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平凡(へいぼん)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-10-25 15:12:33  点击:  切换到繁體中文

        一

 私は今年ことし三十九になる。人世じんせい五十が通相場とおりそうばなら、まだ今日明日きょうあす穴へ入ろうとも思わぬが、しかし未来は長いようでも短いものだ。過去って了えば実に呆気あッけない。まだまだと云ってるうちにいつしか此世のひまが明いて、もうおさらばという時節が来る。其時になって幾ら足掻あがいたって藻掻もがいたって追付おッつかない。覚悟をするなら今のうちだ。
 いや、しかし私も老込んだ。三十九には老込みようがチト早過ぎるという人も有ろうが、気の持方もちかたは年よりもけた方が好い。それだと無難だ。
 如何どうして此様こん老人としよりじみた心持になったものか知らぬが、あながち苦労をして来た所為せいでは有るまい。私ぐらいの苦労は誰でもしている。尤も苦労しても一向苦労にげぬ何時迄いつまでも元気な人もある。或は苦労が上辷うわすべりをして心にみないように、何時迄いつまで稚気おさなぎの失せぬお坊さんだちの人もあるが、大抵は皆私のように苦労にげて、年よりは老込んで、意久地いくじなく所帯染しょたいじみて了い、役所の帰りにしゃけ二切ふたきれ竹の皮に包んでげて来る気になる、それが普通だと、まあ、思って自ら慰めている。
 もううなると前途が見え透く。もう如何様どんな藻掻もがいたとて駄目だと思う。残念と思わぬではないが、思ったとて仕方がない。それよりは其隙そのひまで内職の賃訳ちんやくの一枚も余計にして、もう、これ、冬が近いから、家内中に綿入れの一枚も引張ひっぱらせる算段をなければならぬ。
 もう私は大した慾もない。どうかせがれが中学を卒業する迄首尾よく役所を勤めて居たい、其迄に小金の少しも溜めて、いつ何時なんどき私に如何どんな事が有っても、妻子が路頭に迷わぬ程にして置きたいと思うだけだが、それが果して出来るものやら、出来ぬものやら、甚だ覚束おぼつかないので心細い……
 が、考えると、昔は斯うではなかった。人並に血気はさかんだったから、我より先に生れた者が、十年二十年世の塩を踏むと、百人が九十九人まで、みんなじめじめと所帯染しょたいじみて了うのを見て、意久地いくじの無い奴等だ。そんな平凡な生活をする位なら、いっそ首でもくくって死ンじまえ、などと蔭では嘲けったものだったが、嘲けっているうちに、自分もいつしか所帯染しょたいじみて、人に嘲けられる身の上になって了った。
 こうなって見ると、浮世は夢の如しとはく言ったものだと熟々つくつく思う。成程人の一生は夢で、而も夢中に夢とは思わない、覚めてのち其と気が附く。気が附いた時には、夢はもう我を去って、千里万里せんりばんりを相隔てている。もう如何どうする事も出来ぬ。
 もう十年早く気が附いたらとはたれしも思う所だろうが、皆判でしたように、十年後れて気が附く。人生は斯うしたものだから、今私共をわらう青年達も、やがては矢張やっぱり同じ様に、のちの青年達にわらわれて、残念がって穴に入る事だろうと思うと、私は何となく人間というものが、果敢はかないような、味気ないような、妙な気がして、泣きたくなる……
 あッ、はッ、は! ……いや、しかし、私も老込んだ。こんな愚痴が出る所を見ると、いよいよ老込んだに違いない。

