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美しい村(うつくしいむら)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-10-25 15:31:30  点击:  切换到繁體中文


 私たちは、少しぎごちなさそうに腕を組んだまま、例の小さな木橋を渡った。それからその流れの反対の側に沿って、サナトリウムへの道に這入はいって行った。その途中にずっと続いている野薔薇のばら生墻いけがきは、すでにその白い小さな花をことごとく失った跡だった。そんな葉ばかりになってしまっている野薔薇の茂みは、それらが花を一ぱいつけていた頃のことを、殆んど強制的に私に思い出させはしたけれど、私はそれがどんなになっていようとも、もうそれには少しも感動できなくなっていた。それほどあの頃からすべてが変っていた。そしてそれが何もかも自分の責任のような気がされて、私はふっと気がふさいだ。……が、それらの生墻の間からサナトリウムの赤い建物が見えだすと、私は気を取り直して、黄いろいフランスぎくがいまをさかりに咲きみだれている中庭のずっと向うにある、その日光室サン・ルウムを彼女に指して見せた。丁度、その日光室の中には快癒期かいゆき患者かんじゃらしい外国人が一人、籐椅子とういすもたれていたが、それがひょいと上半身を起して、私たちの方をものげなまなざしで眺め出した。――それから私たちは、なおもその流れに沿って、そこいらへんから次第にアカシアの木立にふちどられだす川沿いの道を、何処までも真直に進んで行った。それらのアカシアの花ざかりだった頃は、その道はあんなにも足触あしざわりがやわらかで、新鮮しんせんな感じがしていたのに、今はもう、あちこちに凸凹でこぼこができ、きたならしくなり、何んだかいやなにおいさえしていた。その上、それらのアカシアの木立は、まだみんな小さいので、はげしい日光から私たちを充分じゅうぶんかばうことが出来ないので、その川沿いの道はそれまでの道よりも一層暑いように思えた。私たちは途中からそれらのアカシアの間をくぐり抜けて、丁度サナトリウムの裏手にあたる、一面によしの這っている、いくぶん荒涼こうりょうとした感じのする大きな空地へ出た。其処そこからは、村のとうげが、そのまわりの数箇すうこの小山に囲繞いにょうされながら、私たちの殆んど真向うにそびえていた。――梅雨期ばいうきには、その頃の私自身の心の状態のせいだったかも知れないが、その奥には何かしら神秘的なものがあるように思えてならなかった。その峠も、いまは何物をも燃やさずにはおかないような夏の光線を全身に浴びながら、何んだかほのおのようにゆらめいているような感じで、私たちにせまっていた。……
 彼女は、その燃ゆるような山なみを、サナトリウムの赤い屋根を前景に配置しながら、描いてみたいと言った。そしてそれを適当な角度から描くために、そんなはげしい光線の直射するのにも無頓著むとんじゃくのように、その空地のやや小高いところを選ぶと、三脚台さんきゃくだいえて、その上へ腰かけ、ななめにかぶった運動帽の下からときどきまぶしそうな顔を持ち上げながら、その下図をとりだした。……私は彼女の仕事の邪魔じゃまにならないように、いつものように彼女を其処に一人きり残しながら、再びさっきの土手に出て、やや大きなアカシアの木蔭こかげを選んで、そこに腰を下ろしていた。そうして私の前の小さな流れの縁を一羽の鶺鴒せきれいさびしそうにあっちこっち飛び歩いているのにぼんやり見入っていると、突然、私の背後のサナトリウムの方からその土手をうんうん言いながら重たそうに荷車を引いてくる者があるので、私は道をあけようとして立ち上った。見ると、それは一台の塵芥車ごみぐるまだった。私は、とんでもないものがこんなところを通るんだなあと思いながら、道ばたの灌木かんぼくの中へすっぽりと身体からだを入れながら、よそっぽを向いていた。が、その塵芥車がやっと私の背後を通り過ぎたらしいので何気なにげなくちらりとそれへ目をやると、その箱車のなかには、鑵詰かんづめの鑵やら、とうもろこしの皮やら、英字新聞の黄ばんだのやら、草花のれたのやらが、一種汚らしい美しさで、ぎっしりとまっていた。