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道(みち)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-10-26 17:07:42  点击:  切换到繁體中文


        十

 けれども私は知つてゐます、あの人は決して心から私を貶しめてゐるのではないといふ事を。それはあの人が遠慮がなくなつてゐるといふ事だつたのです。ですから、私はいつもそんな時には笑つてゐました。またさうした場合、あなたが惡いとはいはれる事よりは、どれだけ自分がいけない者になつてゐた方が、私には嬉しく氣持のいゝ事だつたか知れないのですから。
 Aはあとでよくさう言ひました。
『僕はいつも何かつていふと沼尾君の肩をもつて、お光さんを惡くするやうだが、といつて僕にはそんなにお光さんが惡いとは思へないんだ。たゞどうしてもその場合は沼尾君の方をたてなけりやわるいやうな氣がしてしまふんです。』
 さうしてなほ低くつけ加へます。『僕は、たとへ少し位お光さんが惡くても憎めないやうな氣がする!』
 女といふ小鳥位愛さるゝ事の好きなものはありません、たとへそれが唯一人の自分の飼主からでなくても。さうしてまた彼女は、自分を愛する愛について甚だ敏感であり、かつ自由であります。
 私はAが私を愛してるとまでは思はなかつたけれど、私を好いてる事だけはよく承知してゐました。そしてこの事は、あなたが私を深く愛してゐるとはどうしても思ひ切れなかつたに對し、はつきりと感じられるだけに私に氣持のいゝ事でした。けれども、その事は何も私が自分の心にある制限を加へ、または用心をしなければならぬ程危險な事では決してありませんでした。私は極めて自然に自分の心に從つてあの人に對しました。それはある時は姉の如く、また妹の如く、時には男同志の友達のやうな心であの人を見ました。
 けれどもたゞ一つ不思議だつたのは、あなたと共に三人でゐるよりも、Aと私とたゞ二人でゐる時の方が、より心持が自然であり、樂であつた事です。といつて、私達は何も別に人に聞かれては耻かしいやうな話をし交したわけでもなく、
『まあ、羽織の袖口が綻びてるわ、縫つてあげませうね。』などゝ言つて、針箱などを私は持ち出したりするのでした。
『ねえAさん この頃せいちやんはどうして?』
 この質問は大抵一度私の口から出ました。それは、私達が東京を留守にした間に、彼に出來た戀人の名前で、彼がモデル女の中から發見したしほらしい少女だつたのです。私は一度彼の描いた肖像でその少女を見ました。それに依ると、どこか寂しいところはあるけれども、丸ぽちやな顏立の憎氣のない、さうした境遇のまだしみ切らぬある清さを殘してゐるやうな娘でした。
『どうしてつて、やつぱり方々に雇はれてゐますよ、その事を考へると僕は實にたまらない!』
 彼は心が痛むやうに頭を掴み、『僕にはまだあの女を、さうした屈辱の境遇から救ひ出す程の力もないんです。今にとは思つてるんだけれど……一體あいつの母親が惡黨なんだ!』

        十一

『ほんとに、早くどうにかしてあげたいのねえ。』と、私は彼のいら立つて來る神經を抑へるやうに心を遣ひながら、『今度私の家にあそびに連れてらつしやらない[#「らつしやらない」は底本では「らつしやうない」]?』
『ありがたう。この間僕お光さんの話をしてやつたら、大變あなたに逢ひたがつてゐましたよ。』
 それから二人はしばらく彼女の話をするのです。あの人は大層その女を愛してゐるやうでした、そして愛する故の遣瀬なさを、よく私に打ち明けました。私も一所になつてその貧しい少女のために心を勞してました、こんな時に、私は實際あの人の姉さんでもあるやうな氣持になつて、忠告したり、世話を燒いたりするのでした。あの人もまたそれを一向不思議ともせずによく服從してゐました。
 さうかと思ふと、ある時はまた、私がいろんなあなたの話をあの人にするのです。
『私の先生レエラアがね……』と、私は始めます。私はあなたをあの人の前にさう呼んでゐたのです、それは私があなたから獨逸語をおそはつてるのから出た言葉で、私は自分で出したこの言葉が非常にすきでした。なぜかといふのに、なかなか覺えないで、あなたから叱られたり、時たまには煽てられたり、ほめられたりして、あなたの前に小さな生徒となつてゐる事が、私にはひどく嬉しかつたからなんでせう。[#「からなんでせう。」は底本では「かなんでせう。ら」]
 その私の先生レエラアの話が出る時には、あの人はまた私の同情者となり兄となつて、その觀察點から私に同意を與へてくれました。Aはまた私を通じて間接にあなたを愛し、また信頼の心をも持つてゐました。私はそれによつて慰められ、勵まされ、さうして彼との談笑の中に、何となく心が足りるのを覺えたのでした。
 中でも一番私の心を惹いたのは、あの人の物事に對する燒くやうな追求力で、それは彼の藝術に於て、はたまたその戀愛に於て、常に烈しく燃えてゐるその性情でした。それはあなたの深山の水のやうな靜さに比較する時、私の心にはあまりに強烈に反映しましたけれど、またそこに知らず識らず私を引いて行くあるものが潜んでゐました。殊にあの人が自分の藝術と良心について熱心に語る時、私も共に心を躍し、人世に對する邁進の力に滿ちて己の生活を振り返つて見るのでした。
 けれども、私は決してあなたを忘れてしまつたわけではなかつた。それはいかなる場合にも、あなたの片影をも殘さず私の心から、また肉體から削り取つてしまふ事はできなかつたのですから。しかもさうした精神の緊張の場合に、私は最もまじり氣のない心をもつて、あなたを愛さうとの念に燃えたのでした、さうして一散に私の心はあなたへと走せかへります。
 私は彼より亨けた興奮をそゝいで兩手をあなたの首に捲き、世界中に唯一人の最も親しい者としてあなたを痛感するのを快く味はうのでした。
 かくてあなたと私とAと、この三人の關係は、常に三角形をなして、互に關聯しあひました。

