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悔(くい)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-10-26 16:56:00  点击:  切换到繁體中文


 二人ふたり關係くわんけい眞相しんさうが、どんなものであつたかはたれらない。おそらくは彼女自身かのぢよじしんにもわからなかつたことであらう。彼女かのぢよ見事みごと誘惑いうわくあま毒氣どくけめしひたのである。
 三ヶげつばかりぎると、彼女かのぢよ國許くにもとかへつて開業かいげふするといふので、あたらしいわかをつとともに、この土地とちるべくさま/″\な用意よういりかゝつた。彼女かのぢよつてゐるものをみなさゝげた。いよ/\といふた。荷物にもつといふ荷物にもつは、すつかりおくられた。まづをとこ一足ひとあしきに出發しゆつぱつして先方せんぱう都合つがふとゝのへ、それから電報でんぱうつて彼女かのぢよ子供こどもぶといふ手筈てはずであつた。彼女かのぢよたのしんであとのこつた。さうして新生涯しんしやうがいゆめみながらかれからのたよりをくらした。一にち、一にちつてく。けれどもそののちかれからはなん端書はがきぽん音信おとづれもなかつた。――さうしてそれは永久えいきうにさうであつた。
 不幸ふかう彼女かのぢよぬぐふことの出來できない汚點しみをその生涯しやうがいにとゞめた。さうしてその汚點しみたいするくゐは、彼女かのぢよこれまでを、さうしてまた此先このさきをも、かくて彼女かのぢよの一しやうをいろ/\につゞつてくであらう。
 おそろしい絶望ぜつばうのろひといかりにきあかしたとき彼女かのぢよはまだ自分じぶんゐてはゐなかつた。たゞをとこうらんでのろひ、自分じぶんわらひ、自分じぶんあはれみ、ことひと物笑ものわらひのまととなる自分じぶんおもつては口惜くやしさにへられなかつた。彼女かのぢよしもそのとき子供こどもがなかつたならば、のろひや果敢はかなみや、たゞ世間せけんをのみ對象たいしやうにしてかんがへた汚辱をじよくのために、如何いかにも簡單かんたんんでしまつたかもれない。
 ひとうはさととも彼女かのぢよいたではだん/\その生々なま/\しさをうしなふことが出來できたけれど、なほ幾度いくどとなくそのいたみは復活ふくくわつした。彼女かのぢよしづかにゐることをつた。それでもなほそのくゐには負惜まけをしみがあつた。彼女かのぢよはそのとき自分じぶん境遇きやうぐうをふりかへつて、再婚さいこんこゝろうごくのは無理むりもないことだとみづかさばいた。それを非難ひなんするひとがあつたならば、彼女かのぢよ反對はんたいにそのひとめたかもしれない。それからまた彼女かのぢよは、自分自身じぶんじしんのことよりも、子供こども行末ゆくすゑはかつたのだつたといふ犧牲的ぎせいてきな(みづかおもふ)こゝろのために、みづか亡夫ばうふ立場たちばになつて自分じぶん處置しよちゆるした。結極けつきよくをとこ不徳ふとく行爲かうゐめられた。さうしてたゞあざむかれた自分じぶん不明ふめいいてばかり彼女かのぢよぢたのである。
 しかしそののち彼女かのぢよまへにもして一そう謹嚴きんげん生活せいくわつおくつた。人々ひと/″\彼女かのぢよ同情どうじやうせて、そして二人ふたり孝行かうかう子供こどもものにした。だれいまはもう彼女かのぢよ過去くわこいてかたるのをわすれた。彼女かのぢよ奮鬪ふんとう努力どりよくは、十ぶんむかし不名譽ふめいよつぐなふことが出來できた。ときにはまた、あのおそるべき打撃だげきのために、かへつ獨立どくりつ意志いし鞏固きようこになつたといふことのために、彼女かのぢよくゐふたゝ假面かめんをかぶつてみづかやすんじようとこゝろみることもあつた。彼女かのぢよくゐはいつも反省はんせいわすれてゐたのである。
