五十九
此手紙で見ると、大した事ではないと思っていた父の病気は其後甚だ宜しくない。まだ医者が見放したのでは無いけれど、自分は最う到底も直らぬと覚悟して、切りに私に会いたがっているそうだ。此手紙御覧次第直様御帰国待入申候と母の手で狼狽えた文体だ。
私は孝行だの何だのという事を、道学先生の世迷言のように思って、鼻で遇らっていた男だが、不思議な事には、此時此手紙を読んで吃驚すると同時に、今夜こそはと奮り立っていた気が忽ち萎えて、父母が切りに懐かしく、何だか泣きたいような気持になって、儘になるなら直にも発ちたかったが、こうなると当惑するのは、今日の観劇の費用が思ったよりも嵩んで、元より幾何もなかった懐中が甚だ軽くなっている事だ。父が病気に掛ってから、度々送金を迫られても、不覚怠っていたのだから、家の都合も嘸ぞ悪かろう。今度こそは多少の金を持って帰らんでは、如何に親子の間でも、母に対しても面目ない。といって、お糸さんに迷ってから、散々無理を仕尽した今日此頃、もう一文の融通の余地もなく、又余裕もない。明日の朝二番か三番で是非発たなきゃならんがと、当惑の眼を閉じて床の中で凝と考えていると、スウと音を偸んで障子を明ける者が有るから、眼を開いて見ると、先刻迄待憧れて今は忘れているお糸さんだ。窃と覗込んで、小声で、「もうお休みなすったの?」といいながら、中へ入って又窃と跡を閉めたのは、十二時過で遠慮するのだったかも知れぬが、私は一寸妙に思った。
「どうも有難うございました」、とのめるように私の床の側に坐りながら、「好かったわねえ」、と私と顔を看合わせて微笑した。
今日は風呂日だから、帰ってから湯へ入ったと見えて、目立たぬ程に薄りと化粧っている。寝衣か何か、袷に白地の浴衣を襲ねたのを着て、扱をグルグル巻にし、上に不断の羽織をはおっている秩序ない姿も艶めかしくて、此人には調和が好い。
「一本頂戴よ」、といいながら、枕元の机の上の巻烟草を取ろうとして、袂を啣えて及腰に手を伸ばす時、仰向きに臥ている私の眼の前に、雪を欺く二の腕が近々と見えて、懐かしい女の香が芬とする。
「何だかまだ芝居に居るような気がして相済まないけど」、とお糸さんが煙草を吸付けてフウと烟を吹きながら、「伯母さんの小言が台詞に聞えたり何かして、如何なに可笑しいでしょう」、と微笑した所は、美しいというよりは、仇ッぽくて、男殺しというのは斯ういう人を謂うのかと思われた。
一つ二つ芝居の話をしていると、下のボンボン時計が肝癪を起したようにジリジリボンという。一時だ、一時を打っても、お糸さんは一向平気で咽喉が乾くとかいって、私の湯呑で白湯を飲んだり何かして落着いている所は、何だか私が如何かするのを待ってるようにも思われる。と、母の手紙で一時萎えた気が又振起って、今朝からの今夜こそは即ち今が其時だと思うと、漫心になって、「泊ってかないか?」と私が常談らしくいうと、「そうですねえ。家が遠方だから泊ってきましょうか」と、お糸さんも矢張常談らしく言ったけれど、もう読めた。卒然手を執って引寄せると、お糸さんは引寄られる儘に、私の着ている夜着の上に凭れ懸って、「如何するのさ?」と、私の面を見て笑っている……其時思い掛けず「親が大病だのに……」という事が、鳥影のように私の頭を掠めると、急に何とも言えぬ厭な心持になって、私は胸の痛むように顔を顰めたけれど、影になって居たから分らなかったのだろう、お糸さんは執られた手を窃と離して、「貴方は今夜は余程如何かしてらッしゃるよ」と笑っていたが、私が何時迄経っても眼を瞑っているので、「本当にお眠いのにお邪魔ですわねえ。どれ、もう行って寐ましょう。お休みなさいまし」と、会釈して起上った様子で、「灯火を消してきますよ」という声と共に、ふッと火を吹く息の音がした。と、何物か私の面の上に覆さったようで、暖かな息が微かに頬に触れ、「憎らしいよ!」と笑を含んだ小声が耳元でするより早く、夜着の上に投出していた二の腕を痛か抓られた時、私はクラクラとして前後を忘れ、人間の道義畢竟何物ぞと、嗚呼父は大病で死にかかって居たのに……