          二

 老込んだ証拠には、近頃は少し暇だと直ぐ過去を憶出おもいだす。いや憶出おもいだしても一向憶出おもいだばえのせぬ過去で、何一つ仕出来しでかした事もない、どころじゃない、皆碌でもない事ばかりだ。が、それでいて、その失敗の過去が、私に取っては何処か床しい処がある、後悔慚愧はらわたおもいが有りながら、それでいて何となく心を惹付ひきつけられる。
 日曜に妻子を親類へ無沙汰見舞に遣った跡で、長火鉢のそば徒然ぽつねんとしていると、半生はんせいの悔しかった事、悲しかった事、乃至ないし嬉しかった事が、玩具おもちゃのカレードスコープを見るように、紛々ごたごたと目まぐるしく心の上面うわつらを過ぎて行く。初は面白半分に目をねむって之にむかっているうちに、いつしかたましい藻脱もぬけて其中へ紛れ込んだように、恍惚うっとりとして暫く夢現ゆめうつつの境を迷っていると、
今日こんちは! 桝屋ますやでございます!」
 と、ツイ障子一重ひとえ其処の台所口で、頓狂な酒屋の御用の声がする。これで、私は夢の覚めたようなかおになる。で、ぼやけた声で、
「まず好かったよ。」
 酒屋の御用を逐返おいかえしてから、おお、斯うしてもいられん、と独言ひとりごとを言って、机を持出して、生計くらしの足しの安翻訳を始める。外国の貯蓄銀行の条例か何ぞに、絞ったら水の出そうな頭を散々悩ませつつ、一枚二枚は余所目よそめを振らず一心に筆を運ぶが、其中そのうち曖昧あやふやな処に出会でっくわしてグッと詰ると、まず一服と旧式の烟管きせるを取上げる。と、又忽然として懐かしい昔が眼前に浮ぶから、不覚つい其にうつつを脱かし、肝腎の翻訳がお留守になって、晩迄に二十枚は仕上げるつもりの所を、十枚も出来ぬ事が折々ある。
 こうどうも昔ばかりを憶出していた日には、内職の邪魔になるばかりで、さもしいようだが、ぜににならぬ。いつそのくされ、思う存分書いて見よか、と思ったのは先達せんだっての事だったが、其後そのご――矢張やっぱり書く時節が到来したのだ――内職の賃訳がふっと途切れた。此暇このひまあすんで暮すは勿体ない。私は兎に角書いて見よう。
 実は、極く内々ないないの話だが、今でこそ私は腰弁当と人の数にもかずまえられぬ果敢はかない身の上だが、昔は是れでも何のなにがしといや、或るサークルでは一寸ちょっと名の知れた文士だった。流石さすがに今でも文壇に昔馴染むかしなじみが無いでもない。恥を忍んで泣付いて行ったら、随分一肩入れて、原稿を何処かの本屋へかたづけて、若干なにがしかに仕て呉れる人が無いとは限らぬ。そうすりゃ、今年の暮は去年のような事もあるまい。何も可愛かわゆ妻子つまこの為だ。私は兎に角書いて見よう。
 さて、題だが……題は何としよう? 此奴こいつには昔から附倦つけあぐんだものだッけ……と思案の末、はたと膝をって、平凡! 平凡に、限る。平凡な者が平凡な筆で平凡な半生を叙するに、平凡という題は動かぬ所だ、と題がきまる。
 次には書方だが、これは工夫するがものはない。近頃は自然主義とか云って、何でも作者の経験した愚にも附かぬ事を、いささかも技巧を加えず、ありの儘に、だらだらと、牛のよだれのように書くのが流行はやるそうだ。い事が流行はやる。私も矢張やっぱり其で行く。
 で、題は「平凡」、書方は牛のよだれ
 さあ、是からが本文ほんもんだが、此処らで回を改めたが好かろうと思う。

          三

 私は地方生れだ。戸籍を並べても仕方がないから、唯某県の某市として置く。其処で生れて其処で育ったのだ。
 子供の時分の事は最う大抵忘れて了ったが、不思議なもので、覚えている事だと、判然はっきり昨日きのうの事のように想われる事もある。中にも是ばかりは一生目の底に染付しみついて忘れられまいと思うのは十の時死別れた祖母のかおだ。
 今でも目をねむると、直ぐ顕然まざまざと目の前に浮ぶ。面長おもながの、老人だから無論しわは寄っていたが、締った口元で、段鼻で、なかなか上品な面相かおつきだったが、眼が大きな眼で、女には強過きつすぎる程けんが有って、古屋の――これが私のうちの姓だ――古屋の隠居の眼といったら、随分評判の眼だったそうだ。成程然ういえば、何か気に入らぬ事が有って祖母が白眼しろめでジロリとにらむと、子供心にも何だか無気味だったようなおぼえがまだ有る。
 大抵の人は気象が眼へ出ると云う。祖母が矢張やっぱり其だった。全く眼色めつきのような気象で、勝気で、鋭くて、く何かに気の附く、口も八丁手も八丁という、一口に言えば男勝おとこまさり……まあ、そういったたちの人だったそうな、――私は子供の事で一向夢中だったが。
 生長後親類などの話で聞くと、それというが幾分か境遇の然らしめた所も有ったらしい――というのは、早く祖父に死なれて若い時から後家をとおして来た。後家という者はいつの世でも兎角人に影口かげぐち言れ勝の、割の悪いものだから、勝気の祖母はこれが悔しくてたまらない。それで、何の、女でこそあれ、と気を張る。気を張て油断をしなかったから、一生人に後指うしろゆびを差されるような過失はなかった代り、余り人に愛しもされずに年を取って了って、父の代となった。
 父は祖母とはまるで違っていた。如何どうして此人の腹に此様こんな人がと怪しまれる程の好人物で、かお薩張さっぱり似ていなかった。大きな、笑うと目元に小皺こじわの寄る、豊頬ふっくりした如何いかにも愛嬌のある円顔で、なりも大柄だったが、何処か円味が有り、心も其通りかどが無かった。快活で、わだかまりがなくて、話が好きで、碁が好きで、ひまさえ有れば近所を打ち歩き、大きなくしゃみを自慢にする程の罪のない人だった。祖父が矢張やっぱり然うであったと云うから、大方其気象を受継いだのであろう。
 父は此様こんな人だし、母は――私の子供の時分の母は、手拭を姉様冠あねさまかぶりにして襷掛たすきがけでくクレクレ働く人だった。其頃の事をたれに聞いても、皆阿母おっかさんは能く辛抱なすったとばかりで、其他そのたに何も言わぬから、私の記憶に残る其時分の母は、何時迄いつまでっても矢張やっぱり手拭を姉様冠あねさまかぶりにして、襷掛たすきがけでくクレクレ働く人で、格別如何どういう人という事もない。
 斯ういう家庭だったから、自然祖母が一家の実権を握っていた。家内中の事一から十迄祖母の方寸にさばかれて、母は下女か何ぞの様に逐使おいつかわれる。父も一向家事には関係しないで、形式的に相談を受ければ、好うがしょう、とばかり言っている。然う言っていないと、祖母の機嫌が悪い、面倒だ。
 母方の伯父で在方ざいかたで村長をしていた人があった。如何どうしたのだか、祖母とは仲悪で、死後迄余り好くは言わなかったが、何かの話のついでに、阿母おっかさんもお祖母ばあさんには随分泣されたものだよ、と私に言った事がある。成る程折々母が物蔭で泣いていると、いつも元気な父が其時ばかりは困った顔をして何か密々ひそひそ言っているのを、子供心にも不審に思った事があったが、それが伯父の謂うお祖母ばあさんに泣かされていたのだったかも知れぬ。
 兎に角祖母は此通り気難かし家であったが、その気難かし家の、死んだ後迄あとまで噂に残る程の祖母が、如何どういうものだか、私に掛ると、から意久地がなかった。

