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明け方早く目を覚ますと、裏の山で何か聞きおぼえのある小鳥がしきりに囀っている。この夏、いろんな小鳥の啼きごえを教わったのは好いが、あんまり一遍に教わり過ぎて、どれがどれだか混んがらかってしまっていた。いまもいま、半分寝呆けて、その小鳥の声を耳にしながら、
「おい、あれはなんだっけな。……おい、おい、好いか、おれがそれを思い出せたら、お前も起きるんだぞ。思い出せなかったら、もっと寝かせてやるよ。」
妻はまだ眠たそうで、そんな小鳥なんぞどうでもよさそうだった。
私はそれには知らん顔で、一生懸命にその口真似をしては、その小鳥を思い出そうとしていた。
「あれは蒿雀だ。……」私は漸っとそれが思い出せると、飛び起きて、窓ぎわに寄っていった。其処から見えた赭松の一つの枝で小さなオリイブ色をした小鳥が二羽飛び交していた。それは蒿雀にちがいなかった。
「おい起きろよ。……」私はしかしそう云うだけで、妻を起しもしないでさっさと着換えをしだした。そうしてなんという事はなしに、きょうはこりあ好い日になるぞと一人で極めて、階下に往って顔を洗って来ると、例の小さな本を持ってヴェランダに出た。が、さて、こうやって待ち構えたような気分でいると、別に好い事なんぞは何処からも涌いて来そうもない。第一、けさは朝霧が下りていると云うのでもなしに、変にうす曇っていて、空も湖水も一めんに鈍色だ。妙高にも、黒姫にも雲が無くて、輪廓だけがぼおっとぼやけて見えている。なんだかこのままこうして一日中曇ってしまいそうな、そんな心細い曇り方だ。
曇ったら曇ったで、余所へいってもしようがあるまいから、晴れるまで此処に頑張って、静に本でも読んで暮らすのも好い。それが一番おれらしい。何、この本を読みにわざわざこの湖畔まで出掛けて来たとおもったって好いわけだ。
私はそう腹を据えると、妻はそのままゆっくり寝かせておく事にして、ヴェランダの籐椅子に靠れながら、曇り空の下で、例の小さな横文字の本を開いた。それはドロステ・ヒュルスホオフという独逸の閨秀作家の書いた「猶太びとの」という物語だった。南独逸の木深い谷を背景にして、酔払いの夫が或る吹雪の晩に森のなかで横死してからの、その寡婦と息子との荒んでゆく運命を、女にも似げない、強靭な筆で書いたものだった。丁度、私はその息子のフリイドリッヒが彼を養子にした叔父のシモンの悪い感化の下で次第に村のならず者になってゆく宿命的な経路を描いた物語の半ばを読みかけていた。――或日、森のなかでちょっとした事から彼が口論した一人の山林監視人がすぐそのあとで何者かに殺される。先ず嫌疑はフリイドリッヒにかかる。が、彼のアリバイが認められ、事件はそのまま迷宮に入ろうとする。次ぎの日曜の明け方、教会に往こうとして月あかりのなかに台所で祈祷書を捜していたフリイドリッヒは、戸口で寝巻姿の儘の叔父のシモンに呼びとめられる。二三の押し問答の末、フリイドリッヒは例の殺人犯人は実はその叔父であるのを知る。その儘、彼は教会へも往かずにしまう。……
そのとき漸っと起きてきた妻は、まだ眠そうに、黙ったまま私の横の籐椅子に腰を下ろした。私はそれを承知で、しかし本からは目を放さずに、その頁を読み了えてしまうまでじっとしていた。それから漸っと妻の方へほっとしたような顔を上げた。
「話してもいい?」妻は私の方を見た。
「きょうは御勉強、それとも何処かへお出掛けなさるの? なんだかはっきりしないお天気だけれど……」
「出掛けて、途中で雨にでも逢ったらつまらないから、此処でこうして本でも読んでいたいなあ……」
「それもいいわね。」
妻もいつかそんな気になっているらしかった。もうそういう気まぐれな私には慣れっこになっているので、そっとして置くよりしようがないと観念しているのかも知れなかったが……。そうと決まると、妻は落着いて髪を結いに部屋へ引っ込んだが、暫くするとこんどは自分も本を持って出てきた。そして私と並んで本を読み出した。
