四 小宮山明敏氏の公式の破砕
私の批判者のうちで、最も愛嬌に富んだものゝ一人は小宮山明敏氏である。氏は「近代生活」六月号に於ける「芸術的価値における相対値及び絶対値の問題」といふ私と谷川徹三氏とにあてた論文に於いて、私の前述の見解を批判されてゐる。
氏が私たちを批判するためにポケツトに用意されてゐる公式は、マルクス主義の公式ではなくて、テエヌ主義、若しくは、テエヌよりももつと漠然たる俗学主義の公式、しかも非常にかたくなで且つ瓦斯灯のマントルのやうにちよつとさはつてもこはれるやうな脆弱な公式である。
ある時代に価値のあつた作品は次の時代には全く無価値となり、次の時代に価値のあつた作品も、第三の時代には全く無価値となるといふ公式が、氏の理論的全財産である。しかもこの価値の喪失と獲得とは、頗る機械的に根こそぎに行はれるのである。即ち或る時代の作品は、同時代人一般に亘つて享受せられ、彼等を全生活的に、または全方向的に感動せしむるものであり、これに反して前時代の作品は、次の時代には全く無価値となり、社会的には成立しないといふのである。
私は小宮山氏が一度でも文学史上の事実を見たことがあるかどうかを疑問とせざるを得ないのである。先づ第一に一つの時代は常に異つた、対立する階級を含んでゐるから「同時代人一般に亘つて享受せられる」作品があるとするのは、その作品の価値が階級を超越してゐることの証明になつて氏の期待とは全く反対の結論を生むことになるであらう。だが私は、これは氏の用語の不用意として、同時代といふのはほゞ同階級といふ意味に解すべきものだと勝手に変改しよう。だがさう変更しても氏の公式は猶ほ忽ち事実と衝突する。文学作品の評価は、決して全階級的に一致するものでもなければ、或る階級の作家の作品が、他の階級の読者に対して全的に魅力を喪失するものでない。ドストエフスキーもアレキサンドル・ヂユマも前時代のブルジヨア作家である。だが、ブルジヨア階級が全的にドストエフスキーを享受したといふ事実も、ヂユマを享受したといふ事実も私はきかぬ。それと同時にこれ等の作家がプロレタリア階級に対して根こそぎ魅力を失つたといふことも事実に反する。今日ロシアのプロレタリアによつてトルストイがなほ最も広く読まれてゐることは彼国の統計が示してゐる。
ところが私がブルジヨア作家の作品にもプロレタリア作品にも、そのすぐれた作品には魅力を感ずると言つたのは、氏によれば私一個人の趣味好尚であつて、個人の趣味によつて政治的生命の、従つて政治的価値のなくなつた作品に芸術的価値を認めるのはやゝ僣越的誇大であると氏は叱正されるのである。そしてこの矛盾? は私が『芸術的価値が個人によつて決定されるものであるか或は社会的に決定されるものであるかといふことを自ら判別することができるかの如くして、なほ、明確には判別することができなかつたところに』原因があると主張されるのだ。
これによつて氏は芸術的価値が社会的に決定されるといふ意味を全く理解してゐないことがわかる。或る芸術作品に価値を認めるのと認めないのとは全く個人的であつて、個人の趣味好尚がこの評価に重大な力をもつてゐることは氏の公式に都合がよいと悪いとに拘らず事実である。それにも拘らず芸術作品の価値が社会的に決定されると私たちがいふのは、さうした個々人の趣味好尚そのものが大体に於いて、社会的に決定されたものであるといふ意味に外ならないのである。同じ時代の同じ階級の人々の中にも島崎藤村を好む人もあり、田山花袋を好む人もあり、同じ藤村の作品の中でも、「家」を傑作とする人もあり、「新生」を傑作とする人もあるのはそのためだ。
私が政治的価値と芸術的価値といふ二つの価値を設定することによりて説明し、小宮山氏がそれは私の前時代的趣味好尚であるとして片附けてしまつた矛盾を、マルクスは、小宮山氏が谷川氏の文章の中から引用した言葉によれば、次の如く言ひあらはしてゐる。
「困難はむしろそれら(希臘の美術や英雄詩)が我々に対してもなほ芸術的享楽を与へ一定の点に於いては、規範として、また到達し得ざる模範として通用することを理解する点に存する。」
マルクスは問題を正当に提出した。こゝでマルクスははつきりとギリシヤの芸術が我々に対してもなほ芸術的享楽を与へると言つてゐる。ところが小宮山氏にとつてはマルクスに困難であつたところのものが「容易に理解」できるのである。即ちマルクスが「我々に対しても」と言つてゐるのは氏によればマルクスの理解力の不足のためであつて実は、それは単に歴史的に保存されてゐる趣味に過ぎないものとなるのである。
