二
万豊やJ氏がどんな理由で担がれたものか、私は知らなかったが、人々が私への反感の最初の動機は、J氏の災難の時に、私が見ぬ振りを装ってその場を立去らなかったばかりか、彼に肩を借して共々に引上げて行ったというのが起りであった。尤もそれが村の不文律を裏切った行為であるというのを知らなかった者である故、あたり前なら一先ず見逃さるべきはずだったが、日頃から私の態度を目して「大風で生意気だ。」と睨んでいた折からだったので、これが条件として執りあげられ、やがてリンチの候補者に指摘されるに至ったらしいのであるが、私として見るとそれくらいのことで狙われる理由にもならぬとも思われた。
「いいえ、そりゃ、ただのおどかしだということですぜ。今度から、そんな場合を見たら素知らぬ顔で脇さえ見ていれば好いのだ、気をつけろという遠廻しの忠告ですってさ。やるとなれば前触れなんてするはずもないじゃありませんか。」
御面師はそれとなく附近の模様を探って来て、私に伝えた。――「今度の秋の踊りまでには出演者は皆な仮面を、そろえようということになっているんだから、私たちがいなくなったら台なしでしょうがな。それに近頃また日増に註文が増えるというのは、何も連中は体裁をつくる仕儀ばかりじゃなくって、脛に傷持つ方々が意外の数だというんです。仮面さえかむっていれば担がれる心配がないというところから……」
「でも、いつかのJさんの場合などがあるところを見ると、何も踊りの晩ばかりが――」
「いい、あれは、ただの喧嘩だったんですってさ。担ぐのは、踊りの晩に限られたしきたりなんで。」
「それなら何も僕はあの時のことを非難されるには当らなかったろうに。」
そうも考えられたが、村政上のことで村人の仇敵になっているJ氏だったので思わぬとばっちりが私にも降りかかったのであろう、と思われるだけだった。
さっきから御面師は、頻りと私を外へ誘いたがるのだが、私はどうも闇が怖くてたじろいでいたところ、そんな風にはなされてみると、たとえ自分がブラック・リストの人物とされていようとも、当分は大丈夫だという自信も湧いた。それに踊りの頃になったにしろ、そんなに大勢の候補者があると思えば、何も自分が必ずつかまるというわけでもなかろうし、そんな懸念はむしろ棄てるべきだ、おまけに多くの候補者のうちではおそらく自分などは罪の軽い部ではなかろうか――などと都合の好さそうな自惚れを持ったりした。
出歩きを怕がって、万豊などに使を頼むのは無駄だから、これから二人がかりでそれぞれの註文主へ納め、暫くぶりで倉の外で晩飯を摂ろうではないかと御面師が促すのであった。
「ひと思いに、景気好く酒でも飲んだら案外元気がつくでしょうが。」
「……僕もそんな気がするよ。」と私は決心した。仕上げの済んだ面を、彼がそれぞれ紙につつんで、私に渡すに従って、私は筆を執って宛名を誌した。
「ええ、赤鬼、青鬼――これは橋場の柳下杉十郎と松二郎。お次は狐が一つ、鳥居前の堀田忠吉。――いいですか、お次は天狗が大小、養魚場の宇佐見金蔵……」
御面師は節をつけてそれぞれの宛名を私に告げるのであった。私は宛名を誌しながら、次々の註文主の顔を思い浮べ、あの四、五人が先ず最近の血祭りにあげられるという専らの噂だがと思った。
何十日も倉の中に籠ったきりで、たまたま外気にあたってみると雲を踏んでいるような思いもしたが、さすがに胸の底には生返った泉を覚えた。――随分とみごとに面の数々がそちこちの家ごとに行渡ったもので、家々の前に差かかる度に振返って見ると、夕餉の食卓を囲んだ燈の下で、面を弄んでいる光景で続けさまに窺われた。どこの家も長閑な団欒の晩景で、晩酌に坐った親父が将軍の面をかむってみて家族の者を笑わせたり、一つの面を皆なで順々に手にとりあげて出来栄えを批評したり、子供が天狗の面をかむって威張ったりしている場面が見えた。そろいの着物なども出来あがり、壁には花笠や山車の花がかかって、祭りの近づいているけしきはどの家を眺めても露わであった。
「皆な面をもって喜んでいるね。万豊の栗拾いたちが、好くもあんなにそろって面を持出したとおもったが――飛んだ役に立てたものだな。」
「なにしろ玩具なんてものを不断持扱わないので、子供の騒ぎは大変だそうですよ。」
うっかりと夜道を戻って来た酔払いなどが突然狐や赤鬼に嚇されて肝を潰したり娘たちがひょっとこに追いかけられたりする騒ぎが頻繁に起ったりするので、当分の間は子供の夜遊びは厳禁しようと各戸で申合せたそうだった。
三
「水流さんや、お前えもよっぽど用心しねえと危ねえぞ。丸十の繁から俺は聴いたんだが、お前えは飛んだ依怙贔負の仕事をしているってはなしじゃないか、家によって仕事の仕ぶりが違うってことだよ。」
杉十郎は自分に渡された面をとって、裏側の節穴を気にした。