ときどき小鳥が、そんな私達の頭とすれすれのところを、幽かな羽音をさせながら、よろめくように翔んで過ぎった。
例の娘達の部屋はまだひっそりと窓掛けを下ろしたまま、何んの物音もしないでいた。そのうち漸っと目をさましたと見え、何か二人でぼそぼそと話し出しているようだ。それを好い機会に、私達は朝の食堂に下りて往った。
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まだその娘達が姿を見せないうちに、朝の食堂を出て来た私達は、部屋へは帰らずに、そのままぶらっと散歩に出た。ともかくも雨の降り出さないうちに、まあ出来るだけでもその辺を見ておこうと思って、外人部落のきのう往かなかった方へ道をとった。湖岸まで下りて見ると、対岸の斑尾の方はなんとなく薄明るくて、青磁色の空さえところどころ覗いている。こりあうまく往くと、ときどき薄日ぐらいは差すような天気になって呉れるかも知れない。
湖に沿った道をその部落のはずれまで往き切って、其処からこんどは落葉に埋まった急な坂を部落の方へ引っ返して往った。又、きのうと同様、すぐ面白いように人の家のなかへ踏み込んでしまう。ヴェランダ、鎧扉、木の段段、――どれもきのう見た奴と殆ど変りはない。なんだかきのうと同じ処を歩いているような感じだったが、ひょいと或る一軒の大きな別荘のなかへ迷い込んで、又引っ返そうとして、ふいと、その裏手の方を見ると、その裏木戸の上から白樺の木蔭になって「Green ……」という下手な横文字の看板の一部だけが見えていた。なんだかちょっと洒落た店のようで、何だろうとおもって、その裏木戸に近づいてみると、白樺の木にかくれていた半分は「…… Grocery」――なあんだ八百屋だったのか。だが、こんな家の裏手にぴょこんと八百屋が一軒あるきりなんて云うのはおかしいと思って、ずんずんその裏木戸を押しあけてみると、そこにはその八百屋をはじめ雑貨屋だの、理髪店だの、氷屋だのの看板を出した掘立小屋が一塊りに立っている。そして其処は道が三叉になって、東の方から上って来た道がそこで分かれて、一方は今の別荘の裏を通って外人部落のなかに消え、もう一方はこれは昔ながらの村道らしく、西に向って爪先下りに下がっていって、二町程先きで森のなかにはいっている。森の上には黒姫山が大きく立ちはだかっている。その左手に、やや遠くになって見えるのは戸隠山だろう。ここは、本当に信濃路という感じだ。その三叉になったところには、さっきの掘立小屋のほかに、昔ながらの百姓家が数軒立ち並んで一小部落をなしている。それらの薄ぎたない百姓家は、外人部落なんぞとは何んの交渉も無さそうにいずれもそっちには強情に背中を向けて、昔のまんま黒姫や戸隠の方ばかりを向いている。いかにも一茶のような俳人を生んだ田舎らしい面がまえだ。そういう田舎田舎した部落と、例のハイカラな外人部落とが、一つの木戸ごしに、お互に無頓着そうに背中合わせになっている。そういうところが、私にはなんとも云えず面白かった。
どうやらお天気も当分このまま保ちそうで、薄日が相変らず射したり消えたりしている。私達は暫くその三叉路のところでぐずぐずしていたが、いつまでもそうしていてもしようがないので、東に向う道を歩いて往って見る事にした。なんだかその笹で縁どられた道の感じでは、それが何処かでホテルの裏を通っている道と一しょになっていそうだった。その道を歩いて往くと、すぐ南の方に飯綱山が木の間ごしに穏かな姿を見せ出した。
