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輝ける朝(かがやけるあさ)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-10-26 16:54:11  点击:  切换到繁體中文


『何だか知れないが獨語ひとりごとをいつては泣いてるんだ。三つ位の男の子をおぶつてるんだが、その子供がまた火のついたやうに泣いてるんだ、「あつち! あつち!」と、子供は後の方をゆびさして、一所懸命に手足をじたばたさせながらふんぞりかへつてゐるんだ。その子供の一所懸命な力で、母親は時々倒れさうになるんだけれども、「おゝよしよし、泣くなよ、今にいゝとこさ連れてつてやつからな。」なんて言ひながら、またぶつぶつと獨語をいひ出すんだ。「死んぢまふ、死んぢまふ、さうだ死んぢまふ、何もかもみんな持つてつちまつたんだ、着物一枚、錢一錢だつて殘つてやしない、あんな家さ歸つたつて仕樣がねえ、さうだ死んぢまふ、死んぢまふ、のんだくれて歸つて來て、おらを出て行けだつて、打つたり叩いたり……」こんなことを言つちやあくよくよと泣いてゐるんだ。「父ちやん! 父ちやん!」つて子供が泣くと、「おゝよしよし、あんな父ちやん戀しがんでねえぞ、父ちやんはな、あつちや行つちまつたんだ、おゝ、さう父ちやん父ちやんていふなよ!」そしてまたおろおろと泣き出すんだ……』
『はゝあ、夫婦喧嘩でもして來たんだね。』と、小聲で誰かゞ言葉を挾んだ。
『僕は何だか氣味が惡くなつてね、うつちやつて來るわけにもいかず、ぢつと隱れるやうにして後の方に立つてゐると、やがては女はすたすたと歩き出すんだ、それが裸足でね、そして二三間あつちに行つたかと思ふと、またこつちの方に引き返したりして、しよつちうぶつぶつ口の中で何か言つてるんだ。何でも二三十分間あつちに行つたり、こつちに行つたりしてたらうね……』
『一體君がそこにゐるのを女は知つてたのかい?』
『さあ、あたり前なら氣付かない筈はないんだが、どうですかね、併しどつちにしろそんな事はあの女に取つて別に問題ぢやないんでせう……』
『まあ、それからどうしたんだい?』
『暫くそんな事をしてましたがね、今度は突然すたすたと歩き出した。僕はぎよつとしましたね、何だか汽車道の方を目指して行くのらしいんだ。子供は聲をからして一層烈しく、「いやあいやあ、あつち! あつち!」とひつくりかへる、それでも女はすたすたと、今度は後も見ずに歩いて行くんだ。僕は仕方なしにやつぱり後について行つた……女はどんどんと怖いものを知らないやうに闇の中に突進して行く。子供の泣き叫ぶ聲がだんだん嗄れて來て、雪はちらついて來る……僕は何だか怖くなつて來た。ぐるりを見廻すとまつ暗だし、女の足の早さといつたら、はじめは確に二三間離れてゐたんだのに、子供の聲がだんだんだんだん遠くなつて行くんだ。僕は誰か人が通つたら、その人にわけを話して一所に行つて貰はうと思ふんだけれど、生憎誰も通らないんだね、そのうちに不意と闇の中に提燈が見えた。まあよかつたと思つて行き合ふのを待つてゐると、それはいゝ加減なおやぢだつたがね、前に行き合つた女のたゞならぬ容子に驚いたものと見えて、ちらり僕と見合したその顏といつたら、非常に物怖ものおじをしてゐんだ、そして僕が話しかけようと躊躇してる間に、遁げるやうにして行き過ぎてしまつた……それから僕はますます氣味惡くなつて引き返して來てしまつたんだ……』
『女はどうしたんだい?』
『あの道を一直線に歩いて行つたんだから、やつぱり踏切の方に行くつもりなんでせうね。』
『今の事なんだね?』
『うん今の事さ、僕はまつすぐにやつて來たんだから……今頃はもう行きついてるよ、踏切に……』
 一寸の間ひつそりとなつて、誰も口を出す者がなかつた。
 氣がついてみると、私は全身耳のやうになつて息を潜めてゐるのであつた。體が石のやうにつめたく固くなつてゐた。
 一體誰もその女を助けようとはしないのだらうか?