そしてその車の通った跡には、いつまでもくさった果物に似たにおいがただよっていた。……私はこんな塵芥車のようなものにも、いかにもこの外国人の多い村らしい独得な美しさのあるのを面白おもしろがって、それをちょっと見送った後、再びさっきのアカシアの木蔭へぼんやり腰を下ろしていると、ものの数分と経たないうちに、私はまたしても私の背後へ近づいてくる車の音でもって、立ち上らなければならなかった。それもまた、前のとそっくり同じような、塵芥車だった。そしてそれから小一時間ばかりの間に、私はこの土手を通りすぎる同じような塵芥車を、ほとんど十台ぐらい数えることが出来た。――何処かこの先きの方にでも、きっとこの村の芥棄ごみすて場があるんだなと、それにはじめて気がつくやいなや、私はっとのことで、このサナトリウムの土手がこんなに凸凹になり、汚らしくなっている原因にも気がつきだした。そうしてそれとほとんど一緒に、もうこんなにこの村には沢山たくさんの外国人がはいり込んでいるのかなあと思いながら、私はすこし呆気あっけにとられたように、いましがた私の背後を通り過ぎて行ったばかりの、その最後の塵芥車ごみぐるまをいつまでも見送っていた。……


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   暗い道

「どっちへ向いて行くんだか、私にはちっとも分らないわ」彼女はいくらかうわずったような声で言った。
「実は僕にも分らなくなっちゃったのさ……」私はそう返事をしながら、彼女の方を見やったが、その白い顔の輪廓りんかくがもうほとんど見分けられないくらいの暗さになりだしていた。実際私自身にもこんな風に私たちの歩いている山径やまみちの見当がちょっと付きかねていたのだけれど、私はわざとそれを冗談じょうだんのように言いまぎらわせていたのだった。
 ――その日、私が私の「美しい村」の物語の中にえがいた、二人の老嬢ろうじょうたちのもと住まっていた、あの見棄みすてられた、古いヴィラの話を彼女にして聞かせると、それをしきりに見たがったので、私自身はもうそんなものは見たくもなかったのだけれど、そのれ果てたヴェランダから夕暮ゆうぐれの眺めがいかにも美しかったのを思い出して、夕食後、ともかくもそのヴィラまで登って行ってみることにした。恐らくあの家はまだあのまんまになっているだろうと予想しながら。……が、だんだんそのヴィラが近づいてくるにつれ、私は何んだか急にそんな自分のゆめ残骸ざんがいのようなものを見に行くのがいやな気がし出したので、そろそろ日が暮れかけて来たのをいい口実に、まだ山径がこれからなかなか大へんだからと言って、私たちはその途中から引っ返すことにした。――その帰りみち、私はその代りに、まだ彼女が知らないというベルヴェデエルのおかの方へ彼女を案内するため、いましがた登ってきたのとはちがった山径を選んでいるうちに、どう道を間違まちがえたのか、そのへんからもう下り道になってもよさそうな時分だのに、いつまでもそれが爪先つまさき上りになっていて、私たちはその村の中心からはますます反対の方へ向いつつあるような気がしてきた。まだこの村にこんな私の知らない部分があることを心のうちではおどろきながら、しかし私はそのへんをいかにも知りいているようによそおいながら、さっさと彼女を導いて行った。が、私たちはともすると無言になるのだった。……いつのまにやらもうすっかり日が暮れていた。私たちの歩いている道の両側の落葉松からまつなどがび切って、すこし立てんでいたりすると、私はほとんど彼女の着ているワンピイスの薔薇色ばらいろさえ見さだめがたい位であった。ただときどき彼女のかたが私の肩にぶつかるので、自分のそばに彼女を近ぢかと感じながら歩いていた。そうかと思うと、木立の間からだしぬけにそのおくにあるヴィラのあかりが下枝したえごしに私たちの肩に落ちて来て、知らずらずに身をすり寄せていた私たちを思わず離れさせた。――そんなヴィラの数がだんだん増え出して来たらしいことが、いくらか私たちをほっとさせていた。……
