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貝殻追放(かいがらついほう)012

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-10-27 9:27:04  点击:  切换到繁體中文


 自分は芥川氏の作品を餘り好まないが、しかしそのづばぬけた「技倆うで」の冴えには敬服してゐる。「奉教人の死」も亦勝れたる作品であると思つた。けれどもあの作品には、本間氏がいふやうな童話の味はひなどは皆無である。傳説の味はひさへ稀薄である。多分にある味はひは、傳説らしい材料を、近代的小説の悧巧な企畫プロツトに活かさうとする工風と、更にその工風をいかにして覆ひかくさんとしたかを示す、智的惡戲の興味である。其處が自分の芥川氏に對する不滿の點で、殊に「奉教人の死」第二節「予が所藏に關する、長崎耶蘇會出版の一書、題して『れげんだ・おれあ』といふ」以下の、此の物語の典據調べなどは最も惡いいたづらだと思ふ。「れげんだ・おれあ」といふ本の名はあるのかもしれないが、「奉教人の死」は少くとも芥川氏の創作であらう。若し萬一創作でなかつたにしても、「作者獨自の解釋と創意」はありあまる程あるのであつて、それに對して、作者の解釋と創意を求める批評家の存在する事は、やがて才人芥川氏のいたづらつ子らしい傾向を、いやが上にも助長するものに外ならない。芥川氏の惡戲の興味の爲めに本間氏の如き批評家の存在は祝すべきであるが、同時に芥川氏の如きいい「技倆うで」の作家の爲めに、そんな惡戲の滿足を喜ばせて置くのは面白くない。
 自分は二人とも見た事は無いのだけれど、芥川氏の人の惡い微笑を浮べた顏と、本間氏の眞面目がつてゐる顏を想ひ浮べて吹出し度くなつた。
「どうも失禮致しました。」
 と襖をあけて主婦が出て來たので、自分は何氣ない顏をして新聞をたたんだ。
「隨分御退屈でしたでせう。」
「いいえ、新聞を拜見してゐました。」
「さうさう、主人がさう云つてましたよ、今朝の新聞に貴方のお書きになつたものの批評が出て居ますつてね。」
「エエ、今それを讀んでゐたんです。」
「いかがです、評判はいいんですか。」
「イイエ、不相變叱られてゐるんです。」
「なんですか主人あるじは自分の事かなんぞのやうにぷんぷん云つてましたよ。こんな批評を書いてゐても原稿料が取れるんだから文學者は樂だねなんて。」
「だつて私の小説にさへ原稿料を拂ふんですもの。」
 自分は主婦の氣持のいい顏付と、齒切のいい言葉を聞いて、輕い氣分になつて笑つた。
「どうも難有うございました。時間ですから芝居の方に行きませう。」
「面白いんですかしら。評判はいいやうですね。」
「評判て新聞のでせう、あてになるもんですか。」
 自分は今の本間氏の批評から人を信用しない心持になつてゐたので、憎まれ口をききながら立上がつた。