          四

 何で祖母が私に掛ると、意久地が無くなるのだか、其は私には分らなかった。が、兎に角意久地の無くなるのは事実で、評判の気難かし家が、如何どうにでも私の思う様になって了う。
 まず何か欲しい物がある。それも無い物ねだりで、有る結構な干菓子は厭で、無い一文菓子が欲しいなどと言出して、母に強求ねだるが、許されない。祖母に強求ねだる、一寸ちょっと渋る、首玉くびったまかじいて、ようようと二三度鼻声で甘垂あまたれる、と、もう祖母は海鼠なまこの様になって、およし――母の名だ――彼様あんなに言うもんだから、買って来てお遣りよ、という。祖母の声掛りだから、母も不承々々って、雨降あめふりでも私の口のお使に番傘かたげて出懸けようとする。斯うなると、流石さすがの父も最う笑ってばかりは居られなくなって、小言をいう。私が泣く、祖母の機嫌が悪い。
此様こんな小さい者を其様そんないじめて育てて、若しか俊坊としぼうの様な事にでもなったら、如何どうおしだ? 可哀かわいそうじゃないか。」
 というのが口切で、ボツリボツリと始める。俊坊というのは私の兄で、私も虚弱だったが、矢張やっぱり虚弱で、六ツの時られたのだそうだ。それも急性胃加答児いカタルられたのだと云うから、事に寄ると祖母が可愛がりごかしに口を慎ませなかったたたりかも知れぬ。併し虚弱なは大食させ付ると達者になると言われて、然うかなと思う程の父だから、祖母の矛盾には気が附かない。矢張やっぱり有触れた然う我儘をさせ付けてはぐらいの所で切脱きりぬけようとする。祖母も其は然う思わぬでもないから、内々ないない自分が無理だと思うだけに激する、言葉が荒くなる。もう此上おこらせると、又三日も物を言わなかった挙句、ぷいとうちを出てざいの親類へ行ったきり帰らぬという騒も起りかねまじい景色なので、父は黙って了う。母も黙って出て行く。と、もう廿分もつと、私が両手に豆捩まめねじを持って雀躍こおどりして喜ぶ顔を、祖母が眺めてほくほくする事になって了う。
 斯うして私の小さいけれど際限の無い慾が、いつも祖母をとおして遂げられる。それは子供心にも薄々了解のみこめるから、自然家内中で私の一番すきなのは祖母で、お祖母ばあさんお祖母さんと跡を慕う。何となく祖母を味方のように思っているから、祖母が内に居る時は、私は散々我儘を言って、悪たれて、仕度三昧したいざんまいを仕散らすが、留守だと、萎靡いじけるのではないが、余程よっぽど温順おとなしくなる。
 其癖そのくせ私は祖母を小馬鹿にしていた。何となく奥底が見透みすかされるから、祖母が何と言ったって、ちッとも可怕こわくない。
 それを又勝気の祖母が何とも思っていない。かえって馬鹿にされるのが嬉しいように、人が来ると、其話をして、憎い奴でございますと言って、ほくほくしている。
 両親も其は同じ事で、散々私に悩まされながら、矢張やっぱり何とも思っていない。唯影でお祖母ばあさんにも困ると、お祖母ばあさんの愚痴をこぼすばかり。
 私は何方どッちへ廻っても、矢張やッぱりだ。