 突然、私は心臓をしめつけられたように立ち止まった。私はそれらのヴィラに見覚えがあり出すのと同時に、これをこのまま行けば、私がこの日頃そこに近寄るのを努めてけるようにしていた、私のむかしの女友達の別荘べっそうの前を通らなければならないことを認めたのだ。そして私は、その一家のものが二三日前からこの村に来ていることを宿のじいやから聞いて知っていたのだ。しかしもうさんざん彼女を引っ張りまわした挙句あげくだったし、私もかなり歩きつかれていたので、この上まわり道をする気にはなれずに、私は心ならずもその別荘の前を通り抜けて行くことにした。……だんだんその別荘が近づいて来るにつれ、私はますます心臓をしめつけられるような息苦しさを覚えたが、さて、いよいよその別荘の真白まっしろさくが私たちの前に現われた瞬間しゅんかんには、その柵の中の灯りの一ぱいに落ちている芝生しばふの向うに、すっかり開け放した窓枠まどわくの中から、私の見覚えのある古い円卓子まるテエブルの一部が見え、その上には、人々が食事から立ち去ってからまだ間もないと言ったように、丸められたナプキンだの、果物の皮の残っているさらだの、珈琲茶碗コオヒイぢゃわんだのが、まだ片づけられずに散らかったまま、まぶしいくらい洋燈ランプの光りを浴びてきらきらと光っているのを、私は自分でも意外なくらいな冷静さをもって認めることが出来た。いい具合ぐあい其処そこにはだれも居合わさなかったせいか、それともまたそれは、その瞬間までに、私のなかの不安が、既にその絶頂を通りしてしまっていたせいであったろうか? ともかくも、私はかなり平静に近い気持で、ただちょっと足を早めたきりで、その白い柵の前を通り過ぎることが出来た。……そんな私の心のなかの動揺どうようには気づこうはずがなく、彼女は急に早足になった私のあとから、何んだか怪訝けげんそうについて来ながら、
「まだ、なかなか?」とすこし不安らしく私に声をかけた。
「うん……ますます見当がつかないんだ」
「そんなことばかし言って……」彼女はそんな私の本気とも冗談ともつかないような態度にとうとう腹を立てたように見える。そうしてそんな私を非難するような口吻くちぶりで、
「早く帰らない?」と言った。
「じゃ、一人でお帰りなさい」と私はいまはもう微笑びしょうらしいものさえうかべながら返事をした。
「意地わる!」
「だって、ほら、其処知っているでしょう?」と私は、私たちの行く手の暗がりの中に小さなせせらぎが音立てているのを指しながら、「水車の道じゃないの?」と快活そうに言った。「まあ、本当に……」と彼女はまだ何んだかそれが信じられないと言った風に自分の周囲を見廻わしていた。私たちはすでに、林のなかを抜け出して、昔、水車場のあった跡にたたずんでいたのだった。――そこで道が二股ふたまたに分かれて、一方は「水車の道」、もう一方は「本通り」へと通じていた。どっちからでも、もうすぐ其処の宿屋へは帰れるのだが、水車の道の方からだと例のかなりけわしい坂道を下りなければならなかったので、私たちは本通りの方から帰ることにした。で、その後者の道をとって、そのきあたりから本通りの方へ曲ろうとした途端とたんに、私は、その本通りの入口の、ちょうど宿屋の前あたりから、ぽうっと薄明うすあかるくなりだしているの中に、五六人、一かたまりになった人影ひとかげがこちらを向いて歩いてくるのを認めた。私はどきっとして立ち止まった。どうやらそれが私の昔の女友達どもらしく見えたからだ。……私は急に、私のそばにいる彼女の腕をとって、向うから苦手の人が来るらしいのでつかまると面倒めんどうくさいからと早口に言訣いいわけしながら、いま来たばかりの水車場の方へ引っ返していった。そうして再びさっきの小川のふちならんで立ちながら、その人達がそのまま本通りの方から来るか、それとも宿屋の裏の坂を抜けてくるか、どっちから来るだろうと、両方の道へ注意を配っていた。……そしてそっちにばかり注意をうばわれていたので、私たちは、私たちの背後の、いましがた其処から私たちの出てきたばかりの林の中から、数人のものが懐中電気かいちゅうでんきを照らしながら、出てくるのには全然気がつかずにいた。突然とつぜん私たちはその懐中電気のまぶしい光りを浴びせられた。私たちはびっくりしてその小川の縁をはなれた。……しかし懐中電気を手にしていた男の方でも、そんなところに思いがけず私たちが突っ立っていたのに、面喰めんくらったらしかったが、その一人が私だと気がつくと、
