……なんだかごたごたした苦しい夢を見たあとで、やっと目がさめた。目をさましながら、私は自分の寝ている見知らない部屋の中を見まわした。見たこともないような大きな鏡ばかりの衣裳戸棚、剥げちょろの鏡台、じゅくじゅく音を立てているスティム、小さなナイト・テエブルの上に皺くちゃになって載っている私のふだん吸ったことのないカメリヤの袋(私はそれを何処の停車場で買ったのだか思い出せない)、それから枕もとに投げ出されている私の所有物でないハイネの薄っぺらな詩集、――そう云うすべてのものが、ゆうべから私の身のまわりで、私にはすこしも構わずに、彼等の習慣どおりに生き続けているように見えた。今しがた見たことは確かに見たのだが、どうしても思い出せない変にごたごたした夢も、それまで自分はぐっすり眠っていたのだという感じを私に与えはしているものの、同時に、まるで他人の眠りを借りていたかのような気にも私をさせないことはなかった。……
私はベッドから起き上ると、窓を開けに行った。しかしその窓のそとはすぐ高い石囲いで、石囲いの向うには曇った空と、隣りの庭のすっかり葉の落ちきった裸の枝先きが見えるきりだった。が、その窓を通して、しっきりなしに汽船のサイレンがはいってきた。その聞きなれない異様な叫びは、自分がいま東京から離れている、目に見えない長距離を、一瞬間、私の目に浮び上らせそうにした。そういう喧騒の中からひょっくり生れてきかかった一種の旅愁に似たもの、――私は再び窓を閉じた。……
そうすると今度は、私の背中合わせの部屋から、タイプライタアの何かにじゃれているような音が聞えてきた。が、それはだんだんいらいらしたような音に変りながら、すぐ止んでしまった。私はゆうべこのホテルに着くなりすぐ目に入れたところの、廊下の隅にほうり出されていた、錆びかかったようなタイプライタアを思い出した。――それにしても、一体いまは何時ぐらいなのか少しも分らない。まだ朝飯は食わしてくれるのかしらと思いながら、私はボオイを呼ぶために、窓とは反対の側の、ドアを開けてみた。食堂は私の部屋と隣り合わせになっているらしい。そこからは途切れ途切れな話し声に雑ってときどき皿にぶつかるスプーンやナイフの音が聞えてくる。……しかしそれは誰かがまだ朝飯を食べているのか、それとももう昼飯を食べ出しているのか、わからない。……どうも具合がへんだから、私はドアを開け放しにしておいて、もう食堂からボオイが出て来そうなものだと待ち伏せていた。
やっと食堂からボオイが姿を現わした。支那人らしかった。私は彼が日本語を解するのかどうかを知らなかったので、英語と日本語をまぜこぜにしながら、
「Brekfast ――まだ出来る?」と聞いた。
「どうぞ――」と言ってボオイは空皿をもった手で食堂の入口を示したが、そのまま無愛想にコック場の方へ行ってしまった。
私はなんだか一人きりでそんな食堂の中へはいって行くのが気づまりだったので、ボオイが再び皿を運んで来ながら私の部屋の前を通るのを待っていた。丁度その廊下の映っている鏡に向ってネクタイを何度も結び直しながら、あたかもそれがために何時までも愚図愚図しているかのように装って。
やっとのことで再び姿を現わしたボオイの跡にくっついて食堂の中へはいってみると、食堂と云うのもほんの名ばかりであって、二つの部屋をぶち抜いて、そこに安っぽい花模様のあるクロオスを掛けた卓子が五つか六つ置いてあるきりだった。中央の大きな卓子にはホテルの主人夫婦が珈琲を飲んでいた。そうして向うの壁ぎわの隅の小さな卓子には、青色のブラウスを着て、ブロンドの髪をした十八九の娘がひとりと、それから中庭に面して一段低くなったヴェランダのようなところに卓子が二つ置いてあったけれど、その一つには、黒っぽい着物を着たふたりの女――栗色の髪をして綺麗に化粧した二十七八の若い女と老眼鏡をかけたその母親らしいのが差し向いで食事をしていた。そこのもう一方の空いた卓子が私にあてがわれたのである。食堂の時計を見ると十一時近くであった。もうこんな時刻だのに、この食堂がこんな女達ばかりなのには私はちょっと異様な気がした。私が這入ってゆくのを認めると、珈琲を飲みかけていた主人が私の方へ顔を向けて微笑みかけながら「ゆうべはよく眠れたか?」と英語で訊いた。それだけならいいが、それと同時に、他の女達が一ぺんに私の方をけげんそうにふり向いたので、私は少しどぎまぎしながら、反射的に微笑を浮べたまま、主人にうなずいて見せた。やがてこんな stranger によってちょっと中絶された会話をみんなは再び続け出したらしかった。ときどきヤポンスキイという言葉が混じる。ひょっとすると俺のことでも話しているのかしらんと思いながら、そんな空想によってかすかな気づまりを感じながら、私は食堂の窓から、半ば寝ぼけた顔つきで中庭を眺めていた。が、それは中庭といっても、狭苦しくって、樹木なんぞは一本も植っていず、ただ空箱の上に一鉢の菊が置かれてあるっきりだった。しかもそれすら汚らしく枯れたまんまだった。……