          五

 親馬鹿と一口に言うけれど、親の馬鹿程有難い物はない。祖母は勿論、両親とても決して馬鹿ではなかったが、その馬鹿でなかった人達が、私の為には馬鹿になって呉れた。勿体ないと言わずには居られない。
 私に何の取得がある? 親が身の油を絞って獲た金を、私の教育に惜気おしげもなく掛けて呉れたのは、私を天晴あッぱれ一人前の男に仕立てたいが為であったろうけれど、私は今びょうたる腰弁当で、浮世の片影かたかげに潜んでいる。私が生きていたとて、世に寸益もなければ、死んだとて、妻子の外に損を受ける者もない。世間から見れば有っても無くてもい余計な人間だ。財産なり、学問なり、技能なり、何か人より余計に持っている人は、其余計に持っている物をさしはさんで、傲然として空嘯そらうそぶいていても、人は皆其足下そっかに平伏する。私のように何も無い者は、生活に疲れて路傍みちばたに倒れて居ても、誰一人たれひとり振向いて見ても呉れない。皆素通すどおりして※(「勹/夕」、第3水準1-14-76)さッさと行って了う。たまたま立止る者が有るかと思えば、つらつら視て、金持なら、うう、貧乏人だと云う、学者なら、うう、無学な奴だと云う、詩人なら、うう、俗物だと云う、そうして※(「勹/夕」、第3水準1-14-76)さッさと行って了う。平生へいぜい尤も親しらしいかおをして親友とか何とか云っている人達でも、斯うなると寄ってたかって、ンにはら散々さんざ私の欠点を算え立てて、それで君は斯うなったんだ、自業自得だ、諦め玉え々々と三度回向えこうして、彼方あちら向いて※(「勹/夕」、第3水準1-14-76)さっさと行って了う。私は斯ういう価値の無い平凡な人間だ。それを二つとない宝のように、人に後指を差されて迄も愛して呉れたのは、生れて以来今日迄こんにちまで何万人となく人に出会ったけれど、其中そのうちで唯祖母と父母あるばかりだ。偉い人は之を動物的の愛だとか言って擯斥けなされるけれど、平凡な私の身に取っては是程有難い事はない。
 若し私の親達に所謂いわゆる教育が有ったら、斯うはなかったろう。必ず、動物的の愛なんぞは何処かの隅にそっしまって置き、例の霊性の愛とかいうものをかつだして来て、薄気味悪い上眼を遣って、天から振垂ぶらさがった曖昧あやふやな理想の玉をながめながら、親の権威を笠にかおをして笠にて、其処ン処は体裁よく私を或型へ推込おしこもうと企らむだろう。私は子供の天性の儘に、そんなふやけた人間が、古本ふるぼんなんぞと首引くびッぴきして、道楽半分にこしらえた、其癖無暗むやみに窮屈な型なんぞへ入る事を拒んで、隙を見て逃出そうとする。どッこいと取捉とッつらまえて厭がる者を無理無体に、シャモを鶏籠とりかごへ推込むように推込む。私は型の中で出ようと藻掻もがく。知らんかおしている。泣いて、わめいて、引掻いて出ようとする。知らんかおしている。欺して出ようとする。其手に乗らない。百計尽きて、仕様がないと観念して、性をめ、情をめ、いきながら木偶でくの様な生気のない人間になって了えば、親達は始めて満足して、漸く善良な傾向が見えて来たと曰う。世間の所謂いわゆる家庭教育というものは皆是ではないか。私は幸いにして親達が無教育無理想であったばかりに、型に推込まれる憂目うきめのがれて、野育ちに育った。野育ちだから、生来具有の百の欠点を臆面もなくさらけ出して、所謂いわゆる教育ある人達を顰蹙ひんしゅくせしめたけれど、其代り子供の時分は、今の様に矯飾きょうしょくはしなかった。みんな無教育な親達のお蔭だ。難有ありがたい事だと思う。しん難有ありがたい事だと思う。
 しかし内拡うちひろがりの外窄そとすぼまりと昔からく俗人が云う。哲人の深遠な道理よりも、詩人の徹底した見識よりも、平凡な私共の耳には此方がり易い。不思議な事には、無理想の俗人の言う事は皆活きて聞える。
 私が矢張やッぱり内拡うちひろがりの外窄そとすぼまりであった。