 月日つきひともきず疼痛いたみうすらぎ、また傷痕きずあとえてく。しかしそれとともくゐまたるものゝやうにおもつたのは間違まちがひであつた。彼女かのぢよいまはじめてまことくゐあぢはつたやうながした。さうしてそれはなんといふおそろしいものであつたらう。[#「あつたらう。」は底本では「あつたらう」]
 ――彼女かのぢよつとむ成長せいちやうたのしみすごした空想くうさうは、はからずもおそろしい不安ふあん彼女かのぢよむね暴露あばいつた。無垢むく若者わかものまへ洪水おほみづのやうにひらけるなかは、どんなにあまおほくの誘惑いうわくや、うつくしい蠱惑こわくちてせることだらう! れるな、にごるな、まよふなと、一々でもりたいほどに氣遣きづかはれる母心はゝごゝろが、いまはしい汚點しみ回想くわいさうによつて、そのくちはれてしまふのである。さうしてそれよりもなほ彼女かのぢよにとつておそろしいことは、一人前にんまへになつた子供こどもが、どんなふう母親はゝおやのその祕密ひみつ解釋かいしやくし、そしてどんなさばきをそれにあたへるだらうかといふことであつた。
 あはれむだらうか? いとふだらうか? それともまた淺猿あさましがるだらうか? さうしてあの可憐いぢらしくも感謝かんしや滿ちた忠實ちうじつ愛情あいぢやうを、なほそのおろかなはゝたいしてそゝぎるだらうか? あゝしもさうだとしたならば――? 彼女かのぢよはたゞ子供こどものために無慾むよく無反省むはんせい愛情あいじやうのために、自分じぶんるものもずにこれまでにしてたのであるものを。[#「あるものを。」は底本では「あるものを」]
 彼女かのぢよ恐怖きようふは、いままでそこにおもいたらなかつたといふことのために、餘計よけいおほきくかげのばしてくやうであつた。彼女かのぢよあらたなるくゐおぼえた。赤裸々せきらゝに、眞面目まじめに、謙遜けんそんゐることの、悲痛ひつうかなしみと、しかしながらまた不思議ふしぎやすらかさとをもあはせて經驗けいけんした。彼女かのぢよいままでのくゐは、ともすればわけたてかくれて、正面まとも非難ひなんふせいでゐたのをつた。彼女かのぢよいま自分じぶん假面かめん引剥ひきはぎ、そのみにくさにおどろかなければならなかつた。いまこそ彼女かのぢよは、をつとれい純潔じゆんけつ子供こどもまへに、たとへ一時いつときでもそのたましひけがしたくゐあかしのために、ぬことが出來できるやうにさへおもつた。
 てんにでもいゝ、にでもいゝ、すがらうとするこゝろいのらうとするねがひが、不純ふじゆんすなとほしてきよくとろ/\と彼女かのぢよむねながた。
 君子きみこ不審いぶかしさに母親はゝおや容子ようすをとゞめたとき彼女かのぢよ亡夫ばうふ寫眞しやしんまへくびれて、しづかに、顏色かほいろ青褪あをざめて、じろぎもせずをつぶつてゐた。
 あめはます/\小降こぶりになつて、そしてかぜた。つゆせはしくおとされる。(をはり)





底本:「淑女畫報」博文館
   1915(大正4)年9月号
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:小林徹
校正:林幸雄
2001年5月15日公開
2006年4月19日修正
青空文庫作成ファイル:
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●表記について
  • このファイルは W3C 勧告 XHTML1.1 にそった形式で作成されています。
  • [#…]は、入力者による注を表す記号です。
  • 「くの字点」は「/\」で、「濁点付きくの字点」は「/″\」で表しました。
  • 傍点や圏点、傍線の付いた文字は、強調表示にしました。

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