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脱殻(ぬけがら)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-10-26 17:02:04  点击:  切换到繁體中文


「重い泥の中にはまつた心、それはいくら抜け出ようと悶躁もがいても足が動かない。だのに、あの人はたゞ、そこを出て来い、抜け出て来いと叱※(「口+它」、第3水準1-14-88)して居る。悲しむで居る。」
 私は黙るより外はなくなつてしまふ。
「一体泥とはなんだらう? 二人の生活?」
 そこに触るのは恐い。そしたらあの人は必とかういふ。「ぢや、別れよう!」
 私はそれが恐い。といつて、その言葉におどされる訳ではない。あの人にだつて、私とおんなじく別れるなどゝいふ意志が毛頭ないことを、私は何よりもようっく信じて居る。だけども、そんな問題に帰着して行くのが恐い。「ぢや別れよう!」といふ言葉が、私の心を解さないことの、最も甚だしいものとして私を寂しがらせるからである。
「では、私は一体どうして欲しいといふのだらう?」
 潜然さめざめと心が泣きながら、自分で自分に後指さしながら、たゞ目の前の充実を計る。あの人に甘える。さうしてあの人が、私と同じ心持に引下つて来ないといつてふくれる。泣く、笑ふ、さういふ異常な感情がたゞ私を慰める。私は自らその感情を高めて行くことに努める。
「ねえ、あなたねえ、あなたは今に必とね、第二の恋をしますよ。」と、私はふとこんなことを思ひ出して云ふ。
「どうして?」
「私とはまるで性格の違つた、私の持つてないものを持つてる、しをらしい、若い女に!」
「さうかも知れないね。」
 あの人は鼻のあたりにくすぐつたい笑ひを漂はせてる。すると、私は妙にそれが小憎らしく、また、訳のわからない嫉妬が芽ぐんで来る。
「もう、あるのかも知れないわ!」
「さうかも知れないよ。」
 すると、私はぐいとあの人の口をひねる。調戯からかはれるのだとは知りながら、それでも憎しみが力強く湧いて来る。
「あつたらどうするい?」
 あの人は面白がつて言ひ重ねる。
「その時には私にも考へがあるわ。」
「どんな考へ?」
 私はじいつと自分の心持を考へて見る。さういふ場合がほんとにあつたとしてみると、私はやつぱり腹たゝしい。うら佗びしくもある。
「いゝの。さうなつても仕方がないの、サアシヤがこんな女だから無理がないんだもの!」
 自ら自分に痛手を負はせることは、自ら見放したものに取つて一つの痛い快さである。私はすでにその場に置かれたかのやうに打萎れて、袂の先などをいぢつくつて[#「いぢつくつて」はママ]居る。
「実はね、可愛いのが一人あるんだよ。」と、わざと声を低めて、私の顔近く寄せていふあの人の頬を、不思議な憎しみに駆られて、私は思はずぴしやりと平手で打つ。そしてはつとして慄へるやうな心を、保護するやうにいつか涙が私のまぶたに出て居る。瞬くとはら/\と涙がこぼれる。思はぬ助けを得たやうに、私はその涙に頼つて、悲しさの甘い快さの中に溶け入らうと努める。
「馬鹿だね、自分から言ひ出したこつちやないか。嫉妬の快感を味はつてやがる!」
 何が今悲しいといふ訳もなく、悲しかつた記憶や、悲しからうと思ふ空想の中に、私はあとから/\と涙を見出して行く。
「嘘さあ、そんなことは嘘さあ。」と、慰めるやうなささやきがやがて聞える頃、私はあの人の膝につっぷして、かさ/\に乾いた胸を潤すやうな、涙の快さに浸つて居る。
「そんなにヒステリカルになつちや仕様がないぢやないか。もつと確りしなくちやあ。」と、あの人はなだめるやうに云ふ。だのに、私はしかもそれを望んで居る。男を困らせたり、足手纏ひになつたり、意気地がなかつたりするやうな、つまらない、仕様のない女と自分をすることが、今の私を最もよく慰める。それが私に最もよく復讐をする。

 或日。Nさんが遊びに見える。あの人は留守だつた。その二三日前、あの人がNさんを訪ねた話が出たあと、Nさんはふと思ひ出したやうに、何かもの言ひたげの顔をして居る。私は直ぐに悟つた。
「なんか言つたんでせう? 私のこと。」
 Nさんは笑つて居る。
「腐つてるやうだつて?」
 私の顔には、皮肉な尖つた笑ひがうかんで来る。その癖、妙に遣瀬ない気持だつた。
「とにかく、貴方は此頃荒んで来ましたね、どうかすると目茶苦茶に自分をち壊して行くやうなことをする。もつと自重しなけりやいけないぢやありませんか。」
 此人も私に、利き目のない薬を盛らうとすると思ひながら、自分を鞭打たれる快さを私は味はふ。
「私は堕落してるんですわ、生きるつてことにちつとも興味を見出すことが出来ないんですもの。」
「手がつけられないな。ラブでもしたらいゝぢやありませんか!」
対手あいてがないわ。言ひ替へればそんな興味もない訳なの。」
「ぢや、死んでおしまひなさい!」
「全くね。」
 私は面白さうな軽い調子で言つた。
「なんの興味もない………なんの刺激もない………たゞ、眠つてすべてを忘れてしまふことゝ、泣くことが一番、今の私に取つての慰めなの。私此頃、なか/\泣くことが上手になりましたよ。泣いたり、嫉妬をしたりして、自分から刺激をつくつて行くのよ。」
 Nさんは眼鏡の中から、黙つて私の顔を見て居た。