          六

 内ン中のあわびッ貝、外へ出りゃしじみッ貝、と友達にはやされて、私は悔しがってく泣いたッけが、併し全く其通りであった。
 如何どういうものだか、内でお祖母ばあさんがなめるようにして可愛がって呉れるが、一向嬉しくない。かえっ蒼蠅うるさくなって、出るなとめる袖の下を潜って外へ駈出す。
 しかし一歩門外もんそとへ出れば、最う浮世の荒い風が吹く。子供の時分の其は、何処にも有るいじめッという奴だ。私の近処にも其が居た。
 かんちゃんと云って、私より二ツ三ツ年上で、獅子ッ鼻の、色の真黒けなだったが、斯ういうのに限って乱暴だ。親仁おやじは郵便局の配達か何かで、大酒呑で、阿母おふくろはお引摺ひきずりと来ているから、いつ鍵裂かぎざきだらけの着物を着て、かかとの切れた冷飯草履ひやめしぞうりを突掛け、片手に貧乏徳利を提げ、子供の癖に尾籠びろう流行歌はやりうたを大声にうたいながら、飛んだり、跳ねたり、曲駈きょくがけというのを遣り遣り使に行く。始終使にばかり行っても居なかったろうが、私は勘ちゃんの事を憶出すと、何故だかいつも其使に行く姿を想出おもいだす。
 勘ちゃんはうちでは何も貰えぬから、人が何か持ってさえいれば、屹度きっと欲しがって、卒直にお呉ンなと云う。機嫌好く遣れば好し、厭だと頭振かぶりを振ると、あごを突出して、いよ好いよと云う。薄気味うすきび悪くなって遣ろうとするが、最う受取らない。いよ、呉れないと云ったね、いよと、其許そればかりを反覆くりかえして行って了う。何となく気になるが、子供の事だ、遊びにほうけて忘れていると、何時いつの間にか勘ちゃんが、使の帰りに何処かで蛇の死んだのを拾って来て、そっ背後うしろから忍び寄て、卒然いきなりピシャリと叩き付ける。ワッと泣き声揚げて此方こちらは逃出す、其後姿を勘ちゃんは白眼しろめで見送って、「ざまア見やがれ!」
 私は散々此勘ちゃんにいじめられた。初こそ悔しがって武者振り付いても見たが、勘ちゃんは喧嘩の名人だ。すぐ足搦あしがら掛けて推倒おしたおして置いて、馬乗りに乗ってピシャピシャつ。私にはお祖母ばあさんが附いてるから、内では親にさえ滅多にたれた事のない頭だ。その大切にせられている頭を、勘ちゃんは遠慮せずにピシャピシャつ。
 一ひどい目に遭ってから、私は勘ちゃんが可怕こわくて可怕くてならなくなった。勘ちゃんがそばへ来ると、最う私は恟々おどおどして、呉れと言わないうちから持ってる物を遣り、勘ちゃん、あの、賢ちゃんがね、お前の事を泥棒だッて言ってたよと、余計な事迄告口つげぐちして、勉めて御機嫌を取っていた。斯うしていれば大抵は無難だが、それでも時々何の理由もなく、通りすがりに大切の頭をコツリとって行くこともある。
 そとは面白いが、勘ちゃんが厭だ。と云って、内でお祖母ばあさんとにらめッこも詰らない。そこで、お隣のおみっちゃんにお向うのおよっちゃんを呼んで来る。おみっちゃんは外歯そっぱのお出額でこで河童のようなだったけれど、およっちゃんは色白の鈴を張ったような眼で、好児いいこだった。私は飯事ままごとでおよっちゃんの旦那様になるのが大好だった。お烟草盆たばこぼんのおよっちゃんが真面目腐って、貴方あなた、御飯をお上ンなさいなと云う。アイと私が返事をする。アイじゃ可笑おかしいわ、ウンというンだわ、と教えられて、じゃ、ウンと言って、可笑おかしくなって、不覚つい笑い出す。此方が勘ちゃんに頭をられるより余程よッぽど面白い。それに女のはこましゃくれているから、子供でも人のうちだと遠慮する。私一人ひとり威張っていられる。間違って喧嘩になっても、屹度きッと敵手あいてが泣く。然うすればお祖母ばあさんが謝罪あやまって呉れる。
 女のと遊ぶのは無難で面白いが、併しそう毎日も遊びに来て呉れない。すると、私は退屈するから、平地へいちに波瀾を起して、すねて、じぶくッて、大泣に泣いて、そうしてお祖母ばあさんに御機嫌を取って貰う。

          七

 ……が、待てよ。何ぼ自然主義だと云って、斯う如何どうもダラダラと書いていた日には、三十九年の半生はんせいを語るに、三十九年掛るかも知れない。も少し省略はしょろう。
 で、唐突ながら、祖母は病死した。
 其時の事は今に覚えているが、平常いつもつもりで何心なくそとから帰って見ると、母が妙な顔をして奥から出て来て、いつになく小声で、お前は、まあ、何処へ行ッていたい? お祖母ばあさんがおなくなンなすッたよ、という。おなくなンなすッたよが一寸ちょっと分らなかったが、死んだのだと聞くと、吃驚びっくりすると同時に、急に何だか可怕おっかなくなって来た。無論まだ死ぬという事が如何どんな事だかくは分らなかったが、唯何となく斯う奥の知れぬ真暗な穴のような処へ入る事のように思われて、日頃から可怕おっかながっていたのだが、子供も人間だから矛盾を免れない。お祖母ばあさんが死んだのは可怕おっかないが、その可怕おっかない処を見たいような気もする。
 で、母が来いと云うから、あといて怕々こわごわ奥へ行って見ると、父は未だ居る医者と何か話をしていたが、私のかおを見るより、何処へ行って居た。もう一足早かったらなあ……と、何だかひどく残念がって、此処へ来てお祖母ばあさんにお辞儀しろという。
 改まってお祖母ばあさんにお辞儀しろと言われた事は滅多に無いので、死ぬと変な事をするものだ、と思って、おッかなびっくそばへ行くと、小屏風をさかさにした影に祖母が寝ていて、かおに白い布片きれが掛けてある。父がしずかに其を取除とりのけると、眼を閉じて少し口をいた眠ったような祖母のかおが見える……一目見ると厭な色だと思った。長いことわずらっていたから、やつれた顔は看慣みなれていたが、此様こんな色になっていたのを見た事がない。厭に白けて、光沢つやがなくて、死の影に曇っているから、顔中が何処となく薄暗い。もううちのお祖母ばあさんでは無いような気がする。といって、余処よそのお祖母ばあさんでもないが、何だか其処に薄気味の悪い区劃しきりが出来て、此方こっちは明るくて暖かだが、向うは薄暗くて冷たいようで、何がなしにこわかった。
「お辞儀をしないか。」
 と父に催促されて、私は莞爾々々にこにことなった。何故だか知らんが、莞爾々々にこにことなって、ドサンと膝を突いて、遠方からお辞儀して、急いで次の間へ逃げて来て、矢張やっぱり莞爾々々にこにこしていた。
 其中そのうちに親類の人達が集まって来る、お寺から坊さんが来る、其晩はお通夜つやで、翌日は葬式と、何だか家内かない混雑ごたごたするのに、る物聞く事皆珍らしいので、私は其に紛れて何とも思わなかったが、やがて葬式が済んで寺から帰って来ると、手伝の人も一人帰り二人帰りして、跡は又うちの者ばかりになる。薄暗いランプの蔭でトかおを合せて見ると、お祖母ばあさんが一人足りない。ああ、お祖母ばあさんは先刻さっき穴へ入って了ったが、もう何時迄いつまで待ても帰って来ぬのだと思うと、急に私は悲しくなってシクシク泣出した。
 私の泣くのを見て母も泣いた。父も到頭泣いた。親子三人向合むかいあって、黙って暫く泣いていた。