        十二

 しめやかに降る雨も、もういかにも秋のものらしい、まだ早いではないかと心細く呟き眺められるけれど、病後の身にしみる何とないつめたさは、やつぱり默つてそれを是認してしまふ。山の奧には秋も早く來るものと見えます、それでは早く來るものは來よ、私はもう寂しさには慣れてしまつた!
 さて、私は漸くこゝまで、私達の遲々としたあゆみを辿つて來ました。更にもう一言、この現在までの間を補ふならば、私はあなたに相次いで病んだといふことです。
 去年のお正月、歌留多に夜更しをしたせいか風邪を引いて、風邪を引いたと思つて、私は一週間ばかり寢込みました。別にどこといつて痛いところもなかつたけれど、たゞ午後になると三十九度近くの熱が出て、そして頭が痛んだのでした。醫者も風邪だらうと言ひました。けれども殊によつたら、輕いチブスの初期かも知れないから、大事にして經過を見てみようと言ひました。けれども私は一週間經つて起き出してしまひました、熱はすつかり去つたわけではなかつたけれど、ひどい發熱さへなかつたら、氣分には別にかはりがなかつたからでした。
 それから間もなく、Aは毎日汚れたマントを着て、黒いソフトを冠つて私達の家に通つて來るやうになりました。それは、かねがね私の肖像を描きたいといつてゐた事を實現するためで、あなたはまたちようどその時分から、再びある書肆の編輯局に勤めるやうになつたのでした。
 私は相變らず元氣に振舞つてました。けれども、風邪がいつまでも尾をひいてゐるやうな氣持で、午後になると惡寒を覺え、やがては顏をまつ赤にして、頭が痛いと言ひ出すのでした。そして時々突發する抑へ難い咳を洩しました。
 それはある日の午後の事でした。私は例のやうに肘掛椅子に腰を下して、あの人の方へは幾らか體をはすかひにした、いつもの姿勢をとつてゐました。私は窓の障子にうつつてゐる木の枝に、時々小鳥の影がさすのを眺めながら、ふと妙にもの寂しい心になつて、一體その寂しさは何から來るのだらうと頻に考へ耽つてゐました。その中にだんだん足の先がつめたくなつて來て、それがだんだん強く、水でもかけられてるやうな感じになつて來た頃には、ぼうつと眼の下のあたりに熱味がのぼり、外から見たら多分それが櫻色になつてゐるのだらうといふやうな氣がされました。さうして瞬をすると、涙が含み出るほど眼球も熱してゐるのに氣がつくのでした。
 その時私は不意に一つ輕い咳をしました。そしてその僅にゆらめいた姿勢が整へられるか整へられぬ間に、續けざまに二つ三つまた咳き入りました。それで漸くすんだと思ふと、どうしたといふ調子なのでせう、私はたうとう肘掛に半身を崩してしまはなければならぬ程、後から後からと咳き入るのでした。私はあの人の方を見はしなかつたけれど、あの人がはじめは一寸筆をとめ、それからだんだん何かある事に氣がついたやうに立ち上つて、氣遣はしく私を眺めながらそこに立ち盡してゐるのを私は感じました。