 Nさんの帰つたあと、私は潮のさすやうに寄せて来る味気なさに漬りながら、珍しく自省的な気分になつて居た。
「何もも私がわるい!」と、最後はたゞ此一語に帰着する。たとひあの人がどうであらうと、それに応じて加減して行かねばならない立場に居るのが私なのだから。
 すべてが思ふやうにならないといつて焦慮れるのは、私が悪くなくてなんであらう。自らをいやすものは自らの外にある筈がない。それを私はあの人に望んでゐる。あの人にも罪に与からせようとして居る。この上に明らかな間違つたことがあらうか? この頃の二人のれ切つた生活も、私が心持の取直し様一つによつて救はれもする。それだのに私は、自分で自分の心を泣かせながら、それをいたはる工夫をしないで、たゞ泣声を聞くまい/\として耳を塞いで居るに過ぎない。
「何も彼も私が悪いんだ!」
 すると、今まで押し殺し/\して居た不安が、あの人の体に就ての気遣ひが、噴き出す泉のやうに私の胸に湧き起つて来る。あの頬のやつれも、あの顔の暗い影も、あの人の胸の異常から来るには違ひないが、それを益々色濃くして行くのは、私であるかも知れないと思ふと、恐ろしいものを抱いてるのに気がついた時のやうに、呼吸いきが苦しくなつて来る。やぶれかぶれな心の姿のまゝで今朝も別れたことが、無暗に不安になつて来て、かうして離れて居る時間が、一分間でも遅ければ遅いだけ、取り返しがつかずあの人の体に黒い染みが深く大きくなつて行くやうに思へる。
「今日こそほんとに温かい心をもつてあの人を迎へよう!」
 さう思ふと共に、私の体は珍しく軽くなつて、すべての考へが、如何にも妻らしい心持の上に行き渡つて行く。私は急に甲斐々々しく、家の中などの掃除を始める。夕飯にも、何か手の込んだものがこしらへてみたくなつて、暫く打つちやつて置いた料理の本などを引出して見る。
 日は暮れて行く。脂肪の焼ける匂ひや、ものゝ煮こぼれる音や、煙りの中に、私は暫くの間雑念ぞうねんを忘れて立働く。あの人の帰る時刻をなか/\見積りかねて、幾度か時計を見上げては、瓦斯の火を細めたり強めたりして居る、足音が表を過ぎるたびに耳をそばだてる。
「猫でも貰はう!」と、ふと思ひついたことが、一つの楽しみになつて、そんなものにでも紛れることが、幾らか私の心に変化を与へるかも知れないと、早くそんなことも話して見たく、あの人の顔を見るまでが堪らなく待遠しくなつて来る。冷めないやうにだの、煮え過ぎないやうになどゝ、細かな加減を気にして居るうちに、いつかいつもの時刻は経つて行く。
 と、少しく失望して来る私の心は、容易たやすく「えゝつ!」といつたやうな気分を誘ひ出して、折角気をつけて白いのに替へたテーブルクロスに、わざと汁でもこぼしてやりたいやうな気になる。その落着かない心持では、本を読むことも出来ないし、外の仕事は猶更手につかない。たゞいら/\した心持で、外の足音にばかり気をられる。
 一時間経ち、やがて二時間経つ。心の心まで冷め切つて行くやうな私の胸は、何者かに裏切られるやうな腹だゝしさに、だん/\意地悪く働いて行く。あゝも思ひかくも思つてみるけれど、立寄つた先や、用事の見当がつかなければつかないほど、私の心は焦慮れて来て、無暗に何かに当り散らしたくなる。
「それも面白い!」などゝ私の心は呟く。「それがあの人の示威運動だとする。あの人は泊つて来る。」
「何処へ?」と思つた時、かすかな恐れがふと影のやうに私の胸奥をかすめて消える。だけど、あの人は此頃いつだつて金らしい金は持つて居ない。すれば、きっといくら遅くても帰つて来る。帰つて来ると思へばまた、瞬間でも多少の波瀾を想像しただけに、却てそれが物足らないやうでもある。
 ふと見上げると、時計はいつか十二時近くに針をさしてゐる。私は、自分自身に対して、「ふつ!」といつたやうな気持を抱きながら、さつさと玄関の戸を閉めに出る。それから押入れから蒲団を取出す。電燈の真つ下にわざと自分のだけのべて、私は今夜どういふ態度を取り、そしてどんな言葉をもつて、あの人を迎へるだらうと、自分で自分の心を想像などしながら、寝巻も着替へないで、そのまゝ床の中に潜り込んでしまふ。
 私の心は、人気のない大きな伽藍のやうに空虚うつろになつて、どんなかすかな物音にも、慄へるやうな反響を全身に伝へる――私は私の耳が、丁度猫の耳のそれのやうに、ひく/\と動くやうにさへ思ふ。





底本:「水野仙子 四篇」エディトリアルデザイン研究所
   2000(平成12)年11月30日発行
初出:「新潮」十九巻六号
   1913(大正2)年12月発行
※底本の凡例に「ルビは新仮名遣いとした」と書かれていましたので、ルビの拗促音は小書きしました。
※底本では題名のみ旧字体「殼」を用いているため、題名を「脱殼」としました。
入力:林 幸雄
校正:多羅尾伴内
2004年4月29日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。




●表記について
  • このファイルは W3C 勧告 XHTML1.1 にそった形式で作成されています。
  • [#…]は、入力者による注を表す記号です。
  • 「くの字点」は「/\」で表しました。
  • 「くの字点」をのぞくJIS X 0213にある文字は、画像化して埋め込みました。

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