、何とまとまつた事も無く、いろんな話をした後で、
「どうか此の次には私の書いた小説を持つて來ますから直して下さい。」
と云つて少年は歸つて行つた。
それ以來自分を先生々々と呼ぶ少年は度々訪れて來るやうになつた。
幾篇かの小説の原稿を持つて來て見せもした。極端に幼稚拙劣な字で書いた假名づかひも文法も滅茶々々の文章で綴つた小説で、隨分讀みにくいものであつたが、多分飜譯物で覺え込んだらしい直譯體に近い形容や句切りが、全く類の無い文體を形成して、噛みしめてゐると存外味が出て來るのであつた。題材はぼんぼんに似合はず苦勞人の見た世の中らしく、かなり深刻に觀察して、一種重苦しい氣分を起させるやうなものが多かつた。谷崎潤一郎氏の華々しい小説を愛讀すると云ひながら、彼自身の作風はどつちかと云へば自然派の物に近かつた。その文章の亂雜な通り、一篇の結構も緊縮を缺いてだらだらしているが、その癖妙に力の籠つたところがあつて、割合に大まかな味はひを持つて居るのであつた。自分はそれらの小説を讀んで上手いとも下手いとも決める事が出來なかつた。
「是非批評して下さい。」
と膝を進ませる相手に對して、
「面白いには面白いけれど、隨分文字や假名づかひは亂暴だね。」
などと當らず觸らずの事を云ふより他に爲方がなかつた。
「字なんかどないだつて構やせん。」
少年は自信のある口をきいて、飽迄も字づかひなどは念頭に浮べず、間違ひだらけの儘で押し通した。
書上げると直ぐに持つて來て見せる小説を讀んでゐるうちに、自分は面白い發見をした。それは彼の作品の何れにも必ず或エロテイツクな場面の出て來る事である。學校教員の生活を描いても、會社員の生活を描いても、何かしら性慾の壓迫から起る事件を結び付けなくては承知しなかつた。「蒲團」を愛讀し、谷崎氏の作品を愛好する理由が、初めて自分にも解つた氣がした。
氣が附いて見ると、彼は曾て一度も、エロテイツクな場面を持たない小説をほめた事が無い。少くとも所謂無戀愛小説は讀む氣にもならないらしい。「海上日記」以來まるつきり戀愛小説に縁の遠くなつた自分の如きは、面とむかつて攻撃された。
「先生の物は昔の方がよろしいな。」
とも云ひ、
「何かもつと濃厚な物を書いたらどうですか。」
とも云つた。
少し邪推してみると、彼は屡々中學の文藝愛好家にみる如く、所謂文士の生活を、遊蕩と必然の關係のあるものとして憧憬してゐる傾向があつた。その文士の集まつてゐる東京では、年が年中寄合ひがあつて、賑かな生活をして居るものと推測してゐるらしかつた。恰も大阪の不良少年が、あの大阪式の言語道斷に俗惡な酒場で、毎晩々々給仕女を張つてゐるやうな生活をさへ、彼は藝術家の特權か何かと考へてゐるらしかつた。わざわざ變な服裝をするのも藝術家の一資格かと思ひ違へてゐるらしかつた。
從つて、物堅い家に育つた若者の服裝をして、酒場に入浸るよりも下宿に閉ぢ籠つて居る日の方が多いかくいふ先生の如きは、最初彼にとつて幻滅の感を抱かせたに違ひない。
自分は又しても大人の臆病心に襲はれて、機會さへあれば眞面目な顏付をして訓戒めいたことを口にした。若し彼の推測するやうに、文士といふものが酒と女にばかりかかりあつてゐたら、時間と精力を消耗して創作なんか出來なくなるに違ひ無い。第一流の作家の現在營んでゐる生活は極めて眞面目なもので、たとへその作品には遊蕩の巷を描いてばかり居る人も、必ずしもぬらくら遊んでゐるものではない。偉い作家に限つて到底想像もつかない程勉強家であるなどと繰返して云つた。さういふ時に、自分は一種くすぐつたい心持と、冷汗を覺えながらも、此の少年の素行に間違ひの起らない事ばかりを、主として自分自身を守る利己的な心持から念じてゐた。萬一彼が文藝即遊蕩ともいふべき興味から身を持ち崩されては、その母親や何かに對しても先生と呼ばれる立場として、申譯が無いと思ふいい子になりすまし度い心からであつた。