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昼飯の後、私は自分の部屋に閉じ籠ったり、ヴェランダの籐椅子に足を伸ばしたりしながら、大へんお行儀悪く「猶太びとの」を読みつづける。物語はいよいよクライマックスらしい村の或る婚礼の場面になる。その席で、息子のフリイドリッヒの運命は遂に荒れ狂う。先ず、彼と大の仲好しの、彼と瓜二つに似た、孤児のヨハンが台所からバタアを盗み損って皆から追い出される。それだけでもフリイドリッヒは引け目を感じたのに、皆に見せびらかした銀時計の事から、金貸の猶太人にみんなの前で辱しめられる。その晩、その猶太人が森のなかの大きなの下に殺されている。フリイドリッヒもヨハンもゆくえ知れずになる。老いた母だけがあとに淋しく残る……
私はとうとう物語の結末だけを残して、その本を閉じた。そうして籐椅子に靠れながら、疲れた目をしばらく湖水の面に注いでいた。相変らず薄曇った空、薄ぼんやりした山、鈍く光っている湖、――それ等はしかし、どうやらそれなりに落ち着きを持ち出しているように見えた。
同宿の外人の娘達も、午後中、何処へも出ずに無聊そうに部屋でごろごろ横になっているらしい。そのうち二人で本でも読み出したらしい。なんの本だか、薔薇色の娘の方が低い声でそれを音読している。ポロシャツの娘はそれを聞きながら、ときどき他愛ない笑い声を立てる。
「おい」と私は丁度ヴェランダに出て来た妻をかえり見た。「ちょっと向う岸に渡って見たいなあ。下の貸ボオト屋へ訊いたら、なんとかして呉れないかしらなあ。」
「往って見ましょうか?」
妻は本を読むおつき合いをさせられるよりかその方が賛成だった。私達はホテルを出ていった。前の急な坂を下りかかると、その途中で、一人の、空の畚を背負い、息苦しそうにすっかり胸をはだけた、よぼよぼのおじいさんとすれちがいざま、何か問いかけられた。少くともそんな気がして、二人で一緒にふりむくと、そのおじいさんは何やら喘ぎ喘ぎ私達に向って物を言っているのだが、それがなかなか聞きとれなかった。なんでも私達がいま道で、馬を曳いて往った自分の娵に往き遭ったろうが、どの位先きへ往ったかを知りたいらしい事が漸く分った。私達はすぐ上のホテルから飛び出してきたので、そんなものは見かけなかったから、知らないと云うと、なんだか怪訝そうな顔をして、いつまでも私達を見つめていた。それ以上どうにも私達にはしようがないので、そのまま坂を下りはじめながら、もう一度ふり返って見ると、おじいさんはそこに屈んで何かしきりにごそごそやり出している。其処に誰かの穿き棄てていったらしい草鞋を拾って、それを自分のぼろぼろになったのと穿き換えているのである。浮浪者でもなさそうだが、何処か近在へ働きにいった帰りにしては様子が変だ。
「何者だろうね?」
「可哀そうのようだわ」
「でも、おれにはああいうのはやり切れない。何んとかもう少しならないのかなあ」
私はそう口では云いさしながら、ふいとドロステ・ヒュルスホオフの物語に出てくる、運命の圧力のために理性の勝った女からだんだん愚かな老人に変ってゆく母親のマルガレエテの事を思い出した。
湖岸の船宿にちょっと立寄って、声をかけたが返事がないので、どのみち駄目そうだとおもって、帰ろうとしかけると、漸っと出てきた赤ん坊を負ったお上さんらしいのに呼び戻された。モオタア船を出して貰えまいかと云うと、これもしばらく何か怪訝そうに私達を見つめていたが、――どうもそれはこのへんの村人達の困ったようなときの表情なのか知らん? ――やがて私達に言うのには、ゆうべ向うの岸の村で婚礼があって、あるじはそれに招ばれて、モオタア船に乗って出掛けたまま、いまだに戻らないのだそうだった。それからお上さんは又云った。あすの朝早く出征する方を向う岸へ渡す約束がしてあるのだが、それに間に合うように帰って貰わなければ本当に困ってしまう、とその困っている事情の相談相手にまで私達をしかねなかったので、私達は忽々にそこから引き上げた。
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