小さなトランクひとつ持たない風変りな旅行者の一種独特な旅愁。――私はさっぱり様子のわからない神戸駅に下りると、東京では見かけたことのない真っ白なタクシイを呼び止め、気軽に運賃をかけ合い、そこからそうしつけている者のように、元町通りの方へそれを走らせた。もっとも通行人を罵る運転手の聞きなれないアクセントは私をちょっとばかり気づまりにさせたが。……
元町通り。店店が私には見知らない花のように開いていた。長い旅のあとなので、すっかり疲れきり、すこし熱気さえ帯びていたけれど、それでも私は見せかけだけは元気よくコツコツとステッキを突きながら、人々の跡から一体どんな方角へ行くのかわかりもせずに歩き続けていた。今夜何処へ泊ったものやらまだ目あてのない旅行者で自分があることに誰からも気づかれまいと思って……。私はとある珈琲店の中へ気軽そうにはいって行った。ただその店の名前が東京で私の行きつけている珈琲店の名前に似ていたばっかりに。私はそこから須磨のT君のところへ電話をかけた。T君はすぐ私のいる店へ来ると言った。そうして私がまだ一杯のオレンジエードを飲んでしまわないうちに、そのT君が元気よくはいって来た。彼はベレ帽をかぶり、なんだか象の皮のような外套を着込んでいた。
それから私たちは薄ぐらい山手通りを、狭い坂を上ったり下りたりしながら、小さなホテルから小さなホテルへと歩き廻っていた。しかし私の気に入ったホテルはひとつも無かった。私たちは再び中山手通りへ出た。しかしそのだだ広いだけ、かえって薄ぐらい感じのする電車通りには、ほとんど人影がなかった。T君が突然立ち止まった。そうして電車通りの向う側にある一つの赤ちゃけた小ぢんまりした建物を指さした。その家の上の、煤けたなりに白白とした看板には、
HOTEL ESSOYAN[#「HOTEL ESSOYAN」は斜体]
という横文字が、建物と同じような赤ちゃけた色で描かれてあるのが、ぼんやりと読めた。遠くからそれを一目見たきりで、その小さなホテルは私の気に入った。――と見ると、その電車通りに面した二階の窓の一つが開かれていて、それが細長い光りを暗い鋪道の上にくっきりと落していた。そしてその窓からは、逆光線を浴びているので、年よりなのか若い女なのか見当のつかない、そして髪の毛だけがきらきらと金色に光っている、一つの女の顔が、そのホテルの方へと電車の線路を横切りつつある私たちの方を窺うようにしていたが――それはちょっと無気味な感じだった――私たちがその窓の下までくると、向うでも私たちを恐れるかのように、その窓は閉されてしまった。
私たちは小さな石段を昇り、そこのベルを押した。しかし、いつまでも、誰も出て来そうな気配がしない。そこでT君が再びベルを押したり、ノッブを廻してみたりしている間、私は石段を下りて、もう一度それがホテルであるかどうかを確かめるため、さっきの看板をふり仰いで見た。そうしてその赤ちゃけた横文字をホテル・エソワイアンと読みにくそうに口の中で発音しながら、今度はその大きな横文字の下方に、ずっと小さな字で TEL.[#「TEL.」は斜体]と描かれてあるのまで認めた。しかしその電話番号のあるべき場所は空虚のまんまだった。そしてそこだけが気のせいか他処より一そう白白と見えるのは、そこに最近まで書かれてあった電話番号がいまは白いペンキで塗りつぶされてあるのかも知れなかった。