 歌舞伎座に行くと、兄や嫂はもう來てゐて、自分が患部を氣にして妙な格好で横坐りに坐ると、直ぐに幕が開いた。
 まるまると肥つた松井須磨子の山姫が金髮をくしけづりながら、目の前の蜂にいけぞんざいな口をきいて居る。誰だつたか忘れたが、松井須磨子の豐滿な肉體の極めて肉感的な事を讚美した文筆の士があつた。たしかに近代的好色男すきものの心をそそる肉體であらう。太い首から、山國産らしい肩の形、づんぐりした胴、豐かにまあるいお尻などは、病的な浮世繪や草艸紙の美人の弱々しさを嫌ふ現代の油繪畫家も喜ぶ姿態かもしれない。不幸にしてその姫が山姫ラウテンデラインといふよりも場末の酒場舞踏場カバレに出る踊子か、日本でいへば酌婦のやうに思はれたのである。困つた事には足に坐り癖がついてゐて、うすぎぬばかりの曲線の際立つ姿で腰かけてゐると、自然と内輪に曲つてゐて怖ろしく醜くかつた。しかも山姫の無邪氣さを見せる爲めか、子供のやうにばたつかせる足の位置が、揃へて前に投げ出せばいゝのに、兩方に開いてゐるので、愈々酌婦めいた淫猥な格好になつた。
 自分は新しい戲曲の爲めに冷汗を覺えてゐると、
「これは非道ひどい。」
 と兄は低い聲でつぶやいた。教養のある紳士が、何かの機會で、婦人の見るべからざる姿態を見せられた時につぶやくやうな、困つて赤面したやうな兄の樣子を見て、自分は腋の下の汗を拭いた。
 口のきき方も山姫の無邪氣さには遠く、蓮葉はすつぱ娘が甘やかしはうだいの母親の前でだだをこねてゐるやうであつた。
 やがて歌をうたつた。小學生の生徒が「螢の光、窓の雪」と歌ふやうに、極めて單純にうたつた。
 やがて踊つた。忘年會でかつぽれを踊る會社員よりも危ない足どりだつた。
 自分は兄と顏を見合せて苦笑した。
 言ふ忽れ、又しても外形の美醜によつて判斷するものと。自分が此の時の不愉快は、屡々泰西の戲曲を演じる松井須磨子は、何故にもつと歐米人の姿態――身ぶり、手ぶり、足ぶりを研究しないか、カチュウシヤの歌をうたひ、さすらひの歌をうたひ、更に山姫の歌をうたふ松井須磨子は、何故にほんたうに聲の出るやうに正式の聲樂の練習をつまないのか。何故に西洋舞踏の初歩位はもう少し正確に學ばないのか。餘りに無反省なその心事を不愉快に思つたのである。
 人々は山姫のくるくる※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)りながら踊るのを見て、その足のぶざまに太いのを指さして笑つたが、その足のぶざまに太いのは許せるけれども、その踊りの餘り極端なる拙劣さは許されない。少くとも足の形をよくする事は不可能に近いが、舞踏は勉強次第で或點迄の進歩は期し得るのである。
 森の精ワルドシュラアトの無邪氣らしくいい氣なのは左程でもなかつたが、池の精ニツケルマンのお神樂の素盞嗚尊のやうな風をして、その癖妙に村の色男らしい塗りつぶした顏で、ものを言はない時でも年中變てこに口を開いてゐる氣取つた、いゝ氣持さうなのは、見るに堪へなかつた。
 鑄鐘師いものしハインリツヒは新派の色男のせりふ※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)しで悲劇がり、牧師、教師、散髮屋は曾我迺家の身ぶりでふざけた。
 その「外形」の醜さは明白であるが、此の人々に「沈鐘」が了解されてゐるとは、如何に新劇贔負の自分にも思ひも及ばない事であつた。あらゆる點に於て不勉強である。無責任無反省で、且つ自慢さうに演じてゐるのが氣に喰はなかつた。
「自由劇場」の役者達は、雜誌新聞に衆をたのんで筆陣を張る頭腦あたまの惡い派に云はせると、「藝術座」などの役者達に比べて本來理解力の少ないものと看做され勝であつたが、頭腦のいい惡いといふ事は學校に通つた年限の長い短いで決まるわけではない。小學校もろくに出ないやうな「自由劇場」の役者は遙かに勝れたる理解力を示した。加之おまけにあの役者達は、手馴れない泰西の戲曲を演じる事に對して異常な覺悟を持つてゐた。少くともその戲曲を尊敬し、且つ忠實に演じようとする努力から固くなり過ぎた程敬虔であつた。
 ひと頃「有樂座」でやつてゐた「土曜劇場」の下手な連中さへ、自分には「藝術座」よりも立派なものだつたやうに考へられる。額に汗を流し流し、聲をふりしぼつてゐたの一派は、屡々面白いものを見せてくれた。要之えうするにそれは「外形」の美醜によつてわかつべき優劣ではなくて、精神的の美醜によつて定まる優劣である。無責任にいい氣な役者は、眞摯な役者にはかなはないのだ。