          八

 祖母に死別れて悲しかったが、其頃はまだ子供だったから、十分に人間死別の悲しみを汲分け得なかった。その悲しみの底を割ったと思われるのは、其後そののち両親りょうしんに死なれた時である。
 去る者日々にうとしとは一わたりの道理で、私のような浮世の落伍者はかえって年と共に死んだ親を慕う心が深く、厚く、こまやかになるようだ。
 去年の事だ。私は久振ひさしぶり展墓てんぼの為帰省した。寺の在る処はもとは淋しい町端まちはずれで、門前の芋畠を吹く風も悲しい程だったが、今は可なりの町並になって居て、昔やすんだ事のある門脇もんわきの掛茶屋は影も形も無くなり、其跡が Barber'sバーバース Shopショップ と白ペンキの奇抜な看板を揚げた理髪店になっている。
 が、寺は其反対に荒れ果てて、門は左程さほどでもなかったが、突当りの本堂も、其側そのそば庫裏くりも、多年の風雨ふううさらされて、処々壁が落ち、下地したじの骨があらわれ、屋根には名も知れぬ草が生えて、ひどさびれていた。私は台所口で寺男が内職に売っているしきみを四五本買って、井戸へ掛って、釣瓶縄つるべなわが腐って切れそうになっているのを心配しながら、漸く水を汲上げた。手桶片手に、しきみげて、本堂をグルリとまわって、うしろの墓地へ来て見ると、新仏しんぼとけが有ったと見えて、地尻じしりに高い杉の木のしたに、白張しらはりの提灯が二張ふたはりハタハタと風にゆらいでいる。流石さすがかすかに覚えが有るから、確かへんだなと見当を附けて置いて、さて昨夜ゆうべの雨でぬかる墓場道を、蹴揚けあげの泥をいとい厭い、度々たびたび下駄を取られそうになりながら、それでも迷わずに先祖代々の墓の前へ出た。
 祠堂金しどうきんも納めてある筈、僅ばかりでも折々の附け届も怠らなかったつもりだのに、是はまた如何な事! 何時いつ掃除した事やら、台石は一杯に青苔あおごけが蒸して石塔も白いかさぶたのような物におおわれ、天辺てッぺん二処三処ふたとこみとこベットリと白い鳥のふんが附ている。勿論木葉このはうずたかく積って、雑草も生えていたが、花立の竹筒は何処へ行った事やら、影さえ見えなかった。
 私は掃除する方角もなく、之に対して暫く悵然ちょうぜんとしていた。
 祖母の死後数年すねん父母ちちははも其跡を追うて此墓のしたうずまってから既に幾星霜を経ている。墓石ぼせきは戒名も読めかねる程苔蒸して、黙然として何も語らぬけれど、今きたってまのあたりに之に対すれば、何となく生きた人とかおを合せたような感がある。懐かしい人達が未だ達者でいた頃の事が、それからそれ止度とめどなく想出されて、祖母が縁先に円くなって日向ぼッこをしている格構かっこう、父が眼も鼻も一つにしておおきくしゃみようとする面相かおつき、母が襷掛たすきがけで張物をしている姿などが、顕然まざまざと目の前に浮ぶ。
 さッと風が吹いて通る。の葉がざわざわと騒ぐ。の葉の騒ぐのとは思いながら、澄んだ耳には、聴き覚えのある皺嗄しゃがれた声や、快活な高声たかごえや、低い繊弱かぼそい声が紛々ごちゃごちゃと絡み合って、何やらしきりにあわただしく話しているように思われる。一しきりしてはたと其が止むと、跡は寂然しんとなる。
 と、私の心も寂然しんとなる。その寂然しんとなった心の底から、ふと恋しいが勃々むらむらと湧いて出て、私は我知らず泪含なみだぐんだ。ああ、成ろう事なら、此儘此墓の下へ入って、もう浮世へは戻りたくないと思った。