マルクスと小宮山明敏氏との差は、しかし、マルクスよりも小宮山氏がすぐれた芸術の理解者であるがためではなくて、マルクスは事実を解釈しようとしたが、小宮山氏は前掲論文のはじめの方で氏が規定した児戯に類する公式を事実におゝひかぶせようとしたといふ点にある。
そしてその刹那に氏の脆弱な公式は粉微塵に破砕してしまつたのである。公式は常に事実の中からひき出されなければならぬ。
五 大宅壮一氏の「再吟味」の対象
大宅壮一氏は「新潮」五月号で「マルクス主義文芸の自殺か暗殺か」といふ論文を発表され、それに『平林初之輔氏の「マルクス主義文学理論の再吟味」の再吟味』と傍題をつけてをられる。
ところで大宅氏はほんたうに私の再吟味を再吟味したか? 氏の再吟味の対象はほんたうに私の「再吟味」であつたかどうか? 不幸にして私はかういふ問題から出発しなければならぬ。
私はマルクス主義文学者といふ一人の人間を、マルクス主義者であつて且つ文学者である人といふ風に分析した。言ふまでもなくマルクス主義者にして文学者でない人もあり、文学者にしてマルクス主義者でない人もあるのだから、この分析は決して不当でないのみか、マルクス主義文学者をさうでない文学者から区別し、その特殊性を知るためには、この分析の過程を省略するわけにはゆかないのである。この場合にもその他の場合に於ても一貫してゐる大宅氏の誤謬は、マルクス主義は社会に関する統一的理論であるから、マルクス主義の方法は分析的方法と相容れない方法であるかの如く考へてゐる点である。マルクスが資本主義社会の全機構の綜合的理解に達したのは商品の顕微鏡的分析から出発してのことであつたことなどは、大宅氏の理解の限度を越えてゐたのか、氏の注意の外に逸脱してゐたのだ。
私はマルクス主義文学者を以上のやうに二つの要素に分析して、それ/″\の機能をのべ、この二つの要素は五十パーセントづゝの割合で機械的に加算されてゐるのではなくて、マルクス主義者の方が優位にたつてゐること、従つて、マルクス主義文学の作品の評価の場合にも、芸術的価値は政治的価値のへゲモニイのもとに立たしめねばならず、ある作品が芸術的にどんなにすぐれてゐても、マルクス主義文学の作品、一定の政治的任務をもつた作品としては、政治的価値の欠如のために、それは低く評価されねばならぬことを主張したのである。さうすることによりて、私はマルクス主義文学評価の基準を示した。(それが間違つてゐると否とは別として。)
然るに大宅氏は、私の以上の主張は「マルクス主義に立脚した文芸理論を樹立することは全然不可能」であることを証明したものだと理解するのである。ついでに言つておくがマルクス主義文学といふものは既に存在するものである。存在するものゝ意味を説明するのが理論である。私はそれを説明するために先づ分析の道をとり、さうして分析によりて得られた二つの要素の結合関係をのべたのである。私は理論をたてたのであつて、理論を不可能だとしたのではない。たゞ不可能だとしたのは、マルクス主義文学のほかにも文学があるといふ事実をわすれて、文学そのものがマルクス主義と密接不離の関係にあり、それ以外に文学はないかの如き事実を無視した理論なのである。
私が「芸術や文学はマルクス主義から命令され、規定されて、政治的闘争の要具となる約束を少しももつてゐない」と言つたのは、現実の文学作品を一眼でも見たものには明白な事実であり、それだからこそマルクス主義文学がマルクス主義者によりて唱へられたのであるとすら言へるのだが、氏はこの事実を認めることはマルクス主義の危急存亡にでも関するかの如く考へられるらしい。私はこの事実を説明しようとしたのであるが、大宅氏には面倒くさい事実などはどうでもよいので、さういふ事実を認めることは、文学や芸術が「マルクス主義の外に全然独立してそれ自体の王国を形成してゐる」ことを示すものだと指摘するだけで、氏自身がこの事実を認めるのか拒むのかは遂にわからない。こゝで、全然といふのは大宅氏の誇張だから省いて、いま大宅氏の用語法を借りて、「文学芸術がマルクス主義と独立の王国」であることを私は認めてよい。(尤もこの王国と他王国とは互に独立しながら頻繁に交通し影響を及ぼしあふのであるが)そしてその王国内には芸術そのもの若くは文学そのものに関する原理があることは私のかつて指摘した通りである。これは既に私がマルクス主義文学を文学とマルクス主義との二つの要素に分析したことから当然に導き出されることである。それ自身の原理をもたぬ二つのものなら二つでなく一つであつて、二つのものが区別される限り、二つはそれ/″\別の原理をもつてゐることは自明である。