六十
翌朝は夙く発つ積だったが、発てなくなった。尾籠な事には自ら尾籠な法則が有るから、既に一種の関係が成立った以上は、女に多少の手当をして行かなきゃならん――と、さ、私は思わざるを得なかった。見栄坊だから、金が無くても金の有る風をして、紙入を叩いて遣って了うと、もう汽車賃も残らない。なに、父はまだ危篤というのじゃなし、一時間や二時間発つのが後れたって仔細は無かろうと、自分で勝手な理窟を附けて、女には内々で朝から金策に歩いたが、出来なかった。昼前に一寸下宿へ帰ると、留守に国から電報が着いていた。胸を轟かして、狼狽てて封を切って見ると、「父危篤直戻れ」だ。之を読むと私はわなわなと震え出した。卒然下宿を飛出して、血眼になって奔走して、辛うじて聊かの金を手に入れたから、下宿へも帰らず、其足で直ぐ東京を発って、汽車の幾時間を藻掻き通して、国へ着いたのは其晩八時頃であった。
停車場で車をって家へ急ぐ途中も、何だか気が燥って、何事も落着いて考えられなかったが、片々の思想が頭の中で狂い廻る中でも、唯息のある中に一目父に逢いたい逢いたいと其ばかりを祈っていた。時々ふッと既う駄目だろうと思うと、錐でも刺されたように、急に胸がキリキリと痛む。何とも言えず苦しい。馴染の町々を通っても、何処を如何車が走るのか分らない。唯車上で身を揉んで、無暗に車夫を急立てた。車夫が何だか腹を立てて言ったが、何を言っているのか、分らない。唯無暗に急立てるばかりだ。
漸くの想で家へ着くと、狼狽てて車を飛降りて、車賃も払ったか、払わなかったか、卒然門内へ駆込んで格子戸を引明けると、パッと灯火が射して、其光の中に人影がチラチラと見え、家内は何だか取込んでいて話声が譟然と聞える中で、誰だか作さん――私の名だ――作さんが着いた、作さんが、と喚く。何処からか母が駈出して来たから、私が卒然、「阿父さんは? ……」と如何やら人の声のような皺嗄声で聞くと、母は妙な面をしたが、「到頭不好ったよ……」というより早く泣き出した。私はハッと思うと、気が遠くなって、茫然として母が袖を顔に当て泣くのを視ていたが、ふと何だか胸が一杯になって泣こうとしたら、「まあ、彼方へお出でなさい」、と誰だか袖を引張るから、見ると従弟だ。何処へ何しに行くのだか、分っているような、分っていないような、変な塩梅だったが、私は何だか分ってる積で、従弟の跟に従いて行くと、人が大勢車座になっている明かるい座敷へ来た。と、急に私は何か母に聞きたい事が有るのを忘れていたような気持がして、母は如何したろうと後を振向く途端に、「おお作か」、という声が俄に寂然となった座敷の中に聞えたから、又此方を振向くと、其処に伯父が居るようだ。夫から私は其処へ坐って、何でも漫に其処に居る人達に辞儀をしたようだったが、其中に如何いう訳だったか、伯父の側へ行く事になって、側へ行くと、伯父が「阿父さんも到頭此様になられた」、といいながら、側に臥ている人の面に掛けた白い物を取除けたから、見ると、臥て居る人は父で、何だか目を瞑っている。私は其面を凝と視ていた。すると、何時の間にか母が側へ来ていて、泣声で、「息を引取る迄ね、お前に逢いたがりなすってね……」というのが聞えた。私はふッと目が覚めた、目が覚めたような心持がした。ああ、父は死んでいる……つい其処に死んでいる……骨と皮ばかりの痩果てた其死顔がつい目の前に見える。之を見ると、私は卒然として、「ああ済なかった……」と思った。此刹那に理窟はない、非凡も、平凡も、何もない。文士という肩書の無い白地の尋常の人間に戻り、ああ、済なかった、という一念になり、我を忘れ、世間を忘れて、私は……私は遂に泣いた……