やっとのことで表扉が大きく軋みながら開かれた。そしてその内側には、そのホテルの主人らしい、すこし頭の禿げかかった、私たちよりも背の低いくらいな毛唐が、ノッブを握ったまま突っ立っていた。T君が英語でもって部屋はあるかと声をかけた。するとその主人はそれよりもっと下手糞な英語でそれに応じた。(私はへんに重々しげなアクセントによって彼が露西亜人らしいのを認めた。)――いま自分のところには階下に小さな部屋が一つ空いているきりだ。それも丁度いまその部屋の借り手が東京へクリスマスをしに行っているので、その間だけなら貸すことが出来る、というような意味のことをT君に言っているらしかった。そんな部屋の交渉は一切T君に任せたきり、そこの玄関口に無雑作にほうり出されてある埃まみれの本棚だの、錆びかかったタイプライタアだのへ目を注いでいた私は、やっと顔を持ち上げながら、どうせ私も二三日ぐらいしか泊らないつもりだからそれを見せて貰おうじゃないかとT君を促した。T君がそれを主人に通訳してくれた。さっきからT君の方をばかり見ていたその主人は、今度はそのおずおずしたような視線を私の方へ注いで、ではひとつその部屋を見てくれと言いながら、先きに立って、便所やらコック部屋やら浴室やらの前を通りぬけながら、ずっと奥まった部屋へ――そんな奇妙なところに二つばかり小さな部屋があるのだが、その一つのなかへ私たちを導き入れた。
そんな奥まった小さな部屋へはいると、いきなりT君が仏蘭西の何処とかの田舎で泊ったことのある古い旅籠の部屋にそれがそっくりだと言い出したので、私もそうかなあと思いながら、そこにある古ぼけた寝台だの、いやに大きな鏡ばりの衣裳戸棚だの、剥げちょろな鏡台だの、小さなナイト・テエブルだのを眺め廻しているうち、それがいかにもそんな外国の片田舎にありそうな旅籠屋のような気がしだした。そしてこの悲しげな部屋がいまの私の心に不思議なくらい似つかわしいように思えた。
その小さな部屋が朝飯つきで一泊三円だという。そこで私はともかくも十円札を一枚だけ渡しておいた。そうすると、その時までともすると、小さなトランクひとつ持っていない私たちを妙に不安そうな眼つきで見がちだった、すこし頭の禿げたその主人は急にそわそわし出したように見えるくらい愛想よくなって、私の方を向きながら、それではお前もこちらにクリスマスを送りに来たのかなどと問い出した。私はまた私で、やがてその主人のかかえてきた大きな宿帳に、露西亜人や波蘭人らしい名前ばかりの並んでいる下へ自分の名前をぶきっちょな羅馬字で書きつけているうちに、クリスマスなんかを一向楽しいとも思ったことのない私であったが、なんだか不意に、明日からのクリスマスを楽しく送りに、わざわざこんな神戸くんだりまでやって来たかのような気にさえなり出したほどであった。……
T君が明日また正午頃来るからと約束して帰ってしまうと、私は今朝から汽車に乗りどおしだったので、さすがに疲れていたし、どうやら熱もすこしあるらしいので、すぐ服をぬいで、シャツだけになって、寝台に横になった。それでもその部屋は小さいだけ、スティムで蒸し暑いくらいだった。が、さて横になってみると、私はこんな慣れない部屋の中ではなかなか寝つかれそうもなかった。あいにく読む本は一冊も持っていない。その時私は、つい今しがたこの部屋を片づけに来たホテルの主婦らしい女が、鏡台の抽出しから腕いっぱいに書類を取り出して、それを他の部屋へ移そうとするのを見て、それはそのままにして置いてもいいと言ったら、それを又元のところへ入れ直して行ったのをひょっくり思い出した。私はベッドから起きて行った。そうしてその抽出しに手をかけようとした時、ちょっと気がとがめたが、どうせこんなところへ入れっ放しにして置くほどのものなら大事なものではあるまいと思い直して、それを構わずに開けてみた。抽出しの中はなんだか私の読めない露西亜語の本ばかり詰まっていたが、なかに一冊独乙語の薄っぺらな本の雑っているのを見つけた。それから小さな独露辞書らしいものもあった。その薄っぺらな本を手にとって見ると、モスコオで発行されたハイネの小さな詩集であった。これゃあいいものがあったと、私はそれを手にしたまま、再びベッドにもぐり込んだ。ぱらぱらと頁をめくってみると、或る頁に名刺ぐらいの大きさの写真が一枚んであった。雀斑のありそうな、若い男の写真である。この露西亜人らしい男が、この部屋の借り手で、そしてこのハイネの詩集を読んでいるのかと思ったら、ちょっと懐しい気がした。私はそれを注意深くもとの頁に んで、それからこんどはその巻頭にある「五月に」(Im Mai[#「Im Mai」は斜体])という詩を、一字一字丁寧に見つめながら読んでいった。
Die Freunde, die ich gek
sst und geliebt,
Die haben das Schlimmste an mir ver
bt.