『汽車に轢かれるつもりかも知れないね。』と、暫くして一人が云ふ。
『なあに、大丈夫だよ、そんなに滅多に死なれるもんか!』
『併しどうだかわからないよ、何しろ笑談ぢやあんなところをうろついてゐられないからね。』と、それを振り捨てゝ來た男の聲は言つた。
『なあに、それあ死なうと思つてるのはほんたうかも知れないが[#「ないが」は底本では「ないか」]、幾らさう思つたつて、さう造作なく死なれるもんぢやなあいよ[#「なあいよ」はママ]。汽車がごうとやつて來て見給へ、恐しくなつて急に目がさめてしまふよ、打つちやつて置いたつて大丈夫さ、誰だつて命の惜しくない者はないからね、いざとなるとやつぱり考へるよ。』
『考へたら勿論死ねないさ。併し、ほんとに死ねる時には、そんな考へるなんて事がないんぢやないのかね、女なんか殊に思ひつめて飛び込むんぢやないのかなあ。』
『そんなのはよつぽど死神にとつつかれてゐるんだ、そしてそんな奴は生きてたつて仕樣がない、どんどん死んぢまつていゝんだ!』
『何しろ今に十時の上りが來るよ!』
 そして人々は變に乾いたわらひ聲をあげた。
『いつか……二三年前の事だつたが、公園の後の鐵道に男が一人ひつかゝつたんですね、無論自殺です。その時あとでその男が麥畑の中にしやがんでゐたのを見たといふ者があつて、そこに行つて見ると、煙草の吸殻が十本ばかり落ちてゐたつていふんですな。こんなのを見ると、いよいよとなつて飛び込む前に、隨分死なうか死ぬまいかと考へるものらしいつて、その時立ち會つた巡査が言つてましたよ。何しろ……』
『あ! 汽車ぢやないか?……』と、誰かゞ言つた。
 人々は默つて耳を欹てた。
『風の音だよ!』
 いかにも、少し風が出たらしく、地上に大きく轉んで立木に當る音が、やがてさらさらと音をたてゝ引いて行つた。
 吾等、死の傍觀者たち[#「たち」は底本では「だち」]
 私の心はひどくくるしめられてゐた。
 今一人の女が、暗い闇の中を、吹雪の中を、死と生との不確實な境界線を彷徨してゐる。彼女の夢心地を僅に現實にかへすものは、その背に泣き叫ぶ子供の聲であるけれども、しかも彼女はその痛さに刺戟されて、ますます夢の中に己の取らうとしてゐる道を固執する。誰も彼女を見てゐる者がない、そして誰も救を求むる子供の聲に耳をす者がない。よしや彼女の覺悟が一時の思ひつきであるとしても、はづみはどんな完全な機會をその死に與へようとも限らないではないか。
 吾々は人が決して生きる事が不可能でないのに死なうとしてゐる時、もしくは死ぬかも知れない時、十分に人力の及ぶ範圍を持ちながら袖手傍觀してゐていゝものであらうか。或は人の運命といふものは、私達の盲目な力によつて左右され得るものではないかも知れないけれども、また大きな運命の繰る道具として、ある一つの運命にかゝりあふことがないとも限らない。よしんばその己の役目でもない役目に飛び出したとして、「お前の知つたこつちやない!」と、不可知の力から叱りつけられ嘲笑はれた場合には、その時こそ初めて首を垂れて引き下ればいいわけではないだらうか。初めから「どうならうと私の知つたことではない。」とすましてゐるのは、謙遜には似て、却つて運命の意志を忖度し、窺ふことである、そしてそれは何といふつめたい態度であらう!
 私はこんなことを考へてゐた。それは私の良心に打つ早鐘であつた。そしてひとりで、隣室の誰一人もがその助力に取りかゝらうとしないのに腹をたてゝ焦慮した。けれども、それはやがて正當に己にかへるべき自責であつた。人はともあれ、もしそれ程切實に一つの生命を尊ぶならば、汝の愛がそれほど深い愛であるならば、自分こそは何物をも措いて彼女の後を追ふべきである。そしてその事は決して一刻も猶豫すべきではない。
 けれども私は病氣であつた。併し歩けない程ではないと私の良心はいふけれども、それでも長い長い間の辛棒の揚句、やつとこの頃になつて院内の散歩を許されるやうになつたのだのに、どうして夜中、しかもこんな吹雪の中を出かける事が出來よう、明日からまた早速發熱のために苦しまなければ[#「なければ」は底本では「なけれは」]ならないではないか。そしてそれが何にならう、たゞそれは折角私を癒した者への、この上もない忘恩の仕業に過ぎないではないか?
 またある心はいふ。それは或はさうかも知れない、けれども奇蹟が信仰によつて生じる事をお前が眞實に信ずるならば、今の場合何もその結果を想像して心配するには當らないではないか、お前が一つの生命を尊び、それを救ふために爲す行爲は、また必ずお前の生命をも尊び救ふであらう。お前の良心は歌でも唄ふやうに理想を語るけれども、恰も當然の如くにその實行を避けるのだ。
 全く、どうしたといふのだらう、私の體は千斤のおもりでもつけられたやうに重く、生きながら死んだやうに、身じろき一つしないのである。私はたゞ死馬を鞭つやうに自分を責めさいなむ。もしも私がほんたうに健康の體であつたならば……そしたら恐らくはそつとこゝを脱け出して、恐怖におびえつゝも、ともかくそこらを搜し廻つたであらう。けれども、さう思ふことは要するに今のこの怠惰な心の辯解に過ぎない、私はやつぱり現在の自分を十分に責め得る。持たでもいゝ良心ゆゑに私は責められる。凡そ人が道義の念に燃え、そしてその事に正しい肯定と喜悦とを感じながらそれを實行に移す時、かくも私の如く臆劫で、そしてその事に、ある羞耻の念すらも感ずるものだらうか?