さてマルクス主義文学作品に於けるこの二つの要素の結合関係を私は、政治的価値が芸術的価値に対して力をもつて、権威をもつてヘゲモニイを握るやうな具合に結合されてゐるのであるとした。これは芸術文学が政治闘争の用具となる必要はなく、さうでない文学芸術もあるといふ事実と、マルクス主義はプロレタリアの勝利のために文化の凡ての部分を階級的に武装しなければならぬといふ要請とが、マルクス主義文学といふ一つのものに具体化されるとき、当然にとる結合関係である。それは内面的、必然的関係ではなくて、言はゞ力による、意志による、権威による結合関係である。従つてこの結合関係は安定的でも永続的でもなく、政治闘争の終結とゝもに武装を解くのである。マルクス主義文学といふのはブルジヨアとプロレタリアとの階級戦線に武装してたつ文学であつて、武装をといたあとまでもマルクス主義文学と呼びつゞける必要はない。
尤も結合関係は、力で、権威で結合するのだが、一たん結合したあとは一つの作品としての調和をもつことは、ちやうど、水の中へインキを混ぜることそのことは、言はゞ力で、権威で混ぜられるのであつても、混合された液体中には水とインキとははなれ/″\になつてはゐないのと同じである。
ところが以上の事柄を検討して来た大宅壮一氏は「これを要するに氏(平林)に従へばマルクス主義文学理論は決して最も正しい文学理論でないばかりでなく、厳密には一種の文学理論でさへあり得ない」といふ結論をひき出される。この途方もない誤解もしくは曲解のしかけはどこにあるかは誰にだつて明白である。といふのは氏は部分と全体とを混同してゐるのだ。私はマルクス主義者が、文学の歴史を書きかへたあの光輝ある事実、史的唯物論による文学史の改造を決して低く評価するものではない。或る意味では文学史家としてもテエヌよりもプレハノフの方を偉大とさへするに躊躇しない。たゞ私が問題としたのは、最近に、(日本ではこの三四年来、ロシヤでもせい/″\十二三年来)新しく勃興したマルクス主義文学――意識的プロレタリア文学の作品を如何に評価するかといふ非常に限られた問題だつたのである。そしてこの問題に関連する限りの理論だけしか吟味もしなければ、私自身提出もしなかつた。マルクス主義文学を政治的部分と芸術的部分とにわけたとき、私は芸術的部分のうちへ当然史的唯物論の解釈を入れて考へてゐたのである。それだからこそ、芸術的価値も亦社会的に決定されるとことはつておいたのだ。一日か二日で書いた三十枚のあはたゞしい論文で史的唯物論を「批判」するには、私はあまりに貧小であつたといふよりもあまりに健全であつたといふこと位は、私は大宅氏に認めて貰ひたかつた。
最後に、私が二つの価値の結合関係を、力による、権威によるものであるとしたにかゝはらず、マルクス主義文学即ち私によれば、政治のヘゲモニイのもとにたつ文学を合理化したのは「階級と階級とが、抑圧者と被抑圧者といふ形で対立してゐる社会をそのまゝにしておいて文学をたのしむよりも、一時文学そのものゝ発達には多少の障碍となつても、階級対立を絶滅することを欲するからである」と説明したのに対して、大宅氏は、これは道徳論であり唯心論であり、観念論であると、ありつたけの批難の言葉を並べ、氏自身は、マルクス主義者からとんぼ返りして正義派になつて、マルクス主義文学は最も正しい文学だから支持されるのだと説かれる。こらはあたかもツガン・バラノウスキーから福田博士に至る、そして今でも田舎の小学校の先生などの間には見出されるであらうところのマルクス主義批評家の口吻のヂユプリケーシヨンである。こんな批難にまで答へてマルクス主義の闘争性を講釈しなければならぬなら、私は筆を折つてしまひたい位だ。
要するに大宅氏の批判は徹頭徹尾誤解若しくは曲解をもつて貫かれてゐるので、反駁は一行一行に加へなければならぬのだが、そんなことは、私にも、「新潮」編輯者にも、読者にも我慢のできないものであるから、私は「再吟味」の「再吟味」の「再吟味」を大宅氏に勧告して次に移るであらう。
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