        十三

 彼はたうとうパレツトを投げ捨てて私の方へ寄つて來ました。そして私の前に立ち、手は出しかねて、息をつめ、眉根に皺をよせて、ぢつと私が咳き入るのを眺めました。私が漸く落ちついてあの人の顏を見上げた時、あの人もまたぢつと私の眼を見入りました。そして明に何かを言はうとして、思ひ返したやうに口許を動しました。
 けれども、私はあの人のいたむやうな目付のうちに、その意を讀みました。
『あなた、傳染やられたのぢやありませんか?……』
 私はあの人の眼のその懸念に答へて、默つてしづかに笑ひました。
『いゝのよ。』
 恐らく、私の眼はかうその時あの人に答へてゐたでせう。
『今日はもうやめませうね。』
『いゝえ、構はないわ!』
『でも……』
『いゝのよ、もう少しやりませうよ。』
 私は遮るやうに彼をとめて、自分から再びもとの位置に體を置きかへました。私は實はそのまゝしづかにじつとして、彼の眼の質問について、自分でもよく考へて見たかつたのです。
 私達はまたしばらく仕事を續けました。日はもうかげつて、窓に映る木の影もなく、障子の棧の一つ一つに、私は思を手繰つては絡みつけました。
『もし果してさうだとしたら?……』
 けれども、不思議にも私の心はその事によつて少しも惑亂しないやうでした。ほんの一寸の間急速な皷動が心臟を襲うたやうであつたけれど、間もなく再び順調にかへり、やがて不自然な微笑が靜に私の唇にのぼつて來るのでした。
『いゝわ!』と、私はやつぱり自分の心に呟きました。それは決して投げやりな心からではなく、いはゞ子供のやうに簡單に、あなたと同じ状態にこの肉體がなるといふ事が、新奇な思ひがけない事であつたために、却つて嬉しいやうな氣を私に起させたのでした。
 併しAはもはやはじめのやうな忘我の境に自分を置く事ができなかつたと見え、間もなく仕事をよしてしまひました。私はいつものやうに彼が繪具箱を片づける間に紅茶を言ひつけて、それから私達は火鉢を圍みました。
 私は相變らず時々咳をしました。その度に彼は氣づかはしさうに、そして愛情をすらこめて私の顏を凝視するのでした。
『ほんとにお光さん、大事にしなけりやいけないな。』
 あの人は漸くたつた一言さう言ひました。けれども私はその深い意味に氣付かぬふりをして、いつもよりも機嫌よくあの人を送り出しました。
 翌日、私はあなたにも默つて、甞てあなたの通つてゐた呼吸器病專門のS病院へ診察をうけに參りました。そして二時間あまりの後には、右の肺尖加答兒といふ診斷を貰つて、別にしよげたやうな顏もせず、私はその門を出たのでした。飽くまでも空想ずきな私は、もしその時別に何でもないと醫者に言はれたならば、恐らく却つてある淡い失望を感じたことだつたのでせう。

        十四

 ちようど三角の一線が萎縮したやうな私の病氣は、絶えずある程度な距離をもつて交渉してゐたあなたやAを、急に自分に引き寄せてしまつたやうな觀を呈しました。
 自分が病んでどれほど健康の尊いかを知つてゐたあなたは、その健康の恢復を望む以外にすべての要求を私から去り、ともすれば自分自身の上にのみ向けやうとしてゐた注意を私の方へ轉回させ、さうしてそこに可憐なる者を發見し、自覺したる愛情をもつて私をいたはり助けました。
 その喜と幸福とを私が漸く贏ち得たときには、私は更に肋膜の方も侵されて、發熱や、不眠や、呼吸困難やのために横つてゐたのでした。けれども、私は初めて全身を擧げてあなたの腕に抱かれるやうな心安さと、精神の緊張と共にだんだんあなたの健康の恢復されて行くのを見る事とによつて、私はしかも樂に、寧ろ喜をさへ感じて自分の病氣を眺めたのでした。
 その時Aがまた急に私の心へ接近して來たことを、私はひそかに感じてゐました。これまであの人と私とは、別に申し合せこそしなかつたけれど、互にこゝより先へは一歩も踏み入れてならないといふ所まで來て、自由に敬愛し信頼してその交友を續けて來ました。さうして私も彼も、敢て一歩をその柵内に踏み入れやうとは決して願ひませんでした。それは却つて吾々の交友のをはりであり、これ以上を近づけば却つて離れ去らなければならぬのを、私達の良心はよく知つてゐました。けれども、病氣といふものはたまたま吾々の心をロマンチツクな傾向に導きます。殊にそれが肺病といふ時に於て、吾々はたやすく自分及び自分の周圍に、ある小説的な事件を空想したがるものでした。
 次の日記は、その後の私達の行動を、初めてあなたに語るでありませう。併しそれは別に日記として私が文字に記して置いたものではなく、私はただそれを明に心に記臆してゐます。今その記臆から、私が日記體としてそれを拔萃しようとするのは、その當時の情意をありのまゝにさらけ出したいからで、多少振り返つた形で書いてゐると、ともすれば自分を辯解し飾らうとする氣味が、知らず識らずの間に出て來るのを防ぐためです。それは私がこの手紙を書き出した動機や目的、または今のこの淨められた心に却つて背くものと思ひますから……
 たゞどうかあなた、私を赦して下さい!
『三月一日。何といふ早い月日だらう、それではもう私が寢ついてからひと月近くにもなるのだらうか。病院がよひがだんだん遠のいて――それは併しいゝ結果からではない、肋膜の水はだんだん私の心臟を壓迫して來る、息が苦しい。入院を申し込んでから五日にもなるけれど、まだ部屋のあいたといふ通知がない。そんなに世の中には病人が多いのだらうか? そしてそれらの人もやつぱりみんな私のやうにいろいろな目に遭ひ、いろいろな心を味つてゐることなのであらう。だけど私は別にもう心のこりなことがないやうな氣もする。相變らず熱は高い。なんだかAさんに逢ひたくつて端書を出す。』