「××君じゃない?」と私の名前をためらいがちに言った。そう言われて、私が一層驚いて、まぶしそうに顔をしかめながらり向いて見ると、それは私の学生時代からの友人であった。それと同時に、私はその友人の背後に、若い女たちが二三人、まだ不審ふしんそうにやみかしながらこちらを見つめているのに気がついた。それはその友人の若い妻君や妹たちであった。私は彼女たちにちょいと会釈えしゃくをして、それから気まり悪そうに微笑しながら、
「なあんだ、君たちか! ――何時いつ、こっちへ来たの?」
「昨日来た。さっき君んところへ寄ったら留守だと言うんで、それから細木さんのところへ行って見たんだ。あそこの家もみんな出払ではらっているんだ……」
 私はその友人の言葉を聞き終えるか終えないうちに、本通りの方の曲り角から一かたまりの人影がこっちへ曲って来だしたのを認めた。
「じゃあ、構わないから、ぼくんところへ寄って行けよ」
 そう言い棄てて、私はさっさと一人で水車の道の方へ歩き出した。そうして私は二三のヴィラの前を通り過ぎてから、その先きの、真っ暗だけれど、私には勝手の知れた、草ぶかい坂道をずんずん一人先きに降りていった。やがてほかの連中も、そんな私の後から一塊ひとかたまりになって、一の懐中電気をたよりにしながら、きゃっきゃっと言って降りて来た。……
「まあ、こんな道あるの、私、ちっとも知らなかったわ」
 坂の中途で、友人の若い妻君がそんなことを誰にともなく言ったらしいのが、もうその時はその小さな坂を降り切ってしまっていた私のところまで、手にとるように聞えて来た。私は丁度、その友人の妻君も確か数年前にその坂道で私の出会った少女たちの中にまじっていたことを思い出すともなく思い出していたところだった。――その出会いは私にはあんなにも印象深いのに、つてのその少女たちの一人であった彼女かのじょの方では、(おそらく他の少女たちも同様に)そんな私との出会いのことなどは少しも気に留めていないで、すっかり忘れてしまっているのかなあと思った。が、一方ではまた何んだか、そんなことを言って彼女が私をからかっているのじゃないかしら、とそんな気もされた。ひょいと彼女の口をいて出たらしいそんな言葉を私はひとりで気にしながら、いつまでもそっぽを向いて皆の降りてくるのを待っていると、突然、そのうちの誰かが足をすべらして、「あっ!」と小さくさけんで、坂の中途にどさりとたおれたらしい気配がした。見上げると、その坂の中途にまだころがっているらしいものがまるで花ざかりの灌木かんぼくのように見えた。そして他のものがみんな立ち止まって、その一番最後に降りてきた少女の方をふり返っているのを、私はただぽかんとしてながめながら、その場を一歩も動こうとしないで突っ立っていた。そうして私は毎朝のようにこの坂をのぼり降りしているあのちんばの花売りのことをひょっくり思い浮べ、あいつはまた何だってこんなあぶなっかしい坂道をわざわざ選んで通るのだろうかしらと、全然いまの場合とは何んの関係もないようなことを考え出していた。……





底本:「風立ちぬ・美しい村」新潮文庫、新潮社
   1951(昭和26)年1月25日発行
   1987(昭和62)年5月20日89刷改版
   1987(昭和62)年9月10日90刷
初出:「美しい村」は「序曲」「美しい村」「夏」「暗い道」の四篇より成る。
   序曲:「大阪朝日新聞」(「山からの手紙」の表題で。)
   1933(昭和8)年6月25日
   美しい村:「改造」
   1933(昭和8)年10月号
   夏:「文藝春秋」
   1933(昭和8)年10月号
   暗い道:「週刊朝日」第25巻第13号
   1934(昭和9)年3月18日号
初収単行本:「美しい村」野田書房
   1934(昭和9)年4月20日
※初出情報は、「堀辰雄全集第1巻」筑摩書房、1977(昭和52)年5月28日、解題による。
※アルファベットは底本では、すべて斜体で組まれています。
入力:kompass
校正:染川隆俊
2004年1月21日作成
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