          九

 先刻さっき旧友の一人が尋ねて来た。此人は今でも文壇に籍を置いてる人で、人のかおさえ見れば、君ねえ、ナチュラリーズムがねえと、グズリグズリを始める人だ。
 神経衰弱を標榜している人だからたまらない。来ると、ニチャニチャと飴を食ってるような弁で、すぐと自分の噂を始める。やあ、僕の理想は多角形で光沢があるの、やあ、僕の神経はきりの様にとンがって来たから、是で一つ神秘の門をつッいて見るつもりだのと、其様そんな事ばかり言う。でなきゃ、文壇の噂で人の全盛に修羅しゅらもやし、何かしらケチを附けたがって、君、何某なにがしのと、近頃評判の作家の名を言って、姦通一件を聞いたかという。また始まったと、うんざりしながら、いやそんな事僕は知らんと、ぶっきらぼうに言うけれど、文士だから人の腹なんぞは分らない。人が知らんというのに反って調子づいて、秘密の話だよ、此場限りだよと、私が十人目の聴手かも知れぬ癖に、悪念わるねんを推して、その何某なにがしが友の何某なにがしの妻と姦通している話を始める。何とかが如何どうとかして、掃溜はきだめの隅で如何どうとかしている処を、犬に吠付かれて蒼くなって逃げたとか、何とか、その醜穢しゅうわいなること到底筆には上せられぬ。それも唯其丈の話で、夫だから如何どうという事もない。君、モーパッサンの捉まえどこだね、というぐらいが落だ。
 これで最う帰るかと思うと、なかなか以て! 君ねえ、僕はねえと、また僕の事になって、其中そのうちに世間の俗物共を眼中にかないで、一つ思う存分な所を書いて見ようと思うという様な事を饒舌しゃべって、文士で一生貧乏暮しをするのだもの、ねえ、君、せめて後世にでも名を残さなきゃアと、たまらない事をいう。プスリプスリといぶるような※(「陷のつくり+炎」、第3水準1-87-64)きえんを吐いて、散々人を厭がらせた揚句に、僕は君に万斛ばんこくの同情を寄せている、今日は一つ忠告を試みようと思う、というから、何を言うかと思うと、「君も然う所帯染みて了わずと、一つ奮発して、何か後世へ残し玉え。」
 こんなのは文壇でも流石さすがに屑の方であろう。しかし不幸にして私の友人は大抵屑ばかりだ。こんな人のこんな風袋ふうたいばかり大きくても、割れば中から鉛の天神様が出て来るガラガラのような、見掛倒しの、内容に乏しい、信切な忠告なんぞは、私はちッとも聞きたくない。私の願は親の口から今一度、薄着して風邪をお引きでない、お腹がいたら御飯にしようかと、詰らん、くだらん、意味の無い事を聞きたいのだが……
 その親達は最う此世に居ない。若し未だ生きていたら、私は……孝行をしたい時には親はなしと、又しても俗物は旨い事を言う。ああ、嬉しいにつけ、悲しいにつけ、憶出すのは親の事……それにポチの事だ。

          十

 ポチは言う迄もなく犬だ。
 来年は四十だという、もうびんに大分白髪しらがも見える、汚ない髭の親仁おやじの私が、親に継いでは犬の事を憶い出すなんぞと、あんまり馬鹿気ていてお話にならぬ――と、被仰おっしゃるお方が有るかも知れんが、私に取っては、ポチは犬だが……犬以上だ。犬以上で、一寸ちょっとまあ、弟……でもない、弟以上だ。何と言ったものか? ……そうだ、命だ、第二の命だ。恥を言わねばが聞こえぬというから、私はを聞かせる為に敢て耻を言うが、ポチは全く私の第二の命であった。其癖初めを言えば、欲しくて貰った犬ではない、止むことを得ず……いや、矢張やっぱりあれが天から授かったと云うのかも知れぬ。
 忘れもせぬ、祖母のなくなった翌々年よくよくとしの、春雨のしとしとと降る薄ら寒い或夜の事であった。宵惑よいまどいの私は例の通り宵の口から寝て了って、いつ両親りょうしんしんに就いた事やら、一向知らなかったが、ふと目を覚すと、有明ありあけが枕元を朦朧ぼんやりと照して、四辺あたり微暗ほのぐら寂然しんとしている中で、耳元近くに妙な音がする。ゴウというかとすれば、スウと、或は高く或は低く、単調ながら拍子を取って、宛然さながら大鋸おおのこぎりで大丸太を挽割ひきわるような音だ。何だろうと思って耳を澄していると、時々其音が自分と自分の単調に※(「厭/食」、第4水準2-92-73)いたように、忽ちガアと慣れた調子を破り、凄じい、障子の紙の共鳴りのする程の音を立てて、勢込んで何処へか行きそうにして、忽ち物に行当ったように、はたと止む。と、しばらく闃寂ひッそとなる――そのそばから、直ぐ又穏かにスウスウという音が遠方に聞え出して、其が次第に近くなり、荒くなり、又耳元で根気よくゴウ、スウ、ゴウ、スウと鳴る。
 私は夜中に滅多に目を覚した事が無いから、初はひど吃驚びっくりしたが、く研究して見ると、なに、父のいびきなので、やっと安心して、其儘再び眠ろうとしたが、さかんなゴウゴウスウスウが耳に附いて中々眠付ねつかれない。仕方がないから、聞える儘に其音に聴入っていると、思做おもいなしで種々いろいろに聞える。或は遠雷とおかみなりのように聞え、或は浪の音のようでもあり、又は火吹達磨ひふきだるまが火を吹いてるようにも思われれば、ゴロタ道を荷馬車が通る音のようにも思われる。と、ふと昼間見た絵本の天狗が酒宴を開いている所を憶出して、阿爺おとっさんが天狗になってお囃子はやしってるのじゃないかと思うと、急に何だか薄気味うすきび悪くなって来て、私は頭からスポッと夜着よぎかむって小さくなった。けれども、天狗のお囃子はやしは夜着の襟から潜り込んで来て、耳元にへばり付いて離れない。私は凝然じっと固くなって其に耳を澄ましていると、何時いつからとなくお囃子はやしの手が複雑こんで来て、合の手に遠くでかすかにキャンキャンというような音が聞える。ゴウという凄じい音の時には、それに消圧けおされて聞えぬが、スウという溜息のような音になると、其が判然はっきりと手に取るように聞える。不思議に思ってますます耳を澄ましていると、合の手のキャンキャンが次第に大きく、高くなって、遂にはいびきの中を脱け出し、其とは離ればなれに、確に門前もんぜんに聞える。
 こうなって見ると、疑もなく小狗こいぬの啼き声だ。時々咽喉のどでもしめられるように、消魂けたたましく※(「口+言」、第4水準2-3-93)きゃんきゃんと啼き立てる其の声尻こわじりが、やがてかぼそく悲し気になって、滅入るように遠い遠い処へ消えて行く――かとすれば、忽ち又近くでえ切れぬように啼き出して、クンクンと鼻を鳴らすような時もあり、ギャオとあくびをするような時もある。