        十五

『三月二日。昨日端書を出してからあの人に逢ひたいといふ自分の心持について考へて見た。逢ひたいといふやうな言葉は、沼尾に對して使ひたくないと思ふけれど、でもそれよりほかに言ひやうのない心持でもある。そしてまたなぜ逢ひたいといつたからつて、私の心はたゞ自然にそれを欲するといふよりほかは仕方がない。けれどもこれは危機ではなからうか? 少くも私達の危機の一歩ではなからうか? しかしこの心持は決して今に初めて味ふ心持ではない、そして私達は常に自分自身が穩であられた。……けれども、今私の心は、何かの來るべきものを豫知して、ゆかしき期待の前に恐れ戰いてゐる。一體何が私達の上に來るのであらう? 何を私の心は窺知し、感じてゐるのであらう?……私は考へたけれどもわからなかつた、たゞその何かを待つ如くに、彼が來るのを待つてゐる心持を知つたより外には……私は死ぬのではなからうか? そのためにかくすべてに滿足し、また執着しなければならないのかも知れぬ。もしそれが永遠なるものゝ導であるならば、私は少しもそれを悲しまぬであらう。たゞどうか、私共の上に落ち來るものが、一時の運命の惡戯ではあつてくれないやうに! けれども、私の心は刻々に、正しくある危きものを感じた、いかにしてもそれは、曾てない事であつた。
「神樣! 私は今日あの人を自分でここに呼びました。けれども今はなぜかそれが惡かつたやうな氣がしてゐます。私はどうしようと願ふのでもありません、たゞどうか私達をして今までの如くあらしめ下さい、何事もなくおすませになつて下さい!」
 私はさう遂に心に念じた。
 午後、彼は來た。私はその足音を聞いた時に、何となく胸が躍つた。けれどもふくやが取り次いだ時にはもう平靜にかへつてゐた。
「端書いつ着いて?」
「今朝。僕着くとすぐに出たんだけれど、一寸音羽に(彼の少女の所)寄つたもんだから……今日行くつて約束してたもんだから……」
「さう、ぢやあよかつたんですのに……」
 私はさうした約束のあつた彼を呼んだ事に就て、今更に羞恥を感じながら彼を見上げた。
「うゝん、もういゝの。」
 彼は別に心のこりなやうすもしてゐなかつた。そして枕許に坐つて、
「どう? 工合は。」と、いつものやうにじつと私の目に見入つた。
 その眼は、戀人とゆつくり逢へなかつた事に就いて、決して私に不平を言つてはゐなかつた。私はそれが嬉しいやうな氣がした、同時にまた怖いやうな氣もした。彼はまた別に、
「何か用事だつたの?」と、私に尋ねやうともしなかつた。それでは、彼もまた私と同じやうな氣持でゐるのだらうか、もしかしたらやつぱり彼も何かを私達のうちに感じてゐるのかも知れない。
 何だか氣味がわるい!
「早く入院したいと思ふんだけれど、なかなか室があかないんですつて。」
 私は極めて平凡な事を話さうと思つた。けれどもその努力は却つて私を不自然な状態に置いた。

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