「俺ア別段どうとも思やしないんだが、人の口は煩いからな。」
彼は一度村長を務めたこともあるそうだが、日常のどんな場合にでも自分の意見を直接相手につたえるというのではなくて、誰がお前のことをどういっていたぞという風にばかり吹聴して他人と他人との感情を害わせた。そして、その間で自分だけが何か親切な人物であるという態度を示したがった。彼も例の黒表の一名だが、おそらくその原因は、その「親切ごかし」なる渾名に依ったものに違いなかった。伜の松二郎がまた性質も容貌も父に生写しで「障子の穴」という渾名であった。
眼のかたちが障子の穴のように妙に小さく無造作で、爪の先で引掻いたようだからという説と障子の穴から覗くように他人の噂を拾い集めて吹聴するからだという説があったが、彼らに対する人々の反感は積年のもので、一度はどちらかが担がれるだろう、親と子と間違えそうだが、間違ったところで五分五分だといわれた。
「繁ひとりがいっているんじゃないよ、阿父さん――」と松は何やらにやりと笑いを浮べながら父親へ耳打ちした。
「ふふん、酒倉の伊八や伝までも――だって俺たちは別にこの人たちをかばうわけでもないんだが、そんなに訊いてみると……な、つい気の毒になって……」
「やめないか。僕らは何も人の噂を聞きに来たわけじゃないぞ。もし、この人の仕事について君たち自身が不満を覚えるというなら、そのままの意見は一応聴こうぜ。」
私は二人の顔を等分に見詰めた。抗弁をしようとして御面師は一膝乗り出したのだが、自分もやはり担がれる部の補欠になっているのかと気づくと、舌が吊って言葉が出せぬらしかった。今更ここで抗弁したところで役にも立たぬと彼はあきらめようとするのだが唇が震えて、思わず項垂れていた。
「わしらには何も別段いうことはないよ。だが、だね……」
「いうことがないんなら、だが、も、しかし、もあるまい。」
「折角、面が出来あがったという晩に今更口論もないものさ。橋場の叔父御の口も多いが、酒倉の先生の理窟は世間には通りませんや、だが、も、しかしもないで済めば浮世は太平楽だろうじゃないか。あははは。」
堀田忠吉は獣医の「法螺忠」という渾名だった。私たちとしては何もこれらの人々の註文を特に遅らせたというわけでもなく、ただ方面が一塊りだったから、努めて取りまとめて届けに来たまでのことである。丁度、養魚場の金蔵なども柳下の家に集って酒を飲みながら何かひそひそと額をあつめて謀に耽っているところだった。――まあ一杯、まあ一杯と無理矢理に二人をとらえて仲間に入れたが、彼らのいうことがいちいち私たちの癇にさわった。「そんなのなら、ええ、もう、好うござんす、品物は持って帰りましょう。難癖をつけられる覚えはないんですもの。」
御面師は包みを直して幾度も立上ったが、忠吉と金蔵が巧みになだめた。
「田舎の人は、ほんとうに人が悪い。うっかりいうことなどを信じられやしない。」
私もそんなことをいった。
「そ、それが、お前さんの災難のもとだよ。折角人のいうことに角を立てて、むずかしい理窟を喰っつけたがる。もともと、お前さんが狙われ、水流さんにまで鉾先が向いて来たというのは、お前さんのその短気な大風が祟ったということを考えてもらわなければならんのだが、今が今どう性根を入れ換えてくれという話じゃない。人のいうことを好く聞いてもらいたいというものだ――俺たちは今、村の者でもないお前さんたちが担がれては気の毒だと思って、対策を講じているところなんじゃないか。」
杉十郎がこんこんと諭しはじめるので私たちも腰を据えたが、彼らのいうことはどうもうかうかとは信ぜられぬのであった。その話を聴くと、私たちばかりが、矢面の犠牲者と見えたが、柳下父子を初めとして、法螺忠や金蔵の悪評は、桜の時分に此処に私たちが現われると直ぐにも聞いたはなしで、彼らが夜歩きや踊り見物に現われるのを見出す者はなかった。
「僕たちとしたって、もしもここの青年だったら、やはり彼らを狙うだろうな。」
「それあ、もう誰にしろ当然で、私なら先ず最初に法螺忠を――」
「彼らは自分たちが狙われているのを秘そうとして、俺などを巻添えにするようだよ。どう考えても俺は自分が彼らより先に担がれようなどとは思われないよ。」
「無論その通りですとも。奴らのいうことなんて気にすることはありませんさ。」
私と御面師は、そんなことを話合い、むしろ万豊やJ氏が先に難を蒙ったのを不思議としたこともあった。
私は、囲炉裏のまわりに、偶然にも容疑者ばかりが集ったのを、改めて見廻した。そして、人の反感や憎念をあがなう人物というものは、その行為や人格を別にして、外形を一瞥したのみで、直に堪らぬ厭味を覚えさせられるものだとおもった。人の通有性などというものは平凡で、そして的確だ。私にしろ、もしも凡ての村人を一列にならべて、その中から全く理由もなく「憎むべき人物」を指摘せよと命ぜられたならば、やはりこれらの者どもと、そして万豊とJを選んだであろうと思われた。