          十一

 私は元来動物好きで、就中なかんずく犬は大好だから、近所の犬は大抵馴染なじみだ。けれども、此様こんな繊細かぼそ可愛いたいげな声で啼くのは一疋も無い筈だから、不思議に思って、そっと夜着の中から首を出すと、
如何どうしたの? 寝られないのかえ?」
 と、母が寝反りを打って此方こちらを向いた。私は此返答は差措さしおいて、
「あれは白じゃないねえ、阿母おッかさん? もッと小さいいぬの声だねえ? 如何どうしたんだろう?」
棄狗すていぬさ。」
棄狗すていぬッてなアに?」
棄狗すていぬッて……誰かがすててッたのさ。」
 私はしばらく考えて、
たれすててッたンだろう?」
「大方何処どッかの……何処どッかの人さ。」
 何処どッかの人がいぬすててッたと、私は二三度反覆くりかえして見たが、分らない。
如何どうしてすててッたんだろう?」
 蒼蠅うるさいよ、などという母ではない。何処迄も相手になって、其意味を説明して呉れて、もうおそいから黙っておと優しく言って、又彼方あちら向いて了った。
 私も亦夜着をかぶった。いぬは門前を去ったのか、啼声がやや遠くなるにれて、父のいびきが又蒼蠅うるさく耳に附く。寝られぬ儘に、私は夜着の中で今聴いた母の説明を反覆くりかえし反覆しあじわって見た。まず何処かの飼犬が椽の下でを生んだとする。ちッぽけなむくむくしたのが重なり合って、首をもちゃげて、ミイミイと乳房を探している所へ、親犬が余処よそから帰って来て、其側そのそばへドサリと横になり、片端かたはしから抱え込んでベロベロなめると、小さいから舌の先で他愛もなくコロコロと転がされる。転がされては大騒ぎして起返り、又ヨチヨチとい寄って、ポッチリと黒い鼻面でおなかを探りまわり、漸く思う柔かな乳首ちくびを探り当て、狼狽あわててチュウと吸付いて、小さな両手でて揉み立て吸出すと、甘いあったかな乳汁ちち滾々どくどくと出て来て、咽喉のどへ流れ込み、胸をさがって、何とも言えずおしい。と、腋の下からまだ乳首に有附かぬ兄弟が鼻面で割込んで来る。られまいとして、産毛うぶげの生えた腕を突張り大騒ぎってみるが、到頭られて了い、又其処らを尋ねて、ほかの乳首に吸付く。其中そのうちにお腹もくちくなり、親の肌で身体もあたたまって、とろけそうない心持になり、不覚つい昏々うとうととなると、くくんだ乳首が抜けそうになる。夢心地にも狼狽あわてて又吸付いて、一しきり吸立てるが、じきに又他愛なく昏々うとうととなって、乳首が遂に口を脱ける。脱けても知らずに口をいて、小さな舌を出したなりで、一向正体がない……其時忽ち暗黒くらやみから、茸々もじゃもじゃと毛の生えた、節くれ立った大きな腕がヌッと出て、正体なく寝入っている所を無手むず引掴ひッつかみ、宙につるす。驚いて目をポッチリ明き、いたいげな声で悲鳴を揚げながら、四そくを張って藻掻もがうちに、頭から何かで包まれたようで、真暗になる。窮屈で息気いきつまりそうだから、出ようとするが、出られない。しばらく藻掻もがいて居るうちに、ふと足掻あがきが自由になる。と、領元えりもとつままれて、高い高い処からドサリと落された。うろうろとして其処らを視廻すけれど、何だか変な淋しい真暗な処で、誰も居ない。茫然としていると、雨に打れて見る間に濡しょぼたれ、おそろしく寒くなる。身慄みぶるい一つして、クンクンと親を呼んで見るが、何処からも出て来ない。途方に暮れて、ヨチヨチと這出し、雨の夜中を唯一人、あたたかな親の乳房を慕って悲し気に啼廻なきまわる声が、先刻さっき一度門前へ来て、又何処へか彷徨さまよって行ったようだったが、其が何時いつか又戻って来て、何処を如何どう潜り込んだのか、今は啼声がまさしく玄関先に聞える。

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