六十一
後で段々聞いて見ると、父は殆ど碌な療養もせずに死んだのだ。事情を知らん人は寿命だから仕方がないと言って慰めて呉れたけれど、私には如何しても然う思えなかった。全く私の不心得で、まだ三年や四年は生延びられる所をむざむざ殺して了ったように思われてならなかったから、深く年来の不孝を悔いて、責て跡に残った母だけには最う苦労を掛けたくないと思い、父の葬式を済せてから、母を奉じて上京して、東京で一戸を成した。もう斯う心機が一転しては、彼様な女に関係している気も無くなったから、女とは金で手を切って了った。其時女の素性も始めて知ったが、当人の言う所は皆虚構だった。しかし其様な事を爰で言う必要もない。止めて置く。
で、生来始て稍真面目になって再び筆硯に親しもうとしたが、もう小説も何だか馬鹿らしくて些とも書けない。泰西の名家の作を読んで見ても、矢張馬鹿らしい。此様な心持で碌な物が出来る筈もないから、評判も段々落ちる、生活も困難になって来る。もう私もシュン外れだ。此処らが思切り時だろうと思って、或年意を決して文壇を去って、人の周旋で今の役所へ勤めるようになったが、其後母の希望を容れて、妻を迎え、子を生ませると、間もなく母も父の跡を追って彼世へ逝った。
これが私の今日迄の経歴だ。
つくづく考えて見ると、夢のような一生だった。私は元来実感の人で、始終実感で心を苛めていないと空疎になる男だ。実感で試験をせんと自分の性質すら能く分らぬ男だ。それだのに早くから文学に陥って始終空想の中に漬っていたから、人間がふやけて、秩序がなくなって、真面目になれなかったのだ。今稍真面目になれ得たと思うのは、全く父の死んだ時に経験した痛切な実感のお庇で、即ち亡父の賜だと思う。彼実感を経験しなかったら、私は何処迄だらけて行ったか、分らない。
文学は一体如何いう物だか、私には分らない。人の噂で聞くと、どうやら空想を性命とするもののように思われる。文学上の作品に現われる自然や人生は、仮令えば作家が直接に人生に触れ自然に触れて実感し得た所にもせよ、空想で之を再現させるからは、本物でない。写し得て真に逼っても、本物でない。本物の影で、空想の分子を含む。之に接して得る所の感じには何処にか遊びがある、即ち文学上の作品にはどうしても遊戯分子を含む。現実の人生や自然に接したような切実な感じの得られんのは当然だ。私が始終斯ういう感じにばかり漬っていて、実感で心を引締めなかったから、人間がだらけて、ふやけて、やくざが愈どやくざになったのは、或は必然の結果ではなかったか? 然らば高尚な純正な文学でも、こればかりに溺れては人の子もわれる。況んやだらしのない人間が、だらしのない物を書いているのが古今の文壇のヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ
(終)
二葉亭が申します。此稿本は夜店を冷かして手に入れたものでござりますが、跡は千切れてござりません。一寸お話中に電話が切れた恰好でござりますが、致方がござりません。
●表記について
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- [#…]は、入力者による注を表す記号です。
- 「くの字点」をのぞくJIS X 0213にある文字は、画像化して埋め込みました。
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