 私は苦しんだ、そして、苦しかつた。自分の良心の不徹底ゆゑに苦しかつた、そしてある瞬間はまた、そんなに苦しむ事が愚しいやうな、一寸笑つてやりたいやうな氣もした。たゞ依然として私の體は重かつた。
 それからどの位の時間が經つたか私は知らない。突然、
『あゝ汽車が來た!』といつた隣室の聲にぎつくりして私は耳をすました。
 今度こそそれは眞實であつた。一寸風の音かともまがふやうであるけれど、ごとごとごとと一つの調子を作つて、ある時は高く、ある時は低く、遠くから近くへ、更けて行く夜の闇の底を縫つて、その物音は走つて來る。しかもなほ天と地は默々として靜である。それは一體極度の傍觀なのであるか、それとも極度の干渉なのであるか?……
 言ひ合せたやうに隣室の話聲がぴつたり止つた。そしてその誰もが、闇を裂いて鳴り渡る非常汽笛の音を恐しく待ち受けるやうに、しいんとした間を作つた。
 私の體は熱くなつた、そしてやがてつめたくなつた。私は固くなつて、たゞ何者にともなく、何事をともなく、祈り願つた。それは、危い一つの命のためによりは、自分の良心の苛責から釋放される事を懇願するためにのやうであつた。
 ……無關心な響を殘して汽車は通り過ぎた。そして何事もなかつた。やつと手足の緊縛を許された罪人のやうに、私は萎えた體を起して、立つて窓を明けた。光は流れて斜に庭の一部分と隔離室の建物の側面とを照した。地は既にほんのりと白くなつてゐた。そして時折風に亂れながら、おとなしく、つゝましく雪が降つてゐた。
『なあんだ!』と、あくびまじりの聲が言つた。
『やつぱり死ねないものとみえるね。』と、惜しい事をしたといはぬばかりの調子の聲が言つた。
『だから僕が言つたぢやなあいか[#「なあいか」はママ]、大丈夫死にやしないよつて、眞面目に考へるだけ馬鹿な話さ!』
『しかし、今はやれなかつたかも知れないが、この次のでやるかも知れないよ。』
『なあに、大丈夫、それ[#「それ」は底本では「それれ」]よりも今頃は家に歸つて、おゝ寒かつたなんて言つて燒芋でも喰つてるかも知れないよ!』
 そして人々は哄笑した。

 私は昨夜熟睡が出來なかつた。どうやら深い眠に落ちかけた時でも、轟と地を這ふ汽車の響が耳に入ると、おぼろな意識の底からある懸念が頭を擡げた。さうして私は幾度か寢返を打つた。明けがたになつて漸く、短くはあるが眞の眠を眠つたやうであつた。
 今朝になつて、私はほのかな温味の中に、ぽつかりと目を覺した。そして、「たうとう無事に濟んだ!」といふ明な意識は私を非常に幸福にした。私は重荷でも下したやうに身の輕くなつてゐるのを覺えた。部屋の中はまるで紙をはがしたやうに明るく白くなつて、いつの間にか掃除女の入れて行つた火鉢の火がまつ赤に燃え、ある部分は早くもその表面を灰にしながら、部屋の中を暖めてゐた。鐵瓶の湯は煮えたち、かはいらしいおちよぼ口から揚げる湯氣に陽炎がたつてゐる。
 私はつめたい疊を踏んでいきなり窓を開けた。――おゝ、なんといふそれは美しい眺であつたらう! 雪はすつかりあがつてゐた。さうしてあらゆる地と、丘と、草木と、建物とが、この上もなく清く洒した布で蔽はれたやうに、さうして何もかもが清められたやうに、靜に息づいてゐる。その見るかぎりの白さには全く思ひもかけぬ青空が、驚異そのものゝやうに瞬き、さうしてどこからともなくさす朝の日の輝が、やんわりとそれらを包んでゐる。何といふ今朝の、このすべてが清々と美しく輝いてゐることであらう!
 さうだ、それにちがひない、それは昨夜のくるしみによつてち得た朝であるから……でなければ、それは單に雪のあしたの眺に過ぎないであらう……私は奇蹟を見たのだ。




底本:「叢書『青踏』の女たち 第10巻『水野仙子集』」不二出版
   1986(昭和61)年4月25日復刻版第1刷発行
底本の親本:「水野仙子集」叢文閣
   1920(大正9)年5月31日発行
※底本にはほとんどルビがないが、入力時にいくつか補った。
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:小林徹
校正:丹羽倫子
1998年10月28日公開
2006年4月19日修正
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●表記について
  • このファイルは W3C 勧告 XHTML1.1 にそった形式で作成されています。
  • [#…]は、入力者による注を表す記号です。
  • 「くの字点」をのぞくJIS X 0213にある文字は、画像化して埋め込みました。

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