自分は最初から此の少年に先生々々と呼ばれる事に迷惑を感じてゐたが、次第にその迷惑の度を高めて、一種の輕い不安が絶えず少年の出現と共に自分を襲ふやうになつて來た。
たつた一人で散歩するのを好む自分は、馴れない大阪の市中を地圖を懷にして歩きつてゐたが、さうと知ると少年は、
「先生私が何處かに御案内しませうか。」
と云ふのであつた。
何處かに御案内するといふ言葉の意味を、自分は明瞭につかむ事が出來ないで、彼の心事を疑つたが、餘り勸めるので、
「それでは何處にでも連れて行つて呉れ給へ。」
と同意する事になつた。
「サア何處というて私もよくは知りませんけれど、平生私達の行く處でよろしいですか。」
と幾度も念を押した上で、彼は道頓堀の北河岸の西洋料理屋兼カフヱに自分を連れて行つた。
平生自分が、大阪特有の安音樂の絶間なく奏されてゐる酒場を、口を極めて罵倒してゐるので、
「此處は靜でよろしい。」
と案内者が自慢する通り、少し陰氣に思はれる程ひつそりした家だつた。
「今晩は、お久しうおまんな。」
とお白粉を塗つた給仕の女は少年を見て挨拶した。
「近頃は××は來ないか。」
「つい昨日も見えてでした。」
「△△は。」
彼は一緒に此の家に集る友達の名前を云つて訊いた。
餘り上等で無い料理を喰べながら、何か酒を飮むかと云ふと、
「強い酒でなければ醉はんからつまらん。」
と答へて、先生は麥酒を飮んでゐるのに、彼はアプサンを命じた。赤木桁平氏ではないけれども、此の少年を前にして自分は遊蕩文學撲滅論をしないでは安心してゐられない心持に惱まされた。
「勉強したまへ、勉強したまへ。」
自分は彼の顏を見る度に、眞面目に學校に通つて、眞面目に勉強するのが小説家となるにしても、第一である事を説いた。丁度昔、自分が此の少年の年頃に人々に云ひ聞かされた通りに。
春になつて、少年は無事に商業學校を卒業し、自分も大に安心した筈だつたが更に又新しい心配が何時の間にか頭を持上げて來てゐた。
「先生、私はどうしても續けて學校に通つて勉強せんとあかんと思ひます。」
彼は眞劍になつていた。
「そりやァ學校は續ける方がいいさ。」
自分は、あれ程學校を厭だ厭だと云つてゐた彼が、急に勉強心の出たのを不思議がりもせず、怠けて落第でもされては大變だと、ひどくびく/\してゐた後であるから、勉強し度いといふのに安心して一も二もなく贊成した。
「けれどもお母さんが許さんから。」
少年は殘念さうな口吻で云つた。その殘念さうな口吻に氣が附くと、こいつはしまつたと、自分はとつさに思つたのである。
母親は息子の卒業と同時に、直ぐにも亡き夫の殘した爲事に就かせようとし、親類も勿論同じ考へで、殊に少年が文士たらんとする志望を抱いてゐる事は、働くといふ事には必ず金錢の利得の伴ふものと思つてゐる人々の不安心の種であつた。
「金儲け金儲けばかり云うて、金なんぞ一文もいらんわ。」
ぼんぼんはぼんぼんらしい事を云つて、身内の大人達を罵つた。
「しかし文學では喰つて行かれませんよ。」
自分は又しても大事取りの大人の臆病風に誘はれて、少年の燃えさかる火の手を消さうとした。
「喰はれんかて構はん。」
ぼんぼんは愈々ぼんぼんになつて語氣も烈しく云ひ放つた。
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