杉十郎と松は父子のくせに、まるで仲間同志の口をきき合い、折りに触れては互いにひそひそと耳打ちを交して点頭いたり冷笑を浮べてどうかすると互いの肩を打つ真似をした。親密の具合が猿のようだ。父と子であるからにはよほどの年齢が相違するだろうにもかかわらず、二人とも四十くらいに見え、言語は聞直さないといかにも判別も適わぬ不明瞭さで、絶間もなくもぐもぐと喋り続けるにつれて口の端に白い泡が溢れた。そして、手の甲で唇と舌とを横撫でして、おまけにその手の甲を何で拭おうとするでもなく、そのまま頭を掻いたり肴をつまんだりした。指の先は始終こせこせとして皿や小鉢を他人のものも自分のものもちょっちょっと位置を動かしたり、いろいろの食いものをほんの豆の端ほど噛んで膳の縁に置き並べたり、その合間には小楊枝の先を盃に浸して膳の上に文字を書いた。癖までが全く同じようで、松が時々差挟む「阿父さん」という声に気づかなければ、双児のようだった。
法螺忠は何か一言いうと、あははと馬のように大きな黄色の歯をむき出して笑い、それにつれてゲーッ、ゲーッと腹の底から込みあげる蒸気のようなゲップを遠慮会釈もなく放出して「どうも胃酸過多のようだ。」と呟きながら奥歯のあたりを親指の腹でぐいぐいと撫でた。鼻はいわゆるざくろ鼻というやつだが、ただ赤いばかりでなく脂光にぬらついて吹出物が目立ち、口をあくごとに二つの小鼻が拳骨のように怒り鼻腔が正面を向いた。そして笑ったかとおもうと、その瞬間に笑いの表情は消え失せて、相手の顔色を上眼づかいに憎々しげに盗見しているのだ。
「よろしい、俺が引受けたぞ。」
彼は折々突然に開き直って、いとも鹿爪らしく唸り出すと大業な見得を切って斜めの虚空を睨め尽したが、おそらくその様子は誰の眼にも空々しく「法螺忠」と映るに違いないのだ。
「忠さんが引受けたとなれば、それはもう俺たちは安心だけど、だが――」と松は神妙に眼を伏せて楊枝の先を弄しながら、誰々を抱き込んで一先ず背水の陣を敷き、などと首をひねっていた。法螺忠のそんな大業な見得に接しても至極自然な合槌を打てる松どもも、また自然そうであればあるだけ心底は不真面目と察せられるのだ。彼らは、何か選挙運動に関する思惑でもあるらしかった。柳下杉十郎が再度村会へ乗出そうという計画で、法螺忠やスッポンが運動員を申出たものらしかった。自分たちが当今村人たちから、あらぬ反感を買っているのは反対党の尻おしに依るものである故、当面の雲行を「或る方法で」乗切りさえすれば、飜然として一時に信用は奪い返せるはずだという如き自負に安んじている傾きであるが、彼らへ寄せる村人らの反感はむしろ彼らへの宿命的な憎念に発するものに違いなかった。スッポンというのは養魚場の宇佐見金蔵の渾名で、彼は自ら空呆けることの巧みさと喰いついたら容易に離さないという執拗ぶりを誇っていた。彼は松のいうことを、え?え?え? と仔細らしく聞直して、相手の鼻先へ横顔を伸し、たしかに聞き入れたというハズミに急に首を縮めて、
「一体それは、ほんとうのことかね」と仰山にあきれるのだ。――「だが、しかし万豊の芋畑を踊舞台に納得させるのはれっきとした公共事業だ。堀田君と僕は、先ずこの点で敵の虚を衝き……」と彼はふと私たちに聴かれては困るというらしく口を切って、法螺忠や障子の穴へ順々と何事かを囁いたりした。そして、うつらうつらと首を振っていた。彼の眼玉は凹んだ眼窩の奥で常々は小さく丸く光っているが、人が何かいうのを聞く度に、いちいち非常に驚いたという風に仰天すると、たしかにそれはぬっと前へ飛出して義眼のように光った。その様子だけはいかにも肝に銘じて驚いたという恰好だが、本心はどんなことにも驚いてはいない如く、眼先はあらぬ方をきょとんと眺めているのだ。多分彼は、真実の驚きという感情は経験したためしはないのではなかろうか。――頤骨がぎっくりと肘のように突き出て、色艶は塗物のような滑らかげな艶に富み、濃褐色であった。額が木魚のようなふくらみをもって張出し、耳は正面からでも指摘も能わぬほどピッタリと後頭部へ吸いつき、首の太さに比較して顔全体が小さく四角張って、どこでもがコンコンと堅い音を立てそうだった。また首の具合がいかにも亀の如くに、伸したり縮めたりする動作に適して長くぬらくらとして、喉の中央には深い横皺が幾筋も刻まれていた。え?え?え? と横顔を伸して来る時に、ふと真近に見ると眉毛も睫毛も生えていないようだった。
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