Mein Herz bricht ……
[#ここまでの3行は斜体]
――しかし独乙語はなにしろ高等学校でちょっと習ったきりなので、その詩のなかの太陽だとか薔薇だとか心臓だとか五月の空だとか、そんな簡単な名詞ぐらいは覚えていたけれど、肝腎な形容詞や動詞をすっかり胴忘れてしまっているので、私は自分の空想力でやっとそれを補いながら読んでみたのであるが、どうもそんな私に分かる語彙だけから見ると、その詩はおよそ私の現在の気持からはあまりに懸け離れていそうに思えたので私はその詩の意味をちっとも嚥み込めないうちに、その小さな本を私の枕もとに伏せてしまった。それに私はいい具合にすこしうとうとしだしたものだから……
正午ごろ、T君が私を誘いに来てくれた。それから二人でホテルを出ると、一時間ばかり古本屋だの古道具店だのをひやかしたのち、海岸通りのヴェルネ・クラブに行った。しゃれた仏蘭西料理店だ。そこの客は大概外国人ばかりだった。私たちが一隅の卓で殻つきの牡蠣を食っていると、兎の耳のようにケープの襟を立てた、美しい、小柄な、仏蘭西女らしいのが店先きにつと現われて、ボオイをつかまえ、大事そうに両手でかかえている風呂敷包を示しながら、何やら片言まじりの日本語で喋舌っている。私には「ネープルをもってきました」と言ったようにそれが聞えた。ボオイはなんだか解らないような顔をして奥へ引っ込んでいったが、それと入れちがいにその料理店の主人らしいのが出て来て、仏蘭西語で愛想よく一人一人に挨拶をしながら客たちの間を通り抜けて、その婦人の方へ近よって行った。その時その婦人が風呂敷包を開けながら、ヴェルネ氏に渡したものをちらっと見ると、それは一匹の可愛らしい三毛猫であった。ネコといったのを私はネープルと聞きまちがえたのであった。ヴェルネ氏はそれをにこにこして受取りながら、しきりに Trs bien ! Trs bien ![#「Trs bien ! Trs bien !」は斜体]と繰り返している。おしまいには婦人までが鸚鵡がえし
に Trs bien ?[#「Trs bien ?」は斜体]と二度ばかり口ごもる。低くはあるが、いかにも満足したような声である。
私たちはそれからマカロニイやら何やらを食べて、その店を出た。そうして私たちはすぐ近くの波止場の方へ足を向けた。あいにく曇っていていかにも寒い。海の色はなんだかどす黝くさえあった。おまけに私がそいつの出帆に立会いたいと思っていた欧洲航路の郵船は、もうこんな年の暮になっては一艘も出帆しないことがわかった。私の失望は甚だしかった。そうしてただ小さな蒸汽船だけが石油くさい波を立てながら右往左往しているきりだった。ときどき私たちとすれちがって行く仏蘭西の水兵たちの帽子の上に、ポンポン・ルウジュが、まるで嬉しがっている心臓のように、ぴょんぴょん跳ねていたが、それが私の沈んだ心臓と良い対照をした。海岸通りの何とかいう薬屋のショオウィンドを覗いたら、パイプやなんかと一緒に五六冊、英吉利語の本が陳列されてあった。そのなかにふと海豚叢書の「プルウスト」を見つけたので、ゆうべの読みづらかったハイネの詩集を思い出しながら、その薬屋のなかへ這入ってその小さな本を買った。T君の話では、この店にはときどき随筆物で面白い本が来るのだそうだ。それからまた、私たちはその窓から電話やタイプライタアの強請ったり吃ったりする音の聞えてくる商館の間を何となくぶらぶらしてみたり、今では魚屋や八百屋ばかりになった狭苦しい南京町を肩をすり合せるようにして通り抜けたりしたのち、今度はひっそりした殆ど人気のない東亜通りを、東亜ホテルの方へ爪先きあがりに上った。その静かな通りには骨董店だの婦人洋服店だのが軒なみに並んでいる。ヒル・ファルマシイだとか、エレガントだとか云う店は毎年軽井沢に出張しているので私には懐しく、ちょっとその前を素通りしかねた。とあるネクタイ屋のショオウィンドに洒落れたネクタイが飾ってあるので近づいて行って、覗こうとしたら、何処からか犬が私たちに吠えついた。あたりを見廻しても、犬なんかいないのだ。やっと気がついて頭を持ち上げて見ると、そのネクタイ屋の二階には看板の代りに、このへんの大概の洋館のようにバルコンがついていて、そこの緑色の亜字欄に精悍そうなシェパアドが一匹縛りつけられていたが、そいつが私たちに吠えているのであった。ネクタイ屋の看板にしては、これはすこし物騒すぎる。聖公教会の門のところに、まるで葡萄の房みたいに一塊りに、乞食どもがかたまっている。私たちがそれを不思議そうに見過ごしながら、それからすこし急な坂を上ってゆくと、今度は一軒の立派な花屋の前に、何台も何台も、綺麗な自動車ばかりがかたまっている。その時やっと教会と乞食と花とが私の頭のなかで唐草模様のように絡み合って、私に、今夜がクリスマス・イヴであるのを思い出させた。……私はそこでT君の方へふりかえりながら言った。
「これから外人墓地へでも行ってみようか?」
「うん――君さえ元気があれば行ってもいいよ……」
「そうだなあ……」
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