 自分は役者達の態度に不滿を感じると同時に、その指導者に對しても不滿だつた。
 自分は松井須磨子を所謂新しい女優の中では、他の者に比べて段違ひにうまいと思つてゐて、指導さへよかつたら、もつといい芝居をして見せてくれる人だと信じてゐる。けれども須磨子の柄から云つても、藝風から云つても、決して「沈鐘」を演ずべきではなく、もつと寫實的な戲曲に向く人であると斷言してもいい。何故わざわざ柄に無い「沈鐘」を選んで「藝術座の女皇」に演じさせようとしたのか。或人々は島村抱月氏が妻子を捨てて須磨子とくつついた事實から「沈鐘」を選んだのだと噂するが、そんな評判は信じたく無い。恐らくは「藝術座」の連中の向不見むかうみずの結果なのであらう。
 けれども開場以來一週間に近いその日さへ、入りは八分迄あつた。「自由劇場」も「土曜劇場」も、その他の劇團の多くも息をひそめてしまつたのに、兎にも角にも「藝術座」は、ひとり帝都の大劇場で客を呼んでゐるのは、原因が無くてはならない。
 自分などが餘りに無責任、無教練なうたひぶりに冷汗を覺えてゐる隣の棧敷では、新橋邊の生意氣さうな若い藝者を引連れてゐる成金らしい五十男が、
「須磨子の聲はええなあ。」
 と感に堪へてゐるのだから、或は正直に感服して見てゐる多數があるのかもしれないけれど、それよりもその人々を感服させる何か特別の原因があるのに違ひない。
「よくこんな芝居でも見に來る人があるね。河合のためかしら。」
 兄はいぶかしさうに場内を見※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)したが、自分は答へる事が出來なかつた。
 二幕目、三幕目、四幕目、さうして最後の幕が濟んだ時に、自分は此の見てゐても恥しい戲曲の終りを喜ぶ安心と共に「藝術座」の強味を認め得た。それは向不見の強味である。自分が罵倒したくて堪らない無責任そのものの強味である。さうだ。藝術的良心の無い強味だ。無鐵砲の強味だ。
 勿論それは眞の強味ではない。しかし少くとも、ともすれば現在を支配しようとする強味である。藝術的良心の強い者が、ああでも無い、かうでも無いと思ひ惱み、手も足も出なくなり勝な時に、何等顧慮する事なく、馬車馬の勢を以て驅け出すのだ。實に此の無反省の強味は、現代の政治にも、事業界にも、文壇にも、歴々として現れてゐる。怖ろしいと思つた時、自分は本間久雄氏の存在を想ひ起した。
「いかがでございます、只今のは。」
 お茶を持つて來た出方は、愛想のいい顏をつき出してきいた。
「あんまり感心しなかつたよ。」
「なんですか手前どもには、からつきしわからねえんですが、兎に角歌舞伎座のものぢやございませんや。」
 と一人で眉をあげて罵倒したが、
「まづ山の手のものでございませうなあ。」
 と云ひ得て嬉しいと云つた顏付で立ち去つた。
 自分はふだんならば、こんな月並な江戸がりは嫌ひなんだが、その時は味方を得たやうな氣がして一緒に痛快がつた。それは確かに弱者の聲であらう。吠えられて逃げてゆく犬の悲しい叫びであらう。後から群つて追ひ迫る野良犬の一匹々々別々ならば怖ろしくもないのだが、密集してゐる力の塊にはなみなみのものではかなはない。素早く横町に姿をかくす育のいい犬の聲にちがひない。
 さうだ。文壇も劇壇も、たとへ根柢の無い勢力ではあらうけれど、ほしいままに跋扈してゐるのは向不見の強味を持つ徒輩ともがらである。一人々々數へると、田圃の稻子いなごに過ぎないけれど、密集して來る時の力は怖ろしい。しかし自分は吠えながら逃げる犬を學ぶのはよさう。噛み殺される迄鬪つてみよう。構ふもんか、こつちも少しは向不見でやつつけろ、と思つた時、自分は既に大なる群衆の前に石つぶてを浴びてゐる心持がして額に血の上るのを感じた。(大正七年九月廿四日)

――「三田文學」大正七年十月號・十一月號





底本:「水上瀧太郎全集 九卷」岩波書店
   1940(昭和15)年12月15日発行
入力:柳田節
校正:門田裕志
2005年1月17日作成
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